第29話 恋焦がれて
「なんでそんなに他人のために頑張るんだよ……」
柚希の言葉にドキンとする。同じ言葉を青羽にも言われた咲良は、青羽の事を思い出してしまって、かぁーっと顔が赤くなる。
漆黒の闇に濡れた窓に視線を向けて、この夜空の下、どこかにいる青羽に思いをはせる。
頭さんの病は耳飾りで治すことが出来たかしら……
今どこにいるのだろう――、会いたい――
そう思って、はっとして頭を勢いよく左右に振り、濡羽色の髪がさらさらと肩にこぼれていく。
だめよ、こんなこと考えちゃ。青羽は頭さんの病が治ったら必ず耳飾りを返すと約束してくれた。その時までに、私は立派な巫女になることを自分に誓ったの。
もっとちゃんと青羽の力になれるように――
例え、青羽に渡した耳飾りが国宝だったとしても、その責任を自分でとれるように、黄山に向かうって決めたんじゃない。
それからじゃないと、どんな顔して大ばば様に会えばいいのか分からない。
『決して耳飾りを外してはいけない。もしも外す時は――何があっても後悔しないと思えた時だけだ』
後悔しない――それはつまり、自分に自信を持って前を向いて歩けているかどうか。
自分の体調が悪くなっても、青羽に耳飾りを渡したことは後悔していなかった。役に立てたことが嬉しかった。でもそれだけじゃダメなんだ。ちゃんと巫女にならなければ――
だから朱璃に知華村に戻ることを提案された時も、首を横に振った。
「咲良……?」
考え込んでいた咲良は、側に柚希がいることをすっかり忘れていて、驚きのあまりびくっと肩を震わせて、ベッドから落ちそうになってしまたところを柚希に抱きとめられてしまう。
そっ、そうだ。私ったら、柚希のこと怒っていたのに、そんなこと忘れて普通に話してたよっ!?
怒りを思い出して怒ろうとして、それと同時に、口に当たった柚希の唇の感触を思い出してしまって焦る。
そうだ、柚希は私のことを好きとか言って……幼馴染じゃなくて一人の女の子として――
それが朱璃が自分に向ける気持ちと同じだと、その時になってやっと気づいた咲良は、急に柚希のことを意識してしまう。
柚希の逞しい胸に抱きしめられて、至近距離で涼しげな瞳で覗きこまれて、咲良は不覚にもドキドキしてしまう。
柚希って、こんなに大きかったんだな――
ずっと側にいて、あまりにも側にい過ぎたから、柚希を男の子として意識した事もなくて、咲良はまじまじと柚希を見てしまう。瞬間、柚希と視線があう。
焦がれるような熱がその瞳の奥にあって、咲良はかぁーっと自分でも分かるくらい顔が赤くなる。
咲良を抱く腕に力を込めるからびくっと肩を震わせると、柚希はそっとベッドの上に座り直させてその腕を優しく解いた。
柚希は浅く、ほんのわずかに笑っただけで何も言わず、ベッドから立ち上がると扉に向かって歩きながら。
「ゆっくり休んだ方がいい、おやすみ、咲良」
静かに言って、部屋を出て行ってしまった。
咲良はぎゅっと両腕で体を抱きしめて、体の内に宿る熱を押さえるように小さく体を丸めた。
柚希の優しさが胸にしみて、泣きそうだった。
小さき頃から、咲良の一番側にいて守ってくれたのは柚希だった。その柚希が自分に向ける気持ちが、自分の好きと違うことを思い知って、胸が苦しくなる。
瞳の奥に宿された焦がれるような熱が、強く求めるような光が、触れる指先から優しさが伝わって、全身で好きだと言われているような気がしてドキドキした。
こんなに大切に思われているのに、柚希に対して自分が何も返せないことが心苦しくて、柚希の側にいることが辛かった。
そう考えて、朱璃に求婚されたと話した時に、柚希が突然怒り出した原因に気づく。
優しくしてくれたから朱璃様に誠意を持って答えたいと思った。なにか朱璃様の役に立てれば――それは今でもそう思う。だけど、好きだという気持ちに誠意で答えようとしていたのは間違っている。だから柚希は怒っていたんだ。
『俺だって、咲良のことが好きだ! 幼馴染としてなんかじゃなくて、一人の女の子として好きなんだよ――そう言ったら、俺の誠意に答えてくれるのかよっ』
柚希の悲痛な叫びが胸に突き刺さる。
好きって気持ちに誠意だけじゃ答えられないことを思い知って、自分が何も分かっていなかったことに、やりきれなくなる。
だけど、分からなかったのだから仕方がない、とも思う。
朱璃や柚希が自分に向ける感情が、どういう好きなのか。普通の好きとどこが違うのか、分かりそうで分からない。
その時、咲良はなぜだか青羽の顔を思い出す。
自分のことを知ってもらいたい。相手のことを知りたい、もっと近づきたい。
青羽に対して抱いた、恋焦がれるような強い気持ちを思い出して、なぜだか胸が締めつけられた。
「青羽、会いたい――……」
嗚咽の混じるその声は、星の煌く漆黒の闇に吸い込まれていった。
※
相変わらず微熱と多少の目眩は続いていたがこまめに休憩をはさみ、咲良達は国境の村矢華を発ってから四日目、黄山中央にそびえる険しい山を登り、その頂に位置する黄帝がおわす仙塔宮に辿り着く。
そこには黄帝に仕える神仙が住まい、黄帝に会うべく黄山を訪れた者をもてなしていた。
咲良は朱華国大巫女の指示で巫女の宣旨を受けに来たことを伝えると、すんなりと控えの間に案内され、しばらく待つと咲良だけが宮殿の奥へと案内された。
三十代くらいに見える女性の神仙に案内されて、長い通路を渡り、何度か曲がり角を過ぎる。
「黄帝はこの奥でお待ちです」
言いながら頭を垂れた神仙はその場からわずかに離れる。示された白い紗の垂れた部屋の奥へ、咲良は恐る恐る足を踏み入れる。
何枚にも重ねるように垂らされた白い紗をくぐっていくと、だんだんと足の感覚がなくなってくる。
ふっと視界に白い靄が広がり、視界が晴れたと思った時には、紗をくぐる前の場所に戻っていた。
「あれっ……?」
咲良が首を傾げると、ああ……と側に控えていた神仙が微笑みを浮かべる。
「これで黄帝より宣旨を受けました、あなたは巫女となりましたよ」
「えっ、でも……」
そこで、咲良は言ってもいいものなのか迷って、視線をさまよわせる。
黄帝から宣旨を受けるもなにも、黄帝の姿も声も聞くことはなかった。これで本当に宣旨を受けたことになるのか不安を覚えるが、このままもやもやを抱えるのはためらわれて、思い切って聞いてしまう。
「黄帝のお姿はありませんでしたけど……」
不安そうに尋ねた咲良に、神仙は微笑みを深くする。その姿は咲き誇る花よりも美しくこの世のものではないような神々しさがあった。
「黄帝はつねに我々の事を見守っておられます。言葉ではなく、ここに来たこと自体に意味があるのです。それに、宣旨を受けなければここに戻ってくることはありません」
その言葉の意味を計りかねた咲良だったが、とにかく巫女になれたことにほっと安堵の息をもらして、柚希達の待つ部屋へと急いだ。




