拾壱の世界①
拾壱の世界――善良な一市民の話――蓮皇高校校門にて
「世の中、随分と物騒になったよなぁ、まったく」
この頃は特にそう思う。電話を取れば皆不吉なことしか言わないし、友達と話していてもどこか冷めてる。上の空だったり、怯えていたり、怒っていたり、悲しんでいたり…………まるで怪しい宗教にでも入信してしまったんじゃないかとさえ思わせる、雰囲気が危ない感じに変わってしまった人さえいた。
最近は銃声や爆発音を聞くのが日常茶飯事だし、どうやら事件も増えたようだ。不定期に訪れる侵略者や、この世界に慣れない移民が時たま暴走して物騒な音を響かせることは確かにあれど、こんなにも変化のないこの頃において、そんなことが頻繁に起きるのは流石におかしい。特異な人々がこの世界の大半だとはいえ、一応ある程度平和だったはずの世界の中で、半ば日常風景の一角を担うといったようなレベルで物騒な出来事は起きていなかったはずだ。
それに伴ってか。思えば道中、なんとなく道行く人々の顔が殺気だってた気もする。皆事件に怯えているのだろうか、はたまた事件を引き起こそうとしているのだろうか。
純朴かつ善良な一般市民に過ぎない僕には何もわからない。
世界に異変が訪れているのか、はたまた僕たちが異変を引き起こそうとしているのか。そんなことを僕のようなちっぽけな存在が考えたって、何も変えられないし、変わらないだろう。ただ流れに身を任せ……事件が頻発するこの情勢に従う他ない。
事件に怯え、犯人像を「ああだこうだ」と色々予想して、そういった人物には近づかないのが一般人が取りうる思考として最適ではないだろうか。
でも、一連の事件において……とりあえず、まさか普通の「女子高生」が犯人であるはずがないだろう。
「何してるの? 話して頂戴」
「何もしてない。仮に何かしてたとしても、大したことじゃない。自分が不利になるようなことを、あえて君の前で言う必要があるのかな……?」
「この感触。一大事ってことくらい、わかるでしょ?」
背後には、うちの高校の制服のネクタイを垂らす女子高生。顔は、真後ろにいるため僕からは全く見えない。しかし、背中に触れる身体の凹凸の輪郭は、もの凄くスタイルが良いということを否応なく僕に教えてくれる。「モデルみたい」と一言で片付けてしまうには、語彙が足りなさ過ぎることを痛感せざるを得ない位の、理想的体型。
「やっぱり、一大事なんだね。これ」
「『大したことじゃなかったら良いのに』とでも言うなら、流石にあなたの危機管理能力を疑うわ」
聞いたことのある、冷静さと知性を感じさせる声。感じたことのない頸動脈を圧迫される焦燥。装飾のない手入れされた綺麗な爪が、僕の首の頸動脈をピンポイントに鋭く押さえ付け、生々しい死の恐怖を教えてくれる。
「んと……単刀直入に聞くけど、深夜の高校に侵入するなどという、重大な校則違反を犯そうとして捕まった僕は殺されるのかな、ナツキちゃん?」
「それは貴方の返事次第よ、史郎くん」
村雨ナツキ。
賢さと美しさ、知性と器量を兼ね備えた学園のアイドル。
だが、そんな万人に対する肩書きなど、僕の前ではどうでもいいことこの上ない。だって、それ以上に意味のある感情を、僕の友人は彼女に対して抱いているのだから。
「あたしだって、付き合いの長いクラスメイトを不穏な行動を示しているからといって失うのは些か不本意だわ。できれば」
「『殺したくない』って言って欲しいよ、僕は。付き合いの長い友達に殺されるとあれば洒落にならない」
僕と彼女は蓮皇高校2-B教室のクラスメイトであり、転校によって流動が激しい僕らのクラスにおいて、おそらく長い付き合いのある古株同士であると言えよう。ナツキちゃんは初期の頃、随分早いタイミングで転校してきた一人だ。……少なくとも僕の記憶によれば。
そしてそのナツキちゃんに対して、僕の親友であるらしい如月迅は恋心を抱いている。破壊神が彼女に恋心を抱いているわけだから、僕のようなただの一般人が彼女に良からぬ感情を抱けば、たちまち神の逆鱗に触れるわけで……おそらく待っているのは圧倒的な死。もうお天道様など二度と拝めないだろう。
しかし、良からぬ感情を抱いた覚えもないのに、僕はその彼女自身に殺されそうになっている。「こんな美人にぶっ殺してもらえるなんて!」などと特殊性癖の持ち主なら咽び泣いて喜びそうなシチュエーションだが、生憎僕は至ってノーマルだ。嬉しいどころかほんのり涙を浮かべて動揺して震えて「神様、助けて、神様!」と祈ることしかできない。しかし、神様を思い浮かべているはずなのに、にまにまと嫌らしい微笑みを浮かべたトモダチの、手をポキポキ鳴らしている絵が浮かぶのは何故だろう。
「……で、何してるの?」
「夜の学校から変な音が聞こえたから近寄ってみただけです、すいません」
「夜間の校内への立ち入りは禁止だってことは知ってるわよね? わざわざ校門をくぐって敷地内に入る必要はあったかしら」
「いや、ちょっとマオちゃんの声が聞こえたような気がしましたから、心配になって校内に確かめに入った次第です、ごめんなさい」
