拾参の世界②
拾参の話――天使の話――海浜にて
「ここ……どこ……?」
目を覚ましたわたしの前に広がるのは広大な海原。
「って、あわわ! 体中砂まみれ!」
砂を払う。何でわたし、こんなとこに寝てたんだろう?
「ふえぇ……ってか、頭痛いよぉ……」
ずきずきとした痛みがわたしを襲う。砂浜なんかで寝て、体調を崩したのだろうか。
「うーん、思い出せないよぉ……」
頭を抱えてみるが、砂浜で眠ることになった経緯を何も思い出せない。
「えぇと……」
とりあえず、辺りを見渡してみる。
砂浜の延長線八百メートルくらい先では、黄色い明かりがいくつも上がっている。何かお祭りでもしているのだろうか?
海の方では、遠くの方で何か黒い影がたくさん蠢いている。なんだか気味が悪い。
「……あ!」
浜に人がいるのが見える。暗くてよくわからないけど、どうやら二人いるようだ。一人が一人の肩を支えている。
「あのぅ……あ……」
声をかけようとした時、肩を支えていた一人はもう一人を水のかからないところまで持っていって寝かせて、また海の方へ行ってしまった。
「あのー、すみませーん」
恐る恐る残されたもう一人の方に近寄ってみる。
見ると、上半身裸の男の人が倒れていた。
「あの……大丈夫ですか?」
「…………ん、んぅ……」
わたしが声をかけると、その人は苦しそうな声を上げる。意識がはっきりしないようだったので、揺さぶってもう一度声をかけてみた。
「あの、大丈夫ですか?」
「…………ん、ル……ナ……?」
「あ、意識を取り戻したんですね! もう大丈夫ですよ、わたしが付い――っ」
その瞬間、奪われてしまった――わたしの唇が、目の前の殿方に。
「ちょ、ちょっとぉ!? 何するんですか!! じ、人工呼吸は、わたしの方がするものですよ!」
微妙に返しがずれているような気がする。だけど、動揺したわたしにとっては精一杯の言い訳だ。――初めてを、心の準備もなしに奪われてしまったのだから。
「………………はっ!? す、すまねぇ! 悪気はなかった、本当だ……って、天使か?」
「いかにも! わたしは天使の末裔のエル――って、どこかでお会いしましたか?」
「覚えて、ないのか?」
「はへ?」
男の人にそう言われて、またずきずきと頭が痛む。さっきよりも、もっと。
「……ご、ごめんなさい。お名前、伺ってもよろしいですか?」
「手前……大丈夫か? 俺は伊佐見――じゃなかった、『極光の勇者』だ。覚えてないか?」
「『極光の勇者』さん? ふむぅ、変なお名前で、す……ね……」
彼の名前を聞いて、また更に頭痛がひどくなる。何なんだろう、これは。
「ごめん、なさい。あんまり覚えて、ないみたい、です……」
「手前………………おい、眼見せてみろ!」
「……へ?」
そう言って勇者を名乗って彼は、強引にわたしの顔を掴み、のぞき込む。さっきのキスといい、とても勇者様がとる行動には思えない。
『勇者様』……?
自分で思ってなんだが、どこかこの響きに聞き覚えがある。……だけど、それがどこで聞いたのか思い出せない。
わたしが『様』をつけるのなんて、迅様くらいなのに…………ん?
迅、様……?
