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ロビングスの大神殿 ーフーディーン 二.


 ――ルク・ガニと呼ばれた男…フーディーンはにこにこ穏やかにしている。


 ルク、とは、ロビングスの大神官ガニにつけられる呼称だった。

 一口にガニと言っても、都の中には大神殿がいくつもあって、その数だけガニがいるので、そのような呼称をつけて呼んでいた。ロビングス大神殿のガニ、と呼ぶのは面倒だったからだ。


 いかにも気の弱そうなその笑顔に、冷静沈着なルイアナが対していると、見事なまでの温度差が生まれる。

 カロンは遠目に観察しながら、本当に似ていないご兄弟でいらっしゃるわ、と考えていた。


 フーディーンの横に立っていた男が、いったんは様子をうかがって黙っていたが、また熱く燃えだした。


「ご機嫌麗しう!王女様。…ガニ様!公明正大なことで知られる王女殿下も、ちょうど見えられました。ここで、間違いを認めていただけますかな?」

「さあ、あの、ですから――…」


 フーディーンは曖昧な言葉を何か言いかけて、身を引いた。

 体が病弱なことで知られるフーディーンだが、その性格はというと、温和で、物腰も柔らかい。ありていに言えば優柔不断なことで通っていた。

 下に従えているはずの神官たちにも、もっぱら侮られている風のフーディーンだったが、そのことを知ってか知らずか、誰に対しても穏やかで強く出ることはなかった。


 ガニと言えば神殿の頂点に立つ人間であるのに、何事か、とルイアナは弟の軟弱な姿勢を冷ややかに見ていた。


「私の望みはただ一つ!像をお返しいただいて、先に安置する時にお納めした奉納品も、そっくり返していただきたいんで!ここに置いておいても、なんの効果もご利益もないのでね!正当な要求でしょうよ。ええ、お返しください!――さあ、今すぐに!」

「ナグナントさん。私たちは、本来そう簡単に像を移し変えたりしません。いったんは神々にお納めしたものを、そう簡単に、人間の都合で動かすわけには参りません」


 フーディーンは男をなだめるように言った。


「ですが、どうやら正当な理由のようですので、お返しするのに、もちろん反対は致しません。ですが、それには神々のお恵みについての、あなたの誤解を解いていただいてからにして欲しいのです。ロビングスは、我がフメールであがめる神の中でも、太陽の神と呼ばれ、その威光は太古からおよび―…」


 フーディーンは、穏やかだが今いち気迫に欠ける口調で、丁寧に説明し出した。

 しかし、ナグナントの激しい言葉はたやすくそれをかき消してしまった。


「返してくださるんでしょ?返してくださるんでしょう?じゃあ、今!すぐ、ここに持って来てください!家来もさっきから待たしているんです。さぼり性のやつらと来たら、私が目を離すと、すぐ勝手なところに行きやがるので、本来なら、ちょっとの間も目が離せません!だのにあなた様は、もうこんなに時間を浪費させておしまいになって…。ああ、もうこんなに日が傾きました!今日中に、ここからその像を引き上げて、リアンナの大神殿に寄進したいのですよ。私は同業者の間でも、気が短いことで知られてましてね!まったく、もう、決めたことはすぐやりきっちまう性分でね!さあ、さあ!早くしてください。ガニ様!」

「ええ、でも……」


 フーディーンはまだ神の役割について話そうと試みている。


 このナグナントという男は、いわゆる貿易商で、大商隊を組み、それに遠い荒野や海を越えさせて、異国の希少な品を流通させて売りさばいている人間だった。もちろん広大な自分の土地を持っている。