「……マオの声、ねぇ」
いや、やはり敬語と謝罪は偉大だ。流石ジャパニーズカルチャーだと思わざるを得ない。ナツキちゃんの爪の頸動脈を押さえる力が心持ち弱まったような気がする。
にしても僕はどうしてマオちゃんの声を聞いたような気がしたのだろう? 何かゴツンという音と共に、「あいたっ!」という悲痛な叫びを聞いたようなことは覚えているが。
「申し訳ない、ナツキ。さっきはあんな声を出してしまって」
「鍵開いたぞ……って、何やってんだ、お前ら?」
薄ぼんやりと前方から人影二つ。片方は蓮皇高校の学生服を着崩した長身の男子生徒。もう片方は同じく蓮皇高校の制服を纏った比較的小柄な女子生徒。並んで歩いていれば身長差的には似合いのカップルで、きっと僕を忌々しい気持ちにさせただろうが……この時間この場所、カップルがうろつくようなシチュエーションでは断じてない。
「なんなんだ彼らは」などと思ったが、どこか聞き覚えのある声。誰だったかと記憶を遡った瞬間、まさかと思う間もなく答えに行き着いてしまう。そうこれは、天使のような転校生と、悪魔のような――
「――破壊神、ナニヤッテンノ?」
「質問に質問で返すな。まずはお前が」
――セツメイシロ――
暗がりでよく見えないはずなのだが、確かに僕は、彼の眼孔に一瞬殺意が浮かぶのを感じ取ってしまった。首筋に当たるナツキちゃんの整った爪など可愛いものだ。先ほどとは比べものにならない圧倒的な絶望感が僕の全身を駆けめぐっているのだから。
一筋嫌な汗が額から流れ落ちる刹那、殺意を放っている魔神に、また別の随分柔らかくなった殺意が答えてくれる。
「彼、標的の刺客か、学校の警備員の一人かと思って捕まえて尋問してみたけど」
そう言いながら、ナツキちゃんは腕の力を緩めていく。
「どっちでもないみたい。どうやらさっきのマオの声を聞いて紛れ込んじゃったみたいよ、史郎くん」
そして言い終わると僕を頸動脈の危機から解放してくれた。同時に彼女の豊満な胸の感覚も僕の背中から失われたのだが、その喪失感を享受できるほど僕には微塵も余裕が残っていなかった。
「ほぉ。てっきり私はナツキが史郎のことを後ろから抱きしめているのかと思ったぞ」
馬鹿な!? ナツキちゃんが僕を抱きしめてたって、マオちゃん?
……いや、端から見たらそう映るのだろう。片手は僕の脇の下から肩にかけてをがっちりホールドしてたし、頸動脈に当てられたもう片方の手も、見方を変えれば首に抱きついているように見えなくもない。
なんということだ!? 僕の身は、こんな学園の男子全員が咽び泣いて喜ぶようなシチュエーションに置かれていたとは! 先ほどの胸の感触を今更ながら思いだし、とてつもない後悔とさっきとはまた違う種類の絶望感が僕を襲う。しかしよくよく考えれば、マオちゃんにそんな風に見えていたということは、おそらくは迅にも同じように見えていたはずだ。
本来なら咽び泣いて喜ぶべきシチュエーションに置かれた一人の幸福な男子生徒。それを目の当たりにして、誰よりもナツキちゃんのことを好いている迅が、嫉妬やら怒りやら色々入り交じった感情を露わにしないわけがない。
「そんなわけないじゃない、マオ。この非常時に情事に走るほど危機感を欠いてはいないわ。ね、史郎くん?」
そう言って弁明しながら、今度ははっきりと僕の後方で腰から胸に手を回し、ナツキちゃんは僕のことを思いっきり抱きしめた。帰ってくる、彼女の甘い髪の香りと豊満な膨らみ。それだけで従来の僕なら昇天することは間違いないのだが、生憎眼前の神様の逆鱗に触れまくっているようで、リアル昇天のカウントダウンが聞こえてくるみたいで素直に喜べなかった。むしろ、泣いてこんなシチュエーションを恨んだ。
「抱きしめるっていうのはこういうのを言うのよ?」
嬉しい。嬉しすぎてヤバイ。嬉しすぎてヤバイのに、嫌に変な汗が額から流れ続けてるのは何故でしょう? 白状します、ちょっぴりどころか結構漏らしました。
「な、ナツキちゃぁん……!」
間抜けな声が出た。ただ……それだけ。
意味不明な状況に頭がくらみ、やっぱりこれは夢だったんじゃないかと思うが――背中のぬくもりと股間のぬくもりが、否応無しに現実であることを教えてくれる。
「……行くぞ。長居は無用だ」
ひどく冷静な、感情に何の起伏もない低い声が、その場の弛んだ空気に緊張感を与える。
彼らの目的は不明だが、校則の最重要項目に違反してまで乗り込んだ夜の学校だ。為すべき事は大きく、こんなところで油を売っている場合ではないのだろう。
「それもそうね。――史郎くんも来る? とは聞かないわ。見られてしまった以上、来ないなら、今度は本当に切るだけだから」
そう言ってナツキちゃんは僕の後ろを離れ、校舎の方に足を進めていく。離れ際、人さし指の先で僕の左の頸動脈をなぞって。
「どうやら僕に……」
拒否権はないようだ。よくわからないが、とんでもなく厄介なことに巻き込まれてしまうらしい。物騒だ。物騒極まりない。
「救いは、ないんだね」
神様は合流した僕に一言、「次は殺す」と仰った。




