第37話 愛しい人のために
重厚な椅子に腰かけた四十代後半の男が、ギシッと椅子の軋む音をさせる。
「これから蒼馬国は本格的に王都に軍を向けてくるだろう――」
組んだ腕を黒塗りの机の上に乗せ、重苦しい吐息と共に吐きだした言葉に、朱璃はぎゅっと眉根を寄せた。
血のつながった父とはいえ、多忙な王に面会を取り次いでもらうことは極めて困難だったが、「国宝について、至急」と告げれば、数時間も待たされず王の執務室へと通された。
蒼馬国が国宝を狙って朱華国に王軍を送ってきている現状を把握しているのか、問い詰めようとした朱璃だったが、王は朱璃が手に入れた情報をすでに耳にしていた。
おまけに、蒼馬国から内密の使者が来たという。
国宝を失い、四大国の危機に直面する前に、同盟という名の合併を提案してきたのを、王は突っぱねたという。
話して分からないのなら実力行使で――と王軍が、まずは国宝を狙って侵略してきたということだった。
朱璃はその話を聞いて、愕然とする。
国宝を失くしたからといって、隣国の国宝を代用しようとする蒼馬の王族の考えが分からなかった。
しかし、こうなった今、朱華国と蒼馬国の戦は避けられない――
戦を避けるための合併を持ち出したのに、自ら戦をしかけてくる蒼馬の愚かさを呪ったし、王も王で、もっと上手く断ればいいものを……と嘆いてみたが、今更どうにもならないことを知っている朱璃は、あえて何も言わずに王の執務室を退室した。
城内は密かに戦に備えて兵士が駆けまわり、準備を整えていた。
隣国蒼馬は戦時力の高い国、よい武器を作り、よい軍人を育てている。その蒼馬に、朱華国はどこまで太刀打ちできるものかと、朱璃は思案した。
攻められるという点で、防御の強い王都立華での戦いは優勢とも読めるが、戦となれば少なからず犠牲は出る。できることならば戦などせずに、話しあいで解決したいと思う朱璃だが、いくら考えても良い方法などなにも思いつかなかった。
その後、自分の執務室に戻って仕事をしていた朱璃は、蘭丸が知華村から戻ってきた事を知り、すぐに蘭丸を呼びつけた。
戻ってくるのにもう数日かかると思っていたが、帰ってきてということはつまり、知華村が襲われたということで、すぐにでも咲良達の様子を聞きたくて、逸る気持ちを押さえて執務室で蘭丸が来るのを待った。
室内に入ってきた蘭丸は着替えすら済まさず、所々汚れた格好のままだったが、自分が早く報告を聞きたいと思って着替えを後回しにして急いで来てくれたのだろうと分かって、朱璃は急く気持ちを押さえて蘭丸の話を聞いた。
襲われた知華村のこと、倒れた紅葉と柚希のこと、再び襲われる危険を回避するために咲良を王城に連れてきたこと――
蘭丸はあえて、咲良のミスティローズの力を使って蒼馬の兵士を撃退したことは伏せていた。
報告を聞き終った朱璃は、咲良が目を覚ましたら呼んでほしいと頼み、仕事をすることにした。
だが、仕事などはかどるような状況ではなかった。
いつ襲ってくるともしれない蒼馬国、戦を回避するため、被害を最小限にするため、自分に出来ることを必死で模索した。そうして、朱璃が思いついたことは一つだった――
※
王城の一角にある客間に寝かされていた咲良は、蘭丸と入れ違いにやってきた朱璃の険しい表情に気づいて、きゅっと唇をかみしめる。
「朱璃様……?」
戸惑いがちに呼んだ名に、朱璃は緊迫した表情をわずかに和らげて、咲良の座るベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろした。
「咲良、具合はどうですか?」
「あっ、はい……大丈夫です……」
蘭丸の求婚に混乱していた頭が、突然の朱璃の登場に山華での告白を思い出させて、かぁーっと頬に熱を帯びる。
膝で握っていた掛布を引きあげて、咲良は顔を隠す。
「また蒼馬が襲ってきたと聞きました。怖い思いをしたでしょう……」
「はい……」
青錆色の鎧の兵士たちが村を取り囲んだ光景を思い出して、咲良はぶるりと背中を震わせる。
