拾の世界①
拾の世界――監察官の話――蓮皇高校にて
世界の総量というものは、本来殆どの世界において一定。物質は絶えず形態や形状の変化を繰り返しながらも、その量そのものが増えることも減ることもないという意味で。
無から有が生み出されるということはあり得ず、何かが生成された際には、その生成に用いられた物質の質量は必ず保存される。これが世間一般で『質量保存の法則』と呼ばれる法則であり、ほぼ全ての世界においてその法則は通用する。
あとこれはよく知られていないが、世界には許容できる『限界容量』というものが存在する。物質が世界にどれだけ存在し得るかという許容値とでも言えばいいだろうか。物質は変化しても総量が変わらないために見過ごされがちだが、限界容量は実は看過できない存在なのだ。
限界容量を上回るようなことがあれば、たちまち世界は崩壊するといわれている。ありえないことが起きた際に放出されるエネルギーは尋常ではないと予想され、一つの世界の崩壊は即ち、全世界の壊滅にも繋がりかねないとされている。
さて、この世界――『バースト』は多元世界とされる。様々な世界を次元の扉で繋ぎ、他の世界の概念を吸収、あるいは複合することで初めて成り立っていることがその所以だ。
通常の世界においても、偶発的に発生した次元の裂け目を通して人や物が他の世界へと移動してしまうこと――俗に神隠しや空間転移などと言われる現象――があるため、総量の微少な変動はあるが……殆ど誤差の範囲で処理できるレベルで、次元境界線がどれほど不安定であっても限界容量に及ぶほどの変動はまずあり得ない。だが、バーストの場合は事情が異なる。
バーストは自ら能動的に他の世界へと干渉を行い、異世界への扉を創造している節が見られる。次元の扉は偶発的に発生する次元の裂け目よりもはるかに大きく、『他の世界へ移動できる扉』として繋がった先の人々の関心を大きく惹くことから、他の世界からの人や物、概念が流入し続けることにも繋がり、移民、侵略、開拓、探索…………等々、様々な理由をもってやってくる異邦人らによって限界容量に抵触してしまう可能性がある。
次元の扉自体は往来自由のため、限界容量に達しそうになってしまった段階で流入してきた概念や物質を送り返せば良い話だが……そう簡単にはいかない。他の世界から流入してきた概念や物質は次元の扉をくぐった時点でバーストにおける概念や物質と半分同一化されてしまうため、元の世界に混乱を招かないためにも、戻すためには様々な手続きを踏まなければならない。具体的には、記憶の改竄とかそういう。……と言っても、これは管理者がいる前提の話で、バーストはそういった人の手を介さないでも限界容量に抵触しないために独自のシステムを構築していると考えられる。
それは存在の『抹消』と『圧縮』。
抹消は文字通り、完全なる消去。他の世界から何かしらの流入があったという事実の根底から無かったことにしてしまうこと。
圧縮は存在について制限。他の世界から持ち込まれた新しい概念や能力について、あるいは既存の概念や能力について制限をかけ、その存在の『量』を縮小することで、世界の総量に与える影響を少なくすること。
もし、バーストの中で失われたものが『抹消』されているならば、失われた事実すら無かったことになるので誰の記憶にも残らないし、取り戻すことも絶対に不可能。だけど、もし圧縮であるならば……展開することができれば、失われたものを取り戻すこともできるだろう。
「おそらく、この世界の中央制御室に行けば圧縮された力があるかもしれない。力を取り戻したいなら、一緒に行ってみない?」
「力を取り戻せるかもしれない……だと?」
「えぇ、興味はないかしら、マオ?」
放課後の教室。あたしたち以外誰もいなくなる頃を見計らって、あたしは彼女に話を持ちかけた。
