拾壱の世界②
拾壱の世界――破壊神の話――蓮皇高校校内にて
夜の学校とは不思議なもんだ。
昼間は人に溢れ活気に溢れ、怖気や静けさなどとは無縁の場所。なのに、夜になって校舎の殆どを暗闇が支配するようになった際には、そこに漂うのは言い知れぬ静寂。ほんの些細な現象に対して敏感になり、五感――いや『第六感』を含む全ての感覚が鋭敏になっているのではないかという錯覚に陥る。あるもの無いもの感じた結果、「学校の怪談」なんていう都市伝説ができたんだろうな、などと夜の学校を彷徨って初めて納得する。
「にしても、何でこんなことを?」
史郎がビクビクしなから不思議そうに問う。共に歩く三人の内誰かにあてた問いではない。おそらく三人全員に答えて欲しくて投げかけられた問いでもないだろう。
だからなのか、誰も答えない。いや、問題は複雑を究め、すぐには答えられることではないのかもしれない。正直、俺は何でこんなことをしているのかよくわかってない。
夜の学校に忍び込むだ? 俺も校則をきっちり守るようなガラじゃないが、その校則違反の代償が「退学処分」とあれば、流石に敢えてやろうなんて思わない。どう考えてもリスクを冒して得られる対価が釣り合わない。
昼も行くのにわざわざ「夜にも行こう」なんていう奴らの気が知れないが、何故かナツキちゃんはマオと共に夜の学校へ向かうことを決意した。その上で、何故か俺に付き添いを頼んできた。
何考えてるんだとは思ったが、よくよく考えれば俺にナツキちゃんが何を考えてるかなんてわかった試しがない。だから、「わかるわけない。ナツキちゃんが言うなら」と自己解決し、付き添いを快諾した。
そりゃあ、あれだ。好きな娘に「お願い!」って手を合わせられてこの通りされちゃったら、男とあれば黙って頷くのが道理だろう。俺は正義を行った確信がある。
それでまぁ、理由も聞かないのはまずいかと思って、後々になって聞いてみたが……はぐらかされる始末。
だがまぁいい。退学のリスクとナツキちゃんの好感度アップを天秤に掛ければ、とりあえずは釣り合うのだから。
(迅は……知らないな、こりゃ。マオちゃんは知ってそうだけど、たぶん僕がわかるように上手く説明できないだろう。残るはナツキちゃんだけど……)
「教えてよ、ナツキちゃん。流石に」
「この『世界』の命運がかかってるの」
史郎の言葉を遮るようにして、平坦な口調でナツキちゃんは答える。
「……う、うん」
「そうでもなければ、あたしだってわざわざ存在の消滅なんていうリスクを冒してまでこんなところに乗り込もうとは思わないわ」
「「………………はい?」」
史郎と俺が同時に上げた疑問符。気のせいか、随分物騒な言葉を聞いたような気がする。
「あら。ごめんなさい、言ってなかったかしら?」
あっけらかんとしているナツキちゃん。わざとらしく首を傾げる姿も可愛らしいが、発言が少々物騒すぎる。
「えと……聞き間違え、かな?」
「世界の命運?」
「いや、存在の消滅」
「ええ、『マジ』よ」
「えぇと、あ、別に死ぬってことじゃないから。ん? でも、存在の消滅って死ぬってことより酷い……というか、己の存在を認識できなくなるという点では死と消滅は同義なのかしら」などと、訳のわからないことをボソボソとナツキちゃんは言っていた。
愕然としている史郎の姿が視界に入るが……おそらく少なからず俺もそういった様子であったのだろう。マオに「大丈夫か、如月……?」なんて困った表情で心配される始末だ。
軽い調子で言ってナツキちゃんは変なプレッシャーを無くそうとしたのかもしれないが……目がまるで笑っていないため余計に重たいものがある。如何せん、この何でもありな『世界』だ。多少荒唐無稽なぐらいの方が、寧ろ信憑性を持たせられるようにすら思える。
「『冗談よぉ』……なんて言わないわ。あたしも割と切羽詰まってるの。ああ、大丈夫よ。失敗したら存在の消滅だけども、今行動を起こさなければそれはそれで、神様気取りの狂人に対する強制信仰・絶対忠誠。どちらにせよ、今回の潜入を成功させないと、みんなにまともな明日なんてないから」
「おいおい、待ってくれナツキちゃん。話がぶっ飛びすぎてて正直わけわからんぜ。わかるように説明してくれ……とは言わんが、せめて『潜入』ってこの後具体的にどうするかぐらい、そろそろ教えてくれ」
と、流石に俺も突っ込んでみるが、ナツキちゃんは不思議そうな顔して俺を見つめる。
「あら、言ってなかったかしら? 迅くんには流石に付き添ってもらうときに何をするかぐらいは説明したように思ってたけど。……だって、流石に内容も知らずにこんな大それたことに加担することをOKするなんて、後先考えないとんでもないバカでも無い限り……」
「ナツキちゃん! それ以上いけない」
史郎の制止を聞いて、ナツキちゃんはあまりにもわかりやすくハッとした表情になる。
「おい史郎! まるで俺がバカみたいな言い方はやめろ」
俺の反論を受けて、いつもは頼りない表情ばかりの史郎の顔が珍しく厳しいものになる。そして、いつになく俺に対して非難の言葉を浴びせてくる。
「だってバカじゃないか。考えも無しに夜の学校なんて潜り込んで、バレたら退学だよ? 『退学』ってちゃんと生徒手帳に書いてあるし、それぐらい知ってたでしょ? 退学って意味分かってる? いつもみたいに反省文や停学処分のような話じゃないんだよ? 何考えてるんだよ。って、どうせいつもみたいに何も――」
「おい史郎」
流石にイラッと来た俺は、史郎の胸ぐらを掴む。
掴んだだけ。力を入れて持ち上げるでもなく、引き寄せて頭突きを決めるでもない。
しかしそれだけでどうやら俺の意図は、掴まれた史郎にはいくらか伝わったようだ。
「考……って、ごめん。少し、言い過ぎた」
「考えてるさ、俺だって」
一応は考えてる。それは頭の良い史郎やナツキちゃんから見たら「考えた」というに値するほどじゃないかもしれないが。
「退学処分になるのは俺でさえ知ってるんだ、ましてやそれを聡明なナツキちゃんが知らないわけがないだろ? まぁ、どうやら俺が思ってる以上の処分があることをナツキちゃんは知ってたみたいで――なおさら、潜り込むことのリスクをナツキちゃんは俺より熟知してたわけだ。それなのに潜入を決めた上、足手まといにしかならないマオを連れてくって言ってんだ。心配にならないわけないだろ?