 フメールの商人の中でも、成功している男だと言えるだろう。

 こうした豪商は、政界に足を伸ばしたり、国庫に大きく貢献しているので、その影響力は大きい。

 王侯貴族でも、一応は丁重に対する相手だった。


 しかし、ナグナントはまた、ケチのかんしゃくもちで知られていた。

 何かあると大騒ぎして、時間を余計に浪費してしまっただの、無駄に散財させただの、相手に文句をつけて慰謝料を細かく要求することで有名だった。

 よく知った人は、それを見ると、またかと思ってやれやれと首を振るのだった。


 ルイアナも、心の中でやれやれと首を振ってから、話に加わった。


「――お話し中のところ、失礼を。親愛なるナグナントさん、私がお助けいたしますわ」

「なんでございます、王女殿下!これはひどい仕打ちだと、あなた様もお思いになられるでございましょう!?」


 はなから話を聞かない姿勢で、ナグナントは前のめりで言った。


「確かに」

 不本意だが同意してあげて、ルイアナは続けた。


「――ルク・ガニの采配にも、少し配慮の足りないところがあるのではないかと存じます。ですが、彼はロビングスをあがめる敬虔なるガニだということを忘れてはいけません。彼が偉大なるロビングスのお恵みについて、過小に申すことができるでしょうか。いいえ、そのはずはございません」

「どういうことでございます?」


 ルイアナ落ち着き払って答えた。


「これもトゥーシェル(幸運の神の名)のお恵みでございましょう。幸いなことに、私はリアンナをたてまつる大神殿に仕えております。私に、あなた様に代わって、その像を引き受けさせてはくださいませんか。私がしかるべき手続きを経て、こちらの神殿へお納めなおしてさしあげますわ」


 ナグナントの顔に、一瞬微妙な表情がよぎった。「……ムル・ロマネンス様が?」


「ええ。そのお役目を果たすのに、私ほどふさわしい人間はいません。これも神々の采配。その像の据え変えは、私がしてさしあげます。リアンナ女神様にお祈りして、あなたの所有の畑に、大いなる恵みがもたらされるように、祈ってさしあげましょう」

「……それは、もう、王女様が、じきじきに祈ってくださるんだとしたら…」


 ナグナントは損得に揺れ動く顔で言った。


「ええ、それはもう、しっかりと丁重にお祈りしてさしあげます。他の大勢の方々の像の中でも、とりわけ、あなた様の像に向かって、より長くお祈りすることをお約束しますわ。もちろん、それに対して、奉納金はちょうだいしません。ええ、言うまでもなく、像を運び直す作業についても、無償でさせていただきます」

「――そうですか…!」


 ナグナントはぱっと顔を輝かせた。


「…ああ、とりわけ骨を折って、そうしていただけるなら、ありがたいことです!是非に、私の像に、よくよく祈っていただけるならば……!」

「ええ、お約束します。ですが、他の方には――…」

「ええ、一切話しません!何か特別なことをしたのかって、聞かれてはたまりませんのでね!……ああ、それなら、家内もよくよく納得することと思います!どうも!王女様直々に、特別余計に祈っていただけるなら、こんなにありがたいことはありませんな!」


 大声でまくしたてたかと思うと、感謝の言葉を残し、ナグナントはせかせかとその場を去って行った。


 ルイアナは、冷ややかな目をフーディーンに移した。


「――ルク・ガニ。あなたは本当に穏やかね」

「はは、姉上は本当に素晴らしいお人だ。私の困っているところに、ちょうど現れて、解決してくださるのだから」


 フーディーンは気弱な顔に笑みを浮かべている。

 対するルイアナは冷ややかだった。


「私の役職で呼んでくださる…?ムル・ロマネンスと」


 ムルとは、リアンナ大神殿の名称を縮めた形で、これが冠されているということは、"リアンナ大神殿の高等女神官ロマネンス"というような意味だった。


 ルイアナはこの弟に姉上と呼ばれるのを嫌っていた。

 幼い頃、それぞれの母の元で暮らし、愛着などない。それなのに親しげに話しかけるこの弟の気安さは、我慢ならなかった。


 一瞬口元をまごつかせて、急いでフーディーンは言った。


「……ムル・ロマネンス。あなたはいつも立派な振る舞いをしてくれる。本当に助かりました」

「あなたこそ、本当に立派ね。他に答えようもあったでしょうに」


 フーディーンは母に叱られたかのように、その言葉に落ち込んだ。


「…いいえ、分かりません。ナグナント氏は、多分我らがロビングスの役割を、きちんとご理解していないのだと思います。ロビングスに豊穣を祈ってもいいのです。しょせん、神々の細かな役割や領分は、人間の定めたもので、神々は、その司る力がなんであれ、いざとなれば、我々人間には到底できないようなみわざを発揮してくださるのですから」