結論から言えば、「失った力を取り戻してみる気はないか?」と。案の定、彼女――獅羽マオはあたしの言葉に強い興味を持ったようだ。
「あなたが失った魔王の力。もう一度アスナ・ルシフェル・グラディウスとして生きてみたいならば、やってみる価値はあるんじゃないかしら?」
「………………お前には私の本名を言った覚えはないが?」
「職業柄、いろいろとわかることも多いのよ」
「……本分は学業にあらずと。なぜそのような役職を持つお前が、私なんぞのような力無き小娘に助力しようとするのか、わからんな」
「少々こちらも切羽詰まっていてね。友人である獅羽マオに、アスナ・ルシフェル・グラディウスの力をもってして協力してもらいたいことがあるの」
「打算込みの人助けか。なるほど、面白い」
「あなたにとっても悪い話ではないと思うわよ?」
目の前の元魔王はその面影など全くなく、ただただ力無く笑う。対する自分も笑顔ではあるが、おそらく彼女とは対照的に明るすぎて、半ば打算の色が強く出ていたかもしれない。
「確かに、悪い話ではないな。……して、その中央制御室とやらはどこにあるんだ?」
「蓮皇高校校長室よ」
「え?」
「うん?」
何故かマオは素っ頓狂な顔を見せる。あたしは何かおかしなことを言っただろうか?
「い、いや、そんな物騒なものがそんな身近にあってもいいのか?」
「むしろ、そんな物騒なものだからこそこんな身近にあるんじゃないかしら? 他の世界からやってきた異邦人の代表はひとまず蓮皇高校の生徒として管理される。もっと具体的には、転校生として2―B教室に配属される。そして彼らの経過を見て、管理者は異邦人たちを世界から排除するか残留させるかを決めるの。それを考えれば、管理・判断の中枢でもある中央制御室が蓮皇高校内にあっても不思議ではないでしょうね。立地的にも、この世界の中心に位置してるし」
「そ、そうなのか……? だがそんな身近にあったならば、今回の私たちのように潜入を試みようとする輩も少なくないのではないか?」
「んー、マオはどう思う?」
「そりゃ、世界の掌握すら可能にするかもしれない源泉が眠っているのだ。野望に燃える……とまでは言わないでも、好奇心に駆られた輩が潜入を試みようとしているのは、想像に難くない」
「んー、じゃあやっぱりそうなんでしょうね」
「……何?」
「いや、ね」
おそらくその存在を知ったならば、潜入を試みた人間は少なくないとあたしも予想している。一応極秘事項であるので、普通に過ごしている住人たちがそのことを知ることはまずないだろうが……もし何らかの手段でそのことを知った人間がいたならば、潜入を試みるだろうというのはマオが言うように容易に想像できる。
しかし、比較的長いことこのバーストで生活している身であるが、そのような話は聞いたことがない。職業柄、この世界の出来事には常にアンテナを張り巡らせているあたしでさえ知らないのだ、おそらく潜入に成功した者はいないのだろう。だが、潜入を試みた者がいないというのはわからない。
極秘事項であり、この世界の存亡に関わるような案件だ。もしそんなことを試みた者がいたとすれば…………おそらく見つかった段階でこの世界から排除されるのは間違いないだろう。排除され、全ての存在を失ってしまったならば……あたしたちがその存在を認識することは叶わない。
いそうなのにいなかったという事実が、おそらくそれを試みた者達への粛正の悲惨さと、警備を司る門番たちの有能さを物語っているのではないか。
「…………そんなふうにあたしは考えてるの」
「なるほど、一筋縄ではいかないようだ――って、いやいやいや、ちょっと待てナツキ」
「どうしたの、マオ?」
「失敗したらどうなるって?」
「存在の消滅。この世界の歴史と記憶からの抹消」
「い、いくらなんでも危険過ぎないか?」
「大丈夫よ、バレなければ何の問題もないわ」
