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宴席


 移動中、カロンは輿(こし)にルイアナを招き入れて話した。

 元は一人用だったから少し窮屈だったが、顔をつき合わせて話すのは少々可笑しな光景で、楽しくもあった。


「……し、失敗しませんでした?うまくいきましたか?」


 動悸の収まらぬままカロンがたずねると、


「ええ、とても」


 涼しげな顔をして、ルイアナは輿に揺られていた。

 彼女はじっと、遠ざかる喧騒に耳を傾けているようだった。

 …しばらく二人は、遠くに人々の歓声や騒ぎを聞いていた。


「――今年も始まるのね」


 ルイアナは面を街へ向けるようにして呟いた。

 また種を蒔き、土を耕し、作物の世話をする。一年の働きの始まりだ。カロンはうなずいた。

 ルイアナはその姿勢のまま続けた。


「宴に招いてくれたのは、メナードという財務官よ。くれぐれも慎重に受け答えしてちょうだい」

「で、ですからルイアナ様…。私には彼らの前に出て話をするなんて、まだ無理ですよ……」

「何を言っているの?前からあなたにお願いしていたじゃないの。私に無理だとか嫌だとかいう言葉を向けるのは、とても承知できなくてよ」


 有無を言わさぬ口調だった。カロンに断れることなどできるはずもない。


「…儀式に出るのだって、本当に冷や冷やしましたのに…。いくら作法に従っていても、アリムアンナは、王女殿下がそこに立っていないことはお見通しだったのじゃありませんか?」


 カロンがどんなに不安を口にしても、ルイアナは落ち着いていた。


「祝うのは誰でもいいのよ。――百姓の子でも、傭兵でも、遠い町から連れて来られた奴隷でも。祝い喜ぶ気持ちこそが大切なのではなくて?軍人のカレイジストが来ていたけど、彼の養子も儀式に参加していたわ。養子は元々この街になんの縁もゆかりもない異教だった人間よ。

それに、元を正せば、私たちがこの街に王宮を築く前に、ここにいた人々を倒してそのままあの神殿を受け継いだけど、なんの罰も当たらなかったわ。昔には、父王とその周りの貴族を倒して王位を簒奪したキレロも、あの神殿に詣でたけど別に何もなかったわ。女神様にとってはきっとそんなものよ。崇める民の顔ぶれが少々変わっても、別になんとも思っていらっしゃらない気がするわ」

「でも……」


 そう言われればそういう気もしてくるが、なんだかルイアナの口に説き伏せられただけのような気もする。

 カロンが困惑していると、


「いいのよ。あなたは心配せず王女様をしていてちょうだい、カロン。もし罰が当たるとしたら私に下さるようにお頼みしてあるから」


 そういう問題なのだろうか。カロンは困り果てた。


「メナードは、王宮でもよく殿下とお話しされているじゃありませんか。…ああ、こんな言い方は変だと思いますけど、寛容な神様は騙しおおせても、近くの人間は騙しおおせないかもしれませんよ。ルイアナ様」

「王宮に参内する間もずっと、私の側につき従っていたあなたなら、私の振る舞い方もよく分かっているでしょうに」

「でも、身代わりがばれたら……」

「あなたね。さっきから、少し声が大きいわ。あんまり大きいと担ぎ手たちに聞かれてしまうわよ」

「す、すみません……」


 カロンはひそひそ声を、更に落とした。


「でも…―」

「それにね、とても残念だけど面白いことに」


 ルイアナは言った。


「――人というものは、実は目の前の人間のことをあんまり見てやしないのよね。それがどうやら世の、そして私たちの救いというものだわ」


 これは何を言っても無駄らしい、と悟り、カロンは肩を落とした。

 輿は揚々とメナード宅へ向かって運ばれていった。




 歓待の言葉を受けたかと思うと、もう宴席に座らされ、カロンは目まぐるしく饗される豪華な料理の数々に、文字通り目の回る思いだった。


(…一体、食べきれないようなこれだけの食べ物を、どれだけ運んでくるつもりなの……?祭りの日だから、当然召使いたちにもおこぼれやお下げはあると思うけど、それにしたって……)


