拾弐の世界③
拾弐の世界――校長の話――廊下にて
「おやおや、担任が本気を出しますか。どうやら巽くんは死んでしまうようです。いけませんねぇ……私がまだ目の前の小娘を消去しない内から」
「はぁ、はぁ、はぁ…………」
彼女の規則正しい吐息が、私を大いに興奮させます。追いつめられ、万策尽き、そして絶望に打ちひしがれた表情は、いつ見ても心地よい。それが、年端もいかない女の子の“それ”であるという事実を伴うならば、尚更。しかしぃ、もう後五年若ければ、私の性癖を満たす道具になるには充分だったでしょうに……状況が状況なだけに、その点だけがなんとなく悔やまれます。
「さて、どうします? 何をやったって無駄だってことは、充分すぎるほど理解したでしょうに。おとなしく死んだ方が楽に――」
「オクスタン・ロッド、フルドライブ!! フレアバースト!」
やれやれ、まだそうやって足掻く。そうやってもの凄いエネルギーを伴って放たれる獄炎の一撃も、私の前には何の意味も持たないというのに。……ほら、私が何もせずとも、その熱線は私に接触することなくかき消されてしまう。
「無駄無駄無駄! 何度言ったらわかるんです? 私に干渉することは不可能。この学園は私の為の空間です。如月迅と言えど、獅羽マオと言えど、あらゆる特異点であれど。この学校という空間において、校長先生に逆らうことなんて許されないのですよぉ!」
私が瞬間移動して、突如として目の前に姿を現すだけで、彼女は目を見開いて、怯えともとれる表情を見せてくれる。……いやぁ、そそりますねぇ。
「まずっ――」
「まずいですねぇ。でも、一発で殺しはしませんから」
私の右腕が彼女の鳩尾にめり込むと同時に、彼女の身体は廊下の奥の壁まで吹き飛んでいってしまう。大丈夫ですよ、殺すつもりなら原型を留めさせるつもりもありませんから。
「ふぐぁっ!」
「良いですよぉ、良いですよぉ! そういう声は非常にそそりますよぉ」
「………………っく、まだ、負けるわけには……いかないッ! オクスタン、マキシマム・シュート!」
ふらふらと立ち上がりながら、また武器を構えて魔法を繰り出す。その先から尋常じゃない勢いで繰り出される光弾は、おそらく当たれば、並の人間でなくとも蜂の巣になるのはほぼ確実でしょう。……しかし、私の前では、ただの綺麗な花火程度にしか過ぎません。
「無駄ですってば?」
「――ッ!? お、オクスタン、シールド!」
「浅はか浅はか!」
いやはや、瞬間移動がくせになってしまいそうです。今度は、咄嗟に巨大なバリアを作り出して対応したつもりになっているのでしょうが、私はそれさえも打ち砕きます。私の空間に私を遮るものを置こうなんて……傲慢さも甚だしい。
私の豪腕は、今度は彼女の肩を捉えます。彼女の肩からは骨がおかしくなったのであろう小気味の良い音が響き、更に私を上機嫌にします。その上機嫌のまま彼女を死ぬほど強く抱き締められたらさぞ幸せは最高潮に達したのでしょうが……如何せん、彼女の身体は殴ったら吹っ飛んでしまうほど華奢なものでして――私が気付いたときには、彼女は今度は反対側の壁に叩き付けられていました。
「んもう! 東雲情報統制機関の執行部とやらは、その程度の実力でこの世界に変革をもたらせると判断したんですか? ……思い上がりも甚だしい。このような小娘じゃ、私すら充分に満足させてはくれませんよ」
「………………だま、れ……」
「おやおや。まだそんな口をきく元気が残って」
槍だか杖だかよくわからない武器に体重を乗せて、何とか立ち上がる彼女。額からは血を流し、片目は閉じられ、口からも血を滴らせているその様相は、とてつもなく私を興奮させました。これほどの熱い衝動を、この歳にもなってまだ感ずることができるとは……いやはや、世界の管理者になるとはなんとも心地良いことだと、改めて実感しました。
「思い上がるなよ……化け物……」
「思い上がる? 私の気持ちは今大変舞い上がって、青春時代に帰ってきたような心地ですが、何か?」
「東雲情報統制機関、監察官……村雨ナツキ。任務……世界における次元歪曲の管理と次元犯罪者『ケイテン』の抹殺。小目標……世界の管理者の一角、《蛮勇の護人》の排除」
