拾壱の世界⑦
拾壱の世界――破壊神の話――教室にて
「チッ、機械風情に随分時間かかっちまった」
来た道を戻り、教室を探す。
「マオの奴怒ってるか……? いや、そうは言っても十五分くらいしか経ってないし、これくらいは大目に見てもらえるかな?」
暗い上に廊下が捻れていて見づらかったが、俺はそれほどかからずに2―Bを探し当てることができた。
「すまん、マオ! 待たせた」
ガラガラと扉を開けるが、そこにマオの姿はない。
「………………? っておい。遅かったのは謝るが、そういうのはやめろ」
少し不機嫌さを露わにして言うが、何の反応もない。ただただ静寂が広がるばかりである。
「ったく、トイレか……?」
(いや、流石に一人で教室を出ていくのは考えづらい。いくら何でもそんな不用意なことをするほど軽率じゃないはずだ)
考えるがどうにも答えが出ない。教室を見渡すが……少なくとも、俺が出て行った時と変わりは見受けられない。
いや、一点。掃除ロッカーが半開きになっている。
「お、おいおい、かくれんぼか? 洒落にならんからやめとけよ」
強く言ってみるが、内心動揺しているのが声に出ていただろう。こんな非常時に、そんなふざけた真似をするほどあいつも馬鹿じゃない。
それがわかってるからこそ――「絶対に掃除ロッカーなんかに隠れてないこと」がわかってるからこそ、俺の警戒心は研ぎ澄まされる。
「…………マオ、いるのか?」
そこに居て欲しい気持ちと、何も居ないで欲しい気持ち。
そんな相反した感情を持ってロッカーを開いた俺は、一番最悪なくじを引く。
「いないよな、マ……オ?」
「――死ねぇいッ!」
「――っ!?」
一閃。
物騒な言葉と共に放たれた一撃は、迷いの無い見事な一振り。言葉違わず、明らかに殺しに来ていた。
突如目の前で薙がれた大剣は、受けていれば確実に首が身体とおさらばしていたであろう。全力で警戒して咄嗟に後ろに飛べだから直撃は避けられたものの……ハラハラと床に落ちる自分の髪が、あと一瞬遅ければ自分はあの世に送られたであろうことを教えてくれる。
「仕留め損なったか」
「随分と汚い真似をしてくれるな。マオを、どこへやった?」
「知らねぇ。魔王の方は俺の担当じゃねぇ」
「なるほど…………それじゃあ、貴様を潰して担当者に繋げてもらう」
「死ぬのは手前だ、破壊神」
「よほど殺して欲しいらしいな、クソ勇者」
特攻服を着て、馬鹿でかい大剣を振り回すような奴を忘れるわけもない。
先日ナツキちゃんの名を騙って俺を呼び出し、喧嘩を吹っ掛けてきた大馬鹿野郎。この前自慢の大剣を砕いてやったばかりなのに、性懲りもなく新しい剣を用意してきたようだ。
今回は刀身が血とも炎とも取れる真紅に染まったその剣と、ともすればそれよりも紅いのではないかという深紅の眼。前回は人間らしい感情が嫌ほど窺えたが、今回は皆無。至って冷静であり、平坦。感情の高ぶりから来ていただろう人間らしさが影を潜め、まるでマシーンのような冷たさを感じる。
端的に言えば、前回と今回では雰囲気が――殺気が段違いだ。
「手前の『殺す』は嘘っぱちだ。手前に生身の人間の命を奪えるだけの勇気はねぇ」
「なんだと?」
「だから、手前に俺が負けることは絶対にない」
感情を逆撫でてくる。平坦な声で。
元よりそこまで我慢強い方でもない。挑発なのかもしれないが、それを判断しようと思うほど迷う理由もない。
『こいつは問答無用で殺す』
インファイトの一撃でノックアウトしてやろうと、大きく踏み込んで拳を突き出す。今回の一撃は本気であり、生憎当たったらどうなるかなど考えちゃいない。おそらく生身の普通の人間なら衝撃でミンチだろう。殺されないと高をくくってる奴に「ノー」を突きつけてやるのが「破壊神」だ。
――なんて、思ってた。
「ほらな。手前じゃ無理だ」
刹那、腹部に走る衝撃。直後、背中に襲う衝撃。
気付けば、後ろの黒板に叩き付けられていた。
「がっ……な、に……が……」
叩き付けられた衝撃で声が掠れる。目の前には表情一つ変えずに剣を構える勇者がいる。
「当て身だ」
そう言って勇者は剣の柄を叩く。どうやら踏み込んだ瞬間懐に入り込まれ、剣の柄を思い切り腹部に叩き付けられたらしい。
「その程度じゃねぇだろ。早く立て」
俺なら相手がふらついてる状態なら「しめた」と思って追撃をかける場面。しかし、勇者は先ほどの場所から動かず、俺の復帰をただ待っている。
「『追撃をかけるまでもない』か? ……調子に乗るなよ」
――「手前程度なら焦らずとも仕留められる」……そんな意図が見え隠れする態度。
「なめんなッ!」
立ち上がるや否や、クラウチングスタートの要領で突撃する。今度こそ奴の顔面に一発見舞う!