「眼は紅いが……これは元々のレベルか。もしかして、支配が解けたのか?」
「じん、さま……」
「ん? どうした?」
「じんさまが………………わたしは、迅様を――っ!? 勇者さん! 今、迅様とマオちゃんはどうなってますか!?」
……全部、思い出した。
「突然どうした? ……今、破壊神と魔王は戦ってるぜ。いや、破壊神とケイテンって言った方が正しいか」
「そ、それは、どういうことですか? も、もしかして、神様はマオちゃんの身体に乗り移ったんですか!? それで、迅様とマオちゃんが戦ってるんですか!?」
「ああ……そうだ……」
「なんてこと……」
わたしは、大変なことをしてしまった。
クラスメイトと愛する人。二人を裏切るようなことをしてしまった。
「わたしは、大変な過ちを犯してしまいました。いくら創造主の命に従った結果とはいえ……これは、あんまりです!」
涙が溢れてくる。申し訳なさや絶望感、いろんな感情が、わたしの涙腺を攻撃してくる。
「手前、ケイテンの支配は……」
「ケイテン神様はわたしの創造主です。ですから、わたしはあの方の言葉に従うのが道理。事実、あの方の言葉に従って、わたしはマオちゃんを貶めてしまった」
それはおそらく使命感よりも、他の感情――迅様に構ってもらいたい庇護欲、迅様と仲良くするマオちゃんへの嫉妬心……そんなものが入り混じって、わたしは神様の言葉に従ってしまった。醜い感情の逃げ口として「神から与えられた使命」というものを掲げ、自身の行動を合理化してしまった。
だけど……そんなんじゃダメなんだ。そんなことをしてしまえば、もうマオちゃんや他のみんなと今まで通り接することはできなくなる。
それどころか、神様が最後まで計画を遂行すれば……もう二度と迅様に会うことはできなくなる。
「でも、それじゃダメなんです。神様に従って生きる世界よりも、自分の大切なもののために生きる世界の方がずっとずっと良いのだから!」
「手前、大丈夫か……?」
「とうの昔にぶっ壊れてます! わたしは、悪い天使です!」
迅様やクラスメイトのみんなと一緒に過ごす内、自分の創造主よりも縋ってみたいものを見つけてしまった。
わたしは、悪い天使だ。神の使いとして生きることよりも、自らの愛に生きることの方に充実感を見つけてしまった。
「だから、わたしはケイテン神様の計画を台無しにするために動きます。主の過ちを正すのも、従者の役目。全世界を自分が頂点に君臨できるような、人の感情を歪めてまで信仰を集めようとするような、そんな世界を作ろうとするなんて間違ってます!」
「あぁ……間違ってるぜ、絶対な」
勇者さんは頷く。静かな言葉に、確かな気持ちを込めて。
きっと彼もケイテン様にこの世界に連れてこられたのだけど、その前に何かあったのだろう。間違ってる……ならばわたしはその間違えを正さなければならないだろう。
わたしは辺りを見渡し、ある物を探し当てる。
「えぇと…………あった!」
真っ赤に染まった錫杖。
「勇者さん、これでわたしとマオちゃんを貫いてください! わたしが自分でやるより、こういうものの扱いはきっと勇者さんの方が得意でしょうし」
「貫け、たって……そしたら、どうなるんだよ?」
「この錫杖は特別なんです。これで貫けば、呪文や術式などのやりとりなしで、貫いている同士で精神を移すことができます。……と言っても、ケイテン神様の精神のみを、ですがね」
「それで手前に奴の精神を移してどうなる? 根本的な解決にはなんねぇだろ」
「ケイテン神様がわたしの身体に移ったら、後はわたしを殺してください。わたし程度の貧弱な身体であれば、勇者さんの力をもってして容易に殺すことができるでしょう」
「馬鹿言うなっ!!」
そう言って勇者さんはわたしの肩を強く掴む。
合理的で完璧なアイデアなのに、何で怒られているんだろう。
「ルナとそっくりな手前を殺す事前提で、そんなことできるかよ!」
「でもわたしを殺せば、ケイテン神様のバックアップがわたしの中にあったとしても、それすらも消滅させることができます。それに……」
わたしは勇者さんの目をしっかりと見て言い放つ。
「わたしは『ルナ』さんではありません。貴方とは先日お会いしたばかりの、他人同士です」
「そいつは、そうだが……」
そう言って勇者さんは顔を伏せる。しかし、生憎だがわたしは『エル』。彼の言う『ルナ』とは何の関係もない。そんなことで悩まれても困る。
「『ルナ』さんは『ルナ』さんですよ。きっと貴方のお好きな方だったんでしょ? ……でも、わたしは『エル』です。どんなに姿形が似ていても、貴方が恋した『ルナ』さんには到底及びません。形だけの紛い物のために遠慮するくらいなら、『ルナ』さん本人のためになることに全力を注いでください」
「………………」
「それに、きっとルナさんも。そっくりさんにうつつを抜かしていたと知ったら、怒ると思いますよ?」
わたしは笑顔で語りかけるが、勇者さんは難しい顔。
こんな風に悩んでくれるのが迅様だったら嬉しいのだけど、なかなかそんなことも言ってられない。今回は半ば自分で蒔いた種なのだから、落とし前くらい自分で付けなくちゃならない。
「やってくれますね、勇者さん?」
「………………ちっ」
返事もせず、勇者さんは乱暴にわたしの手から錫杖を奪い取る。
そして、二人で迅様とマオちゃんの戦場へと駆けていった――