あの時は村を守ることで夢中で怖さなんて感じなかったのに、今頃になって体中が震えてきて、そんな自分が情けなくなる。
瞬間、ふわっと体が温かい腕に包まれて、心臓がドキンっと跳ねる。
「……っ、朱璃さ、ま?」
「こんな時にこんな事を言う私を許して下さい……」
前置きのように苦しげな声で言われて、咲良は小さく首を傾げる。
「返事は急がないと言いましたが、咲良、私とすぐにも結婚してください――」
「えっ――?」
思いもよらない言葉に咲良は小さな戸惑いの声をもらすが、自分を抱きしめる朱璃の逞しい体が震えていることに気づいて、なにか事情があるのではないかと察する。
「朱璃様? なにか、あったのですか?」
咲良の髪にうずめるようにしていた顔を離した朱璃は、咲良を見下ろし、憂いを帯びた笑みを浮かべる。その瞳が悩ましげに揺れているから、咲良の心をついた。
「蒼馬国が国宝を狙っているのは知っていますね?」
咲良は頷くことで、朱璃の話を先に促す。
「蒼馬国の国宝は数年前に何者かに奪われ、それで朱華国との同盟を望みましたが――朱華王はそれを拒否しました。蒼馬は実力行使にでるでしょう、いずれ、王都は戦になる……」
戦という言葉に、咲良ははっと息をのむ。
「避けることはできないのですか……?」
やっとの思いで口にした言葉は、朱璃が首を横に振ることでできないと言われる。
「私も、なんとか戦にならない方法を探しました。でも、戦は――避けられません。せめて、被害を少なくするために最善を打つしか……」
話がなんだかそれているように感じていた咲良だが、朱璃がそこで確信に触れる。
「戦に勝つために、あなたの力を貸してほしい――」
「それは、ミスティローズの力ですか……?」
「ええ、王族と婚姻を結ぶことで黄帝の祝福を得、神力はさらに強まります。その力を私に貸して頂きたい」
朱璃の言っていることは正しいと思うし、自分の力で国や民を守ることが出来るなら、いくらでも差し出す覚悟はできている。
だけど、それは結婚までしなければならないことなの――?
小さな疑問の芽が咲良の中に芽生えて、胸をぐちゃぐちゃにかき乱す。
ついさっき、蘭丸に求婚されて、今は誰とも結婚するつもりはないと言ったばかりなのに。
役に立ちたいという気持ちと、結婚に戸惑う気持ちが葛藤して、咲良を悩ませる。その時。
『王族と婚姻関係を結び神力を強め、王家を守り導く、それが大巫女の役目でありミスティローズの宿命だ』
そう言った紅葉の言葉が脳裏をよぎり、ぎゅっと唇をかみしめる。
いずれは王族と婚姻することは、大巫女を目指すならば避けては通れない道だ。結婚相手を自分で選ぶことが出来ないのなら、その相手が顔も知らない男性よりも朱璃ならば、自分は幸せなのではないかと思う。
ふっと顔をあげると、夜空を切り取ったようなまばゆく輝く漆黒の髪がさらさらとこぼれ落ちて、咲良の額にかかる。
切れ長の二重瞼、気高さに彩られ瞳、高く通った鼻筋、形の良い唇は色っぽく、まさに王子の理想を絵に描いたような美貌に、咲良はあらためてまじまじと見いってしまう。
「あまり、そう見られると恥ずかしいな……」
照れたように苦笑する朱璃は、咲良の額にかかる濡羽色の髪を払うと、両手で咲良の両頬を優しく包み込む。
「もちろん、王子としての考えだけではありません。私自身、真に愛するのは咲良、あなた一人だけです――いずれ、あなたのすべてを私のものにしたい」
甘やかな瞳が咲良を見下ろす。その中に焦がれるような熱と強く求める光がきらめいて、咲良を射とめるように誘って揺れた。
ドキドキと跳ねる鼓動を聞きながら、咲良はなぜか、底に反逆の炎を燃やした息が止まるほど美しい濡羽色の瞳を思い出して、胸が苦しくなる。
その瞳に見つめられるだけで恐怖に身が震える。冷たく見えるほど整った顔立ちは、孤独が香る。
守りたいと思った。
ミスティローズの力で守る幾千の民の中にその人がいると思っただけで、迷いが立ち切れる。
国のために、民のために、愛しい人のために――
「わかりました、私は朱璃様と結婚いたします」




