あの映画を探せ!
あ、お姉さん、お姉さん、俺にコーヒーちょうだい、いや、俺も腹減ったな、……あ、やっぱコーヒーは後で、まずビッグピザトーストと野菜卵スープだな、……頼んだよ。
さ、カザミの話の続きをしよう、玲子はカザミを知らないんだろ? じゃあ記憶喪失のカザミが唯一覚えていた映画の話の前に彼のこと教えてやるよ、いやいや、別に勿体ぶってるわけじゃねぇ、どうせ話すんなら一からちゃんと話した方がカザミの人生を堪能出来るってわけだ。
カザミはね、もともと無名スタジオミュージシャンだった、俺も若い頃は……まぁ何でも屋だな、今もそうだけど、面白いこと言うからこの業界で重宝がられてたんだ、見ず知らずのイベントやテレビ番組の企画会議に呼ばれたりしてた、今で言う放送作家みたいなもんかな、来日したハリウッドセレブの夕食の世話とかもしてたんだぜ。
結論から言っちゃうとカザミと某アイドル歌手のただならぬ関係の火消し役を俺がやったのさ、二人が所属してた事務所の社長らに頼まれて。マスコミに金握らせたりしてな。俺は完璧に仕事をこなした、結局彼らの熱い関係は表沙汰にならなかった。もしあのことが公になってたら日本の昭和芸能史に残る大スキャンダルになってたと思う。まぁ二人はその後別れちゃったけどね。それをきっかけに俺とカザミは仲良くなったってわけ。
そうそう、カザミがミュージシャンとして世界的に成功したいきさつも話しておこう。発端は俺がセッティングしたハリウッドセレブのナイトパーティーでカザミ率いるロックバンドがライブ演奏したことから始まる。彼女、つまり来日したハリウッドセレブな、その彼女、カザミをエラく気に入ってね、有名なユダヤ系アメリカ人の音楽プロデューサーとの仲を取り持ったんだ。
最初は昔のサーフミュージックのパロディに民族音楽混ぜたような変な音楽やってたんだけどな、気が付いたら世界中にカザミの音楽が流れるようになってた。ははは、エジプト観光地の屋台のラジオからカザミの音楽が流れてたって聞いたことあるぜ。
いやぁ、ビッグピザトースト美味いな、三角の厚切りトーストの横に切れ目入れて、中にトマトソースと野菜の具材たっぷり、いなり寿司みたいだ、大きくて食い方に困るぜ。
……なぁ、玲子、俺は説教をするつもりはないが、もしオマエがこれから何かに迷うようなことがあっても、決して自分に溺れてるような奴とは仕事するな、彼らは冷静な判断力を持ってない、自分の目線に支配され過ぎちゃいかんのだ、そうだな、カザミもそういうとこあったかもしれん、特に記憶喪失になってから、カザミは自分に溺れていたのかもしれん、記憶のない自分にな……少なくとも彼は冷静じゃなかったよ。
甘い、甘い、オマエみたいな二十歳前で仕事と恋愛が上手くいってる女が冷静であるはずがない。まぁ、それが若さの特権でもあるんだがな。
フン、おっさん臭くなった、話をカザミに戻そう。
そう、映画だよ映画、記憶喪失になったカザミが唯一覚えていた映画。
皆がそのことに注目した、何しろそれを取っ掛かりに全ての記憶を思い出せるかもしれないからな。だからカザミ担当の精神科医から彼の家族、友人らがその映画を探した。当時ネットが普及してなかったから映画関係者に手当たり次第聴いて回った。
カザミによるとそれは他愛もない恋愛映画らしい。若い男女が偶然知り合い、すれ違いや喧嘩を繰り返して、最後に二人は結ばれる。タイトルは不明、出演者もスタッフも欧米人らしいが誰だか不明。
関係者は季節が何度も変わるのも忘れてその映画を探したよ。でも誰も解らなかった。そして皆が途方に暮れてる頃、俺たちはある噂を耳にしたんだ。世界で最もたくさんの映画を観たという男がソ連にいるらしい、と。
ソ連、今のロシアだな。
そのロシア人の噂はどうも胡散臭かった。情報源は女とパスタをこよなく愛するイタリア人映画監督。彼が自身の映画宣伝で来日した時、東京神楽坂の料理屋で馬刺を食いながら話したのを聴いたんだ。
何度も話し合ったよ、カザミと周辺の俺たちは。依然としてカザミの記憶は戻らなかったから次第にマスコミが騒ぎ始めたしね。
だからもし、カザミが映画のタイトルを思い出せば、それを突破口に全ての記憶が復元して、全部解決するんじゃないか、と俺たちは期待したんだ。
世界で最もたくさんの映画を観たロシア人の噂は信憑性は低かったがもう望みはそれしか残されていなかった。
だから俺たちはその映画狂ロシア人に会って相談することにした。そいつならカザミの記憶にある映画がどんな作品か知ってるかもしれない。
皆、神にも祈る想いだった。
そして俺とカザミはソ連に飛んだ。