二人の出会い 一.
カロンが連れていかれたのは、それは立派なお屋敷だった。
村一つ二つ入りそうな広々した庭が広がっていて、そこには孔雀という置物のように美しい鳥が何羽も放し飼いにされていた。
館の壁は磨き上げられて、ほのかに赤みを帯びた色合いが美しかった。
なつめやしや棕櫚などの植物を美しく図案化した彫刻が、執念のような細かさで腕のいい職人たちによって彫られ、館を飾っている。
その広大な敷地には、警護のための男たちが等間隔に立って、屋敷を守っていた。
(……こんな立派な家…。こんなご殿に、あたしが住んでもいいのかな…。そうだ、宮殿だ。これって、お話で聞いていた、王様が住む宮殿なんじゃないのかな…。あたし、どんな旦那様にお仕えするんだろう?…優しい人かな…?)
カロンは浮き上がったような気持ちのまま屋敷に入り、衣服を整えて、しばらく待たされていた。
そして突然、なんの予告もなく、若い女がカロンのいる部屋に入ってきた。
「ご主人様の前に参上なさい。初めて顔をお見せするのだからね。無礼のないように、よくわきまえて振舞うのだよ」
カロンは慌てて部屋を出て、通された部屋で、衝立の後ろに隠れて待っていた。
カロンが入ってきたのは使用人たちの出入り口の方、召使いたちの控えの空間だった。
衝立の向こうの応接室らしき広い空間からは、今人の話し声がしていた。
カロンは耳を澄ました。
「――…ところで、また新しい侍女を見つけてくださったのですわね?」
鈴が転がるような、凛とした声だった。少女の澄んだ声音だった。
「ああ、一人」
答える男の声に、わずかに聞き覚えがあった。
カロンはその時背を押され、慌てて衝立の陰から出た。
部屋には数人の人間がいた。
椅子に座って語っているのが、昨日見た男で、その向かいに座っているのが、部屋の主らしい少女だった。
男の方には連れがいた。そして、部屋の脇には侍女たちが控え、少女のほど近いところにも、いつ用を言いつけられてもいいように年配の侍女が控えていた。
「この子なのですか?」
少女がこちらを見て言った。
カロンは慌てて辞儀をした。面を伏せる時に、つんのめりそうになって慌てて足に力を入れた。
「ふうん…」
少女はカロンと同じくらいの年だった。
素直に伸びた青みがかった黒髪は顔の横からさらりと肩に垂れ、残りほとんどを結わえて、頭の後ろに趣を凝らして結わえてある。
髪飾りの宝玉が、耳元にこぼれ垂れて、頭を傾げるとしゃらしゃら音がした。
細められた瞳は涼しげな紺碧の輝きを放っている。屋外で日に長くさらされることのない白い肌は、陶器のようになめらかだった。
うやうやしく頭を下げながら、カロンはなんて優雅なお人なのかと、それも同い年の少女の、その大人顔負けの典雅な仕草に、惚れ惚れしていた。
そのほのかに漂う麗しさと気品は、どちらかと言うより、少女の見目からでなく、その仕草と口調から発せられているように思われた。
「…また同じような年の子なのですわね、おじさま?」
少女は横を向いた。カロンは無礼にならないように、盗み見るようにして彼らの挙動を目端で観察していた。
「彼女たちは、お前が上手に使いさえすれば、これからお前の気心の知れた腹心になる。大事に使いなさい」
「承知いたしましたわ、おじさま」
少女はほとんど間を置かずに応答していた。
どこか機械的なまでに正確で無駄のない受け答えにも思えた。
やはり一切の迷いや無駄もなく、彼女はスっとカロンの方を向いて、また一瞥した。
「――あなた、姓名は?生まれは?」
「は、はい。……あの、恐れおおくもはばかることなく、御前にて口を開きます光栄に浴しまして申し上げますに…」
カロンは事前に覚えこまされた口上をもって、口火を切ろうとした。
下々が発言を許された時に言う、それはお決まりの文句だったのだ。
「……ああ、黙りなさい!私はそのうっとうしい言葉が嫌いだと、何度言わせたら分かるの」
突然の少女のきつい声に、カロンは驚いて肩を縮めた。
「――アステナ!」
少女は短く呼んだ。
衝立の向こうから、カロンを導いてきた女が慌てたように姿を見せた。
「…はい!ここに」
「あなたがあれを教えたの?」
「は、はい。わたくしが教えました…」
「私の前では使う必要がないってことも、教えなかったの?」
