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僕と世界と僕の世界

作者: あぎょう

ジャンルは一応SFですが、内容はそんな難しくないと思います。20分程度で読めると思うので、ひまつぶしにどうぞ!

【1】


今日もまた、つまらない一日が始まる。

日本国東京都第四十六番高等学校。一年二組の朝のホームルーム。少年、三十日只人(すえつきただと)はそう思い、いつものように深いため息をつく。それは、教壇で連絡事項を述べる先生に聞こえるほどはっきりしたものだった。

「どうした三十日。悩み事か?」

 心配そうな言葉で、しかし、どこか小馬鹿にしたような言い方だった。周囲の生徒も皆、にやにやと憎たらしい笑顔を彼に見せる。

 いつもの事。彼は慣れていた。

 そこで、一人の男子生徒が挙手して、大袈裟に。

「せんせーい! たぶん、三十日君は新しい『セイフク』を買うお金が無くて、悩んでいるんだと思いまーす! ほっといてあげてくださーい!」

 ドッと教室の中に笑いが起こった。

 事実。その教室で彼だけが制服でなく、私服だった。

Gパンに白のTシャツというスタイル。しかし、ほつれた個所は何か所もあり、薄汚れ、ダメージジーンズでもないのに、穴がいくつも開いている。

 しかし、問題なのはそんなことではない。

 問題なのは、その教室で彼だけが私服。つまり、生徒だけでなく、先生までもが同じ制服を着ているという事実だ。

 空色の学ラン。背中には、『W』と大きな刺繍がなされている。

「ハハハ! カワイソーだから恵んでやるよ。ほら!」

 後ろの席の男子生徒は、三十日の背中ごしにあるものを投げた。

 一円玉である。チンと机の上で金属音。

「プハハハ! 電子マネーのこの時代に一円玉かよ! よく持ってたなー!」

「逆に貴重じゃねぇ!?」

 再び、教室に笑いの嵐が起こる。そんなあからさまなイジメに対し、先生は何も言わない。それどころか、一緒になって笑っている。

 仕方ない。世界はそのように作られている。

 それでもこの状況は、三十日にとって我慢ならなかった。彼はその一円玉を手に取り、勢いよく椅子から立ち上がると、

 バチン!

 後ろの男子生徒の額に叩きつけて返した。

 それは軽い掌底のような形だった。辺りが静まりかえる。

男は額に一円玉の赤い跡を残し、怒りにひどく睨み付けた。三十日は冷ややかな、濁った眼で相対し続けた。


 ビタン! という感触の悪い音とともに、三十日はリノリウムの床に倒された。

 ホームルームの直後。男子トイレの中で、三十日は三人ばかりの男子生徒に囲まれている。その中には、三十日に反撃された男の姿もあった。

「おまえ。いいかげん身の程をわきまえろよな。」

「うぜえんだよ。貧乏人!」

 罵りながら、男たちは三十日を足蹴にする。三十日は両手で急所だけは守るようにしていた。

 これが、三十日只人にとっての日常であり、世界だった。

こうなることは分かっていながらも、三十日はいつも反抗してしまう。その原因は、この世界の成り立ちと、彼のどうしようもない人格によるものだった。

 この場合は、相手が疲れるか飽きるまで耐えしのげば良い。自分の心を空っぽにして、ひたすら耐えれば、それで済む。傷つくのは、体だけで済む。

 しかし、その日だけは違った。

「おい。」

 突然。男子生徒達の後ろから声がかかった。一人の男が振り返った瞬間。

 鈍い打撃音と共に、男の体が宙を舞った。後ろの何者かに何らかの攻撃を食らったのだ。

「…………!! て、てめえ!!」

 他の男子が拳を振り上げる。しかし、その何者かはなんなくそれを受け流し、顎に肘鉄をぶつける。

 あっという間に男二人が床に沈んだ。そこで三十日はようやく、その正体を見た。

 女子。長い黒髪をポニーテールにした、同年代の女子。しかも、ホットパンツにデニムのベストという姿。

三十日と同じく、私服である。

 最後に残った男。三十日に一円玉を渡した男はひどく動揺しているようだった。その女が鋭い眼光で睨み付けると、男は「ヒィ!!」と小さく悲鳴を上げて逃げようとする。

しかし、女は見逃さなかった。一瞬。高く宙を跳び、そしてダイナミックな延髄蹴りを決めたのである。

 声もなく崩れ去る男。女は華麗に立ち振る舞い、その男を見下した。

 三十日は突然の状況の変化に、呆然としていた。そこで、女は三十日に対して手を差し伸べた。

「大丈夫?」

 先刻とは一変した、優しい笑顔を見せた。三十日は少し戸惑いながらも手を取り、立ち上がった。

「まさか、まだ君のような人が居たなんてね。」

「あの………あなたは一体……?」

 助けられた礼もよそに、思わず三十日は訊ねた。

 無理もなかった。この学校で   否、この国で私服のまま生活するものなど、ほぼ皆無のはずなのだから。

「ほとんど登校してないけど、一応、君の先輩。三年三組の陽昇寅子(ひがしとらこ)よ。三十日只人君。」

「? なぜ、僕の名前を……?」

「フフフ……今の世界でそんな恰好をしていれば、嫌でも目立つわ。そこでね、三十日君。」

 陽昇はまっすぐ三十日を見据えて、言い放つ。

「私達と一緒に、世界を変えてみない?」


【2】


制服には、グループの連帯感を強めたり、意識を共有するという働きが期待されることがある。これに目をつけた一人の男がいた。

日本国男性。浦場仁。世界平和を誰よりも強く願う者だった。

そんな彼があろうことか目的としたのは、全人類に同じ服を着せるということだった。

同じ目的の人間同士が制服を着るのならば、その逆も然り。皆が自分と同じ服を着ることで、『世界平和』という共通の目的を持つようになると、彼は考えたのである。全人類が制服を着ることで、国家間や人種間の境を見かけ上曖昧なものとし、あたかも同じグループであるように錯覚させることも狙いだった。そうすることで、紛争や戦争が限りなく少なくなると考えたのである。

実際、日本や中国では、意思共有化のため、太平洋戦争の時代に国民服が普及していた例があるものの、そんな絵空事が実現することなど、誰もが思わなかった。

しかし、浦場仁はそれを実現した。

初めに彼は、人類平和促進組織『ワールド』を設立した。『人類みんな空の下』の合言葉から、服の色は空色。『ワールド』の頭文字から、背中に大きなWの刺繍がある制服-----世界共通衣服。『セイフク』を開発・促進した。

初めは家族単位の、ほんの小さなグループだった。しかし、彼は生まれ持ったカリスマ性で人々を先導し、力説し、洗脳して、『セイフク』グループの規模をみるみると大きくしていった。ある程度の資金が貯まると、彼らは無償で『セイフク』を配ったりもした。人々は何気なくそれを着るうちに、無意識のうちに、同じ『セイフク』を着る他者との連帯感が生まれ、浦場らの狂信的なグループに何の疑いもなく加入することになったのだ。

さらに、浦場自身も想定していなかった、『セイフク』の恐るべき効果があった。

『セイフク』によって他者との目的を共有しようとするあまり、人々は多数派の意見を優先するようになり、逆に少数派を排斥するような風潮が流行り始めたのである。

 他者に流され、共有の意思の元行動し、その結果絶望に貧したとしても、共有者が居る限り恐怖は無い。そう考えて、己の意思を放棄し、他者と同じ意思に依存する。  

心理学的なものなのか、制服はそういう人間をも生み出す効果があった。意見の対立があった場合、何の不満もなく多数派に移り、結果争いは少なくなっていく。いわゆる、完全な民主主義制度が、自然に人々の心の中に組み込まれていったのである。

こうして、少数派である『私服』は多数派である『制服』へと移り変わり、家族単位から町単位、都市、国、そして、世界中に、ゆっくりではあるが着実に、その規模を広げたのである。

 結果、浦場の思惑通り、戦争は徐々に少なくなっていった。全世界の人間が、浦場と同じ『世界平和』を願うようになり、全ての争いは、多数決で解決するようになった。

共に不幸になり、共に幸せになり、共に勝ち、共に負ける。そういうシステムが無意識のうちに組み込まれたのである。

そうして、『ワールド』発足から三〇年が経過した現在、人類の九割九分が『セイフク』を着用していると言われている。『ワールド』は、人類史上初めて世界平和を実現した組織として崇められ、全世界の治安・流通・経済を管理し、統制する組織へと進化した。