 ルイアナはため息をこぼした。


「――…ナグナントは奉納金が惜しくなっただけ。他の神殿に、難癖をつけながら像を持ちこみたかったのでしょう。既につくってある像を持ちこむのだし、前の神殿はきちんと仕事を果たさなかったから、もう高い金は払いたくないだとか、色々理由をつけて、奉納金を安くしたかったのよ」


 普通、神殿にそれなりに立派な像を安置したいとなったら、神殿が専門の石工に依頼して、名前入りのものを彫らせる。奉納者は、それに参拝して祈るといった具合だった。

 ほとんどの庶民は、神殿の近くなどで売られている、小さな木・石作りの安物の像を用意してくる。その方が圧倒的に多く、一般的だった。

 だが、金持ちには意地があるのか、専用の職人に依頼することを選んだ。当然高額なものだ。


 そのうえ、像と一緒に納める奉納金というものがある。

 それは普通、山羊や羊や牛といった家畜、麦や油などの食物、織物など、参拝者の身分に応じて、様々な現物で支払われる。

 これがまた高く、神殿は大体値引きなどしないところなので、総じて結構な負担になってしまう。


 ナグナントは、色々考えたに違いない。

 彼は既に一度こちらの神殿に像と奉納金を納めており、像だけを別の神殿に移すとなったら、そちらでもまた高価な奉納金を支払わなければいけない。

 彼にとってこの損は見過ごせない。


「私が、"特別に"長く祈ってさしあげたら、それもただでそういう骨を折ってさしあげたら、それでご満足なのよ。得した気分になりたいだけの人よ。まともに説明などしなくていいでしょうに」


 ルイアナの言葉にも、フーディーンは困った感じだ。


「はあ…そういうものなのでしょうか。…しかし、我らが神の大いなる力を、あのように誤解されたままというのは…なんとも納得がいきません。他の参拝者も、誤解してしまいますし」

「見れば分かるじゃないの。話もせず追い返しても、よかったぐらいだわ」


 ナグナントの騒ぎを遠巻きに見ていた人々の目は、あのけちん坊の金持ちは、また無理難題を言っている、ぐらいの冷ややかなものだった。

 しかし、穏やかでのんびり屋のフーディーンは、そうなのでしょうか…と苦笑しながら呟いているだけだ。



 それを見ながら、この男は、本当に我が弟なのだろうか、とルイアナは疑ぐるように思った。

 ルイアナの方が少し早く生まれたが、ほとんど年は違わない。


 確かに、この若さでこの大神殿の頂点の役職を賜ったのは気の毒だが、彼は今、実際には見習いのようなことをしている。神殿の実務は、補佐官にあたる神官が取り仕切っていた。


