伍の世界②
伍の世界――善良な一市民の話――学校にて
彼は昔から壊すことしかできなかった。しかし、壊すことにかけては誰よりも優れていた。
全てを破壊し尽くすその様を見て、誰かが呼んだ――「破壊神」。
彼はその呼称を嫌った。しかしながら、その全てを「無」にできる特別な力は本人にも否定することができなかった。
彼の進んだ後ろには、雑草一つ生えない。全てを無にし、残るのは圧倒的「無」。
そんな彼に抗えるのは神のみ。あまりに常識を越えた彼の周りにはそんな噂すら飛び交い、今日も彼を倒そうとする愚か者が現れる。……破壊神の前には、そこらの神ではかすんでしまうというのに。
――☆☆☆――
「女を口実に俺を呼び出すとは……覚悟はできているんだろうな?」
ニヤリと口元を綻ばせる親友――否。そろそろ縁を切ろうかと思ってるくらいの友達。
「たまにはさ、迅。相手の言葉を疑うとかいう選択肢は無いわけ……?」
「ない」
「じゃあ、僕を巻き込まないっていう選択肢は?」
「ないな」
今現在。僕たちは、暴走族よろしくな特攻服に身を包み、意味不明なくらいにデカイ大剣を片手で振り回す、やたら殺気だったお兄さんと対峙している。
「今から勇者である俺が、断罪の名の下に手前を殺す。覚悟はできたか、破壊神?」
「こっちのセリフだ。悪いが、俺が先に貴様を沈める」
どうしてこうなったのか。
あらゆる人たちからあらゆる口実で喧嘩を吹っ掛けられる度、このろくでなしの友人に僕はなぜかいつも付き添わされるため、実は割と見慣れた光景だが……よくよく考えれば今回もおかしな話だ。
数々の芸能事務所からもスカウトが来ているほどの美少女、村雨ナツキと言えば、迅が以前から仄かに思いを寄せているクラスメイトである。その容姿端麗、才色兼備な振る舞いを見れば、おそらく誰にとっても憧れの女性であり……僕――巽史郎も仄かに思いを寄せたりした。しかしながら、破壊神やら鮮血量産機やら物騒な異名を持つ如月迅の「思い」を知ってしまえば、そんなおこがましいことはできないと諦めた。ナツキちゃんに思いを寄せようもんなら、いくら命があっても足りない。
それはさておき。今朝、目の前の『勇者』を名乗るお兄さんから、
「惚れた女を救いたければ、放課後、体育倉庫に来い」
という旨の挑戦状を拝借しちゃって、僕の親友――否。悪友、如月迅は現在に至る。僕はというと、なぜかよくわからないけど付き添いとして呼び出されてこの様だ。
「っていうかさ……そもそも朝から普通に教室にナツキちゃんいたし。目の前のお兄さんの言葉が、ただ迅を呼び出したいがための虚言に過ぎないと推して然るべきだったんじゃないかな」
「なに?」
僕の言葉に対して、無茶苦茶鋭い視線を向けてくれる僕の親友――否。最近割と本気で縁を切ろうかと思ってる友達。
「……まぁいい。どうせ目の前の奴を抹殺すれば済む話だ」
そんな物騒なことを言って、特攻服の恐いお兄さんに向き直る僕の親友――否。割ともう他人で良いよ、とか思ってる知り合い。
ってか、自称勇者さんをぶっ殺したところで、迅があからさまな嘘を見破れない問題は根本的に解決しないよね、なんて思ったが……それを言ったらまた怒られそうなんで、心の中に留めておいた。
「生憎俺だって暇じゃない。来いよ――」
「もう行ってる」
「――ッ!?」
勇者は、迅が構える眼前で大きく剣を薙ぐ。その無駄むらのない疾風の一撃は、僕に迅が斬られて真っ二つになる光景を一瞬想像させたが……間一髪、迅はすんでのところで身体を後ろに反らして両断を回避する。その避けた勢いそのままバク転して体勢を立て直すことを試みるが、勇者は迅に息つく暇さえ与えず、次の一太刀で追う。
しかし、これは迅自身も想定していたのだろう。バク転で着地するやそのまま膝を畳み、勇者の膝下に足払いを放つ。
足払いを退けることができなかった勇者は、剣を薙ぎながら大きく体勢を崩したため、初手は迅に軍配が上がったかのように思われた。
「甘いぜ、破壊神!」
しかし勇者は倒れなかった。既に足が宙に浮いた状態で薙いだ剣を無理矢理地面に突き刺し、それを支点に己が腕力だけで身体を支え、あろうことか迅の顔面目掛けて二段蹴りを放ってきた。