「は、はい。…あの、どうしましても無礼なことですから、わたくしどもは…。わたくしども、最低限の礼儀、わきまえは、教えておかねばなりません…。ご無礼にあたりますことは、させられませぬので…」
女は怪しい口ぶりで弁解するように言った。
カロンはそれを見て、少女の日頃のやり方を少し分かったように思った。
あれほどわきまえろと言われたにもかかわらず、思わず興味をひかれ、じっと少女の横顔を見ていた。
少女が気づいて目を合わせた。カロンは慌てて目を伏せた。
「――…目の動かし方、振舞い方も、教えなさい」
少女は言うと、おじと呼んでいた男に向き直った。
「…お見苦しい限りですわ、おじさま。でも、ご勘弁なすってくださいませ。私、許せないことはどうしても許せないとしか申せませんの。お許しくださって?」
「召使いの教育ぐらい、きちんと果たせなくては」
男の声はただ冷ややかだった。
「上に立つ資格などない。特にお前のような人間ならば、なおさら」
少女は男の冷徹な眼ざしにも気づかぬように、優雅にうなずいた。
「承知いたしておりますわ、おじさま」
少女はわずかに腕を動かして脇の侍女を促した。
侍女がさらに手を挙げ、奥で控えていた下女に新たな果物を持って越させ、自分は男の杯に酒を注ごうとした。
「いらぬ」
男は不快そうに侍女を睨んだ。少女が、「まあ、失礼を」とだけ謝った。
男は立ち上がった。帰るということだった。
「――よく教育を施し、育てよ。先に私が寄越した侍女たちにも」
「はい。お見送りを」
「いらぬ」
「はい」
男は身を翻した。そばについてきた男はとうとう一言もしゃべらず、行ってしまった。
少女はやや黙って椅子に座していた。それから手を上げた。
奥からしずしずと下女がやって来て、先ほど男に断られた果物を少女の前に置いた。
少女は一つ掴み、口に入れた。
「――それで、名前は?」
「………あ、はい」
少女がこちらを見ていなかったので、カロンは一瞬自分の事だとは思っていなかった。
「もうあの前口上は私の前で使わないでちょうだいね」
もう一つ果物を摘みながら、少女が釘を刺した。
「――カロンと申します」
「出身」
「……コマリア・テルンという町です」
カロンは小さな声でつけ加えた。
「もう無くなってると思いますけど…」
「…コマリア・テルン?知ってる?」
少女は傍らの侍女にたずねた。
侍女は首を振った。それで少女は顔を戻して続けた。
「戦争か何か?家族はどうしたの」
「戦争です、ご主人様。家族は、みんな途中の町にいます。そこで暮らしていると思います」
「全員無事なの?町を失ったのに」
「はい、無事でございます。ご主人様」
「それは素晴らしいことだわ」
少女はちょっとの間頭を傾げ、アステナと呼んでいた先ほどの侍女へ目をやった。
「教えてあげてちょうだいな」
「は、はい…?」
アステナは当惑して聞き返した。
少女は眉をひそめた。
「…まったくあなたは、鈍いから嫌よ」
ずっと少女の一番近くに控えていた年かさの侍女が、直立した姿勢のまま言った。
「――殿下をお呼びたてまつる時は、ルイアナ様とお呼び。ご主人様と呼ぶのはお嫌いでいらっしゃる。もしくは、殿下とお呼びなさい」
「は、はい…」
カロンはまごついた。
普通は貴人の名前を呼ぶことは無礼なことなんじゃないか、とカロンは知っていた。
しかし、国や地域によって違うのだろうか。それで少し変な気がしたが、おずおずとそちらを見やれば、少女は黙って待っているようにこちらを見ている。
「…あ、あの……ルイアナ様。お仕えできることが、とてもうれしいです」
教えられた口上は、もっと丁寧で決まりに沿ったものだったが、先ほど教えられた言葉はあまりにも評判が悪かったので、カロンなりの言葉で伝えることにした。
周りの侍女たちはこれを聞き、あまりに気安いと顔をしかめたようだった。
少女は立ち上がり、カロンに近寄ると初めてにっこり笑った。
「私もうれしいわ、カロン。――ルイアナよ。あなたの主人であり、親愛なる人間となれることを願っているわ」
静かな少女が見せた、豊かな表情に、カロンは何かとっておきの素晴らしさを感じたように、その顔を見つめた。
しかしすぐ叱咤する声が飛んできて、カロンは慌てて膝をついた。そのまま教えられていた口上を読み上げて、もう一度改まった挨拶を述べた。
頭を上げなくても、何故だかルイアナの笑んだ顔があるように感じた。