最初の巻 宇宙と戦争と招聘令状!?②
丸太を組み合わせて作った小屋の中に入ると、フローラは手早く茶を用意してマリアと共に卓に着いた。マリアは寄越されたティーカップをソーサーごとテーブルの端にずずいと寄せる。広いテーブルだが、なんとなく隣り合わせで腰かけてしまった。
立派な木製の一枚板でできたテーブルの上には、ぽつんと手紙が一つ。二人は同時にそれを覗き込んだ。
ごっくん。互いの喉がなった気がしたが、今はそれどころではない。手紙は、白地に金箔が散らされた優雅な封筒に、真っ赤な封蝋が押されている。その印は複雑で、あまり馴染みのあるものではない……はずなのだが。
アリアがほう、と感嘆の声を上げた。
「なんだか豪勢な印ねぇ」
フローラはというと、その印の精巧さよりも、印そのものに首をかしげていた。
「うん……でもちょっと待って。これをどこかで見た気がするんだけど」
どこだったか。知らない印だ。もちろん誰かが使っていた家紋とも違う。しかしどこかで、確かに見た覚えがある。
フローラは首をひねりすぎてアリアに肩がぶつかった。アリアは何気なく、すぐ隣で揺れているその髪を指先につまむ。
「どこだったかなあ」
「あたしだって知らないわよ。でも中央星系の軍……主星軍だっけ? その印だし、ヴィジョンか何かで見かけたことはあるじゃないの?」
ヴィジョンとは遠くのものや作った映像を流すための液晶装置だ。一般家庭に普及しているものは大小様々だが、もちろん辺境の片田舎であるフローラの小屋にも設置されている。かなり小さいが。
「うーん……」
腑に落ちない。こう、見知ったもので、何度か見かけたけれど、自分には直接関係がなかったような。そう、見かけたことは数度ある、というか……。自分のことなのになんともはっきりしない。そんなに頻繁に見たことはないのかもしれなかった。
フローラが印に視線を釘付けている間、アリアはフローラの肩で揺れている髪を陽光にかざしてみる。小屋の中は日の光を入れやすく作られているようで、昼の間は光が満ちていてとても明るい。もっとも、既に夕日の時刻に差し掛かろうという頃合いだが。
「フローラの髪ってきれいよね。何色っていうのかしら。母さんが持っている琥珀みたいな色ね。日に透かすと、ほら、金色みたいにも見える」
フローラの肌は透き通るように白い。惑星ホルスは大部分が砂漠、一部に広大な森があるという、なんとも極端な惑星だが、その森の穏やかな日差しで彼女の肌は守られているといえる。フローラの持つ色素は全体的に薄く、淡い色だ。瞳の色も空を水に溶かしたような薄い青。背だけはひょろりと高めで、体躯は細い。
この地方で一人歩けば目立って仕方ない容姿が、フローラはあまり好きになれなかった。父もアリアもアリアのおばさんも、こうして褒めてくれるけれど。
「日に焼けると赤くなってしまうだけの厄介な肌よ」
「そうかな。あたしはいつも、見るたびに羨ましいって思うんだよ」
「この辺りにない色だからでしょ?」
フローラは自嘲気味に笑った。惑星ホルスに住むそのほとんどは原住民で、黒髪に褐色の肌をしている。アリアの容姿はまさしくそれだ。フローラと亡き父の容姿はこの田舎では目立って仕方ないもので、子供の頃はこれが原因でいじめられた記憶もある。
もっとも、父から教え込まれた柔術で大人から子供まで撃退してやったのだが。
「いいじゃない。きれいだわ。あたしは好きよ。あんたのその青い瞳もね」
「……アリア」
にっ、と笑った明るいアリアに、フローラは顔でかすかに笑む。それは見るものが見ればとても儚げに見えるだろう。
「ま、この辺じゃあんたの見た目に騙されるやつなんてもういないでしょ。百戦錬磨のフローラさん?」
にやり、とアリアは笑って封筒を掲げた。
「もしかしてさ、この手紙も、あんたが町で大暴れした噂が届いたからだったりして?」
ひひひ、と意地悪く笑うアリアに、フローラはむくれて見せた。アリアは少しだけ留飲を下げたように眉を落とす。なかなか森から出てこないこの幼馴染は、面倒くさがりな上に、表情の変化もそこまで豊かではない。アリアと話しているからまだましな方だ。もったいないと素直に思う。美人なのに。言っても否定されるから、アリアはあえて言わないが。
「そんなこと、あるわけないよ」
「わからないじゃんか。あんた、町の男ども、片っ端から倒しちまうんだもの」
手紙を奪い返したフローラはむくれたまま返す。
「いじめてきた悪ガキと、変態男だけだから!」
