第34話 運命にだって立ち向かう
「大ばば様――っ!?」
ふらっと揺れた紅葉が地面に崩れ落ちる。それと同時に、村を守る炎の壁が小さくなっていく。
咲良は慌ててその場にしゃがみ、紅葉を抱き起こすが、その顔は青ざめ、苦しそうに吐息をもらすばかりで、固く瞳が閉じられていた。
“力を使いきったか……”
低く澄んだ声が耳をかすり、ふわりと優しい風が吹き、炎がゆらゆらと大きくなる。
「覇鳥……?」
銀髪の髪をなびかせた風の精霊が姿を現し、咲良は不安げに見上げる。
「どういうこと……? 大ばば様の力がなくなってしまったということ……?」
“神力を使うには体力がいり、体に宿る神力には限界がある。だが大巫女は高齢、年々神力は弱まり、限界が近づいていました、それを神具で保っていたが……”
「力を使いすぎたということか……?」
覇鳥の言葉を引き継いで、柚希が重い口調でつぶやく。
“はい”
「確かにおばあ様は最近、神力を使うことはほとんどなかった」
「柚希、気づいていたの? ……というか、精霊の声が聞こえるの!?」
「えっ、この人、精霊なのか……!?」
“巫女姫、私の姿が見えるのは神力がある者だけ……なのですが、おそらくこの者は神具を持っているのでしょう”
「神具……?」
柚希は訝しげにつぶやき、覇鳥の目線の先に自分の握る弓がある事に気づく。
「花梨弓がなにか……?」
“おそらく、その弓は巫女が神事に使っていたもの。微力ながらその時に神力が宿ったのでしょう”
「そうだったのか――、それよりも、おばあ様が倒れられた今、村を守るこの炎もじき消える、俺達だけじゃ、村を守りきれるか……」
ぎゅっと唇をかみしめた柚希は、炎の向こうに視線を向ける。そこには数多の兵士が、こちらの様子をうかがいながら、じりじりと迫ってくる。
紅葉が倒れた事はすでに気づかれているだろう。将軍がなにやら指示を出して兵士たちが慌ただしく布陣をたてなおしているのが見てとれる。
“村を守る炎に、私の風を送りました。しばらくは、炎の守りも持つでしょうが、それもじき……”
覇鳥の淡々とした声を聞きながら、咲良はぎゅっと瞳を閉じる。
大ばば様が倒れてしまうまで頑張ったのはなんのため――?
ここ数日、焦るように私にいろいろ大巫女の仕事について学ばせたのは――?
ざわざわと体中に熱が渦巻き、咲良は濡羽色の瞳をゆっくりと見開く。
伝説の乙女? ミスティローズ? 王と民を守る力だって言うなら、今使わなくて何になるっていうのよ――
運命? それがなんだっていうの――
そんなもの、私が自分で決めるわ。これが決められた運命だっていうなら、運命にだって立ち向かってやるわ――っ!
「柚希――」
美しい濡羽色の瞳が青みを帯びて、柚希を見つめる。その瞳が強い光を宿してきらめくから、柚希は心がしめつけられる。
こんな表情は見たことがない。
いつもどこかふわふわとしていた咲良が、強い決意を宿して自分を見つめている。
「咲良……?」
柚希は言い知れない不安にゆっくりと咲良の名を呼ぶ。
「柚希、私にキスして――」
「えっ!? こんな時になに言って……」
「こんな時だからだよ! 私にはこれしか出来ることがないから――」
そう言って柚希を見上げる咲良の瞳が切なさの中に激しさが浮かび上がり、胸が熱くなる。
「それは、ミスティローズの力を使うということか――?」
咲良の決意を感じた柚希は、ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で問う。それに対して、咲良はコクンと首に縦に振り、紅葉から渡たされた紅玉のちりばめられた二連の腕輪と左耳に残る国宝の耳飾りを取り外した。
「俺で、いいのか――?」
そう問いかけながら、柚希の栗色の瞳に甘やかな輝きが広がり、咲良が頷くのと同時に、顔を傾けて優しく口づけを落とした。
瞬間――
咲良の体を熱い血潮が激しく波打つ。内に眠る巨大な力が解き放たれて全身に力が駆け巡り、ふわりと体が軽くなった。
柚希は咲良の唇に触れる場所から熱を帯び、まるで雷に打たれたような激しい衝撃が体を突き抜けた。体中に力がみなぎるのが分かり、柚希はゆっくりと咲良から顔を離すと、手に持つ花梨弓に視線を落とした。
柚希と咲良を包む空気が震え、花梨弓の玄が共鳴するように力強く鳴り響く。それはまるで、龍のいななきのような低く地を這う音。
地を踏みしめた柚希は優美な動きで弓を構えると、後ろ手に背負った矢筒から矢を取り出して構える。右手からぴりっと空気が振動し、放たれた矢はうねり、矢先から光が網目のように広がって緑青の兵を複数とらえた。
その光景に兵士だけでなく柚希自身も瞠目し、矢をつがえようとしていた動きが止まってしまう。これがミスティローズの力なのかと。
もともと命中率の高い柚希の弓矢はミスティローズの力を受けて威力があがると同時に、一本の矢が放たれると同時に網のように広がって複数の兵士を一度に倒していく。柚希は次々と構えては兵士を倒し、残っている兵士は数十人ほどまで減っていった。
だがそこで、村を守っていた炎の壁がついに消えてしまう。
後ろに下がり部下に指示を出すことで柚希の攻撃から逃れていた将軍は、それを見逃さなかった。
「炎が消えたぞ、お前たちは村に突入っ! なんとしても国宝を探すんだっ」
将軍の命令に従って、騎馬兵数人が村へと突き進んで来る。
咲良は祈るように握りしめていた手に、冷たい汗がにじむ。
横を見やれば、柚希は額にもびっしりと汗をかいていて、立っているのもやっとの状態で兵士への攻撃を続けていた。そして、矢の残りがもう僅かしかない。
矢華村でミスティローズの力を使った朱璃はその後しばらく体がしびれると言って動けなくなってしまった。紅葉の話では、ミスティローズの力を使った男はその反動がくるという。使った力が大きければ大きいほど、体にかかる負担は大きいのだ。
その言葉を思い出して、はっとする。
このままでは、柚希も倒れてしまう……村を守りきれない――
咲良自身も神具を外して力を解放したことで、体に負担がきていた。ふらつく足をなんとか踏ん張って、先程まで姿のあった風の精霊に呼びかける。
「覇鳥、お願いっ、村を守る力を貸してちょうだい……っ」
自分にもし力があるのなら、大ばば様のように精霊の力を借りることができるかしら……
淡い期待を胸に、悲痛な叫びをもらした咲良を優しく包むように風がふわりとそよぐ。
“よろしいでしょう、巫女姫の望みとあらば、私の力を貸しましょう。さあ、力を解放した巫女姫よ、唱えなさい――”
「風の精、覇鳥――お願い、村を守るだけの力をかして……っ」
祈るように唱えた言葉が風に乗って、咲良の周囲を薄紅の風が包む。瞬間、ぶわりと強い風が吹いたかと思うと、その風の渦の中に、燃え立つような赤毛を揺らした蘭丸がいた――