壱の世界②
壱の世界――勇者の話――魔王城にて
「この俺をまた失望させるか、愚かな人間共?」
「クッ…………」
魔界の頂点に君臨し、魔族全てを統べる王。
弱いわけがない。弱いわけがないと頭では理解していたつもりだった。だが……いくら何でも、予想を遙かに超えた強さだ。正直、馬鹿げてる。
「それにしても、年端も行かぬ女子供を交えてたった四人とは。……いつから俺は、人間共に舐められるような存在になり下がったのだろうな? 本気で俺を陥落させたいならば、熟練した兵士を養成し、億万の軍勢を用意し、一斉に魔王城へと攻め込めばいいものを……」
敵ながら正論だ。あくまで、一般論的には。
ここまで桁外れに強ければ、きっとどれほど人間が強力な軍隊を編成したとしても、魔王城の玉座が脅かされることはないのではないか……という思いもよぎる。
今はたった四人の編成であるから、魔王にも『暇つぶし』程度に扱ってもらえている。まだ生かされている。しかし、これが大編隊の一部であったならば……おそらくは魔王の間にたどり着く前に、あっという間に消し炭にされていた。――いや、下手をすれば灰すら残らぬ消滅が待っていただろう。
「魔王は勝てない存在」
もしそんな認識が人間の側にあるのであれば、それに挑むために敢えて巨額の投資を行ったりはしない。
誇張抜きで、一日あれば全世界を掌握できそうなほどの実力を持つ魔王だ。ややもすると、魔王を退屈させずに機嫌を取るための『生贄』として、勇者という『記号』が定期的に作り上げられ、この場へと送り出されているのではないか、という考えが今更ながら浮かぶ。本当にそれくらいデタラメに、この『魔王』は強い。
「くそ……どうすりゃいいッ!?」
「なに狼狽えてんのよ、ユウ! みんなで生きて帰るんでしょ!」
「あなたらしくもない。ここで諦めるような腑抜けと、僕たちは一緒に戦ってきたわけじゃありませんよ?」
メグとカミトの力強い声が聞こえる。メグは右腕をだらんと垂らしながら、カミトは杖に寄り掛かりながら、それでも戦う姿勢を崩さない。
「手前ら……」
「ユウさん。約束、覚えてますよね?」
「…………勿論だ」
ルナが後ろから俺の肩に手を添える。
「なら、まだ頑張れますよね?」
「んくっ――!?」
全身に力がみなぎる。魔力と体力の交換魔法。おそらくルナは残り少ない魔力の殆どを注いでくれた。回復魔法を唱える力もないどころか、意識を保てるのかも危ういはずだ。
「よっしゃぁあ! やってやるぜッ!!」
「このような状況において未だ諦めない心意気は評価してやる。だが、あまりに弱い。この程度の実力で――」
「うるせぇ! 手前はその弱い奴に斬られてくたばりやがれッ!!」
大剣を振りかざし、一人吶喊する。魔王は右手を挙げて迎撃の体制を取るが、それを満身創痍のメグとカミトがどうにか援護してくれたお陰で俺の勢いは止まらない。
「とったぁっ!!」
その大剣は完全に魔王の懐をとらえていた。
――ように、見えたんだ。
「人間風情が、調子に乗るなよ?」
「んなッ!?」
魔王は、俺の渾身の一振りを片手で受け止めていた。魔王城を闊歩する上級の魔物さえ一撃で木っ端微塵にするような全力の一太刀を、目の前のバケモノはいとも容易く受け止めやがった。
「この世界がどうして存在し得るか……わかるか、異世界の勇者?」
「な、に……?」
唐突に語り出す魔王。後ろから魔法も飛んでこないということは、おそらくメグもカミトも力尽きたんだろう。
「久しぶりにここまで辿り着くことができた人間だ。少し長話をしてやる」
魔王は倒れている三人を一瞥し、俺とこの空間に二人きりであることを確認すると、饒舌に言葉を紡ぎ出す。
「『異世界の勇者なら魔王を倒せる』という言い伝えそのものは、何ら間違っていない。お前には俺を倒せる可能性が存在する。限りなくゼロに近いがゼロではない。しかし、ランドウィルに最初から住まう人間には、俺を倒せる可能性は存在しない。――何故か? そういうふうにこの世界は作られたからだ」
「どういうことだ?」
「俺は魔王であり、人間の畏怖の対象だ。だが、畏怖の対象たる魔王は同時に人間の討伐の対象にもなる。わかるな?」
「ああ」
あまりに強大な力を持つ者は、人々から強く迎合されるか、人々から強く反発されるかのどちらかの待遇を与えられる。それは殆どの場合、当人の意志とは無関係に。
