第33話 不測の事態
「大ばば様っ!」
ノックもせずに扉を押しあけた咲良は、はっと息をのむ。
予言の間で巫女装束に身を包んだ紅葉が中央の台の前、手で印を結んですごい集中力で何かを唱えていた。紅葉の体の周りを気迫が帯び、その気品にあふれる姿に呼吸することすら忘れてしまう。
「咲良か、よいところに戻ってきた」
結んでいた印を解くと、そこから炎をまとった鳥たちが一斉に羽ばたいて予言の間の壁をすりぬけていく。
「あのっ、そうば……」
勢い込んで言おうとした咲良の言葉を首を振って制止した紅葉は、その言葉を引き受けるように続ける。
「分かっておる、蒼馬の兵が村を囲んでいることは。今、村中に村長か私の館に避難するように使い魔を飛ばした。そう興奮せずとも大丈夫だ」
冷静に考えれば、巫女になったばかりの咲良が気づいたのだから、大巫女の紅葉が兵の包囲に気づいていないはずがないのだが、慌てすぎて咲良はそんなことも気づかなかった。
そんな咲良の落ち着きのなさに、紅葉は小さな吐息をもらして、じゃらりと神宝の腕輪を両手にはめると、扉へとゆっくり歩きだす。
「さてと、それでは、敵を迎え撃つとしよう」
紅葉の威厳に満ちた声音に咲良は背筋を震わせる。
とうてい追いつけない――そんな偉大さを見せつけられて、咲良は右耳に残る国宝の耳飾りに無意識に触れた。
館に避難してきた村人と入れ違いに館を出た咲良は、村の異様なまでの静けさに、ドキンと胸が跳ねる。
村人を巻きこまないために避難させたのだろうということは分かるが、この静けさが嫌な予感を胸に呼び起させる。
大巫女である紅葉を支持し、その元で修行をする巫女は多くいるが、ほとんどが高齢で、今知華村にいるのは見習いは咲良一人だった。
紅葉は咲良と二人、静けさに包まれた村を通り抜け村の端を目指す。途中、村長の館に避難する村人を誘導していた柚希と合流する。
「おばあ様、俺も行きますよ」
そう言った柚希を紅葉はちらっと涼しげな瞳で見て、何も言わずに歩き続ける。
柚希はそれを了承と受け取って、背負った矢筒の肩ひもを強く握りしめた。
立ち並ぶ家屋が途切れ、開けた場所に立った咲良ははっと息をのむ。そこには、村を囲むように青錆色の鎧をまとった騎馬兵と歩兵がずらりと並び、暮れかかる空をゆらゆらと揺れる無数の松明が燃えていた。
三人の姿を認めて、すっと兵の人垣が割れ、そこから一頭の騎馬が姿を見せる。それは先日知華村で、そして矢華村でも兵を指揮していた将軍だった。
「やっと来たか……やはりお前が大巫女だったな」
ふんっと見下すように鼻をならした将軍は紅葉に威圧的な眼差しを向ける。
「のこのこ出てきたということは、大人しく国宝を渡す気になったか?」
紅葉は涼しげな眼差しを将軍に向け、ふっと薄い笑みを浮かべる。
「そう易々と隣国に国宝を差し出すわけがなかろう?」
そんなこともわからないのか――そんな揶揄するような含みを持った言葉に、ギリっと将軍が紅葉を睨みつける。
その視線に恐れもせず、紅葉は鈴を転がしたような軽やかな声音で言い放つ。
「それよりも、直ちにこの村を立ち去るのだ。隣国がこの国に干渉することは許さぬ。警告はこれで終わりだ、さもないと――」
「さもないとどうするというのだ?」
目をすがめて馬上から見下ろす将軍にはまだ余裕が見てとれる。
「大巫女と子供二人で我ら蒼馬の王軍を倒せるというのか?」
「お前達の相手など、私一人で十分だ」
「大した自信だが、聞いたところ、お前は国宝を紛失した咎をおって都を追放されこんな辺鄙な村にいるとか。そんなお前に我々を倒せるというのか? 国宝を持たぬ大巫女など恐れるに足らぬ」
鼻で笑うと同時に、将軍は腕を投げるように大きく動かし合図を送る。それを見て、周りの兵士たちが一斉に村に攻めてくる。
二人の会話を見守っていた咲良と柚希は身をがまえるが、紅葉は笑顔のままふっと皮肉げな笑みをもらす。
「ふん、馬鹿者め。なにか勘違いをしておるようだが、国宝が大巫女の力の源ではない、国宝を守るのが大巫女の役目だ――」
言うと同時に短い詠唱を唱え、素早い手の動きで印を結んでいく。
瞬間。ぶわりと辺りに熱が帯び、兵士たちが持つ松明から炎の竜がうねりだす。炎の翼と尻尾をもち、赤々と燃える炎の瞳の火竜が兵士たちの行く手を遮る。口から吐かれた炎は村への侵入を防ぎ、武器を溶かして兵士の戦意を喪失させる。
炎に守られた村と紅葉達に、兵士たちは近づく事も出来ない。
勇敢な騎兵は炎を飛び越えて来ようとするが、炎の壁が燃え上がり、それを阻む。
直接飛び越えるのは無理だと思った弓兵が紅葉めがけて矢を放とうとしたが、柚希が放った矢が弓兵の腕を射ぬく。
全神経を集中させて弓を射る柚希の横顔は精悍で、その額ににじむ汗がキラリと輝く。
咲良は紅葉の神力を見るのは初めてではなかったが、こんな激しい術を見るのは初めてで、大巫女と言われるほどの紅葉の力を見せつけられて、息をのむ。
村を守るために――咲良もそう思ってついてきたのに。
紅葉は神力で操る火竜で、柚希は得意の弓で、兵から村を守る。それなのに、自分はどうだろうか……
ただおろおろとするばかりで、何もできない自分が悔しくなる。
自分も何かしなければ――
そう思うのに、咲良は自分に出来ることが思いつかなかった。
紅葉と柚希の攻撃で村を囲んでいる兵士たちの数は減っていく。それでも、まだまだ兵士の数は多く、じりじりと村を囲む輪が縮まっていく。
「なかなかしぶといな……」
舌打ちと一緒にもれた紅葉の言葉に咲良が視線を向けた時、ふっと取り巻く炎の気配が薄れたことに気づく。
「大ばば様……?」
ゆらゆらと村を守るように揺れていた炎が徐々に小さくなっていく。
「くっ……私も老いたな……」
苦しげに紅葉がつぶやいた次の瞬間、紅葉はその場に崩れ落ちた――