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門司港にて

彼には悪癖があって、やりかけの仕事を残した状態でないと次の仕事に取りかかれないのである。これは未完のプロジェクトを常に何本も抱えていることを意味した。

門司港駅に降り立つと寒気が上着を通り越して体内に滑り込んできた。数棟の古い煉瓦造りの建物が醜悪な姿を雨に晒していた。それはまるで自ら風化されることを望んでいるかのようだった。

広大な吉野ケ里公園には、確かに数時間滞在したものの、彼には何の感興も湧いてこなかった。もう一人でこんなところに来るのはやめようと思っただけだった。

彼には金がなかった。確かに二ヶ月前には二十万円ほど口座に入っていたが、二度の国内旅行とタブレット端末に費やした。彼は二回目の旅の最中、残高が思いのほか減っているのに気づいた。ほかにもっといい使い道があったのではないか。だからといって予定を切り上げるわけにもいかず、その後悔は道中付きまとった。

彼は自分の新しい職場の同僚になるであろう人々を遠目で観察した。短髪に黒縁の眼鏡をかけた、一目で関西系とわかる弥生人顔の男が、優男ふうの同僚と談笑していた。彼の人間不信と自信喪失は極度に達していたので、彼は他人が談笑している姿を見るだけでも不安に陥った。自分は職場の同僚と他愛もない話に花を咲かせることができるだろうか。人付き合いの疎遠な彼とて、お追従の一つや二つ言えぬわけではないが、人付き合いにおいて何か決定的なミスを犯すのではないかという恐怖は拭えなかった。

義務教育を受けているあいだには「正しい行い」として刷り込まれるものの、後から振り返ってみると理不尽だとわかる言説は多い。その最たるものが「早寝早起き朝ごはん」だろう。夜更かしや朝食を抜くことがいかに健康を害するかは小学校や中学校では手を替え品を替え説かれるのである。校長は朝礼で、担任はホーム・ルームで、体育教師は授業中に。朝食を食べずに生活することがどれほど危険かをデモンストレーションするためだけのセミナーのようなものも時折開かれていたように記憶している。

たしかにそれ自体は悪いことではないにしても、あまりに強調されすぎていた。彼は大抵の場合「壮大なおせっかい」として受け流していたが、長じて「早寝早起き朝ごはん協議会」なる団体の存在を知るに及び、この胡散臭い組織と義務教育下での執拗な教化との関係について、ほの暗い好奇心をもよおしたのだった。

この公益財団法人の幹部がどのような人々によって占められているのかについては、詳しく調べるまでもなく見当がつく。天下りしてきた厚労省もしくは文科省OB、テレビに出ているような教育学者、教育事業だと称して利害関係に食い込みたいどこかの企業の社長、それに自称愛国者の評論家、そんなものだろう。地位の代わりに見識を売り渡した人々によって運営される、何一つ有益な事業は行わずそれでいて政府からの補助は滞らない、そういう、世の中にたくさんある組織の一つなのだろう。子どもの頭に根拠のない言説を植え付けることで金持ちが私服を肥やしているのであろう。


小さい頃から学校で繰り返し説かれた「早寝早起き朝ごはん」や「生活リズム」などのフレーズには嫌悪感を抱いていた彼であったが、長じて一人暮らしを始めると、早寝早起きにも一つだけ確かなメリットがあることを発見した。それは電気代の節約になるということである。

一度夜更かしをはじめると、寝床につくのが億劫になる。

いまは我慢すべきとわかっているときに我慢できないのは、糸を吐く前の蚕を手の内でひねり潰すようなものだ。あるいは、袋詰めの米を手づからキッチンの排水口に流し込むようなものだ。

高望みと挫折を繰り返した彼のほの暗い情熱は、今では身の回りのものを整頓された状態に保つことだけに注がれていた。洋服はここ数ヶ月着ていないことに気づいたらすぐに河原町のファストファッション専門店に持っていって、引き取ってもらうことにしていた。

彼は高校三年生の春、あまりに絶望していたため、恋愛というものをしてみようと思った。そこで当時関わりのあった女子生徒の像を始終頭に思い浮かべることにした。幸いにして数日のうちに、意識せずとも彼女の顔が脳裏から離れない状態を作り出すことができた。食事は喉を通らず、夜は眠れなかった。こうして彼は人工的に恋心を作り出し、それを仕事に向かうエネルギーに転換することでやるせない日々を乗り切ることに成功した。彼女に意中の人がいたことを知ったのは、三年後であった。その瞬間、一縷の望みは潰え、彼女は彼の中でその機能を終えた。

彼は自分もかつて高校生だったということが早くも信じられなくなってきた。そもそも、当時の自分に高校生であるという自覚があったかどうかさえ疑わしい。高校生という言葉から一般に想起されるような輝かしい青春は彼のそばにはなかった。彼は歳をとっているだけだった。

彼は童貞のまま大学三年目を迎えた。メンタリティーは中学生の頃から変わっていなかった。幼いころになんとなくイメージしていた「大学生」は大人びていて、多少なりとも人間関係の機微に通じ、論理的に物事を分析できる人間であったが、それは今の彼とはあまりにもかけ離れていた。

15、16、17と、いや、それどころか20歳までの人生を、彼は積極的に振り返る気にはなれない。その時期に身についたものは、お追従を言ってお茶を濁す技術以外には皆無だ。ただ漫然と日々を過ごしていただけ。今から思えば、なんともったいなかったことだろうか。友達は相変わらずいなかったが、それは第一義的な問題ではない。10代後半の時期を画するような、そういう何者かを持てなかった。痛恨の一語に尽きると彼は今になって思い始めた。

彼は何も蓄積してこなかった。他者に差し出すことができるようなものは、見せられるようなものは、何もなかった。「何が好きなんですか」と聞かれても答えようがない。その問いを跳ね返すだけの厚みがこちら側にないからだ。そのような事態が続き、彼は自信を喪っていった。自分はどこか片手落ちだという意識が始終つきまとっていた。

人生の目的はなかった。一度ならず見つけようとしたが、大抵は高望みで、挫折に終わった。彼はただ歳をとっているだけだった。このまま単調な日々が続いて、いつか終わりが来るのかと思うと耐えられない気持ちになった。

しかし彼は自分の思っていることは大抵の他人も一度は考えることだろうという推測もしていた。そして世の娯楽の多くはその無常を忍ぶためにあるのだろうと考えていた。たとえば、そのような心理状況でなければ楽しめない書物などというものもあろう。そういったものを楽しむことができるようになっていく自分の姿を思い浮かべることが、今や彼の将来の楽しみであった。陰気な、逆説的な楽しみ。

だが、そのように「客観的に」自己を把握することを試みたところで、まがい物の仙人が生まれるだけであった。彼はもはや何もできなかった。絶望すらできない。一日一日の生を引き延ばしている感覚だけが全身を覆っていた。彼は空洞化した自分の感情以外のもの、すなわち他者や自然といったものに目を向けることができなくなってしまった。彼が無聊をかこつあいだにも人々は死に、生まれ、どこかで雷雨が鳴り、土砂崩れが起こっているに違いない。相場は変動し、政治家は汚職の尻拭いに猿知恵を絞り、発熱した幼稚園児が泣き喚いているに相違ない。

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