第7話 幼馴染の動揺
朱璃と落ち合う約束をしたのは、南門に続く大通りから一本奥に進んだ食堂街にある食堂千鳥亭。
木製の扉を押しあけると中央に長テーブルが三つ並び、窓側には小さなテーブルが置かれている。昼時ということもあって、席のほとんどが埋まり店内は賑わっていた。
柚希は窓際に座る黒髪の青年を見つけると、繋いだ咲良の手に一瞬力を込め、人混みをかきわけて進みだした。
とんっとテーブルに手をついた柚希はまっすぐに朱璃を見据える。
「お待たせ致しました、朱璃様」
「ああ、私達も先程着いたところですよ。とりあえず、座って話をしましょう」
顔を上げた朱璃は、柚希とその背に隠れるようについてきた咲良に微笑みかける。村に来た時とは違い武具も身につけず質素な衣装を身にまとっているだけだが、その身からは気品が溢れだし辺りに花が舞うような麗しい空気を醸し出している。
促されて座った柚希は、朱璃の隣に座る青年に気づきお辞儀する。細身のだが服の上からでも分かる鍛え抜かれた体、色素の薄い瞳に薄笑いを浮かべている青年からは、武人らしい堅固さと軟派な矛盾した二つの印象を受ける。
視線に気づいた青年は少し癖のある燃え立つような赤毛を揺らして会釈し、テーブル越しに腕を伸ばす。
「はじめまして。王子の側近を務めている蘭丸です。あなたとは、以前にもお会いしていますね」
手を握り返しながら、柚希は頷く。王子との会見の時、必ず側に付き添っていた。そして数日前、王子が近衛隊を率いて村に来た時も。
「蘭丸は私の側近であるとともに近衛隊の副隊長もしている、なかなか腕の立つ男です。一応、私の供を同行させないわけにはいかなかったもので、彼にお願いしました」
朱璃の説明に、蘭丸は人好きのする明るい笑みを浮かべる。口元には白い歯が覗き、快活な印象を与える。
「まっ、一緒に旅をするってことで、よろしくっ」
初めての旅の緊張に身を強張らせていた咲良も、蘭丸のあどけない笑みを見て、つられて笑い返す。
お互いに簡単な自己紹介を済ませると、蘭丸がテーブルの上に二枚の地図を広げる。一枚は世界地図、もう一枚は朱華国の地図だった。
とんっと日に焼けた指を朱華国の地図の中央に置く。
「今いる場所はここ、王都立華の南門。で、目指すのは世界の中央にそびえる黄山」
言いながら指で直線を描きながら北に移動し、地図の上端に書かれた黄山を指す。
「最短距離はこうだけど、王都の北は険しい山脈が広がっている。行くとしたら、西の街から北上していくのがいいだろう」
これからの旅の予定を説明する蘭丸に柚希と朱璃は頷き返したが、咲良は食い入るように地図を眺め、目を何度も瞬かせていた。その表情には全然理解できないというように困惑の色が浮かんでいて、柚希はふぅーっと大きなため息をつく。
「とりあえず、王都から西の街山華へ行くってことだ。了解?」
「うっ、うん……」
自信なさげに頷いた咲良を、朱璃と蘭丸はくすくすと笑いながら見つめた。
※
王都を発った四人は南門から西の街道をまっすぐ進み、西の街山華に到着する。昼過ぎに王都を出て、すでに日は西の山に沈んでいた。
山華は街の二方を鉱山が一方を森が囲む自然豊かな街で、鉱山からとれる色とりどりの鉱石で作られた飾り細工が市場に多く並んでいる。
街灯が灯る道を馬を降り歩く蘭丸が先導し、その後に朱璃、咲良を乗せた馬の手綱を握りしめた柚希が続く。
静かな道を進み目的の宿に到着すると、馬を預け、簡単に夕食を済ませてそれぞれの部屋へと向かうことになった、のだが……
「私は柚希と一緒の部屋でいいですから」
そう言って、三部屋とろうとした蘭丸を止めたのは咲良だった。
寝るだけなのに自分一人で一部屋を使うなんてもったいないと思った咲良は、兄弟のように育った柚希と同室で十分だと思ったのだが。
そんな安易な考えで同室を希望したとは想像もつかない柚希と朱璃は、大きく目を見開いて咲良を見つめ、蘭丸は少し面白そうに瞳を揺らして笑った。
「咲良ちゃんがそう言うなら。柚希君はいい?」
驚きを隠せずに呆然としていた柚希は、尋ねられて思わず頷き返してしまった。
「ええ」
そんな柚希に朱璃は何か言いたそうな視線を向けていたが、何も言わず部屋に入っていってしまい、咲良も続いて部屋へと向かう。
咲良の後を追って部屋に入った柚希は、咲良がどうしてそんなことを言ったのか掴めなくてそわそわする。咲良のことを意識する前ならば、同室でもたいして気にならなかっただろうけど、今は落ち着かない。
しばらくしてコンコンと扉が叩かれると、宿の従業員がお湯のたっぷり入った桶を持って入ってきて、柚希はドキンとする。
「明日早いから、もうお風呂入って寝るよね? 私、先に使ってもいいかな?」
呆然として返事をしない柚希を振り返った咲良は、くすりと笑って衝立の向こうへと消えた。
さらさらと服を脱ぐ音が聞こえ、かぁーっと赤くなるのが柚希は分かった。高鳴る鼓動に突き動かされるように、落ち着きなく部屋を歩きまわっていると、パシャンッと水の跳ねる音に、胸が大きく跳ねる。
「柚希、ありがとう」
突然の言葉に柚希はぴたりと動きを止めて、ゆっくりと衝立に視線を向ける。
「なっ、んだよ、急に……」
「んー、まだお礼言ってなかったな、と思って。正直、村から出た事もない私が一人で黄山まで行くなんて出来るかどうか不安でいっぱいだったから。だから柚希が一緒に来てくれて、すごく嬉しいんだよ」
まっすぐな咲良の言葉が胸に沁みて、柚希はきゅっと胸が締め付けられる。
「柚希は本当に頼れる幼馴染だね。ありがとう」
たとえ幼馴染としか思われていないとしても、咲良に頼りにされている自分に誇りを持つことが出来た。
「どういたしまして」
さっきまで高ぶっていた感情がすーっと引いていき、落ち着きを取り戻した柚希はカタリと椅子に腰をおろした。だが。
どうしても衝立の向こうから聞こえる水音や衣擦れのが気になり、ちらちらと視線を向けてしまう。
ちょうど衝立からひょこっと顔を出した咲良と視線があってしまい、慌てて顔をそらした。
「お先に。柚希もお湯使ったら?」
ほてって桃色に染まった頬、濡れて艶やかな青みを帯びる長い髪の毛先から雫が滴り、白い夜着を着た咲良にあどけない表情を向けられて、目のやり場に困ってしまう。
柚希は立ち上がりながら側に掛けてあった自分の上着を取ると、咲良の頭から被せ、動揺を誤魔化すために少し意地悪な言い方をする。
「そんな格好してたら風邪ひくだろ。あったかくして早く、布団入れよ」
そう言って咲良の横を通り過ぎ、衝立の向こうに素早く移動した。
一度は平静を取り戻したのに、風呂上がりで艶っぽい咲良を見てしまい、意識せずにはいられなかった。
なんで、俺と同じ部屋でいいなんて言ったんだ、咲良は……
くそ、俺にどうしろっていうんだよ……
口には出せなくて、心の中で悪態をついた柚希は乱暴に服を脱ぎ捨て、湯の張られた大きな桶に体をつけた。