ベルフェゴール
「ブルの実…」
足元の青く硬い実をつまんでみる。
魔素の高い地域にしか育たない実。
この森にあることは自然だが、一つ、不自然でな点。
「誰かいるな…」
レイは一人呟くと、ブルの実を握りつぶした。
ブルの実は、その硬さ故に成った木から落ちることが無い。
収穫には、高純度の魔鉱石の刃でもないと切り落とせないのだ。もし獣でそれほとの刃を持つ者が生息していたとするなら、その気配にレイやシエラが気付かないはずがない。
知能のある種族だとすれば、そんな剣を持つくらいの実力者という事。
レイは、身体に魔力を流してスキルを発動する。
真闇操作。レイの魔力適正、闇の能力操作スキルの中でも最上位のスキルである。
例えば魔力適正炎の者がいたとする。
まず最初に覚えるのは炎使い、次に相当な努力をして炎操作、そこから気の遠くなる程の年月と修行でやっと真炎操作へ進化するのだ。
普通、最上位操作魔法を手に入れるには人知を超えた年月と努力が必要だが、ほんのたまにシエラのように元々最上位操作魔法を持ち合わせた者が生まれることもある。
…余談だが、もちろんレイもその類である。
レイの闇属性は、魔力を変化させる炎や水などと違って、魔力を直で外に流すことができる。
故に、質量や体積、動きを制御しやすい。それが最上位操作魔法を持ったとすれば、その緻密さは言うまでもない。
レイの体表面から溢れ出した黒い魔力は、視認できないほど薄く広がっていく。
「ふむ…」
しばらく経った後、レイは森の中一人呟いた。
どうやら、相手も同じことをしていたようだ。
(5…6人か)
レイが行ったのは、魔力の粒を広げて感知エリアを作る魔法だが、周辺の気配の察知など、魔法を使わなくてもわかる。
直刀を抜き、気配の中で最も大きい物の方へ切っ先を向ける。
「気付かれてましたか…」
どの幹のものかもわからないほど茂った葉の中からレイを囲むように六体の武装者が現れる。
(…エルフが二体、二体とも弓兵。人狼が一体、剣士。オークが三体、戦士とその上位職の狂戦士と武闘者か)
冷静に周りを分析し、距離を測る。
まず撃つのは飛び込んできた人狼の剣士。
自らも剣を扱うため、一番読みやすい。
レイは直刀を抜くと、最小限の動きで剣士の軌道上に鞘を置く。すると自分から鞘に顔を飛び込んでくれるので、そのまま後ろに回って頭を持ってやる。
二方向から来る矢の一方を気絶した人狼の首元でカバー、もう一方は直刀で優しく軌道をずらしてやる。
軌道をずらした矢が影に隠れていた武闘者の首を貫いたのを呻き声で確認し、絶命した剣士の遺体を狂ったように走ってくる狂戦士にぶつけてやる。顔面に当てたので、身体だけが前に出るように後ろに倒れこむ。
レイを狙う二つの殺気ごと空中に動かすように飛躍。ちょうど二人の弓兵の矢の軌道上に三体がかぶさるところで、少し止まってやる。
「死ね!」
「今だ!」
もちろん、弓兵はレイめがけて矢を放つ。
するとどういう事だろうか、矢が今にもレイを貫こうとしたその瞬間、レイの姿が消えた。
その直線に残ったのは二人の弓兵。
彼らは彼ら自身で放った矢に貫かれ、そのまま木から落ちる。
ちょうど地面と衝突するところで二人をまたも貫いたのは、レイの直刀に面影のある短刀。
無論、投げたのはレイ。最上位能力の武器生成である。
起き上がろうとする狂戦士の息の根を止め、残るは腰を抜かしたオークの戦士。
「なんだ、お前…瞬間……移動…?」
おそらくエルフを殺った時の動きのことを言っているのだろう、とレイは考える。