「『排除』? 私は貴女のような小娘に殺されることなんてありえません。それは、比喩や誇張などではなく、紛れもない事実」
「……そう。あたしに、あんたは殺せない」
「ふむ? わかりませんねぇ。あまりの絶望の救いの無さに、遂にトチ狂ってしまいましたか? いけませんねぇ……壊れたオモチャになってしまったとあれば、流石に私もトドメを指さないわけにはいきません。貴女も綺麗なままで死にたいでしょうに?」
「……違う」
突如、外れた肩を不自由そうにしながらも、武器を構えて一心に直進してくる少女。寛大な私は、彼女を更なる絶望の淵に送ってあげるべく、廊下の真ん中で立ち止まってあげた。どうせ死ぬのだ。最後の足掻きすら許さないほど、私は鬼ではない。……ただ、幼い少女に欲情しちゃう変態であるだけなのですから。
「さて、どう違うんでしょうか!」
「あたしは、綺麗なままなんかで死にたくない! 好きな人と結ばれて、子供を産んで、よく歳をとって――そして、時が向かえに来るまで……老いて苦しんで汚れてしまってでも、その時までちゃんと生き続けてから死ぬんだッ!!」
「ふむ。今死ぬ理由を合理化してあげようという私の配慮が、伝わらなかったようですね」
どうしようもない小娘ですよ、全く。まだ私に勝つ勝算があって、こっちに向かって走ってくると言うんですか? 干渉ができない相手を倒すことなんて不可能だってことぐらい、いい加減わかっても良さそうなものですが。
「あんたは重大なミスを犯した。あまりにも自分の力を過信しすぎた為、あたしにつけいる隙を与えた。悪いけど、今回はあたしの勝ち」
にやりと一瞬だが不敵な笑いを浮かべた小娘。その片手で振り上げた矛は、私には――
「これで……終わりよッ!!」
――★★★――
予想外に地面に突き刺された杖。意表をつかれはしたが、大した問題ではない……そう思って、顔を上げたはずだった。
「…………はて、どういうことでしょう?」
しかし、目の前に小娘の姿は無かった。瞬きの間に、私の前から姿を消せるはずもない。
「おやおや、無駄ですよ? ここは私の空間。学園内の全ての事象を、自分の身体の事のように選別できるんですよ? ここに私の死角は――」
……おかしい。何故だ? 何故、小娘の気配が全くない?
隠れられるはずがないのに。だって、ここは私の……。
「気配が何も感じられないだと……? 学園内のことが、何もわからない」
前を見る。先程小娘を叩き付けた壁が、歪にへこんだまま存在している。後ろを見る。先程小娘を叩き付けた壁が、同じく歪にへこんだまま存在している。
にも関わらず、先程まで学園内で戦闘行為を行っていた人間たちの全ての気配がない。それはまるで、私だけが|別の世界に取り残された《・・・・・・・・・・・》が如く。
「こ、小細工は通用しませんよ、小娘。だって私は、この世界において、蓮皇高校内限定とはいえ、全ての干渉を遮断できる能力を世界から授かったんですから。私に何かするなど……」
できるはずがない。言ってみれば私は『無敵』。世界が私の能力を剥奪しない限り、私が何者かに如何なる干渉を受けることもあり得ない。世界が、そこに住まう者たちのために設けたルールだ。そこに存在する限り、そのルールを無視できる可能性があるのは特異点ぐらい。特異点でもない、ただの監察官でしかない彼女に、世界のルールを破るだけの力など……あるはずもない。
「…………ん?」
よく見ると、小娘を叩き付けた壁の四方に何かの術式が施してある。前の壁にも、後ろの壁にも。
いつの間に書いたのか――いや、冷静に考えれば、書けるタイミングは光弾を発射していた時にあったか。私が槍とも杖ともわからぬ先から放たれる光弾に夢中になっていた時、私は彼女のことをちゃんと見ていなかった。おそらく壁に二回叩き付けた、その際にあった二回の攻撃の最中に施したのだろう。
「これは……何の術式でしょうか?」
「そいつは次元跳躍の術式さ。あんたは、俺らの妹分に平行世界に飛ばされちゃったってわけ」
「――何!?」
突如として、後方から聞こえた声。振り向くと、揃いの制服に身を包んだ三人ほどの小集団が居た。何故だ? 何故、奴らは私に気配を察せられることなくそこに姿を現せた!?
