第6話 王都へ
旅支度を整えた咲良は予言の間に足を踏み入れた。
運命を予言された時と同じく、予言の間には紅葉と咲良の二人だけ。静寂が室内を包み、揺れる灯火のはぜる音がやけに大きく聞こえる。
違うと言えば、あの時は中天よりやや西に傾いていた太陽が今は姿を隠し、代わりに夜の眷族の月が神々しい光を放ち、空を支配していた。
「準備が整いましたので、夜明けとともに黄山に向けて出発します」
「そうか」
部屋の中央に置かれた円盤に視線を落としていた紅葉は、扉の側に立つ咲良に視線を向け、長い睫毛を揺らす。その瞳は真剣な輝きとわずかの憂いを帯びていた。
「こちらに座りなさい。出発する前に、お前に伝えて置かなければならないことがある――」
※
「それでは行ってまいります」
「行ってきます」
知華村の西側、東の端がうっすらと白み始めた頃。
黒鹿毛の馬の手綱を持った柚希とその横に並ぶ咲良を見送るのは、紅葉ただ一人。
「ああ、気をつけて行ってきなさい」
馬の背に咲良を乗せた柚希はひらりとその後ろに跨り、咲良の体を支えるように腕を回し手綱を強く握りしめる。馬はゆっくりと足を動かし出し、西――王都を目指して駆けだした。
柚希の腕に包まれるように馬の背に乗った咲良は、どんどん駆け抜けていく景色に見とれていた。
一方、柚希は……
胸に感じる華奢な背中と体温を必要以上に意識してしまい、かぁーっと顔が赤くなるのに気づいて、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。
馬で駆けた朱璃達に少し遅れて村長の館の前についた柚希は、逞しい片手の中に咲良を抱きしめ、今にも唇に触れようとしている光景を目撃して、殴りつけられたような強い衝撃を受けた。
幼い頃からずっと一緒だった――
柚希にとって咲良は血は繋がらなくとも可愛い妹で、ずっと見守ってきた大切な女の子――
生まれてすぐに両親を亡くし、知華村から出た事もない世間知らずの咲良を守るのは自分の役目だと思っていた。それなのに――
いきなり目の前で咲良に迫る朱璃の姿を見て、燃え立つ激情が溢れだし、胸が焦げるように痛んだ。
その時初めて柚希は思い知る――妹としてではなく、一人の女の子として愛おしく思っていたことに。
溢れだした感情は渦を巻き、自分でも押さえられないほどの強い波を作って心を揺さぶった。柚希は、自分の中にそんな強い感情があることを知らなくて、激しい焦燥感に戸惑いを隠せなかった。
紅葉の館の応接間へ移動する時も、柚希は紅葉が何も言わないことをいいことにちゃっかり同席した。朱璃がずっと咲良に熱い眼差しを向けていることに気づいて、じっとしていられなかったのだ。
だから、朱璃のいきなりの求婚には驚きを隠せなかったし、咲良に誰か将来を約束した人がいるのかと質問した時も、息を飲んで咲良の返答を待った。咲良の黄山行きが告げられ朱璃が同行を願った時はいてもたってもいられずに、気が付いたら自分も同行を願い出ていた。
紅葉の使いで何度も王宮へ行き朱璃とも対面したことがある柚希は、彼の性格も知っている。穏やかな性格で、誰に対しても気さくに話しかけ、英知にあふれる朱璃は、気品にあふれたまさに理想の王子像そのものだった。
そんな朱璃と数日共に過ごせば、咲良が朱璃に惹かれない理由はなかった。旅が終わる頃には、王子の花嫁になりたいと思ってしまうかもしれない――そう考えただけで胸が痛み、咲良と朱璃の二人旅を許し、じっと村で待つことなど出来そうになかった。やきもきとした気持ちで、おかしくなってしまいそうだった。
思わず口を開いた柚希は、純粋な瞳でじぃーっと咲良に見つめられドキっと大きく胸を跳ねさせる。
女の子として意識してしまった今、咲良のことをまっすぐ見ることもままならない。
「咲良のお守役は俺しかできないだろう……」
そんな風にしか言うことが出来ず、柚希はぎゅっと唇をかみしめる。
柚希の心中の不安など知らない紅葉と咲良は、馬に乗れない咲良のために旅の供を申し出てくれたのだと思っているようだった。