 給仕たちは、飛び回って、溢れんばかりに料理の並べられている卓に、さらに皿を載せてくる。

 葡萄酒が足りないと聞こえれば大急ぎで持ってきて、間に合わないので樽ごと部屋に運び込んできた。


 通りから、平民の人々も、玄関の先ぐらいの部屋まではやって来て、分け前の食事や祝いの品にあずかった。人々はみな紅潮した顔で嬉しそうにしていた。


 しかし、この奥の部屋には当然貴賓にあたる高い身分の人間しかいない。

 周りにはルイアナをよく知っている人々が多かった。


 ルイアナは侍女の姿のまま、カロンの後ろでじっとしている気配だった。セヌーンも同様だ。

 カロン一人が窮々(きゅうきゅう)として、貴族や豪商たちの挨拶に、お辞儀したり、微笑んだり、受け答えたりしていた。


「恵みこぼれ垂れる月に、ルイアナ王女様の麗しい花のかんばせを拝見できまして、恐悦至極の至りでございますよ」


 ある人が言った。


「――まあ、そのような気遅れる賛辞は、恵みこぼれ垂るるアリムアンナにこそ、向けてほしいものですわ」

「さようでございますな。もっとも、寛容なることで知られる、我らが母なるアリムアンナは……」

「これは、王女殿下。この前はお庭にご招待いただきまして、まこと夢のような時間を過ごさせていただき、ありがとう存じます」

「――ありがとう。私こそ、あなたの美しい庭にお招きいただいたお礼を、いつかお返ししたかったのよ。あなたのご忠告に従って、工事するに、少し気をつけたのが、早い完成につながりましたわ」

「ほう、それはぜひ詳しくお聞かせ願いたいものです」


 ルイアナ王女 (カロン)に声をかける人々は途切れることがなく、引きも切らずにやって来る。

 カロンは声が飛んでくる度に、ドキッとして顔を向けた。


「殿下!ご尊顔を是非!こちらへ向けていただきとうございます!」

「まあ、あなた……」


(…誰だったかしら……)


「殿下!こちらの家にいらしたのですね!いやはや、ハセ殿の宴席に招かれていたのですが、こちらに先に顔を出して正解でしたな!」

「まあ、本当に、運のいい巡り合わせで……」


(……あなたも誰なの…?)


「殿下。パルムの人がおりますので、ぜひあちらで話にお加り願えませんか。パルムの美しい建築、園芸について聞けますぞ」

「まあ、それは願ってもない幸運というものだわ。ぜひ参加させてくださらない」



 カロンは、場の熱気のせいだろうか。

 いや、焦りや恐れから、次第に上ってきた熱にやられて、顔を赤くして、首元には汗をかいていた。

 いつ誰が不審なまなざしを向けてくるかと、ずっと冷や冷やしどおしだった。


 ルイアナのように落ち着きをもって答えるなど、はなから無理だった。

 目はあちこちにさまようし、受け答える声も、少し自信なさげで、弱々しかった。

 それでも、徹底して事前に考えて詰め込んだ答えは、始めのうちは身を守る盾になってくれた。


 だが、次第にその盾の塗装も剥げて来て、骨組みばかりになって、貧弱な内をさらけ出しつつあった。


「――殿下?どうかされましたか。お顔の色がよく……」

「本日はお具合が優れないように見受けられ……」

「ことのほかお言葉も弱々しく……」


 カロンは人の波に囲まれながら、目の回った顔を押さえ、必死に答えようとした。


「……いいえ、なんでもありません。…ただ、少し人の熱に当たったようで……」


 体とともに、言葉も震えていた。恐ろしさだけでなく、焦燥からも震えているのだった。

 なんとかうまく答えねば、平静を装わねばならないと思うほどに、いつもルイアナの面にある冷涼さ、泰然とした気品は、いくら同じ化粧で覆われていても繕えるものではなかった。