それに……なんだかんだでナツキちゃんとも長い付き合いだ。考えてる内容はわからんが、考えてることが悪いことや無駄なことじゃないことぐらいわかるさ。マオだって付き合いは長くないが、悪い奴じゃないことは知ってるつもりだ。何かをぶっ壊したり、誰かをぶん殴ったりぐらいしかできない俺だが、そんな俺でも頼りにしてくれるなら、力になりたいって思った。……それだけだ」
俺がガラにもないくさい台詞を言い終えると、笑顔でマオが手を伸ばしてくる。
「見直したぞ、如月! てっきりお前は何も考えてないか、あるいは下心か何かの感情で動いていると思っていたが……申し訳ない、私の勝手な偏見だったようだ。そんなことを考えてわざわざ同行してくれたとはな……私はお前のことがちょっと好きになったよ」
「んぁっ!? マオ、な、何言ってやがる!」
「おかしいか?」
「――っ」
微笑みながらマオは俺の右手を取り、そのまま自分の右手と握手を成立させた。俺はたぶん言葉にならない声を出していた。
なんだかよくわからないが、変な感情が頭の中を巡る。ナツキちゃんの前なのに、だ。とりあえずそれを誤魔化すため、俺は少し声を上げてナツキちゃんに聞いた。
「で、で……! 何をすればいいんだ、俺たちは」
「とりあえず、目標地点は校長室。そしてそこで――」
「おやおやぁ、何かご用ですかな、こんな夜更けに」
暗闇から突如、聞き覚えのある声が響く。聞き覚えはある。だが、誰の声だったか?
「いえ、ちょっと捜し物をしていまして。早くそれを見つけなければ大変なことになるんですよ、校長先生」
「いけませんねぇ、実にいけませんねぇ。立ち入ってはいけないはずの夜の学校に入ってまで探さなければならないなんて、実にいけませんよぉ、村雨さん」
校長は暗闇の中から動かない。動かないまま、あの長々とした挨拶を述べる時と同じ、眠くなるような間延びした声で話し続ける。
「成績優秀、品行方正な貴女が、わざわざ夜の学校に潜り込むなんていう重大な校則違反をするなんてぇ……校長先生は実に残念です。残念ですよぉ、本当に」
「申し訳ありません、校長先生。見つけ次第、早急に下校しますので見逃して頂けないでしょうか?」
「いやいや、いけませんよぉ、それは。校長先生は規則に厳しいんですからねぇ」
ナツキちゃんは忌々しく舌を打つ。と同時に「逃げるわよ」と口早に言い切って踵を返して走り出す。
ナツキちゃんはこんな中年太りの初老のおっさんの何を警戒しているんだ?
ビールっ腹から運動不足もいいところで、俺たちがちょっと本気を出して逃げればすぐに逃げられるだろうに。
「逃げるなんて、いけませんねぇ」
向き直ると校長はゆっくりと近づいて来ている。そして、俺は初めて違和感に気付く。
――校長って、こんなに獣臭かったっけ?
「逃がすと思いますか? 小娘とガキを、この私が逃がすと思いますかぁ?」
刹那、校長の動きが速くなり、一気に俺たちとの距離を詰める。そして、その全貌が視界に入った瞬間――
「避けろ、如月っ!」
丸太のような獣の腕が、俺の真横の壁を大きく抉った。
「………………クッ!」
咄嗟にマオの手を取り、既に後ろを駆ける二人を追う。流石の俺でも、人型じゃない化け物とまともにやり合える確証はない。無論、今まで化け物とやり合う経験が無かったわけじゃないし、今更こんなこと珍しいことでもないが……何もできない奴が側にいることを考えると、正直キツイ。
それにしてもマオの一声がなかったら危なかった。おそらく一瞬反応が遅れていれば、抉られていたのは俺の身体の方だったろう。完全に気を抜いていたこともあって、走っている最中も変な汗が出続けるくらいには冷やっとさせられた。
「…………りがとな、マオ」
「ん、何だ、如月?」
「な、何でもねぇよ! 走るぞ、しっかり付いて来いよ」
「努める!」
一瞬遅れただけとはいえ、随分前を走ってるような気がするナツキちゃんと史郎。果たして俺はマオを引っ張って、校長から逃げ切れるか……?
「止まりなさい、ガキ共ぉ! 今ミンチにしてさしあげますからねぇ!」
(ミンチにすると言われて止まるような馬鹿がいるか!)
どれくらいの距離が校長との間にあるかと思って、後ろに目を流すと、
「………………何、だと?」
想定外に、校長の影は背後から消えていた。