これが世に言う、『人類統一計画』の全容である。


「さあ、着いたわよ」

 とあるビル街の路地裏。腐臭漂う暗影に、三十日は連れてこられていた。彼らの学校から電車で二〇分ほどの場所である。

 あのまま学校に居続けるのは気が滅入るし、かといって帰っても暇なだけ。何より、彼女の言葉に惹かれたのが、彼がこの場にいる大きな理由だった。

 陽昇は周囲を警戒しつつ、コンクリートの地面にしゃがみ、ある部分をタッチする。すると表面がスライドして、小さなタッチパネルが姿を現した。彼女はそれにパスワードらしき文字を指でなぞって描く。するとその横で、さらに大きなコンクリート壁が近代的な電子音と共にスライドして、小さな階段が現れた。

「狭いから気を付けて」

 呆然と驚く三十日を後目に、陽昇は階段を下る。三十日は黙って後に続いた。

 しばらく、暗く狭い道を通る。その先に扉があり、陽昇は手持ちのカードキーでもって開錠する。かなりセキュリティシステムが充実しているらしい。

 そして、扉が開かれた。

 中はコンクリートでできた小さな部屋だった。温度・湿度調整器があるところから、元地下倉庫であったことがうかがえた。机と椅子が数個。壁にはライフルや火器類の武器が立てかけられている。何人かの人間が武器の手入れをしたり、地図を広げて真剣に話し合っていたりと、物々しい印象を受けた。

 しかし、それよりもまず、三十日が異様に思ったのは、全員が私服であることだった。

 約三〇年前の衣服。三十日と同じく、いたるところにボロがきていて、明らかに新品ではない。

「やあ陽昇。後ろの子は……もしかして彼氏かな?」

 部屋の奥。どっしりと木椅子に構えた初老の男性が、戯言めいて言う。ふくよかな体つきで、皺だらけのにっこりとした笑顔。好々爺といった印象だった。

「からかわないでください、リーダー。前に話した、学校の後輩ですよ。」

「ああ、その子が例の……。うん。ちょうどいい。集会もかねて、皆に紹介しようか。」

 と言って、彼は部屋のメンバーを一カ所に集めた。全員の視線が集まることに、三十日はやや緊張する。

 男はコホンとひとつ咳払いすると、高らかに言う。

「えー。今日からここのメンバーの一員となる、三十日字人君だ。みんな、よろしくな!」

 他メンバーが歓迎の拍手を送った。しかし、それに対し、三十日は動揺していた。

「ちょ、僕、そんなことは一言も……!!」

「んん? そうかい? その身なりからして、てっきり我々の同志だと思ったのだが………君、『人類統一計画』をどう思っている?」

「え?」

 突然の設問。彼は少し戸惑いながらも考え、言葉に出した。

「ぼ、僕は……今の人類が、統一されているだなんて思ったことは、一度もありません。確かに、皆が同じ服を着て、同じ意見と考えの元に行動して、世界は平和になりましたが、僕にとってこの世界は地獄に他ならない。自分を押し殺して、自分を見失って、他人に合わせることのみを目的とする。そんな世界に変えたのは、全てあの男のせい。あの男が……浦場仁が、変えてしまった。『セイフク』という兵器を使って、自分の理想の世界に作りあげた。それは僕にとって、統一というよりは、まるで-----」

「『征服』」

 男は、その言葉の先を読む。三十日は驚き、目を剥けた。

 男はニカリと白い歯を見せて笑った。

「我々も同じ考えだよ。君のようにへそ曲がりで、個人主義者で、意地っ張りな輩の集まりだ。そして、そんな変えられてしまった世界を、元に戻そうと戦っている。今の世界平和をぶち壊したいと願っている。君も、同じだろう?」

「……………」

 三十日は困惑しながらも、周りを取り囲むメンバーを見る。

 笑っている。自分に対し、微笑みかけている。

 何年も、そんなことはなかった。

 三十日がこの世界をおかしいと思い始めたのは、中学二年生の頃だった。全員が同じ服を着て、大多数の意見に流される。幼い頃からあるお決まりのようなシステム。自我が芽生え始めたその頃、世界の不自然さに彼は気づいた。その気持ちは日を追うごとに増していき、ついに彼は『セイフク』を脱ぎ捨てたのだ。

 そのころからだった。友人や両親の、周りの人間の見る目が恐ろしいほど冷たいものに変わったのは。

 家を飛び出し、東京で一人暮らしを始め、高校に通い始めても、それは同じだった。周りの人間が自分を見る目は、同じ人間を見る目ではないように思えた。

 だから心を閉ざした。世界から目を背けて、自分だけの世界の中で生きた。

 だけど、目の前にいる彼らは世界を変えようと、目をそらさずに生きている。自分達を世界に合わせるのではなく、世界を自分達に合わせようとしている。

 そして、自分を仲間だと言ってくれる。

 三十日の目頭に熱いものが寄せた。彼はうつむき加減に、コクンとうなづいた。

 男はニカリと笑う。

「決まりだな。僕の名前は帆反倉吉(ふなでくらよし)だ。」

 初老の男。帆反は三十日に手を差し伸べる。

「ようこそ。反制服組織、『マイセルフ』へ!」


【23】


反制服組織『マイセルフ』

 世界にわずかに現存する、『ワールド』の抵抗分子のひとつである。そこには、日本中から『ワールド』の主義を絶対的に否定する者たちが集まっていた。

 しかし、その数は三十日を含めて、わずか二十三人。『ワールド』の『人類統一計画』は日本から発起したため、その影響力は他国よりはるかに大きく、今の世界に否定を唱える者はほとんど存在しないのである。三十日は、こんな小さな力で、世界を束ねる巨大組織に立ち向かうのは無謀に思えた。

 しかし、彼らには作戦があった。

「いいか。二か月後の、世界演説の日が勝負だ!」

 週に一度の集会。いつにも増して帆反は言葉に力を込める。

「普段は滅多に人前に姿を現さない浦場だが、毎年恒例の、全世界同時中継の演説だけは別だ。今年はこの日本で行われる。暗殺には絶好のチャンスだ!」

 世界を変える。つまり、『ワールド』を瓦解するには、そのリーダーを消すのが最も効率的な手段である。『人類統一計画』が成り立ったのは、彼のカリスマ性による部分が大きい。彼さえいなければ、『ワールド』も自然に崩壊していくと考えたのである。

「当日、何が起こるか分からない。各自、現地の地理状況をよく把握し、あらゆる状況を想定しておいてくれ。傍聴班はひき続き情報の収集。非戦闘員も、日頃の鍛練を怠るなよ。」

 

 それから、三十日の生活は一変した。

 学校へは登校せず、一日中戦闘訓練を行う日々が続いた。しかし、不思議と辛くはなかった。ここには自分を蔑む者や否定する者は一人もいないからだ。

この時、間違いなく三十日は幸せだった。これまで空虚で、長く感じていた一日が嘘のように、あっという間に過ぎていった。同年代の者は陽昇以外にいなくて年長者ばかりだったが、そんなことは関係なかった。

全員が仲間であり、家族のようだった。


 そんなある日のこと。

三十日は訓練室にて、一〇メートル程離れた的に向け、小型銃を発砲していた。六発連続の発砲。しかし、的の端にしか当たらない。

「精が出るわね。」

 後ろから声をかけられて、三十日はゴーグルを外して振り返る。

 体操服にブルマという容姿の陽昇寅子がいた。

「……今日はまた、おかしな格好ですね。陽昇先輩。」

「失礼ね! こういうファッション! 数十年前は流行ってたんだから。」

『マイセルフ』のアジトである地下倉庫は拡張されていて、訓練室と談話室、それから衣服工房が存在する。陽昇が着ているような新しい服は、ここで作られているものだった。

「それにしても下手くそね。無反動銃なんだから、子供でも扱えるはずなのに。」

「わかってますよ。だからこうして練習してるんじゃないですか。」

 三十日は再び弾丸を装填して、両手で構えて発砲する。しかし、今度は的にすら当たらなかった。誰でも輪ゴム鉄砲のような感覚で撃てるのが無反動銃の利点であるが、三十日は全くもって狙撃の素質が無かった。