「破壊神の名が聞いて呆れるな」
呆れたように呟く勇者だが、今度は確かに拳が感触を掴んだ。――硬い硬い鋼鉄の。
(砕けない、だと……?)
「この前のなまくらと同じだとでも?」
勇者は平坦な口調でそう言いながら俺の拳をいなす。と同時に、腹部を狙って膝蹴りを放つ。
「ぐっ」
これはなんとか反応し、身体をひねって回避した。しかし、次の瞬間視界が一瞬ブラックアウトする。
気付けば、自分の身体が廊下の壁に叩き付けられている。頭がぐらぐらする中、首に鈍い痛みが走っていること、勇者が大きく上げた足を下ろす動作を行っていることから考えると、どうやら間髪入れずに回し蹴りを頭部に見舞われたようだ。
「その程度か、破壊神? 手前にはもっと強くいてもらわねぇと殺し甲斐がねぇが」
「余計なお世話だ……!」
「俺は破壊神に友を殺されたわけでも、恋人を殺されたわけでもねぇ。手前の所為で俺が不利益を被ったわけでも、俺の親しい誰かが傷ついたわけでもねぇ。もっと言えば、手前個人に恨みがあるわけでも、手前の生きてきた人生に文句があるわけでもねぇ。手前を殺すことを少しでも正当化するには、せめて強くあってもらわねぇと困んだが」
おかしなことを言う。
煽り文句かと思ったが、その平坦な口調で紡がれる言葉には、どこか悲痛な訴え、嘆願のようなものが感じられないでもない。
「何で俺だ? 何でマオをさらった?」
「この世界に来たとき、既に俺は《極光の勇者》として破壊神を殺すように使命を受けていた。俺が《極光の勇者》である限り、手前を殺そうとすることは呼吸をするように当たり前のことらしい」
会話の合間に二、三挟まれる殴り合い、せめぎ合い。
「魔王をさらったのは俺じゃねぇし、それをし向けたカミサマの意向も俺は知らねぇ。事情なんて知らねぇな、どうでもいい」
「どうでもよくなくしてやるよ!」
大ぶりの一撃は見切られ、小ぶりの一撃は防壁を貫通しない。
「恨みもねぇのに人殺しなんておかしな話だ。手前もこんな世界に生まれず、そんな能力なんて無かったら平凡な人生を送れたのにな」
「ほざくな!」
気持ちは高ぶっている。その自覚はあるし、おそらくこのまま一撃見舞えばそれでお仕舞い。無駄に口が回るクソ野郎を黙らせることができるはずだ。
しかし、尽く当たらない。全て先読みされているが如く、俺の攻撃はかわされる。続け様に相手の攻撃ばかりが決まる。
そしてまた、勇者の放ったアッパーが見事に顎に炸裂したかと思えば、流れるように腹部に蹴りを入れられ、壁に叩き飛ばされた。
脳震盪と強烈な内臓へのダメージから意識が途切れそうになるが、何とか保つ。このまま倒れてしまって、誰がマオを迎えに行く。
「クソが。貴様は、何だってんだ……」
「何か? 俺は与えられた課題をこなす。そこには俺の倫理観や道徳観、価値観が挟む余地はない。次の任務を上から与えられたら、それをこなすために奔走するだけだ。魔物に襲われた村を救う? 村の問題児の素行を改めさせる? どうしてそんなことを、魔王討伐という勅命を受けた勇者一行がわざわざこなさなければならない。見過ごしても良い部分もあったはずだ。関与しなくてもなんとかなる部分もあったはずだ。にも関わらず、そのイベントをこなさないことにはストーリーは進行しない。否が応でも、勇者は偽善に満ちた心で慈善活動に興じなければならない。そのとき、村を襲う魔物の気持ちも、問題児の素行が悪くなった原因も考える必要はない。ただ与えられたままに、与えられた行動を全うするだけ。魔物にも家族がいるだろう。問題児を問題児たらしめたのは村人たち一人一人が原因かもしれない。……だが、そんなことを考慮せよ、そんなことに関与せよとは、ストーリーを敷いた神様は思っちゃいない。ストーリーをねじ曲げることも改変することも、神の御標に沿って行動することを強いられている勇者にはできねぇからな。