 名実ともに頂点に立つのは、まだまだ先のことだろう…いや、それも来るかどうか…、とルイアナは内心危ぶまずにはいられなかった。


 のん気なのは彼の長所かもしれないが、クスイキオンの王族として、今一つ自覚に欠けた言動で、周囲を冷や冷やさせているのは間違いなかった。


(まあ、でも…陛下にはお可愛がられているようだし、いいのかしら……)ルイアナは思った。


 王は、まだ正式に宣言していないものの、ジョザンスキムを跡継ぎとして育てている。

 ルイアナも、母と王の仲が良かったことが幸いしてか、父には目をかけられていると思っていた。

 しかし、フーディーンの目のかけ方とはまた違うようだ。


 フーディーンがガニに任命された時、都の人々は驚いた。

 お飾りの位でも、あまりにも早すぎたし、高すぎた。


 おそらく、フーディーンの亡き母の父が、つまり彼の祖父が、その前に反乱をくわだて、一族が粛清された一件があったからだろう。

 フーディーンの存在自体も非常に危ういものになっていたが、反乱のすぐ後、王は昔から可愛がっていたこの頼りない人柄の息子を、特別な位に据えてやった。

 文句のある者は、一言でも漏らしてみよ、とでもいいそうな任命だった。

 たちまち、フーディーンを一体どう扱うのか、と議論していた人々も、ぴたりと黙った。



 それ以来フーディーンは、ガニの職務を真面目にこなしている。

 史上もっとも、政治に口を挟まないガニだ、と評されていた。

 それは、まだ形式的なガニだから前に出てこないのだろう、というわけではなかった。

 フーディーンが、もうそのように振る舞うのだと決めているかららしかった。

 彼は少なくとも、この神殿の内で、控え目に慎ましやかに生活することが、自分にもっともふさわしいことだと理解しているようだった。あるいは、父からそのように言い含められたことがあったのかもしれない。


 この大神殿の内で、地味な仕事にだけ専心しているかぎり、弟は心配することはないのかもしれない、とルイアナは考え直した。

 実際、臣下にそのように思うよう、王は仕向けている感じがあった。


 ルイアナにとって、フーディーンの穏当さは決して悪いものではない。

 もう一人の弟ジョザンスキムは、敵愾心が強く、取り巻きの実力者たち含めて、非常に気を遣う存在だ。だがこの弟は、立場を割りきっているだけはあって、安心感がある。


 ……が、それはそうなのだが、いざこの弟を前にすると、ルイアナはたちまちいらいらせずにはいられなかった。あまりにも穏やかで…言い換えればのん気な弟の言動が、気に触る。


(ああ、まただわ……)


 遠目にルイアナの様子を見守っていたカロンは、主人の鉄面皮が、いつも以上に冷ややかなのを見て、内心穏やかではなかった。


(…また何か、厳しいことをおっしゃられないといいけど…)

 しかし、事態は予想通りになった。



「……あなた、ガニの自覚が足りないのではないの?」


 ルイアナ自身、口にした瞬間、まただわ、と思ったが、口を出た以上言葉は納められない。


「――…ああいった参拝者を、あなたにふさわしい威厳で沈黙させるのも、あなたの役目なのではないの?ナグナントは、彼の性質はどうあれ、名の知れた商人で、影響も大きい人物だわ。ああいう人物から、神殿の運営に対する悪評などが立ってしまうのよ。まだ若いあなたが気遅れするのも致し方ないにしても、どうとでも返せたはずよ。それというのに、もっとも軟弱な答えを返したものね」

「いや、私に威厳など、とても、姉上……」


 フーディーンは自身を恥ずかしがるように、むしろ照れているように、頭を撫でて言った。

 ルイアナはその態度にさらに苛立った。

 叱られている時に、困り過ぎたあまり、何故かうれしそうに笑ってしまう癖があることに、彼自身は気づいていなかった。


「……私は本当に若輩者ですから、ああいった方々には、とうてい言葉が及びません。もっとも、姉上は聡明でいらっしゃるから、やはりちゃんとお答えできるようですが…」

「ムル・ロマネンス」


 その声には棘があった。


「あ、はい…姉上、……ああ、いや、ムル・ロマネンス…」慌てて言い直すフーディーンに、

「もうけっこう」


 冷たい声でぴしゃりと言って、ルイアナは背を向けた。


「ふさわしい言葉と振る舞いを学ぶことを、ご注進申し上げるわ、ルク・ガニ。あなたのご立派な振る舞いで、いかに大勢の人々が惑うものか、一度よくお考えになった方がいいのではなくて」


 最後に、冷たい一瞥とともに言われたフーディーンは、肩を落として言った。


「ええ、姉……あの、ムル・ロマネンス。ありがたい言葉を賜りました。…うれしいことです、私はこれからきっと――…」


 彼が言葉を言い終わるのを待たず、ルイアナは去ろうとしていた。


 カロンはルイアナがこちらに戻って来るのを見ながら、その後ろにちらりと目をやった。ぽつんと立つフーディーンの姿がある。


(とても高貴なお方だわ。…だから、でも、こう思ってはいけないけど……なんて気の毒な方…。今日これで言葉を無視されるのは、一体何回目になるの、あの方は…?)


 カロンはこっそり気の毒がる目を向けてから、ルイアナに随行する列に加わって、神殿を後にした。


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