「ここはお前が世界の管理者を務めていた世界ではない。同じピースで構成された鏡の世界。姿形は同じでも、その本質は全く違う」
「よってですねぇ~、あなたの能力はここでは使えませ~ん。残念でした~、ワンガオニャーゴリベアさん」
「ふふふ、私をその名で呼んだのは貴女が初めてですよぉ。貴女が後十歳若ければ、私の最低ラインに引っ掛かっていたでしょうが、その歳では私を興奮させることは出来ません」
「失礼ですよ~、私だって、まだ二十代ですよ~」
特殊能力が使えない? しかし、相手は三人。ふふふ、私にかかれば楽勝ですよ。
「さて、まずは誰から逝きましょうか? そちらののんびりした口調の年増の貴女から逝きますか?」
「うぇ、知らねぇぞ。どうせ死ぬにしても、ランファン怒らせて死ぬなんて……お前、絶対来世もついてねぇわ」
「ハルキさ~ん、ここは私に行かせて下さ~い。ナツキちゃんをいたぶったり~、乙女の心を踏みにじったり~、私には許せませ~ん」
「…………構わんが、ほどほどにしろよ」
「は~い」
舐めた口を聞いてくれます。本気で私に勝てるとでも――
――★★★――
「はい、任務完了しました。はい。……いえ、『死体を持ち帰れ』と言われましても、ランファンが原子レベルで分解してしまったんで無理です。……はい。以後、気を付けるように注意します。はい……」
「ほら、ランファン。やっぱり死体を残しとかないと駄目じゃねぇか。お陰でまたハルキが大目玉だぜ、きっと」
「ふぇ~、ごめ~ん、レイネス。でも、久々にイラッと来ちゃってさ~」
「はぁ……まぁ、お前を怒らせたあのキメラ野郎が悪いっちゃ悪いんだけどよ」
驕り。その言葉の意味を知らなければならなかった愚者は、既に存在していない。
現在、夜の学校に佇むのは三人。一人はどこかに電話をしており。一人は任務の内容について同僚を窘めており。一人は、手をぶらぶらとしながら、間延びした口調で言い訳を重ねていた。
「……はい。それでは村雨小隊、東雲情報統制機関本部へ帰還します。ほら、お前ら。帰るぞ」
「よっしゃ! って……俺、また何もやってないんだけどねぇ、とほほ……」
「りょ~かい~」
十分ほどの滞在で、早々に任務を終えてしまった三人は、本部のある世界へと帰り支度を始める。
「にしてもよぉ、ハルキ。お前妹に会わなくて良かったのか? こういう時ぐらいしか会えないんじゃないの?」
「そうだよ~。次元干渉線が薄い今回逃したら~、次はいつ会えるかわかんないんだよ~?」
村雨ハルキ。東雲情報統制機関の若きホープは、腕を組み、少し下を向きながら微笑む。
「いや、いい。妹には、任務を終えたら会うっていうふうに約束されてるしな。いやぁ、本当は凄く会いたいんだが……我慢するよ。今回は、あいつのちょっとした成長を知れただけでも満足だ」
「「シスコンのくせに気持ち悪い」」
「………………お前らの今回の戦果、きっちり上に報告してやるからな。覚悟しとけよ」
「うぇ、何もやってないことがバレちまう!」
「また始末書かな~?」
三人は闇に溶け込み、やがて消える。後には、他の空間から抜き出された一本の廊下――それが不自然な形で残るのみだった。




