第39話 乙女の初恋
コンコン、コンコンコンッ。小さな拳で五回叩く。これが咲良と柚希の合図。
返事がなくても、咲良はゆっくりとドアノブを回す。室内には明かりは灯しておらず、開いたままになっている窓から月明かりが差し込んで、青白い光が照らしている。
「柚希……?」
呼びかけにも返事はなくて、寝ているのかと思ったが、柚希はベッドの端に腰掛け、開いた足に乗せた腕の中に顔を隠すようにうずめていた。
「柚希?」
もう一度呼ぶと、ピクンっと柚希の肩が小さく震えて、顔がゆっくりと上げられる。
「咲良……どうして? 王都にいるはずじゃ……」
戸惑いがちな声に、咲良は柚希の側まで歩み寄って苦笑する。
「柚希に話したいことがあって――体調はどう? 柚希が倒れた後、私も倒れたらしくて、そのまま王都に行ったっきりだったから、ずっと心配だったんだ」
「ああ……別に怪我したわけじゃないから、俺は何とも……」
そう言って俯いた柚希は、ぎゅっと唇をかみしめる。
咲良を守る――小さい頃からずっと、それは自分の役目だと思ってきた。
それなのに自分は咲良を守り切れなかった。戦いの最中に意識が飛んでぶっ倒れるなんて、恥ずかしくて情けなくて、咲良に会わせる顔がなかった。
自分の事を頼りにしてくれたのに、その信頼に答えられなくて、悔しい――
咲良が王都に行ってしまい、心がつぶれるような思いだった。こんなに好きで好きで、どうしようもないくらい恋焦がれているのに、守ることも出来ず、手の届かない所に行ってしまった。その上――
「咲良は……朱璃皇子と婚約、したんだってな……」
紅葉から聞かされた咲良の婚約。大巫女になるまでは婚姻は出来ないから、婚約の形にとどまったらしいが、いずれ婚姻することは明白だ。
浪華の街で咲良が朱璃に告白されたこと、その気持ちに答えたいという話は咲良自身から聞いてはいたが、それは義理みたいなものだと思っていた。
好きという気持ちが分からないと言いながら、どこか遠くを見つめる瞳は切なげに揺れていた。
耳飾りを渡した盗賊の男を、恋しくて仕方ないって顔しているのを見て、本人さえ気づいていない咲良の恋を応援しようと決めた。だけど――
「お前はそれでいいのか? 本当は、好きなヤツがいるんじゃないのか……?」
静かだが、やるせない思いの込められた声に、咲良は身を揺らす。
柚希の言葉がまっすぐと咲良の胸に突き刺さり、じくじくと痛みだす。
「なっ、に、言ってるの……?」
「誤魔化すなよ、本当はもう気づいてるんだろ!? 咲良は好きの意味が分かって、自分が誰を好きなのか」
がばっと顔を起こした柚希は、咲良の二の腕を掴み、やや強い口調で言う。
その表情は月明かりを背に受けてはっきりとは見えないが、咲良には柚希が苦しそうに眉根を寄せているのが分かった。
本当は分かってる。気づいてしまった――
だから、柚希に会いに来た。あの人には会えなくても、せめて、自分にまっすぐ気持ちを向けてくれた柚希には、ちゃんと自分の口から朱璃との婚約の事を伝えたかったから。
どんなに切なく思っても、叶わない想いが――柚希と自分を重ねて身につまされて。
それのに、まさか柚希から婚約の話を切り出されるとは思ってもみなくて、咲良はどんどん速くなる鼓動に、ぎゅっと瞼を閉じる。
「柚希……私……だけど……」
好き――
そう思う人はここにはいない。いつ会えるかも、会えるのかどうかも分からない。
好きだと気づいたのに、想いを伝える事が出来なくて、胸がつぶれてしまいそうなほど苦しかった。だけど。
大巫女になりたい――
それも確かに咲良の望みだった。大巫女になって、多くの人を幸せにしたい。ミスティローズの宿命に従い、国や民を守ることがその近道なのだというのなら、迷いなんてない。
大勢の中に青羽がいるのだから――
ぽろぽりと瞳から溢れてくる涙に、咲良は嗚咽をもらしてうわんうわん、声を出して泣いた。
「仕方ないのよ……」
そんな言葉は使いたくない。だけど、本当に、仕方ないの――そう自分に言い聞かせる。
嗚咽交じりにつぶやき、涙のたまる瞳をまっすぐ柚希に向けると、その瞳の中にはあざやかにきらめく決意が浮かんでいて、柚希の心をついた。
咲良にそんなふうに言わせる自分も朱璃も盗賊も許せなかった。
柚希には、咲良が婚約を決意したのが、盗賊を守るためだからだと分かっていた。だからなおさら、苛立ちがおさまらない。
「本当にそれでいいのかっ? 諦めた俺の気持ちはどうなるんだよっ――」
低く掠れた柚希の声が、悲痛な想いを吐きだす。
「好きだ、ずっと好きだったんだ。咲良は俺が守るんだって小さい頃から思っていた、これからだって咲良は俺が守るって――、咲良が本気で好きなヤツがいるなら、世界が敵にまわろうと、俺だけは咲良の味方する。だから、咲良が決めたことなら応援するつもりだった、それなのに……いいのかよ? こんなの、辛いじゃんか……どうして好きなヤツがいるのに婚約なんか……」
掴まれていた二の腕に一瞬、力が籠り、すっと柚希の腕が落ちる。
青白い月明かりが柚希の横顔を照らして、その頬に一筋の跡を見つけて、咲良は泣き笑う。
「ありがとう、柚希。好きになってくれてありがとう。私も……柚希のことが好きだよ」
この気持ちはどんな気持ちとも比べられない。
柚希の気持ちに答えることはできないけど、柚希は咲良の中で何よりも大事な幼馴染であり、家族でもある。
両親を亡くした咲良のそばに、いつもいつも柚希が一緒にいてくれた。もしかしたら、咲良の初恋の相手は柚希なのかもしれないと思った。淡い初恋。
そう言ったら、柚希はぐっと目元を拭って「なに言ってんだよ」って笑った。その瞳にふっと甘やかな光がきらめいて、次の瞬間、強く抱きしめられる。
「咲良、辛くなったら、俺に言えよ。俺はいつだってお前の幼馴染なんだからな」
柚希は抱きしめた力を緩めると、咲良を見下ろして精悍な顔にあざやかな笑みを浮かべるから、ドキンっと胸が跳ねる。
「こんなに頼もしい幼馴染はいないね」
そう言って、咲良は柚希の背に腕をまわして抱きしめた。




