第14話 約束
すぐ側にあった温もりが消えたことに気づいた咲良は、恐る恐る瞳を開ける。
青羽は椅子から立ち上がり、ベッドから離れた棚の前でなにかをぶつぶつ呟いていた。
咲良はその様子を不思議に思いながらも、覚醒してく思考の中で、なぜ青羽を山まで追って来たのかを思い出して、掛布をめくり足をベッドから下ろして青羽の側に近づいた。
「青羽?」
突然、真後ろから声をかけられた青羽はびくっと肩を震わせて振り返り、動揺に瞳を揺らす。
「どうしたの?」
一度口を開きかけ、青羽はきゅっと奥歯を噛みしめて小さな吐息をもらす。
「……いや、なんでもない」
自分に向けられるまっすぐで純粋な瞳に慣れなくて、咲良から視線をそらして青羽はぎこちなく答える。
その横で咲良は耳に手をかけてなにかもぞもぞと動かす。それから、青羽の手をとって広げると、そこに小さな耳飾りを乗せた。
青羽は手のひらに転がった耳飾りに視線を向ける。それは紅玉に薔薇の形を施し、繊細な美しさを放つ耳飾りで、そこからは目に見えないが激しい活力が溢れだしているようで、その力強さに飲みこまれそうになり、青羽はぎゅっと眉根を寄せる。
「これは……?」
「私が生まれた時から身につけている物です。これにも神力が宿ると大ばば様が言っていたのを思い出して、頭さんの病を治すのに役立てることが出来るかもしれません」
国宝を探しながらも、実際は黄帝など見たこともないし神力など不確かなものを信じてはいなかった。
でも、手のひらの耳飾りからみなぎるすさまじい活力に、青羽はごくりと喉を鳴らす。
神力が宿るという言葉を信じさせるだけの力があった。
「いい、のか……?」
竜司からの攻撃から身を呈して守り、その上、頭のためにと神力の宿る耳飾り――神宝を、なんの見返りも求めずに差し出す咲良を、揺れる瞳で見つめる。
「はい」
強く、だが優しく頷いた咲良は、幼さの残る顔にあざやかな笑みを浮かべる。
青羽はぎゅっと拳を作って耳飾りを握りしめる。
ありがと――
そう礼を言おうとして上げた視線の先で、咲良の華奢な体がぐらりと揺れるのを見て反射的に腕の中に抱きしめた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です、ちょっと目眩がしただけで……」
青羽の体からわずかに距離をとった咲良は、額に手を当てながら掠れた声で呟く。だが、その顔面は青白く、とても平気そうには見えなくて、青羽は眉根を寄せて険しい顔つきで咲良を睨んだ。
「どこが大丈夫なんだっ。もういい、もう少し横になれ」
「きゃっ――、大丈夫です。それに、そろそろ戻らないと柚希が心配しているかも……」
有無を言わさず咲良を抱き上げてベッドに連れて行こうとした青羽に、咲良は弱々しい抵抗をする。青羽はちっといまいましそうに舌打ちし、咲良を床に下ろす。
抵抗されたことよりも、咲良の口から出てきた男の名前に苛立ち、そんな自分を隠すように表情がすっと険しくなる。
「本当に大丈夫なんだな?」
冷たい声音にびくっと体を震わせた咲良は、泣きそうになってしまってきゅっと唇をかみしめる。
「はい……」
「そんなに青ざめた顔をしてか?」
「この目眩は耳飾りのせいなんです、たぶん」
その言葉に、青羽は片眉をぴくりと動かす。
「私、体が弱いらしくて耳飾りの神力で体力を安定させているらしんです。だから、大ばば様には絶対に耳飾りを取ってはいけないって言われていたんですけど」
青い顔で苦笑する咲良に、青羽はかっと濡羽色の瞳を見開き、そこに激しい炎が燃え立つ。
「これは返す」
咲良に押しつけるように、耳飾りを握った手で咲良の手を掴んだが、咲良はやんわりとそれを拒絶する。
「いいえ、これは青羽に。だってほら、耳飾りを外しただけでこんなにふらふらになるなんて、耳飾りに神力がある証拠でしょ? 頭さんの病に効くわ。必ず、頭さんは元気になります」
まぶしいほどの微笑みを向けられて、青羽はやるせない思いに胸が切なくなる。
本当ならば、耳飾りを咲良に返さなければならない。だが咲良の言葉に、これで頭を救えるかもしれないという一筋の希望を見出して、耳飾りを握る拳に視線を落とす。
「それに、私なら大丈夫。耳飾りはもう一つありますから」
そう言って片方の耳に手を当てた咲良は、弱々しい笑顔を向ける。その守ってやりたくなるような儚さに、いますぐ抱きしめたい衝動にかられて、青羽が手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
「分かった、だが約束する。頭の病を治し、必ずこの耳飾りを咲良に返すと――約束しよう」
艶やかな余韻を含んだその声にドキッとして振り仰いだ咲良は、青羽の青みを帯びた瞳にまっすぐに射とめられる。
気品が香りたつような瞳の中に、やりきれないほど切なげな一筋の光を帯びた青羽は、次の瞬間。
力強く咲良の腕を引くと、その腕の中に優しく抱きしめた。
「咲良――……」
切ない声音に咲良はきゅっと胸がしめつけられた、どうしていいか分からなかった。
ただ、これで青羽とはお別れだということだけを感じて、溢れだしてくる涙を堪えることが出来なかった。
瞳に溜まる透明の雫に気づいた青羽は顔を傾けると、そっと瞳に口づけを落とし、それから、咲良の唇を奪った。初めは優しく、次第に激しく。
何度も唇を合わせて、咲良のことを強く抱きしめた。
魅惑的な眼差しにくいいるように見つめられて、咲良はうっとりと青羽の青みを帯びた瞳に見とれた。
言葉を交わさずにしばらくの間抱きしめ合い、そっと青羽の腕の力が解かれた時、咲良は、ほんのわずかな笑みをもらして俯いた。
「街の近くまで送ろう」
青羽の言葉に頷き返し、咲良は洞窟の隠れ家を後にした。