「いやいや、そういう問題じゃないだろうに!」
随分と取り乱した様子を見せるマオ。
「中央制御室に行けば力が取り戻せる『かもしれない』に対して、見つかれば存在を消滅させられる『だろう』はあんまりにも割に合わないんじゃないか? 仮に潜入に成功して力が取り戻せたとしても、それが管理者たちにバレないはずがないだろうし」
「あら、力が取り戻せたのなら管理者なんて蹴散らせば良いじゃない。魔王の力をもってすれば、それくらい余裕でしょ?」
「んぐ。そ、そりゃ、私が本気を出せば、相手が誰であれ負ける気はしないし、こ、この前のはちょっと油断しただけだし…………」
「なら、問題ないわよね?」
にっこりとあたしが笑いかけると、マオはまだ納得しない顔を見せて「だが、だが……」とぶつぶつ言っている。
……そりゃ、不安な気持ちがあるのがわからないわけじゃない。話半分、本当にかつての力を取り戻せるのかどうかもわからないのに、失敗のリスクを考えたら、正直無謀極まりないという考えもわかる。
「………………ふふ、ごめんね、マオ。あたしだってリスクを冒すのは怖いのに、今現在力を失って何もできないか弱い女の子には余計に怖いわよね?」
「な、何だと……!」
「だけど、我々は標的がこの世界を掌握する前に、その力に対応できる手段を得なくてはならない。本来ならば、あなたのような一市民に協力を要請することもないのだけれど、既にいくつかの世界の概念を取り込み、『神』としての力を蓄えてしまった標的に対抗するためには神に並ぶ力を持つ者――この世界では『特異点』と呼称される存在――の力を借りることは必要不可欠なのよ。
あたしたちは標的の支配が及ぶ前に中央制御室を暫定的な管理下に置き、標的を消滅させるまでそれを死守しなくてはならない。でなければ、この世界もまた標的に喰われ、それを足掛かりとして奴は絶対に手に負えない存在になってしまうかもしれない!
それを避けるために、マオにはあたしと一緒に来て力を取り戻してもらうし、あたしは中央制御室を標的の管理下に置かせないために制圧させてもらうわ!!」
あたしがそう述べた後、マオはしばらく難しい顔をした。哀れみか、慈愛か……彼女はよくわからない表情であたしの顔をしばらく見つめた後、落ち着いた口調で言う。
「…………随分と切羽詰まっているんだな。ナツキらしくない」
「出会って二週間足らずで『らしくない』なんて言われるなんてね、意外だわ」
「私とて元は魔王だ。戦も政も如何せん苦手だったが、人の顔色を窺うのはそれなりに得意なつもりでな。私にはナツキの顔から焦りと強い怒りの色が出ているのを感じられた」
「へぇ、それで?」
「いつもは冷静沈着で頭脳明晰なアイドルが感情むき出しにして、いくらも無理のある計画を打ち立ててくるとあれば、そうも言いたくなる」
マオは先ほどとはうって変わって、徐々に柔らかな微笑みを浮かべてそんなことを言った。「感情むき出し」か……なるほど、少々標的に対して感情が高まりすぎていたらしい。
任務遂行のために常に感情を大きく出さない訓練は積んできたつもりだったが、まだ会って二週間も経ってない友人に奥底の感情を見透かされるなんて…………どうやらまだまだあたしは半人前のようだ。
「前提に無理があるとはいえ、よもや作戦がないわけでもあるまい。ある程度校内の警備をさばくための策ぐらいはあるのだろう?」
「無策で挑もうとするほど、あたしだって冷静さを欠いてないわ」
「ならば……安心だ。私よりもいくらも聡明なナツキが立てた作戦ならば、きっと成功するだろう」
そう言ってマオは右手をあたしの前に差し出す。
「正直ナツキの話の半分も私にはよくわかってないが……ナツキがそこまで言うなら、やってみる価値はありそうだ」
「それじゃあ夜の学校の肝試し、早速今夜決行ね」
握ったマオの手はほんのり温かかった。