「ちょっと貸してみなさいよ。」

 陽昇は三十日から銃を奪い取ると、片手だけで撃鉄を起こし、引き金を引く。残り五発。全て的の中心位置に命中した。

「せめてこのくらいできないと、実践じゃ役に立たないわよ。」

 と、銃を返す。肉弾戦を得意とする彼女であるが、狙撃の腕前もなかなかのものだった。

「実践って言ったって、僕が暗殺する訳でもあるまいし……練習して、意味あるんですかね?」

「だからリーダーも言ってたでしょ? 当日、何が起こるか分からない。もしかしたら、このアジトの場所がばれて、襲われる可能性だってあるんだから、防衛手段として身に着けておきなさい。」

 念を押すように、彼女はそう言った。

「さあ、続けて。私がコーチしてあげるから。」

 そうして、マンツーマンの狙撃訓練が行われた。

 陽昇はあいにくスパルタコーチで、腕の筋肉が悲鳴を挙げる程の猛訓練だったが、彼はこれまでにない充実感を感じていた。

 正直、彼は人を殺す覚悟などは無く、目的意識も希薄だった。しかし、学校の部活のように、複数人で一緒に、同じ目標に向かっている。それだけで、心が安らぐ気がしたのだ。

「どうして陽昇さんは、『マイセルフ』に入ったんですか?」

 一息ついて腰を下ろしているとき、ふと三十日は、横に座る陽昇に訊ねてみた。

 ここにいるメンバーは、ほとんどが計画発端前や直後の世代。三十代や四十代の者ばかりである。生まれた時から計画に染められた三十日達の世代で、『セイフク』に反旗を翻すものなどは皆無である。よほどのひねくれ者でない限り。

 陽昇は缶ジュースを一口含むと、語りだした。

「私、オシャレに興味あるのよね。」

「オシャレ……ですか?」

「そう。パンク系にゴスロリ系、ガーリッシュ系にBガール。昔のファッション雑誌を読んでね、こうなりたいなって思ったのがきっかけ。今の世界じゃ、そんなの無理でしょ?だから、ここに入ったの。リーダーに直接スカウトされてね。」

 『人類統一計画』が推進されるにつれ、ファッション業界は衰退してしまっていた。職業や年齢、環境によって多少の差異はあれど、どれも似たようなもの。毎年、新しい『セイフク』デザインが新商品として販売されるものの、全部同じ色に同じマーク付。とてもオシャレなものとはいえない。

 彼女の女の子らしい回答に、三十日は意外に思った。陽昇はそれを悟ったようで。

「らしくないとか思ってるんでしょ?」

「え? い、いえ! そんなことは……」

 三十日が視線をそらしてごまかすものの、陽昇はじっと睨みつける。

「ふん。別にいいわよ。どうせ私は、男勝りよ!」

 頬を膨らませて、ぷいっと冗談っぽく顔を背けるが、その後、にっと笑った。

「でもいつか、皆が驚くような服を着飾って、大手を振って街を練り歩く。それが私の夢。そのためなら、どんな犠牲も惜しまないつもりよ。」

 力強い瞳でそう語る少女は、三十日には輝いて見えた。

 その時だった。

何の前触れもなく、それは起こった。

「青春だな。少年少女よ。」

 低く、それでいて良く通る、ダンディーな声質。

それは彼らにとって聞き覚えのある声だった。否。彼らのみならず、全世界の人間がその声の主を知っている。毎日のようにテレビに現れる、その姿を知っている。

『ワールド』の総統。浦場仁がそこにいた。

「なっ……!?」

 三十日は突然の出来事に身動きすらとれなかった。一瞬遅れて、陽昇は身構える。

 完全に想定外な現象だった。最終目標が今、たった一人で、『マイセルフ』のまっただ中にいる。ありえないことだった。

「ど、どうして、ここに……!?」

 陽昇は拳を構えて、動揺しながらも浦場と相対する。

 帆反と同じ年代ほどの初老の男性ながら、その瞳は鋭く、髪も薄い白がかかる程度で、若々しい印象があった。当然、『セイフク』を着用している。無表情のまま、浦場は彼らを見つめ続ける。

 そして

「………プッ。アハハハハ!」

 唐突に、笑い出した。

 腹をかかえて、大声をあげて笑う。その陽気な様子は、彼らの知る浦場では無く、二人は首をかしげる。

「ハハハ……僕だよ。僕。」

 そう言って、首のうなじ部分を人差指で押した。すると一瞬、通信状態の悪いテレビ画面のように顔が激しくぶれ出した。その直後。

現れたのは、『マイセルフ』のリーダー。帆反倉吉だった。

 ぽかん。と口を開けて驚く二人。

彼の首には、緑のランプが点滅する金属の首輪があった。帆反はそれを指して言う。

「これ、ホログラム催眠変装装置って言うんだけどね。全方向の顔写真と声紋データがあれば、その人そっくりに変装できちゃうんだ。顔のホログラムで装着者の顔を覆って、振動子で声質を変える。装置自体や不自然な部分は、周囲に特殊な電磁波を送ることによる催眠効果でごまかすんだって。あいにく、バッテリーが一時間しか持たないうえに、体型はごまかせないから、あまり使えないかもしれないけどね。」

 まるで子供のように笑って説明する帆反。落ち着いて良く見ると、彼の体格は浦場を装うにはあまりにも太っていて、背も高い。丁度、三十日と同じくらいの体格のはずである。

三十日は安堵のため息をつき、陽昇は頭に血管を浮き上がらせた。

「な、何考えてるんですか! 全く! 寿命が縮まりましたよもう! イタズラとはいえ、『セイフク』まで着ちゃって!」

「ははは。ごめんごめん。一度、誰かに試したくてさ。」

 笑いながらそう言って、どっこいしょ、と彼らの前に腰を下ろした。

「それで? 何を話してたんだい? もしかして、コレかい?」

 小指をピンと立ててみせる。

「リ、リーダー! いいかげんにしてください! セクハラですよ!」

 陽昇が顔を赤くして声をあらげる。帆反は笑い飛ばすばかりで、真面に受け入れたりしなかった。

「まあまあ。いいじゃないか。おじさんも話に混ぜてくれよ。若いエネルギーが羨ましいんだよ。」

 やけに年寄をアピールするリーダーだった。

しかし、それならそうとこの際、聞きたかったことを聞こうと三十日は思った。

「あの……そのホログラム催眠変装装置もそうですけど、このアジトにある武器や兵器って、どこから手に入れたんですか?」

 ただの民間人が設立するには、この施設は充実すぎた。そこらの軍に勝るとも劣らない兵器と武器。『ワールド』によって世界中で武器の所持が禁止されている現在、ただの一般人では、例え金があっても絶対にそろえられないものばかりだった。

「ふ~ん。それを聞いちゃうか。いやらしいなぁ三十日君は。」

 帆反はあくまでふざけて、陽気な様子だった。

 そして、一息置いて言い放つ。

「その質問に答えるにはまず   僕が元『ワールド』であったことを伝えねばならない。」

「え………!?」

 三十日は思わず声をあげて驚いた。あまりにも予想外な事実だった。

 さらに彼は、衝撃の事実を伝えた。

「そして、『ワールド』総統、浦場仁は、僕の古い友人だ。」

「!!……浦場仁が……リーダーの………!?」

 事実を飲み込むように、反芻する。陽昇は知っていたようで、少し悲しげに顔をうつむかせていた。

「ああ。そもそも『ワールド』は、僕と浦場が大学でサークル感覚に設立したものだったんだ。世界平和を願う、ボランティア集団ってところさ。全世界の人々に同じ服を着せるっていう浦場の考えは、冗談でしか受け止めていなかったけど、あいつは本気だった。始めは小さな規模だったのが、まるでウイルスのように、その勢力を広げていった。気づいた時には、もう手のつけられない状況だったよ。」

 帆反は思い出にふけるように、懐かしそうに当時の状況を語る。

「そして五年前、とうとう僕はあいつの考えについていけなくなり、『ワールド』を抜けた。例え平和になろうと、人々が己の意思を尊重できないような世界は、認めるわけにはいかない。だから、脱退する時に、『ワールド』のみが所持する最新兵器をいくつか盗んできたんだ。あいつの暴走を止めるためにね。」

「……………殺してでも、ですか?」

 三十日は言いづらそうに訊く。帆反は固く目をつぶった。

「とっくの昔に覚悟はできているさ。浦場の存在を消す以外、この平和をぶち壊す方法は無い。同志を集め、金を集め、ここまでくるのに五年かかった。世界のためにも、皆のためにも、あいつを止めなくちゃいけないんだ。親友である僕しか、止められない。」