レイの移動速度は基本視認できないレベルだが、勿論空中での移動は超速飛行を使用しなければならない。
静止状態から熟練の矢を避けるには、移動速度が少し物足りない。
故に使ったのは、"切り札"の能力。
「固有能力、怠惰だ」
呟くようにレイが言う。
どうせ殺すのだ。教えてやっても構わない。
世界中で有数の天才がその身に宿すことのある特別中の特別、固有能力。
固有能力は普通の能力と違い、自分の意思で行うスキルと常時発動するパッシブスキルの二つの要素を当人に最適な状態で持ち合わせることができる。
その中でも大罪系能力は7つ。その内の一つをレイは持ち合わせていた。
怠惰、ベルフェゴール。
先ほど使ったのは、発動型の瞬間移動。
他に行動最適化をパッシブで利用しているが、それは大した事ではない。
「く…、大罪保持者だからって調子にのるな…!」
戦士が躍起になって向かってくる。
だが、その動きが熟練されたものと分かると、躍起でもとてつもない集中力で棍棒を構えているのがわかる。
この男、全力だ。
「そうか…」
それでは、とレイも自分の怠惰の能力の真髄を見せてやる事にした。
身体を巡る魔力の感覚をスキルに還元し、ジッと戦士を目で見てやる。
「んあ…」
間抜けた声を出しながら、戦士が足をもつれさせて転ぶ。
レイはそれを見下ろしたままでいる。
「あ、悪魔…!」
怯えながら言う戦士に、表情を変えず首を切り落としてやった。
「悪魔、ねぇ…」
一息つくと、レイは少女の炎の魔力の方へ歩いて行った。
♢ ♢ ♢
「アハァ…ちょっと泣けばすぐ騙されてくれるのね…」
「なん…で…」
毒矢を刺したのは、シエラが助けたエルフの娘。
だが、先程までの怯えた様子はなく、今は邪気を孕んだ笑顔をしている。
シエラはやっとそこで自分が騙されていたことに気付く。
「コイツ、小屋に運びな。よく売れるよ」
「へぇ、確かにいい顔してますもんね」
「馬鹿、そう言う事じゃないんだよ」
「へ?」
「コイツ、吸血鬼だよ」
娘は武闘者より立場の上のようで、武闘者にシエラの正体を教えてやっている。
驚くべきは、この娘。
おそらくシエラがコントロールして抑えていた吸血鬼特有の魔力を感じ取ったのだろう。
だが、外に流れていた魔力は微量、感じ取るには最上位能力でも無ければ不可能であるのだ。
「へぇ、獲物の方からこっちに来てくれたんすか、ラッキーでしたねぇ」
「まぁ、仲間の犠牲分は金を稼いでもらわないとね」
「最上位持ち…ですか…」
勝手に自分の使い道を話し合う二人に、シエラは問いかける。
勿論、娘達が行動を起こす前に毒が引くかないことはわかっている。
希望を託すのは、凄まじい速度で向かってくるこの魔力。
「………」
シエラの問いに、娘が疑うように目を細める。
やがてしゃがみシエラの頭に手を当てると、その手に魔力を注ぎ込む。
「魔素断絶!」
魔素断絶、本来はスパイ活動の為に仲間の魔素の自然流出を防ぐ魔法だ。
だが、他に使い道もある。今シエラがやられたように、敵の中身に敵の位置を察知されない為にかけるのだ。
「くっ…!」
悔しそうにシエラが下唇を噛む。
向かってくる魔力の速度が落ちた。シエラの魔力が消えた事に気付いたのだろう。
「あの子屋に隠しときな」
「ヘイ」
娘の指示にオークの武闘者が従う。
二つの死体とシエラを小屋に投げ込んだ武闘者が戻ってくると、娘は三日月状に口を歪ませ、シエラにかけられた上着の中に毒ナイフを仕込む。
「さて、どんな化け物が来るのかしら…」
娘…ランクA +、真祖ノ森精霊のラルフは向かってくる強大な力に、ただ殺意だけを抱いた。
夜はまだ長い。