表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

3 タクシードライバー

 困ったことだ。

 胸の前に掲げたウェルカム・ボードの端をポンと叩いてみる。

 彼の客が乗ったはずの到着便は、ずいぶん以前に到着している。入国手続きに、こんなに時間がかかるはずもない。だが、彼の携帯電話には、何の連絡も無い。

 そろそろ現地のエージェントに問い合わせてもいい時間か……。

 今日の客は、初めての客。それも個人の客ではあるが、正式にエージェント経由で予約してきた。

 キャンセルの通達も来ていないのに、この場を離れるわけにもいかない。

 とりあえず、きつく締めたネクタイを指先で少し緩めてみた。 入国ゲートからはまた、ぞくぞくと外国人たちが大きなスーツケースをカートに乗せて踏み出てくる。一通りやり過ごすと、人波が途切れつつあった。他者と距離を置くように、ゆっくりとした足取りで一人、長身の外国人青年が姿を現した。

 柔らかく渦を巻く毛先の、艶やかな金髪の明るさが目を引いた。ロングコートの下には、光沢のあるしなやかな生地のスーツが伺える。ビジネス・スーツとは思えない、カジュアルな出で立ち。知性と若さある気楽な旅行者に、遠目には見えた。

 手には角張った大きなスーツケースと、厚みのある遣いこんだドクターズ・バッグ。

 ……医者か……?

 !

 目があってしまった。息を飲む。

 この稼業をはじめて、いろんな人間を見てきた。タクシー・ドライバーなど、労働時間は不規則で、気苦労も多い。個人タクシーへと独立してからも、それは代わりなく。昔は、よく客と喧嘩もした。そんな血気盛んな気性も、髪に白いものが混じり始めた今は、忍耐もうまく交わす話術も身につけていた。

 昔の度胸のよさが、外国人客相手でも腹が据わって片言の英会話でも対応できた。そんなことを何度か繰り返すうち、当の外国人客から仲介業者を教えられ、代理人エージェントからの紹介もこなすようになっていた。

 そんな自分でも、この男の視線には怯んだ。陽性の印象の中で、唯一、人を拒絶する視線の凍えた色。その間逆さに目を引かれた。

 だが、向こうから逸らし、通り過ぎて行く。

 溜め息を付いて、背筋に冷たい汗が浮いた自覚を拭った。

 懐で、携帯が鳴った。

「……ええ。では、……仕方ありません」

 エージェントからの電話だった。今頃。小一時間も無駄にした。客は、行き先を変更し、関西空港に向かったという。

 ウェルカム・ボードを二つに折り畳み、踵を返した。

 タクシー・プールに向かう。手ぶらで都内に引き返さなければならないのは、全くの無駄だ。だが、こんな日もある。そう自分を宥めた。

 タクシー乗り場に出る出入り口には、あの長身の姿があった。

 背の高い外国人は珍しくない。だが、長髪のやや細身な後ろ姿は、泰然と伸びた背筋。均整の取れた美しさは目を引いた。

 外を眺め、ためらうように佇んでいた。

 成田上空は晴れだった。都内は、午後からは雨の予報。余計、気が重い。適当に都内を流して、雨に追われる客でも拾おう。

「タクシー・ドライバー……?」

 声を掛けられた。癖のない発音だと感じた。とても機械的な。

「……イエス……」

 青年は、肩越しに顔だけをこちらに向けていた。

 鼻梁と頬骨が高い。顎の線が男性的な、端正な顔立ちだった。

 スーツケースから左手を離し、軽く右手で叩いた。

 任せた、とのジェスチャー。主従関係が成立したらしい。

 スーツケースを手に、青年の前に立った。

「どうぞ。……プリーズ」

 やや気圧され、英語で言い直していた。

 トランクにスーツケースを納め、運転席に。後部座席の男は、コートを脱いで窓の外を眺めていた。

 ヨーロッパからのロング・フライトの客なはずだ。長旅の疲れからか、顔色はあまり良くない。

「どちらまで?」

 助手席に帽子を置いて、シートベルトを締めながらバック・ミラーで青年を伺う。

 始めてそのことに気付いたように、ミラー越しにこちらを見返す。一度目を伏せ、思いついたように内ポケットから手帳を取り出す。手帳、ではなくパスポートだった。

「……」

 懐に戻し、一度顎を引く。

「……都内、で宜しいですか?」

 ふいに、青年が目を上げた。

「メリディアン・ホテルに、お願いします」

 自分の耳を疑った。迷っていたようだったのに、はっきりと答えてきた。それも、最初に声を掛けてきたのとは打って変わった、柔らかい声。

「かしこまりました。では、高速道路を走行いたしますので、シートベルトをお願い致します」

 シートベルトを締めると、青年は目を閉じシートに体を預けた。

   

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