流石にこれは迅にも予想外な挙動だったらしい。一撃目はなんとか上半身のひねりと腕の防御で耐えたが、二撃目は堪えきれなかったらしく、迅の身体は蹴りの勢いに負けて、用具入れに凄まじい音を伴って叩き付けられた。
どうやら、初手の軍配は勇者に上がったらしい。迅と長らく行動を共にしてきたつもりだが……こんなことはそうあるものじゃない。迅が攻撃を加えられる場面でさえ希なのに、先制を取られるなんて――正直、初めて見たかもしれない。
「やるじゃないか、貴様」
凄まじい激突音にも関わらず、何事もなかったかのように立ち上がる迅。どうやら今回はちょっとばかし、いつも以上の激戦が繰り広げられそうだ。
「丈夫な野郎だぜ。さっさと死にやがれ」
勇者が大剣を大きく薙ぐと、真空の刃がまっすぐに迅に向かう。高速で進む刃に、体育倉庫の備品は次々と両断されていく。
なるほど、実に現実離れした光景だ。目の前のお兄さんは、久々に本物の勇者さんなのかもしれない。きっとまともに彼の攻撃を受ければ、流石の迅も上半身と下半身がさようならしてしまうだろう。
そして流石に僕は親友――否。見知った顔が真っ二つになるところなんか見たくない! 逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。ってか、逃げないと巻き込まれるのは想像に難くない。ってかこのままじゃ、絶対僕の方が先に上半身と下半身がシーユーアゲインするよね?
「久しぶりに……骨がありそうな奴だな。少しは楽しめそうだ」
僕の親友――否。ただの阿呆は、こんな状況下でそんなことを呟き、ニッと口元を綻ばせる。
「じゃ、じゃあ迅。僕はこの辺で」
「史郎!」
「は、はい!」
「絶対に逃げるなよ?」
「…………え、いや」
「逃げたら、許さん」
「………………はい」
破壊神は理不尽だ。現実は甘くない。だけどいい加減――僕はそろそろ巻き込まれて死んじゃいそうなんで……割と本気で、逃げ出してもいいだろうか?
――☆☆☆――
戦闘開始から、早一時間。
屋根は吹き飛び、壁は消し飛び……既に体育倉庫の面影は、周りに散乱する体育用具の残骸からしか推し量れないような空間。
そんな中で、彼らは開戦の時の勢いそのまま、超次元的な戦いに臨んでいる。
「勇者奥義七十二の一つ! 雷甲炎武斬ッ!」
グォオオオ――! と、雷鳴と火炎の音を合わせたような、なにやらおどろおどろしい音を立てて、迅の元に高速で向かう雷と炎の刃。既にその光景は、「喧嘩」というクオリティをとうの昔に超越してしまっている。
「チィッ――!」
そう言って迅は、雷と炎の刃に対して真っ直ぐに対峙し、身構え、正拳突きの要領で拳を突き出す。すると「ポフッ」と、なにやら気の抜けるような音と共に、雷と炎の刃は迅の目の前で呆気なく鎮火された。
「あぁくそ! 袖が半分無くなった…………おい貴様! どう落とし前付けてくれるつもりだ?」
「ふん。やるなぁ、手前。俺の勇者奥義を食らってもなんともねぇとは。だが、俺は手前を殺すためには何でもしなくちゃいけねぇ。なぜなら――」
「制服弁償しやがれぇええええええええええええええッ!!」
勇者さんが何やら重要なことを話そうとしているのも完全無視で、迅は叫びながら殴りかかっていった。いや、よくよく考えれば迅のことだから、訳のわからない事情よりも目の前の――制服をボロボロにされたことの方が、よっぽど大事なことなんだろうけど……。
「――当たるかって!」
間一髪で勇者は迅の一撃をかわす。そして、反撃の一太刀を振るう。
「遅いんだよ!」
しかしこれも、迅は軽快なフットワークで見事に避ける。
おそらく、『破壊神』である迅の如何なる一撃でも――勇者の如何なる一撃でも――双方まともに受ければ、それだけでこの勝負の決着はついてしまうだろう。
それにしても、どうして僕はこんな危険地帯半径五十メートルの位置で、こんな最終局面における「主人公とライバル超常決戦」みたいなやりとりを傍観しているのだろうか……?