 帆反は固い決意を秘めた眼で、そう語った。

しばらく、沈黙が流れてから、帆反はフッと鼻で笑う。

「つまらない話をして悪かったね。君たちが気に病むことは無い。君たちが今やれることを精一杯行えば、それでいい。」

 と、立ち上がろうとする。しかしそれより先に三十日が立ち上がり、帆反に手を差し伸べる。

 まっすぐな目で、帆反を見つめた。

「話し合いましょうよ。まだ間に合うはずです。親友ならばなおさらです!」

「そうですよリーダー! 平和的に解決するのが一番ですよ! 」

 彼の心情を読み、必死に説得する彼らに、帆反はしばらく呆気にとられる。

そして、クスリと笑った。

「? 何がおかしいんですか?」

「いや……少し思い出してしまってね。こんな風に手を差し伸べられるのは、昔は何度もあった。握手は浦場仁の、癖のようなものだったから。」

 と、帆反は三十日の手を取り、立ち上がる。

「ありがとう。君たちの言い分はもっともだ。誰も血を流さずに済むならそれが一番だ。だけど、何の代償も無しに得られるほど、僕達の理想は小さなものじゃないはずだ。」

 そう言ってその場を離れる帆反。扉の前で振り返って言い放つ。

「期待してるよ。三十日君。陽昇君。君たちが、新しい時代を生きていくんだから。」

 爽やかに微笑んで、そして扉の閉まる音が聞こえた。

 これ以上ないほど、虚しく感じた音だった。


 それからというもの、三十日は心の底に何かわだかまりを残した日々が続いた。

 かつての親友が、親友を殺す。それは明らかにバッドエンドであって、世界を救えたとしても、帆反の心は救えない。一生、心に深い傷跡を残す結果になるだろう。

 それでも、帆反の意思は固かった。作戦の日が近づくにつれ、工作活動が活発になり、帆反の指示や言動にも熱が入った。絶対に成功させる。そんな強い意思が伝わった。

 でもそれは、嫌な事を忘れているように、必死になっているようにも見えた。それに、時折三十日に対してもらす、昔の話   浦場と過ごした日々について懐かしそうに話す様子が、さらに三十日を不安にさせた。歩く時に大きく腕を振り動かす癖があるとか、分け隔てない性格とか、柿とようかんが好物であるとか、どうでもよい話を漏らしていた。

 『マイセルフ』のメンバーは全員、帆反の事情を知っていた。知っていながらも、彼らは自分のできることを、一生懸命取り組んでいた。

 結末が悲劇で終わるのならば、せめてさらなる悲劇を起こさないように。

 そして、運命の日がやってきた。


【1】


 七月二十一日。『ワールド』総統。浦場仁の世界同時中継演説の日。

 東京から少し離れた関東区に、『ワールド』の総本山である『ワールドシティ』と呼ばれる都市がある。世界最高の高さを誇る『ワールドタワー』を中心とした巨大な敷地。そこはイタリアのバチカン市国のように、日本国の中にある独立国家であり、『ワールド』関係者以外は立ち入り禁止となっていた。

しかし、世界同時中継があるこの日だけは一般開放となっていて、浦場の演説を聴くため、全世界から人々が集まる場所となる。人々の浦場に対する評価は、人類史上初めて世界平和を成し遂げた男。世界の英雄と言っても過言ではなかった。浦場のたった二時間の演説を聴くために、毎年開催地が変わっても、何万人もの人間が訪れている。

 しかし、彼ら------『マイセルフ』に限っては、決してそんな目的ではない。

「とうとうこの日がやってきた。皆、覚悟はできているな。」

 演説十二時間前、まだ日も昇らない深夜三時。アジトの中で、改めて意思を固めるように、帆反は問う。そして問うまでもなく、全員の気持ちは一致していた。

「これから人ごみに紛れて、目的地へと向かう。なるべく目立たぬよう、あらかじめ決まった潜伏地へ個別で向かうこと。特に遠隔狙撃班。十分に用心してくれ。」

 ライフルを構えた男達三人が「おうっ!」と意気込む。

彼らがこの作戦の要である。うまくいけば、彼らのうち誰かの一発で、暗殺は成功する。現場の『ワールド』達がどれほどの警備網を敷いているかは、諜報班の情報で明らかとなっている。ある者は『ワールド』に偽装したヘリコプターから。ある者は一〇キロ程遠く離れたビルの屋上から。『ワールド』の死角となる、絶好のポイントで狙い撃つのである。

 しかし、演説中、浦場の両隣にボディーガードが配置されることが明らかになっている。彼らによって、全ての弾丸を防がれてしまった場合、弾道から場所を特定され、狙撃手に身の危険が及ぶ恐れがあった。

そのために、敵の油断を誘う役割が必要だった。

「頼んだぞ。三十日君。君がトップバッターだ。」

 帆反は三十日の肩に手を添える。三十日の瞳に強い意思が宿った。

 三十日に特化した戦闘能力はない。代わりに、ある重大な役目を任されていた。そのため、彼だけは他の誰よりも早く目的地へ行かなければならない。

「三十日君。がんばってね!」

 スポーツブラにフィットネスパンツを着て、気合の入った陽昇が強く励ます。他のメンバーも皆、喝を入れるように言葉を与えた。全員の士気は、最高に高まっていた。

「みなさん! がんばりましょう! 幸運を祈ります!」

 三十日も心から奮起する。この日に懸ける年月は他のメンバーよりも少ないものの、ボルテージは最高潮まで達していた。

 そして、扉を開けて、手を振る仲間を背に三十日は歩みを進める。帆反はグーサインを突き出して彼を送り出した。

 後に、三十日はこの時を、心の底より後悔することになる。


『マイセルフ』のアジトから電車で一時間。三十日は無数の人ごみに押されながら、『ワールドシティ』の敷地内に足を踏み入れた。そこから人ごみに苦戦しながら、徒歩でさらに一時間。やっとの思いで、彼は演説の聴衆席へとたどり着いた。

まだ演説から十時間程も時間があるにもかかわらず、およそ一万の聴衆席の半分以上が埋まっていた。聴衆席は階段状に設置されていて、演説ステージを百八十度取り囲むような形になっている。演説席の後方。『ワールドタワー』の入口上方には、浦場を映すだろう超巨大なスクリーンがある。さらに、スクリーンつきの飛行船が何機も空を飛んでいて、都市のどこからでも浦場の顔を見ながら、演説を聴ける体制となっていた。

 三十日の所定位置は、その聴衆席の最前列。演説机の真正面だった。

 聴衆席は全て指定席となっており、彼のいるその席は、一千万円ほどの金額をつみこんで買える席である。そこまでしてでも、彼はそこに居る理由があった。指定席を買っても人ごみが多すぎて、演説までにたどり着けない可能性があったため、かなり早くに出発した三十日であるが、それから約半日も待ち続けるのは、かなり退屈なものであった。

 だからといって緊張しないわけでもなく、演説が始まる時間まで、何度も頭の中で自分がすべきことをシミュレーションしていた。

 そうして日が昇り、やや傾きはじめた午後三時。

 オーケストラによる壮大厳粛な音楽が鳴り響いて、ワールドタワーの入口から悠々と浦場がその姿を現した。その音楽を打ち消すほどの、割れんばかりの喝采がその場に鳴り響いた。

かつて帆反が変装した時のような、引き締まった顔と姿勢で、『セイフク』の標準モデルを着用している。本日の天候、青空の下、その服は良く映えた。

《全人類のみなさん。ごきげんよう。》

 第一声。深く、渋みのある声がマイク音に乗せてよく響いた。ざわつきから一変、聴衆席のみならず、ワールドシティ全体が、シンと静まり帰った。

《毎年、大勢の者にお越しいただき、誠に恐縮の至りである。私に託された貴重な二時間、決して無駄にしないよう、精一杯努めさせていただこう。》

 そんなくだりから、浦場仁の演説は始まった。

 この演説の目的は、『セイフク』による世界平和の実現がどんなに有効なものか。また、全人類が意思決定を共通化することが、戦争を回避する絶対の方法であることなどを、改めて認識させることである。浦場はアクセントをつけながら、強い口調でそれを聴衆に伝え続けた。その姿勢から、彼が心の底から世界平和を望んでいることが分かった。あまりの感動に、涙を流す者が大勢いた。