もし人々が反発を選んだ場合、人々は自分たちに不利益を被らせる可能性のある存在を駆逐しようとする。その可能性が現実となる前に。
「人はただ魔王を恐れ、魔王を憎めばそれでいい」
人間同士で争う前に魔王を打倒しろ。ついでに、自分たちに都合の悪いことは全て魔王のせいにしてしまえ。
魔王は今の自分が人間にとって都合の良い必要悪だと語る。
「『世界を混沌へと陥れる魔王』という肩書きがいつの間にか俺に付与されているのだ、人間共はそんな俺を厄災が起きる前に滅したくもなるだろう。村人、戦士、城主、国王……この世界に住む人間は等しく俺を悪だと認め、殺せるものなら殺そうと考えている。だが実際に俺が死ねば、あるいはそれらの人間が俺を殺せば、『ランドウィル』にとっても『人間』にとっても少々都合の悪いことが起きるらしい」
そう言った刹那、魔王は掌を壁へと向けて大きな風穴を作った。というか、自らの手で壁を破壊した。外には、ここが最上階ということもあってか、いくつかの人間の村が覗いているのが見える。
「『魔王』と言われているのにも関わらず、どうやら俺には魔王らしい感情が沸き上がってこない。これといった破壊衝動もなければ、人殺しの趣味もない。ただ平凡に過ごし、『勇者一行』が訪れればいつものようにさっさと撃退する日々だ。実際、お前たち人間が思っているほど俺は魔王らしいことは何もしていない」
なのに魔王と言われ、忌み嫌われる毎日。配下の魔物すら、ある一定のラインからこちら側へは関わりを持ってこようとしない。
魔王はそんな日常を壊してみたかったと言った。
「まず、初めて魔王城から外に出てみた。魔物たちが普段からは考えられないような――下手をすれば勇者よりも遙かに強い――力で俺を城へと戻そうとした段階で、俺の行動はイレギュラーなんじゃないかと薄々思っていた。しかし街に臨むことで、どうやら俺は魔王らしい行動をすることは許されていないらしいことが本格的にわかった」
魔王は人間を襲い、建物を破壊しようとしたらしい。しかし魔法は、人間や建物に当たる寸前まばゆい光に掻き消された。なお物理的な干渉を試みようと思ったが、身体に触れる直前で意識を失い、気付けば元の魔王の間。結局、あらゆる干渉ができなかった。
しかも、どうやら人間たちの目には魔王の姿は少しも映っていなかったらしい。
「力を持ったために『魔王』となったのか、魔王となったために『力』が与えられたのか……今の俺には既にわからん。だが、その力をもって魔王城に攻め込んできた『勇者一行』を撃滅することは容易くできても、街にいる人間に関しては赤子に至ってさえ触れることすらできない。流石におかしいことぐらい、長年の引きこもりで日和った頭でもわかる」
そう言って魔王は半ば投げやりに、そして唐突に、大穴から覗く一番近くの街に向けて特大の光弾を放った。
「んな――!? 手前、なんてことっ」
しかし俺の動揺を余所に。無表情のまま魔王は玉座の方に歩いて行き、それに深々と腰掛ける。着弾した街のことなど知ったことではないように――というのとは、少し具合が違うらしい振る舞い方だった。
「………………嘘、だろ?」
魔王の放った光弾。それは着弾の寸前、魔王が言ったように音も立てずに霧散する。
正直、目の前の魔王の言動も、今自分がただ目にしている風景も、よく意味がわからなかった。
「これが現実だ。俺はここにいるお前たち以外、誰も殺せない」
自虐に満ちた声色で、魔王は一人語りを続ける。
「俺は魔王城において魔王であり、最強であり、畏怖の対象となり得る。しかし、一度その領域の外に出ると、『魔王』は誰の目にも認識すらされなくなる。それが、おそらくは魔王がランドウィルから与えられた概念……」
魔王は語る。ランドウィルの住人たちは殆ど厳密に、ある概念に従って生活していると。彼らはあたかも自分の意志で行動しているようでも、実際は規定された運命通りに動いているだけだと。
そして、運命の規定から外れて――厳密には外れたように見えて――行動しているのは、辛うじて『勇者』とその周辺だけである、と。
だから魔王は、一縷の望みを託すのだと言う。俺に。
「俺が本気を出せば、絶対にお前は俺には勝てない。というのも、先刻からの戦闘で、俺は一分ほどの力も出していない」
「何だと……?」