いやはや、答えはわかってるつもりだ。
「逃げたら、迅に殺される」
そんなことがわかっているからこそ、僕は逃げない。別に「迅が倒れた時に助けを呼ぶため」とか、「親友の勇姿を最後まで見届ける」とかいう、半ば良心的な気持ちで、僕はこの戦闘を見守っているわけでは断じてない。
我が身大事であるからこそ、逃げない――逃げられない、それだけなんだ。
「ったく! あのアホ天使の一件以来だ。俺をここまでイライラさせてくれる奴はよッ!」
避けた勇者に対し、迅はすかさず第二撃を放つ。
思えば、最初のうちは余裕交えて少し楽しそうだったのに……勇者が『奥義』とかいうのを使い始めた頃からだろうか? 結構値が張るはずの制服を傷つけられたり、一部燃やされて消失させられたりしたあたりから、迅の機嫌は一気に悪くなった。制服弁償を要求する雄叫びを先程から何回聞いただろう。
「手前は死んでろ!」
勇者は迅の攻撃をその大剣を用いて器用に受け流し、反撃に転じる。しかし、迅はそのカウンターとして飛んできた蹴撃をこれまた器用に受け流し、反撃の一打を放つ。そして勇者はその拳を体を反らしながら受け流し、次にはすぐ自分の拳を放つ……。
鮮やかで――しかしそれでいて、あまりにも不安定なカウンターの応酬。二人ともあくまで防御は取らず、相手の攻撃を受け流すことに重点を置いている。理由はおそらく――双方、相手の攻撃たった一打で勝負が決してしまうことがわかっているため。
勇者が『勇者』を名乗る意味。迅が『破壊神』と呼ばれる所以。
『突然何もないところから、雷と炎を飛ばしてくるような存在だぞ?』
『雷と炎の攻撃を、拳一つで無力化してしまうような存在だぞ?』
存在を敢えて疑う必要があるのだろうか? 攻撃を敢えて受ける必要があるだろうか? 勝負を敢えてその一撃に捧げる必要があるだろうか?
二人とも「攻撃を受けたい」という思いは強くあるはずだ。相手の攻撃を受け止めることができれば、より正確なカウンターを放つことができる。二人ともわかっている。攻撃を受け流す不安定な体勢からの攻撃の精度が良くないことも。
しかし、臆病なくらいの安全管理能力がそれを是としない。一時の好奇心とも言える感情に身を任せ、負けてしまうのは恐い。
「手前は死んどけ!」
「黙れ、クソ勇者!」
カウンターの応酬は続く。しかしその不安定な応酬は、二人の体力をただいたずらに消耗させる。集中力もそれに伴って落ちていく。
そして、勝負はちょっとした動きを見せた。
(状況を打破するには、一旦距離をとるしか……)
一瞬、思考を巡らせた勇者にほんのわずかな隙が生じる。そこを百戦錬磨の迅が見逃すはずもなく――
「捉えたッ!」
――迅の拳が硬いモノに当たる。そしてそれは、大きなヒビを生じ……見事に折れる。けれどそれは本来、絶対に砕けてはいけない物。
そして、ある意味では『勇者』を象徴する物。
「――ッ!? んな、なんて野郎だ!?」
「次は貴様がこれの二の舞になる番だ」
迅に容赦など無い。打ち付けた拳を素早く引きつけ、勇者が感傷に浸る間もなく第二撃を繰り出す。
しかし、これは当たらない。勇者は迅の拳を受け流し、大きく後ろに下がった。
「よくもやってくれたな、手前……」
その声には一種の怒りと――ある種の憔悴。
「貴様は俺の制服をおじゃんにした。お互い様だろ? ちなみに弁償するつもりは毛頭ない」
「お互い様だぁ? そもそも、手前に『伝説の剣』なんかを弁償できてたまるかよ」
「じゃあ、貴様は俺の制服弁償してくれるのか?」
「まさか。これから死ぬ奴が心配することじゃねぇよ」
二人は真っ直ぐに対峙する。そして、「次の一撃で勝負を決してみせる」という意気込みの下、一歩目を踏み込み――
「あぁー!? 迅様、こんなところにいらしたんですかぁ!!」
初めて地面に伏した勇者。大声を上げながら降ってきた落下物に潰されて。
快活な声。Tシャツにショートパンツ。はちきれんばかりの胸部に天使の輪とくれば、それが何かは決まってる。いや、「誰か」と言うべきか。
「何しに来たんだ…………お前?」
「えへへ、迅様と一緒に帰りたいなと思いまして!」
「俺はお前と帰りたくない」
「ぶぅぶぅ。そんなこと言うのは、愛情の裏返しだってわかってるんですからねっ」
見ると、迅の頭に血管がはっきりと浮き出てる。迅はこういう態度が大嫌いだ。きっと勇者の襲撃と相まって、今は相当イラッと来てるんだろう。