 三十日はその話など、全く耳に入れなかったものの、無感動のままだと怪しまれるため、わざと感動している振りをしていた。うんざりするような演技に耐えつつ、ただ淡々と、その時間を待ち続けていた。

 それは、演説終了五分前。警備も油断し始める時間帯。三十日は演説が終了に近づくにつれ、腕時計をチラリと一瞥しながら確認する。

 そして、四時五五分。その時は来た。

「ぐああああああ!!」

 突然、聴衆席中に大きな悲鳴が聞こえた。

少年。三十日只人が、首を両手で押さえ、苦しそうに悶えていたのである。

 演技。これが、三十日の唯一の特技だった。

 中学時代。『セイフク』を着るのが嫌になっていた時、三十日はせめて違う服を着たいという願望から、演劇衣装を着ることのできる演劇部に所属していた。実際は、練習時も『セイフク』であって、衣装を着ることができるのは本番でしかなかったものの、それは彼にとっての良い気分転換となり、それなりに楽しい毎日であった。しかし、入部から一年後。人類統一法の改正により、演劇舞台であっても、『セイフク』を着ることが決まりとなってしまい、彼は部活を辞めた。それでも、練習は人一倍やりこんでいたため、彼の演技力は並大抵のものではなかった。

 その特技を聴いた帆反は、それを取り入れた作戦を考えた。

 まず、演説終了間際。三十日が急に苦しむ振りをして、浦場や警備班、ボディーガードの油断を誘う。その隙に、遠方から遠距離射撃にて暗殺を狙うのである。それでも失敗した場合、前列の席で待機していた非常班が、小銃で狙い撃つという段取りとなっていた。

「が、あああっ! はぁ!!」

 三十日は席を立ち、よろよろと崩れ落ちる。痙攣しながら、激しく苦しそうな息切れ。その演技は鬼気迫るものがあった。周囲の聴衆や警備員、スタッフは皆、思惑通り動揺し、彼に視線を注いでいた。浦場の横にいるボディーガードさえ、視線を奪われていた。

(………今だ!)

 心の中で、三十日は叫ぶ。彼のみならず、全員がこの時を一日千秋の想いで、待ち続けていたはず。三十日の心臓が大きく高鳴る。

 しかし。

 彼が想定していた狙撃音は、ひとつとして鳴らなかった。

(?…………??)

 三十日は懸命に演技を続けながらも、必死に動揺を隠した。

今のは絶好の機会だったはず。すなわち、遠隔狙撃が無いということは、スナイパーに事故が生じた可能性がある。

 三十日は頭をそう切り替えて、今度は非常班の近距離射撃を待ちつつ、床に転げまわり、必死の演技を続ける。

 しかしそれでも、銃声どころか、浦場に対して立ち向かう人の姿さえなかった。

(!?………な、なぜ………!?)

 さすがに動揺を隠しきれなくなり、演技の冴えが曇り始めた。

スタッフが彼のもとに駆けより、心配そうに声をかけ続けている中。

「観客のいないステージで踊るピエロほど、虚しいものはないな。少年。」

浦場仁。その男が彼に向かって話しかけた。

彼だけは全く動揺せず、ステージの上から、ただ無表情に三十日を見下ろしていた。あまりにも冷たく、それでいて悲しそうな目をしていた。三十日はその言葉と表情に、とうとう演技を止めてしまった。

 彼の演技は、ばれていた。

「無知とは時として罪であり、幸福でもある。どちらを選択するかは、その人間次第だ。」

「?……ど、どういうことですか……?」

 三十日はステージの下から、浦場を見上げて問う。浦場は少しばかり目を伏せると、少年を見据えた。

「少年よ。君には真実を知る権利がある。在るべき場所へと帰るがいい。そこに、真の幸福への導があるだろう。」

 その言葉に、三十日は大きな胸騒ぎを感じた。

 何か、大変なことが起こっている。そう直感した。三十日は急いで立ち上がり、その場を走り去った。

 在るべき場所へ。『マイセルフ』のアジトへと向かった。

「………いいのですか? 彼を放っておいて。」

 浦場の横に並ぶ女性秘書がそう訊く。浦場は走り去る三十日を眺めていた。

「若人の無限の可能性を無にすることなど、私にはできないよ。あの方もきっと、そう言うはずさ。」

 

いつものようにアジトの扉を開けたその先に待っていたのは、決して幸福などではなかった。

まるで、地獄だった。


 『マイセルフ』のメンバーが、全員死んでいた。


 小さな部屋一面に死体の山。血の海。独特の腐臭。

 狙撃手も諜報班も非常班も。

リーダー。帆反倉吉までもが、誰もが死んでいた。

 ただ一人の少女を除いて。

「待っていたわよ。三十日君。」

 地獄のようなその光景の中、血まみれの椅子に座って待ち構えていたのは、陽昇寅子だった。

 その表情は、ひどく冷たい。

「本当は、すぐに呼び戻してもよかったんだけど、あなた、かなり意気込んでいたから、水差しちゃ悪いかなって思って。」

「…………………誰が………誰がやったんですか………こんなこと………」

 震える声で訊ねる。答えに気づきながらも、彼はすがりつきたくなった。

目の前の少女が、『マイセルフ』を皆殺しにしたことを、信じたくなかった。

しかし

「私よ。ワールド直属隠密部隊隊長。陽昇寅子が皆殺しにしたの。」

 陽昇ははっきりと、残酷にもそう言い放った。

「つまり、『ワールド』のスパイってこと。全てのメンバーが揃って皆殺しにできるこの日をずっと待ってたの。近接格闘で私にかなう者はいないから、全員、適当に気絶してもらって、適当に死んでもらったわ。」

 三十日は真っ青な顔で周囲の死体を確認する。

眉間に弾痕の跡がある。当て身で気絶してからの、確実な射殺。そんな残酷的な光景が想像できた。

「どうして………どうしてですか? 陽昇先輩………あなたの夢は、いろんな服を着飾って、街を歩くことじゃないんですか……?」

「嘘に決まってるでしょ。そんな事。」

 軽く鼻で笑いながら、そう言った。

「いつだって、私は平和を願っていたわ。その平和を乱す者の存在を私は許さない。」

 と、陽昇は立ち上がり、部屋の片隅の衣装ロッカーへ。

扉を開けて取り出したのは、『セイフク』だった。

「だからといって、『ワールド』は不必要な犠牲を望んではいないわ。あなたを生かしたのは、そういう理由。あなた一人では、何もできないから。」

 陽昇は彼に背中を向けながらスポーツブラを脱ぎ、『セイフク』に着替えはじめる。

「どう? これで理解したでしょ? 人間は一人では生きていけないの。他人に合わせて、流されて生きていくのが、一番の平和につながるのよ。これからは、『セイフク』を着て、無難に生き延びなさい。先輩からかわいい後輩への、最後のアドバイスよ。………それだけが言いたかった。」

 『セイフク』を着た陽昇は、もう三十日の知る陽昇ではなかった。彼女は三十日を横切って、出口の扉へと歩き出す。

 三十日はうつむき、振り向かない。

 今までの、チームメイトとの、帆反との、陽昇との想い出が溢れ出す。

 本当に、楽しい日々だったのに。

「あんなに、笑っていたのに………全部ウソだったっていうんですか! 陽昇先輩!!」

「………もう二度と会うことは無いわ。さよなら、三十日くん。」

 背中合わせに呟いて、彼女は去っていた。

 後には、不気味な程の静寂が残った。

 どうしようもないほどの虚無感が、三十日の心の中を支配した。

「ウソだ…………ウソだっ!…………ウソだあああああああああああああ!!」

 三十日は崩れ落ち、泣き叫ぶ。

 小さな倉庫で一人、泣き叫ぶ。もうここに、かつての平和は存在しない。三十日只人の世界は無くなり、そして、彼は一人になった。半日前の、当たり前のように存在していた時間が、遠い昔のように思えた。

 絶望感に打ちひしがれたその時。

彼の視界にひとつの紙片が飛び込んだ。

 床の上。血に汚れていたが、それは手紙のようだった。三十日は手に取り、読む。

 読み終えた時、彼の涙は止まっていた。

 固い意思が、その瞳に再び宿った。


【2】


 翌日。

 ワールドタワー一七〇階のとある大部屋。赤絨毯が敷かれた高級感あふれるその部屋で、浦場仁はある人物を待っていた。彼の横には屈強な体のボディーガード。少し後ろに控えめに立つのが秘書。『ワールド』の幹部達と何人かの部下達が列を作って並んでいた。