『勇者』として手前を倒すことは正しくても、『一人の人間』として手前を倒しちまうことが正しいのかは知らねぇ。だが俺はテレビゲームの勇者のように、決められたテキストで考えること以外は許されてねぇ」
光の無い紅の眼で勇者は語る――。
「この世界に来たとき、俺の運命はもう決まってる。『破壊神を倒す』……おそらく、俺はそのためだけにこの世界に召喚された。言うなれば、俺にとっちゃ唯一揺るがないアイデンティティだ。そいつを否定することは、俺が今ここに存在することを否定することに繋がる。勇者自身が元から持ってた倫理観や道徳観がそのアイデンティティを揺るがし得るなら、俺はそんなもの端からゴミ箱にでも捨ててやる。勇者としてのアイデンティティと人間としてのアイデンティティに【ずれ】が生じるかもしれねぇが……そんなもんはきっとカミサマがいつか修正してくれる。あの天使だって、きっといつかはわかるさ」
その言葉の行く先にいるのは俺だ。しかし、奴がその言葉を向けているのはおそらく俺ではない。自分自身に自答せずにいられない……戸惑いに近い感情をどうにか納得しようと足掻いている。少なくとも、俺にはそう映った。
「やれやれだ。少しお喋りが過ぎた」
と溜息を吐きながら勇者は、前回とは比べほどにならないくらい硬度を増したその深紅を構え直す。その剣先の延長線上にあるのは、俺の首。
「言い訳は済んだ。手前の首を頂いてチェックメイト。さっさと終わりにしようぜ」
初撃以降攻撃には振るわなかった大剣を構え、これまでにない明確な殺意をこちらに向けてくる勇者。……いや、その覚悟を決めた真紅の眼光を持つ奴は、いっそ勇者どころか魔王と称した方が適切かもしれない。
「ついでだ。冥土の土産とやらに教えてやる」
「……何だ?」
「どうやら破壊神にしても魔王にしても、この世界のバランスを大幅に崩しかねない危険因子――即ち『特異点』と呼ばれる存在らしい。世界が管理できる範疇を越えてるってわけだ。身に余る力、手懐けられない兵……それは世界にとっても例外なく不要。だから、大義はこちらにあると言っていた」
「……誰が?」
「同じく『特異点』であるウチのカミサマがな」
勇者は、もう一度しっかりと剣の柄を力強く握り直す。
「今から死ぬ手前が知る事じゃあなかったか。……まぁ、手前を始末したら次は魔王だ。世界にとって不要である『特異点』は全て排除される。……安心しろ、あの世に行っても寂しかねぇよ」
「それは勇者としての貴様の見解か?」
「破壊神に魔王。勇者が取り扱うにはおあえつらいむきだろうよ!」
突如勇者は剣を振り上げ、一太刀を浴びせるべく大きく地面を蹴る。そして俺の手前で深紅を薙いだ。
「ちったぁ、動きが良くなったか?」
「……ッてぇ、遅い」
間一髪で身体をブリッジの要領で反らし、両断されることは免れる。代わりに、はらはらと落ちていった前髪がその直撃の破壊力を代弁してくれる。