「――殿下。失礼を」


 人の波から侍女の…ルイアナの袖が伸び、カロンの体にそっと触れた。


「――こちらへ。あちらの陰で涼まれてくださいまし。熱に当たられたのでございましょう。どうぞ、休まれてくださいまし」


 周りの人々はあれこれ言って、ルイアナの体調を気遣って、ぜひとも休むようにとそちらへ送り出した。




 …カロンは情けない気持ちで、少し日陰になった場所で寝椅子に横たわり、休んだ。

 ルイアナは何を考えているのか分からぬ顔で、どこからか借りた椰子の葉の扇で、カロンをあおごうとした。

 セヌーンが慌ててその手から扇を取り上げ、カロンをあおいだ。


「…いくらなんでもそれはお止めください。――具合はいかが?」


 カロンは布を深くひきかぶって、顔を隠しながら横たわっていた。

 セヌーンの声にうなずいて、大丈夫だと示した。


 喧騒は遠くにあり、時々慌てたように通り過ぎる家の召使いたちの他には人気(ひとけ)もなかった。

 カロンは小さな声で呟いた。


「……申し訳ありません。うまくいきませんでした」


 ちらりと隙間から覗くと、ルイアナのいたわるような労いのまなざしがあった。


「何を言っているの。とっても上手くいってよ」

「……そうでしょうか」


 召使いが通る気配があったので、ルイアナは少しの間口をつぐんだ。それから答えた。


「…ええ。とっても。想像以上にあなたはよくやってよ」


 その温かいまなざしと声音に癒されて、カロンは情けない表情のままだったが、ようやくうなずいた。




 ――早々に退出し、帰りの輿の中で、カロンは少しだけルイアナと話した。

 ルイアナはじっと考えるようにどこかを見ていたので、やはり気に入らない結果だったのだと思い、カロンは恐る恐るたずねた。


「……どうされたのですか?」


 ルイアナは静かな面を巡らした。


「――ただの考え事よ」

「すみません。お邪魔を…」

「いいえ。少し思うところがあったのよ」


 ルイアナは変わらず穏やかに言った。


「いつも正面から見るのとは違う、その人の横顔を観察するという視点は、思っていたとおり面白いものだったわ」


 カロンははかりかねて黙っていた。


「興味深いわね。…けして、驕って彼らを見下すつもりはないわ。でも、いつも私は正面から答えるのに必死で、周りを一歩下がったところから冷静に見ることができないでいたのよ。それをするいい機会だったわ」

「そうなのですか…?」


 ルイアナほど冷静で、常に一歩引いたところから人を観察できる落ち着いた人があるだろうか、と思っていたカロンにとって、それは意外な言葉だった。


「何がお分かりになられたのですか?ルイアナ様」

「彼らのまなざしの先を見ていると、やはり本当にはそこに私はいないのだと痛感させられるわ。…それでも、それはルイアナ王女でもなくて、ジョザンスキムのすぐ上の姉でもなくて、父上の娘でもない、よく分からない存在だということしか、分からなかったわ」

「はあ……」

「一体私に必要なものというのはなんなのかしら?出しゃばることでもなく、わざとらしく控えすぎることでもなしに、人々に役立つ存在であれ、善良なる娘であれと願う、人々のその心とは、真意などというのは、どこにあるのだと思う?カロン」

「……私には分かりませんが、ルイアナ様。私があなた様になっていつも思うのは、本当に(とうと)いお身の上だということでございます。色んな人からお慕いになられ、頼みにされておいでで、いつもそれにふさわしく振舞っていらっしゃいます。本当にそれというのが、すごく難しいことで、稀なことで、素晴らしいことです。ルイアナ様」


 ルイアナはふっと静かな表情を崩した。


「――そうね。私の位にふさわしく、常に(たっと)く清らかに、また強くあれ、と振る舞うしかないということのみが、今のところ分かっていることね。そして、きっとそれで十分なんでしょうね」


 輿は館を指して帰路を進んでいった。


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