 そして、扉からノック音が聞こえる。

「入りたまえ」

 浦場の言葉に応じて、大きな木製扉が開かれた。

 『セイフク』に身を包んだ陽昇寅子が姿を現した。

「失礼します。」

 一礼して入室。礼儀正しく、彼の下まで歩み寄る。

「このたびはご苦労だった。君にとっても、辛い仕事だっただろう。」

「いえ。世界平和のためならば。」

 陽昇が深々と頭を下げた。

「私にとっても心の痛む話だ。しかし、平和のためなら、多少の犠牲はやむを得ない。」

 と、浦場は右手を彼女に差し出した。

「よくやってくれた。心から礼を言うよ。」

 それは、握手を求める姿勢だった。

 かつて帆反が言っていたように、たとえ末端の部下であろうと、浦場は挨拶と同じくらい頻繁に握手を求める男だった。

 陽昇はニコリと微笑む。

「ありがとうございます。」

 彼女も右手を伸ばし、彼の右手へ。

 対等な立場でない二人が、まるで対等な立場にあるような、そんな錯覚を覚える瞬間。

 まさにその瞬間だった。

 陽昇が伸ばした手のひらが、彼の手に触れる直前に、硬く拳が握られて、そのまま腕が伸びきった。


 そして、陽昇の拳は、浦場の胸------心臓に深々と突き刺さった。


「~~~~っかはっ!?」

 浦場の呼吸が一瞬停止し、後ろへとよろける。バランスを保てず、その場に崩れ落ちた。

 見事なまでの正拳突きだった。

「なっ……なにをする!」

 秘書が叫び、同時に警備兵達が銃口を陽昇へと向けた。ガチャガチャッという金属音。しかし、陽昇は静かに、その目を浦場へ向ける。

「もう遅いわ。今の拳は心臓麻痺を促す一撃。あと数分で、浦場仁はこの世からいなくなる。」

 周囲がざわついた。浦場は顔を苦痛にゆがませて、胸をきつくおさえている。

「まさか………二重……スパイ、か……?」

 息も切れ切れに、そう問う。

「そうなるわね。私はここに入る前から、すでに『マイセルフ』の一員だった。」


彼女は『ワールド』の情報を『マイセルフ』へと流していた。そのおかげで、ワールドシティの地理状況や演説日当日の警備体制を知ることができた。諜報の要は、陽昇だったのである。

しかし、二重スパイである以上、マイセルフの情報もある程度『ワールド』へ伝える必要性があり、すでに『ワールド』は彼らのアジトの場所を知っていた。

そこで、彼らの後始末を自分一人に任せてほしいと、陽昇は浦場に頼んだのである。

 汚れ役は自分一人で十分だと。『マイセルフ』を守るために、そう嘘をついた。誰一人差別せず、対等に接する浦場仁は、その彼女の言葉を聞き入れた。

 しかし、それは一時的なものだった。

 重荷を彼女一人に背負わせるわけにはいかない。そう考え直した浦場は、演説当日、『マイセルフ』全員が集まるあの時に、暗殺部隊を仕向けていた。陽昇の良心的な嘘の言葉が、裏目に出てしまったのである。

 『マイセルフ』諜報班はそれにいち早く気づき、三十日を除く全員が、追い詰められたことを理解していた。

 だから『マイセルフ』は、彼女の嘘を真実にすることにした。


「みんなは……『マイセルフ』は、私をこの場に連れてくるために死んだ! 全ては、世界を変えるために……!!」

 陽昇は涙を流して、強い瞳で浦場を見据える。

 三十日が部屋を出た後に、陽昇以外の全員が拳銃自殺したのだ。

 敵の手にかかることを嫌った気持ちもあるが、それ以上に、陽昇の手柄とするために、彼らは自殺を選んだ。陽昇を称えて、浦場が握手を求めるだろうことを予期して、直接相対し、殺せる瞬間を狙った。

 全ては、世界を変えるために。

「わたしも、ここまで来て生き延びることはできないだろうけど、あなたの死に際を見られるのなら………悪くないわ。」

 薄く、陽昇は笑う。それは覚悟を決めた顔だった。

 それに対し、浦場も笑い返した。

 それはまるで、勝利を確信したような笑みだった。

「その覚悟。敵ながら天晴。」

 突如、彼女の後ろから声が聞こえた。

先刻まで聞いていた声にそっくりだった。

陽昇は悪い予感がして、ゆっくりとふりむく。


 そこに、もう一人の浦場仁がいた。


「……………!!」

 陽昇は、あまりの衝撃に動けない。

「とりおさえなさい!」

 次の瞬間。秘書の号令と共に、ボディーガード達が陽昇を床に押し倒し、拘束した。近接格闘に秀でた陽昇であったが、あまりの出来事に反応すらできなかった。

 この状況は異常すぎる。彼女は困惑した眼で浦場を見る。すると

「それは影武者だよ。陽昇寅子くん。」

 彼女の声なき問いに、浦場はそう答えた。

 陽昇が殺した者は、浦場仁の影武者だと、答えた。

「秘書がどうも君を怪しがってね。気が進まなかったのだが、信用してよかった。危うく私が殺されるところだった。」

 精巧な変装覆面を被るだけでなく、口調や声色、仕草までも完璧にコピーした影武者。暗殺に対する警戒のため、『ワールド』が何年も前から用意していたものだった。

「彼には可哀そうなことをした。しかし、平和に多少の犠牲はつきものだ。」

 床に倒れ、ピクリとも動かなくなった影武者を、浦場は悲しそうな目で見る。陽昇はギリリと歯を噛みしめ、浦場をにらみつけた。

「安心したまえ。君は殺さない。君のような優秀な同志を、そう簡単に切り捨てられるはずもない。代わりに………彼を殺すとしよう。」

 陽昇に悪い予感が走る。彼のやり方はよく知っていた。

 人は隔絶されては、生きてゆけない。

「そう、三十日只人くんを殺そう。」

直後。以心伝心。彼の意思をくみ取り、迅速に部下達が動き出した。銃を構え、部屋を次々に出ていく。『ワールド』の手にかかれば、一般高校生を殺すのに、半日もかからないだろう。

「や……やめて!!」

 陽昇は叫ぶ。

彼女は彼に、生き残ってほしかったのだから。そのために、ウソをついたのだから。

「わかってくれ。陽昇くん。どちらか一人は死なねばならない。一たす一は、十にも百にもなることを、私は知っている。」

 少し困ったように彼は言う。

 絶望に、顔を伏せる陽昇に対し、彼は無表情のまま言い放つ。

「三十日只人は死んで、一人になった君は、本当の『ワールド』になるのだ。」

「それは無理です。」

 声が聞こえた。

 それは、浦場仁の声だった。その言葉に最も驚いたのが他でもない、浦場仁自身だった。

 なぜならば、彼は何も喋っていないから。

 パァン! 