「だが、いつまで保つか、破壊神。今度は殺すぜ?」
「やれるもんなら――っく!?」
二発目の斬撃。それをまたギリギリのタイミングでかわすと、間髪入れずに三発目が放たれる。それも辛うじてさばくと、次は四発目、五発、六発…………止めどもない連撃が、俺の身体を切り刻むべく容赦もないままに襲いくる。
「どうせ魔王は迎えに行けねぇ。潔く死んだらどうだ、楽になるぜ?」
「ふざけるなよ、クソ勇者」
「安心しな。殺すときゃ一瞬だ」
全てが紙一重の回避。
ひたすらに繰り返される斬撃を、息を切らし、汗を滴らせながら避け、ぎりぎりの興奮状態と冷静の間に自分の精神を保ち、奴の一瞬の隙をただ窺い続ける。その極限の状況の中で起死回生の打開策を閃き、必勝の一手を打ち込むべく。
(……どうすればいい。どうすれば、こいつに一発当てられる?)
「随分と落ちついてやがるな。避けながら秘策でも考えてるか?」
「貴様のゆっくりとした攻撃なんぞに慌てる必要もないだけだ」
「嘘が下手だな。……いや、でも尊敬に値するぜ。為す術無ぇ状況下でそれだけ冷静さを保って動きを殆ど鈍らせないのは、百戦錬磨の経験と恐ろしい数の場数からなせる技だろうからな。だが、現時点で策無しってのは正直見え見えだ」
「心配するな、すぐ殴って終わらせる」
軽口を叩けてはいるが、正直クソ勇者の言ってることには幾らほどの間違いもなく。嫌な液体が、常に頬を伝い、全身から噴き出し、身体は絶望的な状況であることを否応なく俺に知らせてくれる。策無しの段階で『攻撃すること』はさっきのようにカウンターを受けて徒に攻撃を受ける機会を増やすだけの愚。今の俺には防御と回避に専念して、勇者の一太刀をどうにか受けないようにする以外の選択肢はない。
「だが、恐ぇことに手前は空き缶すら立派な武器に変えやがる。何でもないモノでも、手前の攻撃意思次第で一撃必殺の業物に早変わりなんだろうな。特異点である魔王の力をそれでしばらく封じてくれたのは助かったが……俺がそっちの立場になるのは御免だぜ」
奴は俺が一撃も攻撃を当てられないことを半ば嘲るが如く、破壊神のデタラメな付随能力を笑う。
強い攻撃意思を込めた物理攻撃。その攻撃は一切の現象を無効化し、一切の対象を無力化する――わかっていたさ。どうしてマオが力を失ったのか。誰の所為であんなことになっているのか。「力を失う」なんて、俺に心当たりがないわけがないじゃないか。
勇者への鬱憤を込めて放った投擲が、勇者と対を為すはずの魔王の力を破壊した。……皮肉な話だ。恨みや使命があったわけでもないのにそんなことになったのであれば、流石に罪悪感も覚えるもんだ。
『守ってやっただろうよ、たぶんな』
そりゃ、そうだろう。ナツキちゃんに頼まれようが頼まれまいが、自分でまいた種だ。関係ないから無視するなんて、できるわけもない。
「……ふぅ。貴様を倒して、早くマオを迎えに行かないとな」
「そいつは無理だぜ。世界のために、特異点はみんな殺して……」
「そうして世界を平和にでもするっていうのか? 随分短絡的な勇者さんだ」
「俺は自分の役割を果たすだけだ。手前にとやかく言われる筋合いはねぇ!」
「ああ、とやかく言うつもりもない」
奴の大振りをかわした一瞬の隙を衝いて、俺は廊下の「壁」を粉々に粉砕する――
「一発ぶん殴って終わらせるだけだからな」




