第16話 走り出す想い
朱璃は無表情だがその瞳は鋭く、咲良と一緒にいながらも見失ったという柚希に自分でもどうしようもないほどぴりぴりと神経を苛立たせていた。
「探しに行きます――」
ぽつっと漏らした声に、柚希と蘭丸が顔を見合わせる。
「朱璃様?」
「私は探しに行きます」
言うと同時に立ちあがった朱璃に、蘭丸は冗談だろというように目を顰める。
「なに言ってんですか、こんな暗くなってから探しても視界が悪くて思うように探せないでしょ。それに雨だって降ってきたじゃないですか。側近として朱璃様を外に出すわけには行かないんですよ」
肩を大きく揺すってため息をもらす蘭丸の横の窓には、降り始めた雨がぱらぱらと音をたてる。
座ったまま見上げる蘭丸に視線を向けた朱璃は、その美貌に威厳を宿し言い放つ。
「だからですよ。こんな雨の中、咲良は一人なのですよ。探してやらねば」
そう言った朱璃は蘭丸の制止も聞かずに店を飛び出した。
「朱璃様っ! ……まったく、あの王子は」
面倒くさそうに頭を掻き、朱璃を追って立ち上がった蘭丸に、とっさに柚希も立ちあがる。
「柚希君はここで待ってて」
「でも、元はといえば俺のせいで……」
「君のせいだとは思わないけど。俺は王子の護衛なもんでね、飛び出して行った王子を追わなきゃならないお役目だ」
そこでため息をもらした蘭丸は、額に張り付いた前髪を無造作に掻きあげる。その奥の瞳に冷静な光がまたたいた。
「俺は咲良ちゃんはもうじき帰ってくると思うよ。だから、柚希君はここで待ってて。咲良ちゃんが帰って来た時、三人ともいないんじゃ、それこそ心細い思いをさせちゃうだろ」
蘭丸の言葉はどこか説得力があり、柚希もだんだんと冷静さを取り戻して静かに頷いた。
「わかりました」
「じゃ、頼むよ」
くすりと笑った蘭丸は、雨の降りしきる闇の中へと駆けだして行った。
※
「……さまっ、朱璃様っ!」
勘を頼りに朱璃の行きそうな場所に向かって走った蘭丸は、すぐに朱璃に追いつくことが出来た。
蘭丸が追いかけてくることが分かっていた朱璃はわずかに眉根を寄せ、ふっと視線をそらして歩き出そうとする。その肩を力強く、やや乱暴に蘭丸が掴む。
「朱璃様、帰りますよ」
「……咲良を見つけるまでは帰らない」
「そんな我がままをおっしゃらずに、冷静になってください」
頑なに蘭丸から視線をそらしていた朱璃は、その言葉にぴくりと肩を揺らす。
「冷静……じゃない、か……?」
低く掠れた声で朱璃は呟く。雨に濡れた黒髪が額に張り付いて、その奥の瞳が複雑な色を帯びて揺れる。
苦しそうなその表情に気づいた蘭丸は、掴んでいた肩を優しく叩く。
「はい。こんな視界の悪い中を探すのは得策ではないと、あなた様も気づいているでしょう?」
「だが、咲良を……」
そこで言葉を切り、ぎゅっと唇をかみしめる朱璃。
分かっている。自分よりも、蘭丸の方が正しいことを言っていると――
「とにかく今は宿に戻りましょう。雨の中、無茶をして朱璃様が熱でも出されては、それこそ咲良ちゃんの旅も足を引っ張ることになりますよ」
「分かった……」
自分の肩に置かれた手に手を掛けてゆっくりと肩から離すと、ふっと皮肉気な笑みを浮かべて朱璃は目元を細める。
「私がこんな感情になるとはね……」
その瞳に切ない光がちらついて、蘭丸はわずかに目をみはる。
「分かっている、蘭丸の言うことが正しと。それでも、彼女がいないと思ったらいてもたってもいられなかった。こんな激しい感情が私の中にもあるなんて知らなかった。だが、悪くはないな」
瞳に鮮やかなきらめきを宿して、切ない笑みを浮かべた。
会って間もないのに、朱璃の胸の中に芽生えた強い気持ちは、いままで感じたどの恋愛感情とも違う気持ちだった。
愛おしい――
そんな言葉では言い表せられない、もっともっと深い気持ち。
すべてを奪いたいと思う。自分のことしか見えないようにしてしまいたいとさえ思う。
だけど、咲良は大巫女を継ぐ人間。恋をすることを許されない彼女に、朱璃の気持ちは報われないもの。それでも募る激しい感情に、彼女のためならば何でもしてあげたいと思うし、自分のすべてを差し出してもいいとさえ思う。
王族として常に中立な立場を求められてきた朱璃。恋をしても、誰か一人を特別に思うことはなかった。いずれ、王や大臣達が認める花嫁を迎えるのが自分の仕事だとも思っていたから。
村では勢いで私の花嫁になりませんかと言ってしまったが、この胸に芽生えた気持ちを育てていいのか迷っていた。
理性が強く自分の気持ちを閉じ込めようと思えば出来る朱璃は王都に戻り、冷静な目で自分を客観的に眺め、自分の気持ちを凍らせることにした。この想いを咲良にぶつけるつもりはない。せめて側で見守ることが今の自分にできることだと思っていた。
玉座に縛られる前に、自由に手にしているうちに、少しだけ悪あがきをしてみたかった。
ただ、咲良が誰のものにならないように側で見守ること――
それが朱璃の小さな願いだった。だけど。
咲良が迷子になったと聞いただけで気が狂いそうなほどの喪失感に襲われて、頭で考えるよりも先に体が動いていた。
雨の中を駆けだし、凍らせていた気持ちが激情の炎に焼かれて少しずつ顔を出す。そうして走り出してしまった想いを縛りつけることは、もう出来そうになかった。
こんなふうに後先考えずに飛び出したのは初めてだった。でも、理知的でない自分も好きだと感じる。こんなふうに激情に突き動かされるのも悪くはないと思ってしまった。
もっと想いに正直になってもいいだろうか――
私らしい愛し方をしてもいいのだろうか――
この想いを育てて、行きつく先を見てみたい、そう思った。
2011年も今日で終わりですね。
みなさん、よいお年を!