直後。乾いた銃声が鳴り響いたのと同時に、浦場の肩から真っ赤な血が噴き出した。

 誰もが一瞬、思考を停止する。浦場は何が起きたのか理解する間も無い。肩を手でおさえながらよろめき、床に倒れた。

そして、発砲者の姿を確認して、二度驚愕する。

 それは、その場にいた誰もが同じことだった。


 死んだはずの浦場仁の影武者が、銃口をまっすぐに浦場へと向けていた。


「な、なんだ!? どういうことだ!?」

秘書を始めとし、ボディーガードや幹部達とその部下、全員が動揺する。影武者は首の横あたりに手を伸ばし、なにかスイッチのようなものを押す仕草をした。

「僕はもう、一度死にましたから」

 直後。全てを理解した。

 

 三十日只人がそこにいた。


「まさか………ホログラム催眠変装装置……!」

 浦場は顔をゆがませて痛みに耐えつつ、上半身を起こした。三十日はその様子をじっと見つめる。

「つくづく、自分の射撃の下手さ加減にうんざりします。頭を狙ったつもりなのに、こんな近距離で外してしまうとは。」

「三十日くん……なんで、なんであなたがここに……!?」

 陽昇も全くの想定外の展開で、動揺していた。三十日はそれに対し、ポケットからある手紙を取り出した。

「全ては、この手紙から知りました。リーダーが、僕宛に残した手紙にね。」


『三十日只人くんへ』

『おそらく、陽昇くんは君を巻き込まないため、真実を伝えないだろう。だから、代わりに僕が、この手紙に記すことにする。』

『陽昇くんは二重スパイとして、僕達に多くの情報を提供してくれていた。しかし、それは僕達の情報も向こうに伝わる危険性を孕んでいた。結果、僕達は追い込まれた。』

『だから僕達は、おとなしく死を選んだ。』

『彼女が浦場に対して約束したことをそのまま実行することで、彼女を浦場のもとまで送り届けることにした。あいつは真に信頼する部下に対して、必ず握手で応える男だ。今の状況で確実にあいつに近づくには、この方法しか思いつかなかった。』

『それに、計画を実行したところで、おそらく無駄になる。毎年世界演説で演説している男は、浦場仁ではない、全くの別人の可能性があるからだ。』

『長年、あいつの傍にいた僕のただの勘にすぎないから、士気を落とさないためにも、皆には伝えないでいた。』

『あいつは人の目に集まる所に姿を現すことは無いだろう。ワールドタワーに突入しないかぎり、あいつの暗殺は不可能だ。』

『君だけを蚊帳の外にして、あの世へ行ってしまう僕らをどうか許してほしい。君はまだ若い。死に急ぐ必要はない。僕達のことは忘れて、普通の日常に戻ってくれ』

『ただ、これだけは覚えていてくれ』

『君は、ひとりじゃない。』


「そう、僕はひとりじゃない。」

 手紙の内容を、三十日は心の中で反芻し、強い意思を込めた瞳で言い放つ。

「だから、僕はこの手紙を読んですぐに、入国が許される時間のうちに、この『ワールドシティ』に入国して、もうひとりの浦場-----影武者を探しました。影武者に成りすまして、本物の浦場に近づくために………!」

もし帆反の勘が当たっていたとしたら、影武者の浦場のコピーは相当のものだった。

毎日のように浦場の話を聞いていた三十日にとって分かりやす過ぎるほどに、浦場の癖がよく再現されていたのだ。

その完璧なトレース故に、覆面を取った影武者の普段の生活でも、無意識のうちに浦場の癖が出てしまうだろうと三十日は考えた。そして、ワールドタワーの入口で、浦場の癖を覗かせる者を待ち伏せしたのである。

例えば、腕を大きく振り動かすような歩き方。

そんな特殊な癖を持ち、なおかつ浦場と同じ程度の体型を持つ者はごくわずかなはずである。三十日は該当者を背後から襲い、気絶させた後、ホログラム催眠変装器で成り変わったのである。彼もまた、浦場と同じ体型だったから行える作戦だった。

博打のような、いきあたりばったりのような作戦だった。それでも、彼は何かをせずにはいられなかった。

 陽昇が暗殺に失敗する可能性を考慮しての行動でもなく、ただの衝動的な、思いつきでの行動にすぎなかった。仲間を殺されて自暴自棄になっていたこともあったが、それ以上に、『ワールド』に対するかたき討ちを成し遂げたかった。

 自分の世界を壊した男に、復讐したかった。

「そんなこと……ほ、本当に、死んでもおかしくなかったわ! なんて無茶をするの!!」

 陽昇は憤慨する。ホログラム催眠変装装置には時間制限もあるし、実戦経験のない彼にとって、大人一人を襲うこと自体、無茶で無謀だった。

 三十日はそれに対し、自嘲するような薄笑いを浮かべた。

「そうですね。まさか僕も、あなたに殺されるとは思いませんでした。握手にも影武者を使うとは、リーダーの話とは違いましたから。」

器官の弱い老人にこそ絶大な効果を発揮する、心臓麻痺を起す正拳突きであったが、若者であろうとも、危険には変わりない。実際、三十日の心臓は一時止まっていたのだが、彼はなんとか息を吹き返すことができた。

「それでも大丈夫。自信はありました。いじめられてたおかげで、人より打たれ強くなってますから。それに、陽昇先輩が本気で人殺しできる人だとは、思えませんでしたから。」

三十日は爽やかに、そう言い放った。

無茶で無謀な賭けだったが、しかし、三十日はその賭けに勝った。殴打直後の勝利の笑みも、その確信から出たものだった。

しかし。

「まさしく、命をかけて革命を試みたようだな。少年よ。」

 浦場はこの状況ながらも、決して動揺はしなかった。

悠然と、三十日の構える無反動銃を見つめる。

「しかし、もう一歩だったな。君の銃の腕前で、果たしてこの私を一発で殺すことができるかな?」

 三十日の銃の腕前は自ら露呈した通り、良いものではない。すでに距離を取った自分に対し致命傷を与えられるはずもないと、浦場は確信したのである。さらに、三十日に対して、何人もの部下が銃口を向けている。一発で致命傷を与えられない場合、銃殺されるのは三十日の方である。

「す、三十日くん……!!」

 陽昇は未だ、ボディーガードに拘束されて動きが取れない。三十日に迫る危機を、ただ見ているしかできなかった。

追い込んだようで追い込まれているのは、三十日の方だった。彼の額に冷や汗が流れる。

「それにしても、大したものだな。『マイセルフ』のリーダーとやらは。あれほど精巧な影武者の存在に気づくとは。敬意に値する。」

 ガチャガチャッと、何丁もの拳銃が音を立てて彼を取り囲む。

「最後に、すでにこの世から消えたそのリーダーの名を、教えてはくれないか?」

「……………」

 無表情ながら、余裕ある心持で浦場は問うが、三十日は何も言わない。

逡巡していた。真実を伝えれば、彼もまた心に深い傷を負うことになるだろう。

それでも、伝えなけばいけない気がした。

浦場仁にも、真実を知る権利がある。


「帆反倉吉………あなたの、かつての親友ですよ。」

 

 直後。

浦場の様子が明らかに変わった。

目を剥けて驚き、肩の出血を押さえた手をダラリとぶらさげて、悲しそうにうなだれた。

 小刻みに震えてさえいる。先刻までの余裕は、微塵も感じられなくなった。普段、ポーカーフェイスである彼の豹変ぶりに、一同は動揺した。

「そうか…………やはり………おまえだったのか。帆反…………」

 ぼそりと、浦場はそうつぶやく。

「ホログラム催眠変装装置の出現から、薄々と感じていたよ。『ワールド』以外に、あの技術を開発できる企業は、数えるほどしかないからな。」

浦場の顔は、なにか諦めたような、それでいて安らかなもので満ちているように見えた。

「帆反倉吉は、私の人生の中で最も信頼できる友だった。五年前に、彼がここを飛び出した時、最も悲しんだのは他でもない、この私だった。」

 淡々と、彼は語る。一同は唖然とし、彼の話を聴いていた。

「しかし、今思えば、あいつはもっと昔から、ここを出ていきたかったのかもしれない。『ワールド』を結成してから二十五年間。あいつが私の傍にいたのは………私を一人にしたくなかったからだ。」

 そう言って彼は、『セイフク』の内側ポケットに手を入れる。

「『ワールド』の勢力は私にとっても想定外で、とうの昔に私の手に負えないものとなっていた。『人類統一計画』は、すでに私のものでなく、皆のものとなっていて、私はただそれに翻弄される日々が続いていたのだ。」

 『ワールド』に根付く『世界平和』という目的意識は、浦場自身も修正不可能なほど、強固なものだった。たとえ総統であっても、人一人の力でその巨大な意思に立ち向かうことは、浦場にとって、とても勇気のいることだったのだ。

 想い出と共に、激しい感情が、今まで堰き止めていた感情が溢れ出す。

「行き過ぎていたのはわかっていた………でも、もう私一人ではどうしようもできなかった……! だから帆反は、そんな私を見かねて、こうして助け舟を出してくれたんだろうな。私を追い詰めて、諦めさせようとした…………今、そう思うよ。」

 浦場仁と帆反倉吉の友情は、本物だった。

 敵となっても、帆反は浦場を止めたかった。殺してでも、彼を救いたかった。

 しかし、とうとう、彼は浦場を殺すことはできなかった。代わりに、自ら命を絶つことしかできなかった。

 だから。 

「!? 総統様!?」

 秘書を始めとした部下達がどよめく。

 浦場の手に握られたのは拳銃だった。その銃口は、自分のこめかみへと向けられている。

「部下の皆。今まで世話になった。少年少女を無事に家まで送り届けてくれ。『ワールド』は今日を持って、解散する。親友のいなくなったこの世界に、もう未練は無い。私は、帆反の思惑通り、殺されることにしよう。」

