弐の世界①
弐の世界――善良な一市民の話――公園にて
「世の中、随分と物騒になったよなぁ、まったく」
最近テレビやラジオは、『政府高官連続猟奇殺人事件』のニュースで持ちきりだ。陰謀論や暗殺論が渦巻いており、テロリストやらレジスタンスやら……事情をろくに知りもしないくせに、マスコミはああだこうだと騒いでいる。
だが犯行の残酷さから、いくら何でもあれはただのキチガイあるいはサイコの所業であるようにしか僕には思えなかった。
目を潰し、喉を鋭利な刃物で貫通する。貫く時、あるいは抜く時に、首を胴体から切り離す。それも切り口の荒さから判断して、ひどく乱暴に。おそらく、殺害時に犯人自身も多量の返り血を浴びるような犯行方法だ。
そんな方法、訓練を受けた組織が使うものには到底思えないし、国の政治や官僚の立ち回りに不満があるにしても、いくらなんでもやりすぎだ。明らかに政府高官ばかりが狙われているとはいえ、その行動そのものに政治を変えたいという意志が含まれているようにはどうも思えない。
しかし犯人が既に二十余名の高官の殺害を現場を誰にも見られず、これといった手掛かりも残さずやり遂げていることを鑑みると、相当な手練れであることは想像に難くない。おそらく、軍や政府の特殊部隊やら特務機関出身の人間なのだろう。あるいは、暗殺を生業とする人間なのかもしれない。
とりあえず、まさか普通の『女子高生』が犯人であるはずがないだろう。
「どこまで見たの? 話して頂戴」
「全然見てない。見てたとしても、夢物語。自分が不利になるようなことを、あえて君の前で言う必要があるのかな……?」
「この感触。夢じゃないことくらい、わかるでしょ?」
目の前には、うちの高校の制服に身を包んだ女子高生。顔は、ただでさえ夜闇でぼんやりしている上、キャップ帽で隠していてはっきりとは見えない。しかし、制服が描き出している身体の凹凸の輪郭は、もの凄くスタイルが良いということを否応なく僕に教えてくれる。「モデルみたい」と一言で片付けてしまうには、語彙が足りなさ過ぎることを痛感せざるを得ないほどに理想的体型。
「やっぱり夢じゃないんだね。これ」
「『夢だったら良かったのに』とでも言うなら、完全に同意見よ。気が合うわね」
聞いたことのある、冷静さと知性を感じさせる声。感じたことのない金属の冷たい感触。先端が二股に別れた槍が、僕の首の頸動脈の側にあり、ひんやりと死の恐怖を教えてくれる。
「んじゃ……単刀直入に聞くけど、犯行の目撃者であり、不都合な情報を知り得てしまった僕は殺されるのかな、ナツキちゃん?」
「それは貴方の態度次第よ、史郎くん」
村雨ナツキ。
賢さと美しさ、知性と器量を兼ね備えた学園のアイドル。
だがそんな万人に対する肩書きなど、僕の前ではどうでもいいことこの上ない。だって、それ以上に意味のある関係が僕と彼女の間にはあるから。
「あたしだって、自分が惚れた殿方をこういった事情で失うのは些か不本意だわ。できれば」
「『殺したくない』と。いやはや、やっぱり気が合うね。僕も初めてできたこんな可愛い彼女に殺されたくはない」
僕――巽史郎と、彼女――村雨ナツキ。二人は相思相愛の恋人同士だ。
いや、一時間前までは確実にそうだったはずだ。けれど、二人の間で交わされる現在の淡々とした会話風景と物騒な状況を推し量れば、『恋人同士であった』と言い直した方がいくらか適切であるような気もする。しかし、おそらく僕と彼女が恋人同士という間柄でなければ、きっと彼女は僕をすぐさま殺しただろうし、僕は惨めに取り乱していたに違いない。
だが現状で双方の様子から窺い知れるように、彼女は僕を殺すでないし、僕もじたばたと錯乱するでない。それは偏に、お互いを信頼しているから。この事態をできるだけ穏便に済まして、さっさとお互いが元の生活に戻ろうと考えているからではないか……と、勝手に想像する。
しかしながら、それは不可能なはずだ。だって僕は見てしまったのだし、彼女はやってしまったのだから。
「……で、どこから見てたの?」
「……『全部』と言えば、良いのかな? 元大臣の首を絞めながら詰問し、やがて大臣に異常な笑い声をあげられ、それをもう片方の手に持つ槍で突き刺して、首をかっ割いて絶命させたところまで」
