第20話 王子、求愛す
「咲良――愛しています」
抱きしめていた腕の力を緩めて、朱璃は咲良の顎を引きあげる。自然と仰向いて朱璃を見つめる形になってしまった咲良は、気高さに彩られた漆黒の瞳、艶やかなきらめきを帯びた眼差しに強く見据えられて、急激に鼓動が駆けだす。
村で会った時も、「私の花嫁になりませんか」と言われていたが、その時とは比べ物にならないくらい朱璃の眼差しは真剣で、切なく瞬いて、咲良の心をついた。
だが……
「でも、大巫女になるには、結婚は許されないのですよね?」
紅葉の館で、紅葉と朱璃はそう言っていたことを、咲良はしっかりと聞いて覚えていた。巫女見習いでしかない自分が、大巫女の後継者と言われてもぴんとこないし、大巫女になれる器かと問われれば自信を持って言うことは出来ない。それでも、そうなれたらいと思う。
早くに両親を亡くし紅葉の側で大巫女の仕事を見てきた咲良は、紅葉のように巫女になって多くの人を幸せにしたいと思っている。国にただ一人しかいない大巫女は、巫女よりも強大な神力を使い、その分、巫女よりも多くの者を幸せにすることができる。
大巫女になるのがどんなに大変な事か分かっているが、それでも、自分の望みを叶えるためにがむしゃらに頑張りたいと思っていた。
震える声で小さく呟いた咲良の声に、朱璃は美麗をわずかに曇らせ、こんっと咲良の髪の中に顔をうずめた。
「咲良は……大巫女になりたいのですか?」
耳に息がかかり、咲良はくすぐったさともどかしさに心臓が飛び出しそうだった。
「はい、なれるならば」
「私のことは、嫌いですか――?」
こんな聞き方は意地が悪いとは思ったが、好きかと聞いて好きじゃないと言われたら、さすがの朱璃でも当分立ち直ることができそうになかった。
「いいえ、嫌いなはずがありません。私の旅に同行して下さって感謝するばかりです」
咲良の言葉に、ぱっと顔を輝かせた朱璃に、咲良は言葉を続ける。
「ただ、好きかと言われたら……分かりません。好きっていう気持ちがどんなものなのか、私には分からないんです。私の大ばば様や柚希に対する好きとは……違うんですよね?」
そう言って首を傾げた咲良の瞳はわずかに潤み、悩ましげな色香が漂っていて、朱璃は一瞬、瞳を揺らし、首を傾げて優しい笑みを浮かべる。傾げた拍子に、夜を切り取ったような美しい漆黒の髪がさらさらとこぼれて咲良の頬をくすぐった。
「今すぐに返事を頂こうとは思っていません。私が咲良を特別に思っていることを知って、徐々に私の事も知って頂ければ、嬉しい」
気品にあふれたいつもの朱璃の笑顔を見て、咲良も分かってもらえたんだと安堵の微笑みをもらした。
※
潤んだ瞳で懇願するように見上げる咲良に、朱璃は思わず口づけしそうになってしまった。好きだと自覚し、自分の気持ちに素直になろうと決意した直後に、あんな艶めいた眼差しを向けられて惹かれないわけがなかった。衝動的に動きそうになる朱璃を止めたのは、昨日、部屋を去る時に残した蘭丸の言葉だった。
『病人相手に変な気は起こさないでくださいよ~』
私は真摯だからな、そのようなことはしない――
心の中で蘭丸を睨みつけるような口調で言いつつ、昨日の出来事を思い出してかぁーっと一人顔が赤くなってしまう。
いや、あれは……
もごもごと心の中で弁明する。
自分の自覚を解き放ち、眠る咲良を見つめるだけで、ほんの少し触れただけでときめき、思わずしてしまった口づけ。あれはノーカウントだ……
そんなわけにはいかないが、起きている咲良に、さすがに拒まれると分かっていては出来なかった。
いままでならば、女性を相手に戸惑うことも、照れることもなく自然に出来たことが、咲良を前にすると、いろいろなものが吹き飛んで制御しきれなくなる自分に、朱璃はこっそりとため息をついた。
それにしても――
朱璃はさきほどの咲良の言葉を思い出して、わずかに眉根を寄せる。
『大巫女になるには、結婚は許されないのですよね?』
神に純潔を捧げる清き乙女――
大巫女だけではない、巫女になるために必要な条件でもある。乙女でなければ、黄山へ赴いて黄龍からの宣旨を受けることも出来ない。
だがしかし、そんなのは建前でしかない。世の中、例外はつきもの。
咲良はその条件をあの時初めて聞いたのだろうから、あまり深く考えなかったのかもしれない。だが、少し考えれば分かることだ。
現・大巫女である紅葉でさえ結婚し、娘も孫息子もいるのだから。
宣旨を受ける時さえ乙女であれば、巫女になってから結婚する者はいる。生まれ持った神力を子孫に残すため、神力を持つ男性と結婚して力を強めるため――
もちろん数は少なく、独身をつらぬく巫女の方が多い。結婚し神力を失くす巫女も稀にだがいる。
大巫女紅葉の結婚はそんな特例の一つで、大巫女着任後、神力の強い王族と結婚し、その力を王族に入れるため――
言い方を変えれば、大巫女となる娘はその時まで純潔を貫き、王族と婚姻関係を結び神力を強めることが、役目なのだ。
つまり、大巫女が俺に言ったあの言葉は――
結婚は許さないと言ったあの言葉の裏に隠れているのは、いまはまだ――という意。
いずれは大巫女を継ぎ、王族――私とは限らないが、私だったならば嬉しいな――と婚姻関係を結ぶことになるだろう。ただ、その時まで、咲良は乙女でなくてはならない。
暗にほのめかされた言葉に、朱璃は咲良が大巫女になるまでを見守ろうと思ったのだが――
思いのほか自制心がないことに、朱璃はくつくつと愉快そうに笑みをもらした。
自分の一面を知るというのは、結構楽しいものだな――と、王子らしい建設的な考えだった。
軽快な足取りで食堂から客室に続く階段を登って行く朱璃の手は盆をささげ、その上にはむかれた桃が透明の器に盛られていた。
※
気品にあふれた笑みを浮かべた後、そうそうと思い出したように朱璃が続ける。
「それから、咲良の世話はしばらく私がすることになりましたから、そのつもりでいてくださいね――」
そう言って笑った顔があまりにも妖艶で、咲良は心臓が止まるかと思った。
王子様が自分のお世話だなんてとんでもないと思ったけど、止める間もなく、「桃をとってきますね」とご機嫌な笑みを浮かべて言われてしまえば、咲良の口からは、とてもじゃないが「嫌です」なんて言えなかった。
もちろん、この後すぐに、咲良は断らなかったことを後悔することになるのだが。
美麗王子、次話も頑張ります!
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