「………浦場様………」

 感慨深く、部下一同の顔を眺める浦場に、長年仕えた秘書は彼の名を呼ぶことしかできない。今の気持ちをどう表現して良いか、分からないでいた。

 そして浦場は、三十日と陽昇の顔を見据えた。

「少年少女よ。君たちの世界は正しい。まっすぐと己の道を突き進み、時に争い、憎しみあうことが、人類が未来へと進むために必要な代償なのだから。」

「………浦場……さん。」

 三十日もまた、彼の名を呼んだ。浦場は三十日と視線を合わせると、涙を一筋、頬に浮べて、わずかに微笑んだ。

自分を押し殺し、感情を押し殺し、表情を失った『ワールド』総統、浦場仁の、最初で最後の、涙と笑顔だった。

「……この世界で最も自分を失い、流され生きていたのは他でもない------この私だったのかもしれないな。」

 それが、浦場仁が最後に言い残した言葉だった。

 直後。大きな銃声がその部屋に反響して、鮮血が飛び散った。

 その場にいた人間は、その瞬間を決して忘れることはないだろう。

 その日。二〇XX年。七月二二日。人類史上初めて世界平和を成し遂げた男。浦場仁が、この世から亡くなった。


【3⇒】


 今日もまた、つまらない一日が始まる。

 雨が降り注ぐ校庭をぼんやりと眺めながら、三十日はいつものようにため息をついた。

「おい三十日! よそ見をするな!」

 朝のホームルーム。担任教師は見かねて注意をする。

「二か月も無断欠席で、出席日数ギリギリなんだぞ! もう少し気を引き締めんか!」

 弾圧的でも排斥的でもない、まさに教師と生徒の関係のような言葉。

 それでも相変わらず、三十日以外は全員、『セイフク』を身に着けている。


 浦場仁が死んでから四か月あまりが経過したが、『ワールド』はその事実をひた隠しにしていた。後日、気絶から回復した影武者を立てて、まだ生きているように見せかけていたのである。

 結局、三十日の周囲は『セイフク』だらけの毎日が続いていて、皆が皆、大多数の意思の奴隷となっていた。

 しかし、不思議と三十日が迫害されることはなくなっていた。

「所詮、影武者は影武者。本人そのものにはなれなかったってことかしらね。」

 下校時刻。雨がすっかり上がった青空の下。三十日の横を並んで歩く陽昇がそう言った。もちろん、ブラウスにロングスカートを身に着けた、オシャレな私服である。

「姿形は同じでも、彼のようなカリスマ性や人心掌握術は無い。『セイフク』の影響力が、徐々に弱まっているのかもしれないわね。」

 無意識のうちに、人々は今の浦場が偽物であると感じ取っているのだと、彼女は推測する。事実、学校で私服を着る生徒がわずかながら増え始めていた。特に、陽昇のスタイリッシュな私服の着こなしにあこがれて始めた人が多いという。

 世界は確実に、変わり始めている。

「先輩も平和的な解決を望んでいたなら、どうして浦場に、『マイセルフ』のリーダーが親友であることを伝えなかったんですか?」

三十日は四か月前のことを思い出し、そう訊いた。

「少なくとも、リーダーが死ぬことは無かったと思うんですが………」

「リーダーがそれを許さなかったのよ。浦場がそれを知ったら、力づくでもリーダーを取り込もうとする。リーダーは対等に彼と戦って、ぶつかりあいたかったから……」

「…………そうですか。それもそうですよね。」

 なんとなく、三十日も納得した。

「今さらながら思うんですけど、リーダーは、僕がああいう行動に出ることを望んでいたと思うんです。」

 なつかしながら、三十日は語る。

「浦場の昔話を毎日のようにしたのも、僕に演技の任務を与えたのも、ホログラム催眠変装装置の存在を明らかにしたのも、全て偶然じゃなくて、リーダーが僕に、陽昇先輩を助けるように仕向けるためのものだったんじゃないかって。そう思えてならないんです。あの人は、僕に好きなように生きろと書き残しましたが、本当は、陽昇先輩を含めて、浦場も救いたかったんじゃないかって。僕に皆を救ってほしかったんじゃないかって、そう思うんです。」

 そう想い、そう願う。

「………どうだっていいわよ。そんなこと。」

 陽昇はため息まじりに、そう返した。

「全て終わったんだからさ。」

 そう。全ては終わり、そして始まっていく。

『ワールド』は浦場の存在を装い続けるだろうが、世界をそう簡単に騙せるはずもなく、結局、何十年かけて気づいてきたこの世界平和は、また長い年月をかけて風化していくだろう。

 全員が全員のために生きる世界は終わり、一人が一人のために生きる世界が戻るだろう。そうして、人は憎みあい、妬みあい、争いあうだろうが、それ以上に、愛し合い、慈しみあい、助け合うだろう。

 三十日は、そう信じていた。

「ところで三十日くん。こうして『マイセルフ』は二人っきりになっちゃったわけで、一緒に登下校もしてることだし………どう? 私と付き合ったりしちゃう?」

「! ば、ばか言わないでくださいよ!」

「だって三十日くん。私の裸見たじゃない。責任とってよね!」

「う、後姿だけですから!」

 からかう陽昇に対して、三十日は顔を真っ赤にして目を背ける。それを見て、面白そうに彼女は笑うのだった。

「そこの少年少女よ。」

 急に、声を掛けられた。

 生垣の向こうから顔を覗かせる、知らない初老の男だった。

 今の世界にはまだ少数派の私服派。紺色の和服を着ていて、口元と目元にいっぱいの小じわをつけてにっこりと笑っている。

「庭に良い柿が実ったんだが、一緒に食べないかい?」

 男は左手に熟れた柿を掲げて見せる。その左手の人差指と中指の第一関節から先は無い。

 それを見て、三十日は少し嫌な気持ちになった。

 あの時、とっさに放った弾丸が小銃を弾いたのは良かったものの、やはり腕前はそこそこで、無傷で救うというわけにはいかなかった。


(「あなたは一人なんかじゃない!」)

(「何を言ってるんですかあなたは! それでも、あの帆反倉吉の親友ですか!?」)

(「あなたにはこんなにたくさんの、あなたを信頼する部下がいるじゃないですか! 『ワールド』に翻弄されただって!? 悲劇の主人公気取りかよ! なんで周りのやつに助けを求めなかったなかったんだよ!」)

(「あなたが想い続けたように、あなたを想い続けていた人の存在を、ないがしろにするっていうんですか!? ふざけないでください!!」)

(「あなたは一人なんかじゃない! 心の中に、あの人の想い出がある限り……!!」)


 今思えば、顔から火が出るほど恥ずかしい事を叫んだものだと三十日は後悔している。

 三白眼やきれいに整った髪などでは全く無く、見たことのある顔ではあるが、それとは全く違った印象の、どこにでもいるような知らない男は、そんな彼の気持ちも露しらず、気さくに話しかける。

「どうした? 柿は嫌いかい? ようかんも用意しているんだがね。」

 それを聞いて、陽昇と三十日は顔を突き合わせて、思わず「ぷふっ」と吹き出した。

知らない男の顔は何か憑き物が落ちたようで、どこまでも清々しい印象を受けた。

 かつての『ワールド』総統、浦場仁は死んで、近所の好々爺、浦場仁に生まれ変わったのだ。この男が、かつて全世界を統一し、征服した男であるなどとは、例え見たことのある顔だとしても、誰も思わないだろう。

「「はい。いただきます。」」

 彼らは声をそろえて嬉しそうに笑いながら、雨上がりの美しい虹の下、男の自宅へと足を踏み入れた。

 ここで、三十日は訂正しなければならない。

 確かに今のところ、世界の変化は微小で、あいかわらずつまらない一日の連続が続いていたけれども。

 今日は久しぶりに、つまらなくない一日で終えられそうだ。

 三十日只人は、そう思った。


 美味しい柿とようかんが、食べられるのだから。


どうでしょう?ブログ小説もやってますので、興味があればどうぞ↓


http://pepe6chino.blog.fc2.com/

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