参の世界②
参の世界――魔王の話――魔王の大きな天幕にて
「疲れたよ。ナハト、お茶を一杯くれないか? うんと濃い奴」
焦燥しきった表情で、魔王は椅子にもたれかかる。
そして、ナハトと言われた従者――魔王が唯一天幕の中へ入るのを許した側近は、微笑みを交えてそれに応える。
「いえいえ魔王様。兵も皆酒を呑んで、人間界への侵攻を祝しております。兵を束ねる魔王様が、その杯を率先して……」
「ああ、ああ。わかったわかった。私が皆の前でグイッと呑みっぷりを見せた方が、兵の士気も上がると言いたいのだろう? だが、私が酒を呑めんことはお前も知っているだろうに。そういうことは全部、将軍である白虎王や斬鋼帝に一任してある。彼らの方がそういうのは得意だろう」
「……ふむ、確かに。彼らの方が、戦の前に呑めないと世迷い言を抜かし、濃いお茶なんかを要求する魔王様より、はるかにお得意なのかもしれませんね」
魔王は、しばし沈黙してその言葉を噛みしめるように受け止める。そして半ば諦めたように口を開く。
「………………ああ。きっとそうなのだろう。私は演説とて苦手だ。さっきも頭が一瞬真っ白になって、ナハトに考えて貰った原稿が飛びかけた。戦なんていうのも正直……性に合わない」
魔界全土を掌握する魔王。魔界を統べる王。
その力は魔界に住む全ての生物と比べて遥かに強大であり、敵う者は何人たりともいないとされる。その絶対的な力から『魔王』は魔界の王として君臨し、その頂点として膨大な数の魔族たちを従えている。
「ふふふ。では、麦茶で宜しいでしょうか、魔王様? うんと濃いのを」
「頼む、ナハト。……はぁ~、今頃兵たちは、同じ麦でもアルコール度数のすこぶる高いのでやっているんだろうにな。なかなか自分で言うのも何だが、情けない話だよ。酒は駄目。兵法や軍略も素人。人前に出るのも苦手。よくこれで、民衆が私を支持してくれていると思う」
「まぁまぁ、そうお気を落としにならずに。歴代の魔王様方だって、得手不得手はありましたし……何より魔王様は歴代屈指の戦闘力を誇るではありませんか。伊達に歴代最年少で王座に着いているわけではないんですよ? 自覚してください」
「『歴代最年少の自覚』ね。……結局は、ただ単に子供なだけだよ、私は」
「特に胸なんて、そこらの子供達よりも小さいですもんね」
「よ、余計なお世話だ!!」
第百代魔王の肩書きを得たのは――年端も行かぬ、幼気な少女であった。
――☆☆☆――
『魔王』は、先代魔王の死後十日後、王座争奪戦により決定される。
候補者は王座争奪戦用特設闘技場で、自ら、もしくは従者を立て、争奪戦に臨む。一にその勝者であり、二に民衆の支持を充分に受けられた者が、次の『魔王』となる。
候補者――つまり各氏族の、自らが魔界屈指の実力者だと自負する者や、氏族の中で『最強』という名の推薦を受けた者同士――が、魔王の座を得るため、全力をもって戦う。勝者が出る過程で何らかの裏工作やイカサマがあった場合、民はそれを鋭く指摘する。たとえそれで勝者が出ようとも、民はそれを殺す。
一瞬でも不穏な動きがあった場合、民はそれを王とは認めない。
よって王座争奪戦において、小細工をするということは自らを不利な状況に陥れるだけの愚策である。候補者である彼らは、純粋な『力』をもって勝利と支持を勝ち取らなければならない。
第百代王座争奪戦。十一の氏族から候補者が出た。そして圧倒的『力』を発揮して王座を勝ち取ったのは、さきほど人間界侵攻への大演説を行った現在十七歳――当時弱冠十四歳の、人魔族の少女。
まだ体さえ充分に成熟していないその少女は、まず手始めに優勝最有力候補であった獣人族の長を広域殲滅炎系魔法で一瞬にして消し炭にし、機鋼族の大将を高位爆破系魔法で鉄壁と謳われていた装甲ごと木っ端微塵にし、魚王族の若きホープを敢えて散射貫通水系魔法で蜂の巣にし……――
といった具合で、各氏族の期待を一心に寄せられ、自らこそが『最強』と自負していた猛者たちのプライドを命ごと消し去っていき、争奪戦開始からものの数十秒で王座へと上り詰めたのであった。
――☆☆☆――
「むしろ、先代の魔王様は戦闘が不得手……というか、戦闘能力があまり歴代の魔王様方に比べて高くなかったため、民衆からは疎まれ、今回のような『人間界侵攻』へと踏み出せなかったんですよ? それを考えれば、民衆は魔王様を支持しますよ。なんせ『歴代最強』とまで謳われるレベルの戦闘力なんですからね」
そう言ってナハトと呼ばれた第百代魔王の側近かつ執事は、限界濃度に挑戦した麦茶を、微笑み交えて魔王の前へと差し出す。
「たしかに……自分で言うのも何だが、私は一対一の喧嘩をすれば、絶対に負けないだろう。それぐらいの自負はあるつもりだ。しかし……戦争というモノは、決して一対一でやるものではない。戦術的レベルで最強であっても、戦略的レベルで強くなければ意味はない。一人の力で勝ち負けが決まるほど、戦というものは甘くはないよ……――ってぇ!? 苦いよ! な、なんていうか、この茶、じ、尋常じゃないくらい濃いぞ!?」
「いやはや。魔王様の仰せの通りに注がせて頂きました」
「こ、こいつが限界濃度麦茶という奴か……味覚が飛んでしまったぞ……」
とは言うものの、若き魔王はその麦茶を気に入ったのか、一杯飲み干すとすぐにおかわりを注文した。
「次は侵攻前の事前最終会議か……面倒だな」
「もう殆どは決定事項の確認では? 魔王様が政全般が苦手なのは存じ上げておりますが、流石に……」
「いや。だからこそ面倒なんだ。決定事項を確認するためだけに、また小難しい前置きやらを並べなければならない。…………はぁ。いっそのこと、人間だろうが魔族だろうが、面倒臭いことは全部、広域殲滅雷系魔法で解決できれば楽なのにな……」
そうぶつくさ愚痴りながら、一気に二杯目の麦茶を飲み干し。魔王は、有力氏族の殆どが集まる大会議室へと足を向けた――