「だが、別に卑下することでもない。お前の実力は、今までここにたどり着けた勇者たちと大して差はない……というか、若干強いくらいだ。ちゃんと魔王城に隠されていた『伝説の勇者の剣』や『伝説の勇者の鉢巻き』、『伝説の勇者の特攻服』といった最強装備を、全種揃えてここに臨んでいる奴には久しぶりに会った。お前には、何か奇跡を期待できる」
――というより、そろそろ奇跡でも起こしてもらわんとつまらん。
そう言って、魔王はおもむろに足下に魔法陣を出現させた。今まで見たことがないほどに大掛かりで、とてつもなく繊細な。そして、やはり自虐を含んだ笑顔を浮かべて――頓狂なことを嘯く。
「俺は今から世界の肩書きに抗おうと思う。この世界の肩書きにおいて予定されているのは『勇者の覚醒』であり、本来ならば仲間が瀕死に陥ったところで、『キズナ』とかいう植物で編んだミサンガが光り出し、ミサンガを通して『絆の力』とかいう眉唾な力が増幅されることで、勇者は使命と約束を果たすために大幅なパワーアップを果たす。……少なくとも、今までの勇者はほぼ例外なくそうだった」
本来ならば、仲間が死に面して初めて力を手に入れることになったらしい。……ふざけるな。
「だが、俺はひたすら勇者一行を消滅させてきた。どうやら覚醒したところで、勇者は魔王の力には遠く及ばんようだ。だから、今回は少し趣向を変えようと思う。俺の魔力とお前の魔力を交換して、お前に俺を超える機会を与える」
何を言っている? その反論の暇すら与えず、魔王は続ける。
「もう一度俺に挑む際、お前はその魔法陣の中心に立ち、剣を突き刺せ。そうすれば、あとは俺が『魔王の弱体化』の術を完成させる」
「手前が弱くなるってのかよ……?」
「厳密には、相対的にお前が強くなる。周りから見た限りでは、ただ魔王が弱くなったように見えるだろうがな」
「そんな虫の良い話、誰が信じるかっての!」
「『信じる信じない』の次元の話では、とうにないことぐらい比較的頭の軽いお前でもわかるだろ」
「な、なんだと!?」
た、確かに、頭はそんなに良くねぇが……。
「『信じない』とだけ宣い、無謀に一人で剣を振るい、また何人目かもわからん屍の仲間入りを果たすか? それならば、俺は一縷の望みに希望を見出して行動する方が、幾分か勇ある判断だと思うがな」
「んなこと、やってみねぇと――」
「『わからない』か? 笑わせるな。決着は既に付いている。現状で自分たちの暫定的敗北を悟れないようならば、今からお前の仲間の手足を一本ずつ順番に千切って、観客一人の解体ショーをやってみせてもいいんだぞ?」
「んなこと……」
魔王が暗黒の炎を右手に俺の顔面を左手で鷲掴みにした時、「やらせない」か、「やめろ」か……口から出そうになった言葉がどちらなのか、正直考えたくもなかった。
――☆☆☆――
――今から、お前にはこの三人を連れて最後に休んだ宿まで戻ってもらう。三人とも、丸一日もすれば目覚めるだろう。目覚めたら、お前はここで起こったことを決戦前夜の悪夢とでもしてしまえ。そして、またここに来い。
「『決戦前夜の悪夢』、か……」
悪夢なら、どれほど良かっただろうか。
ずっとうなされ、何かに脅えるように目覚めたメグ。脱水で死んでしまうんじゃないかというほどの冷や汗で全身どころか、ベッドまで水浸しにして目覚めたカミト。目覚めるや否や、目に大粒の涙をいっぱいに溜め、むせび泣きながら俺に抱きついてきたルナ。
この三人に、今のが悪夢であると説明するのは簡単だった。説明すること自体は。
だが、いざ心機一転『魔王城』に臨み、全ての宝箱が既に開封済みであった事実や、他で入手した覚えのない装備やアイテムを身につけている自分たちの現状を鑑みて、三人が不審に思わなかったはずがない。明らかに入城前より能力的に強くなっている違和感が、不自然さに拍車をかける。
おそらく察しの良いカミトあたりは、途中であれが悪夢なんかじゃないことに気付いていただろう。必死に「あれは夢だ」と無根拠に皆に言い聞かせる俺を気遣ってか、あいつはそんなこと一言も言わなかったが。
「夢の中で得たアイテムや経験値が現実世界に反映されるなんて、この世界も随分歪んできてるわね」
「それもこれも、魔王を倒せば終わるんです。みなさん、最後まで気を抜かずにいきましょう」
「……ああ。生きて帰ろう」