エル・ガブリエル。随分前に迅(と僕)が助けた、天使の末裔を自称する可愛い女の子だ。
こんな可愛い女の子に言い寄られるなんて、これが僕なら僥倖以外の何ものでもないのだけれど、どうやら迅にとっては鬱陶しいことこの上ないみたいだ。
「迅様が一緒に帰るって言うまで、わたしはここから動きませんからね!」
「「邪魔だ、どけ!」」
「ふぇ?」
ほぼ同時に声をあげ、背中にちょこんと座っていたエルちゃんお構いなしに勇者が動き出したため、彼女は強制的に尻餅をつかされる形になる。尻餅をついておしりを押さえてるエルちゃんはやっぱり可愛いなぁ、なんて僕が思ってる余所で、二人は戦闘を再開する。
「とんだ邪魔が入った」
「彼女か?」
「……ふざけたことを抜かすなよ、貴様っ!」
左手は相手の右手を受け止め、右手は相手の左手に受け止められ、硬直状態のまま、両者は至近距離で睨み合う。そして、僕はエルちゃんを眺め、エルちゃんは迅を見つめる。いやはや、エルちゃんは実に可愛い。どうして迅が陥落しないのか、いつも不思議で仕方ない。
「まだ彼女候補です。でも、いつか絶対迅様にお嫁さんに貰っていただきますから!」
「そいつは残念だぜ、お嬢ちゃん。こいつは今から死ぬんだ。何だったら、俺が――」
(……あれ? こいつ…………)
勇者は一瞬、エルちゃんの方を余所見する。勿論、視線を少しずらした程度であるが――その瞬間、明らかに勇者が動揺した。
またとないチャンスを迅が逃すはずもない。両手を勇者の手首に持ちかえ、袖釣り込み腰の要領で勇者の身体をぶん投げた。
「うぉおりゃあああああああああああああああ!!」
「……つっ!? だが!」
迅の一本が見事に決まったかと思えたが、勇者は器用に空中で身体を翻し、なんとか体勢を立て直す。そして空中に浮かび、
「やるじゃねぇか、手前。決着はお預けだ。剣がなければ、俺も話にならねぇ。命拾いしたと思いやがれよ、破壊神!」
そのままどこかへ飛んで行ってしまった。
「おいこら、待っ……チッ、クソが……」
迅の声も虚しく。
「「………………」」
「……ふぇ?」
言葉も出ないとはこのような状況を指す言葉なんだろう。ボロボロになってもうボロ切れとも呼んだ方が些か適切な「元」制服を羽織る如月迅と、今までただ結果を見届ける為の傍観者に徹してきた僕――巽史郎。そして、場の流れを一瞬で変えてしまった天使、エル・ガブリエル。
既に更地となった体育倉庫跡に、残された僕ら三人はただ佇む。
迅と一緒にいて、何度かさっきのような常識に欠ける人々と戦うのを見てきたが……決着が付かずに途中で放り出されたのは初めてだ。
「帰るぞ、史郎」
「う、うん」
「あー、わたしも行きますよ、迅様ぁ!」
「……勝手にしろ」
「やたー!」
迅は忌々しく舌打ちする。この様子だと、不機嫌度指数はとっくに臨界点を超えておつりが来るレベルだ。言葉とは裏腹に、この状態の迅はまず憂さ晴らしと称して暴力に訴える。
しかしながら、その矛先が自分に向くのだけは絶対に勘弁だ。とりあえず僕は、ご機嫌取りに徹しようと思う。
「お疲れ様、迅。帰り道、ジュースでも奢るよ」
こうして僕たちは、家路につき始める。思えば、あたりはもう充分に暗い。
「胸クソ、悪い……」
その言葉の真意が、貴重な制服を消し炭にされてしまったことに対するモノなのか、勝負の途中で水を差されたことに対するモノなのか、途中放棄されたことに対するモノなのか、初めて勝てなかったことに対するモノなのか……それは僕にはわからない。もしかすると全部なのかもしれないし、そのどれでもないのかもしれない。
しかし、下手なことを言うと迅の怒りの矛先は一瞬でも僕の方に向いてしまいそうなので、今回の件は忘れることにしようと思う。どうせ僕には些細な問題だ。関係ない。
迅とエルちゃんは、他方で動くほんの小さな悪意にも、世界のどこかで散っていく多くの命にも気付く由もなく――ただいつも通りの帰路についた。
自販機で買ってきた缶ジュースを受け取った破壊神は、さっさとその全てを飲み干し、グシャリと握り潰してしまう。そしてそのまま大きく振りかぶり、
「くそッ!!」
はるか上空目掛けて、ひしゃげたアルミ缶を投げ捨ててしまう。
全力投球された原型を留めていない金属は、上空をどこまでもどこまでも飛び続け……やがてどこかに着地を迎えることなく、投げた本人の与り知らぬところまで飛んでいく――