「まぁ……全部ね」
そう言って、ナツキちゃんは表情を曇らせる。といっても暗闇の中では顔などまともに見えないので、そうなのだろうと、僕が声色から勝手に予想した次第なのだが。
「さて、連続殺人事件の目撃者だ。君は僕を殺すんだろ?」
「言ったでしょ? それは貴方の態度次第だと」
「僕が黙秘する、誰にも言わない、とでも約束すれば殺さないとか? でも僕はそんな約束するくらいなら、君には自首して欲しいけどね。生憎、いくら君に魅力があろうと、人殺しとなった人を擁護することはできない。一人二人なら理由如何で僕の気持ちも揺らいだかもしれないけど……君の吸った血は、ちょっと僕みたいな善良な一市民からすれば多すぎる」
それに。
「……見てしまった僕が、いままで通りに君と接せる自信がないんだ」
僕の言葉を聞き、ナツキちゃんからは意外な返答が漏れる。と同時に、槍を持つ手が心持ち緩んだ気がした。
「…………とりあえずは、安心したわ」
「なんで?」
「一応、いつもの史郎くんが返すだろう反応だから」
いつもの僕が返すであろう言葉。それに安心する理由が、今この場においてナツキちゃんに存在する所以が僕にはわからない。
だけど、わからない僕はそっちのけでナツキちゃんは続ける。
「一つ質問をさせてもらうわ。これをパスすれば、貴方に真相を全て話すと約束する。そして、貴方を保護します。おそらく史郎くんも世界から命を狙われることになるでしょうからね」
「随分と……大げさだね。いや……政府高官を次々と暗殺するくらいだから、それ相応の理由はあるんだろうけど」
「わかってくれとも許してくれとも言わないわ。これがあたしの仕事であり、使命なんだから」
ナツキちゃんの声は落ち着いていて、それでいてしっかりとしていた。彼女の言動からは、とても連続殺人犯の雰囲気なんて感じ取れない。
「史郎くんは『神様』を信じてる?」
だがそんな彼女から発せられる問いは、随分と突拍子のないものだった。
「抽象的な質問だね。イエスともノーとも言える」
「じゃあ質問を変えるわ。貴方は、神様のために命を賭せる?」
「………………『ノー』かな。あいにく僕は無信心者で、現実に存在しない概念のために命を賭けられるほど、信仰心は強くないよ」
「その言葉、信じていい……?」
ナツキちゃんの不安と願望が入り交じった声色。
彼女は何を求めているのだろう? 僕にはさっぱりわからなかった。
「あれぇ? 僕が告白した時のセリフ、もしかして覚えてないの? 『たとえ背教者になろうとも、僕が君を守ってみせる。君を他の何よりも大切に思ってみせる』って、言ったじゃん。まさか、思い出すたびに恥ずかしい想いをしてるのは僕だけ!?」
その言葉で、ようやくナツキちゃんは槍を首からどかしてくれる。
「お、覚えてるわよ。忘れるわけ、ないじゃない」
たぶん、顔を真っ赤にして。
「なら、納得してもらえた? こんなんで僕はナツキちゃんの課題をパスできたのかな?」
「ええ。どうやら史郎くんは、まだ大丈夫みたい」
まだ大丈夫。
何故か理由もわからないのに、『もう大丈夫じゃないんじゃないか』という思いが僕の頭をよぎる。彼女が何をもって、何のことを大丈夫としているのかも、全くわからないのに。
「史郎くんがもし『紅い眼』をして神様のことを讃えだしたら、あたしは貴方のことを殺さなくてはならなかった」
紅い……眼?
「紅い眼は、あなたが奴の支配下になったことの証明だからね。政府はもう殆ど浸食されつつあった。でもどうやら、まだ一般市民には」
「ごめん、ナツキちゃん。僕は、もう」
「………………え?」
何故だろう。
気付けば、僕の首を彼女の槍が貫通しており、僕は血を流しながら地面に倒れていた。
薄れ行く意識の中で、僕を見下ろすナツキちゃんの表情が目に入る。街灯に照らされ、ぼんやりと映った彼女の顔はただ無表情。彼女がどういった感情から僕を殺害したのか……その理由を、最期まで見出すことは叶わなかった。
「愛していたわ、史郎くん。結局あたしには何もできなくて、ごめんなさい」
感情を押し殺した声が公園に虚しく響く。そして屍と化した真紅の瞳に、彼女の表情のない瞳からいくらかの滴が零れた。