変態男はともかく、いじめてきた悪ガキ共は、確実にあんたに気があったからだと思うんだけど。アリアは内心嘆息した。当の本人は全く気付かず、問答無用で投げ飛ばしていたのをよく覚えている。それが積み重なって、今はもうフローラにちょっかいを出す男もこの辺りにはいない。
「あんた、繊細そうな外見なのにねぇ。残念なことに中身がね」
「アリアの意地悪……。ほら、手紙を開けるよ!」
フローラは不毛な会話――毎度似たような会話で過去を笑われるのに辟易している――に終止符を打つべく、えいっと掛け声をつけて手紙を開封した。
「あっ! ちょっと、きちんときれいに開けなさいよ。あーあー、こんなぐしゃっと」
「いいのいいの。さ、中身は何が入っているのか」
「あんたさ、その見た目と中身のギャップ、やめなさいよ……」
そう窘めつつ、好奇心に勝てなかったアリアはフローラと一緒に手紙の中に入っていた一枚の紙を同時に見やった。
しかし意味が分からず、凛々しい黒眉を跳ね上げた。
「……なに、これ?」
同じくフローラも細い眉を上下に動かす。
「なんだろね」
その紙には、このように記されていた。
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フローラ・マルヴァレフト殿
合格おめでとうございます
貴公を中央星系 主星正規軍付 主星軍士養成学院へ特別推薦枠として迎え入れることが決定いたしました
つきましては別紙の日時までに入寮されたし
尚、同行者は不可、荷物も記載のもののみご準備いただきますよう
主星軍 主星軍士養成学院 入試課
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二人の時間はしばらく止まった。
……思考停止とはよく言ったものだ。ついでに息まで無意識に止めていたらしい。
「驚きすぎると体も止まるのね! あー苦しっ」
隣を見れば、幼馴染は白い肌を蒼白にして手紙を見入っていた。
「こ、こ……」
フローラは今だ驚きの膠着から抜け出せていないようだ。
「あたし、冗談のつもりで言ったんだけどなー」
あはは、とアリアは大げさに頭を掻いた。まさか本当に軍の招集命令だったとは。むしろ合格通知か。
なぜフローラなのだろう。まさか本当に子ども時代の武勇伝が伝わったわけじゃないだろうが。
「ねえ、ここ。合格おめでとうってあるじゃない?」
アリアは文字を指で辿った。
「フローラ、あんた何か申し込んだの?」
「するっ、するわけないよ! なんでこんな……」
食い入るようにその紙を見つめているが、何度見ても変わるわけもなく。
「無理無理無理ー! 軍なんて、私何にもできないよ…っ!」
勝手に合格しているのも謎だ。そもそも特別推薦枠って何だ。
フローラの顔は蒼白を通り越して白い。軍に来いと言われれば当然か。手紙を握りしめた手が震えている。
「落ち着きなさいよ、フローラ」
そんなに強く握ったら手紙がぐしゃぐしゃになるでしょうに。……ああ、もう遅いか。猟銃を思い切り撃てる握力の持ち主だ。
「これがアリアだったら落ち着けるの!?」
まあ、無理だろうけど。
そもそも、この辺境惑星ホルスから、いやむしろこの付近の町から出発すると、半日かけてホルスの首都まで行き、そこからシャトルで近隣の大きな惑星に向かい、シャトルを乗り継いでようやく主星に到着のはずだ。惑星ホルスから主星に直行便はない。ずいぶんな距離がある。
「アリア、ど、どうしよう。私主星なんて行きたくない!ここからどこへも行きたくない!」
フローラは既に半泣きでアリアに抱き着いた。一体自分にどうしろというのだろうか。
アリアを力いっぱい抱きしめながら、心当たりのないフローラは混乱の極みにいた。
フローラの家族は亡き父しかおらず、母は幼いころに早世したと聞いている。一人なのだ。
一人で静かに、この森で生きていければ、それでよかったのに。
「……どうしよう」
途方に暮れたフローラが背を丸めると同時に、アリアが何かに気づいたようだった。
「ちょっと待って。ねえ、封筒の中にまだ何か入っているよ」
アリアは封筒の中から薄い紙を一枚引き出した。
フローラはそこに流れる文字を見て、再び時を止めた。
「……え?」
『愛しい私の姪。主星で大切な姉の忘れ形見に会えることを楽しみにしているよ』
「姪」と書かれたその文字に。
その名に。
フローラは息を止めた。
「アトス・シルヴァンティエ……シルヴァンティエ」
主星軍主星軍士養成学院院長の名は、確かに母の実家の姓だった。