柚希にとって、初めて見る景色に見とれて柚希の方を振り返ろうとしない咲良が、今は救いだった。
※
馬に乗ったことがなかった咲良は、柚希の同行を心から感謝した。
朱華国の首都から黄山までは馬でなら七日程で行ける距離も、徒歩だと行くだけで三ヵ月以上かかってしまう。馬に乗ることも出来ず、馬車などを使う費用もない咲良にとって、柚希の馬に乗せてもらうことは旅を格段に楽なものにし、時間を短縮することもできる。
黄山行きを聞いて瞬時にそのことに思い至り同行を願い出てくれた柚希に、あらためて頼りになる幼馴染だと思い、咲良はふふっと小さな笑みをもらした。
※
咲良の旅への同行を願い出た朱璃は一度王都へと戻り、国王からの許しを得、王都の南門で咲良達と落ち合う約束をしていた。
朱璃としては紅葉の手前あの場では咲良のことを諦めるしかなかったが、胸に芽生えた強い気持ちに逆らうつもりはなかった。
愛おしい――胸に芽生えた感情をそう呼ぶことを朱璃は知っている。王子として王宮で華やかな女性に囲まれ、恋をしたこともそれ以上の経験もある。自分よりも小さな体を腕の中に抱きしめ、愛おしいと抱きしめた。だけど――
白い夜着に身を包んだ華奢な肢体、背中に流したままの艶やかな濡羽色の髪、さくら色の形の良い唇をした咲良を見た瞬間、香り立つ華のような美しさに目を奪われ、焦がれるように強く惹かれた。
今までの恋とは違い、激しい衝動に襲われ、すべてを奪いたいと思った。自分のことしか見えないようにし、どこかに閉じ込めて、そのすべてを自分で満たしたかった――
大巫女になるためには乙女でなければならない。恋人にも慣れない。だからせめて、咲良が誰かのものにならないように側で見守りたかった。もちろん自分を知ってもらい、あわよくば好きになってもらえれば――そんな考えも抱いていた。
そのために、朱璃はどんな手段を使っても王に黄山行きの同行を認めさせるつもりだった、のだが――
王は忙しく、面会を取り次いでもらうことすら出来なかった。その代わりに一通の手紙が渡される。そこには簡潔な文章で黄山行きの許可の旨、そして、国宝を狙う盗賊の討伐を内密に命じる旨が書かれていた。
朱璃はすぐに盗賊を追跡させた側近に連絡を取り、西の山華の方へ逃走したという情報を得る。
急ぎの執務をこなし、合間に側近に任せられる仕事を分類し、各方面に細かい指示を出す。留守の間の準備を終え旅支度を整えた朱璃は、側近であり近衛隊副隊長でもある蘭丸一人を供につけ、王宮を抜け、王都の南門を目指した。
※
王都・立華はその周囲を高くそびえる壁が囲い、三つの門を構える。貴族の邸宅が並ぶ東門、食堂や旅籠が並び多くの旅人を迎いいれる南門、工芸の盛んな西門。
南門に着いた柚希と咲良は黒鹿毛の馬を降り、歩いて南門をくぐる。朱色の門は見上げるほど大きく、咲良は倒れそうになるほど首を上に向けて、感動のため息をもらす。
「すごい大きい……、すごい人が多い……っ!」
王都に来る者のほとんどが南門を利用し、王都の中で一番にぎい、人が多い場所だった。
何度か来たことがある柚希は、物珍しそうにきょろきょろと辺りに視線を向けている咲良に小さな吐息をつく。
「咲良、頼むから側を離れるなよ。村を出るのは初めてなんだから、はぐれたら確実に迷うぞ……」
「大丈夫だよ」
満面の笑みで答える咲良に、一抹の不安をぬぐえない柚希はわずかに眉根を寄せた。
目を離した一瞬の隙にいなくなりそうに感じて、柚希は半歩後ろを歩く咲良の手を取って握りしめる。
手を握られた咲良はふっと柚希を振り仰ぐ。
こんなふうに手をつなぐのはいつものこと。咲良が迷子にならないように柚希が手を引き、咲良の不安を取り除くように優しく握りしめる。自分を心配する幼馴染の優しさに、つい笑みがこぼれてしまう。
視線を感じて、柚希はわずかに眉根を下げる。
警戒心のかけらのないふわふわの笑顔を向けられて、柚希は急激に早くなる鼓動にぎゅっと胸が締め付けられる。
幼馴染としてしか見られていないと分かっていても募る想いにもどかしさを感じ、咲良から視線を横にそらした。