どうやらメグとルナが都合良く解釈してくれたおかげで、変なことを考える手間が少し省けた。
というより、そもそもそんな些細な事象よりも平和を望むことが先決であり、今は魔王を倒すことが重要であると全員が考えているんだろう。
「じゃあ……開けるぞ?」
「今更確認するんですか、ユウ? いつもみたいに勝手にドカーンと開けてくれた方が、こちらとしては都合が良いです」
「さ、最終決戦なんだぜ! 少しくらい確認したっていいじゃねぇか、カミト」
「そうですか。それならば、どうぞ」
カミトはいつも通り変わらぬ口調で俺に扉を開けることを促す。だから、扉を開けた。
「行くぞ、みんな!!」
「ええ!」「うんっ!」「はい」
二度目の邂逅。だが再び目にしたその魔王は……俺の知ってる魔王と少し違った――
――★★★――
「無様だなぁ、人間共ぉ! 潰してやろうか? 切り刻んでやろうか? それとも、殺してやろうか!?」
確かに魔王ロキはそこにいる。姿形は、俺たちに暫定的敗北をもたらした奴に違いはない。底知れぬ魔力も、前回と欠片も変わりはない。
だが……纏っている雰囲気が少し違う。
「っく……夢に見た通りの姿と強さだわ。勝算はあんの、ユウ!?」
「何言ってるんですか、メグさん。ユウさんに勝算がないわけないじゃないですか! そうですよね、ユウさん!?」
二人が、苦悶の表情を浮かべながら、縋るような目つきで俺を見る。
「……で、どうなんですか、ユウ? このままじゃ為す術なく全滅ですよ?」
「わかってらぁ、そんくらい! 策は……」
ないこともない。ただ何かが、魔王の言葉を実行しようとする俺の身体を止める。
「策なぞ……ない!! そうだろう、愚かな人間共! どうせお前らは、為す術なく俺にやられるのだ! ハハハ! そんな可哀想なお前らにとっておきの朗報だ! 優しい俺が与える、お前らへの最後のチャンスだ! 心して聞けぇ」
「…………なに?」
魔王は魔法陣を光らせ、その存在をことさらに強調する。
「この魔法陣にある仕掛けがある。ここに勇者が剣を突き立てれば、俺は一時的に力が弱まるぞ! ハハハ、こうでもしないと、お前らが俺に勝つ可能性なぞ万に一つもなくてつまらんからな!」
完全に小物のセリフだ。そして、敵における死亡フラグだ。
何を望んでいる、魔王? そこまでして俺に可能性を模索して欲しいのか?
「ゆ、ユウ! チャンスよ! あのバカ魔王、自分から弱点をさらけ出したわよ!」
「この機会を逃すことなんてないです、ユウさん!」
目をキラキラさせて、勝利のレールができたことに興奮する女子二名。こいつらは、疑うことを知らないのか?
「……馬鹿馬鹿しい。最後にして最大の敵である魔王が、わざわざ自分に益がないことをするはず――っ!? う、ぐぁああああああああああああああああああッ!!」
刹那、左腕を押さえて悶え苦しむカミト。……否。その左腕が位置していたはずのその場所には、既に何も存在していない。
誰の目にも止まらぬ速さで、魔王は魔法使いの腕を消滅させたのだ。
「信じるか信じないかは勝手にしろ。俺はただゲームを楽しみたいだけだ。参加するのか、しないのか?」
「て、手前っ!?」
黒い炎を今度はメグの方へと向けて、魔王はただ一段と冷徹な声を響かせる。射線上にあるのがメグの頭であるとわかったのであれば、それは「次は殺す」という意味だと想像するのは難しくない。
「くそがッ、やってやろうじゃねぇかよっ!!」
「これでやっと俺も楽しめる。だが、そう簡単に行かせると思うな――ぬっ!?」
背後の魔法陣へと剣を振り上げ走り始めた俺を制しようと、魔王はメグの方に向けた右手を今度は俺の方へと移そうとするが、その手に雷と炎の衝撃が疾る。
「片腕が吹き飛んだくらいで、魔法が使えなくなるわけじゃありませんよ!」
「いっけぇええええッ!!」
そして、間髪入れずに鍛え抜かれた蹴撃が奴の顔面にクリーンヒットする。しかし、足の甲全体で頭部を地面に叩き付ける勢いで放たれた渾身の一撃だが、魔王の顔を少し動かす程度にとどまる。
それでもそれは魔王の意識を、俺が奴の隙間を通り抜けるのに充分過ぎるくらい引き付けてくれた。
「これでぇええええええええええええッ!!」
そして、後ろからは不自然なくらいに追撃の気配もないまま、半ば拍子抜けするくらいに容易く俺は剣を魔法陣に突き刺し――
――全てを終わらせる力を手にした。