片思い
それから半年が経ったある日。
ナオが帰宅しようと退社した時、誰かに呼び止められた。
「ナオさん!」
振り向くと矢城が立っていた。
「矢城くん、今帰り?」
「はい。あ、あの……。これから予定ありますか?」
「ん~。とっても残念なんだけど、ないんだよ」
「ナオさんてば……。普通に、ない、って言えばいいじゃないですか~。じゃあ、俺に付き合ってもらっていいですか?」
「じゃあ普通に……。いいですよ」
矢城は会社の駐車場まで来ると、車の助手席のドアを開けた。
「ナオさん、どうぞ」
「えっ! 矢城くん? 車持ってたの?」
「購入しちゃいました!」
「わお!!」
矢城はナオを乗せ、車を走らせる。
「いつ買ったの?」
「先月です。少し乗り慣れて来たから、そろそろナオさんを乗せても大丈夫だろうと思って……」
「大丈夫だろう? ……なの?」
「いえいえ、大丈夫ですよ!」
「そう言えば、ずっとバイク通勤だったよね? やっぱり車の方が良くなっちゃった?」
「あ~、今までは特に必要性を感じなかったんですよね」
「へ~。若いのに珍しいね」
「若いからって、車好きとは限りませんよ。それに……。購入資金も不安でしたから」
「あ、って事は貯め込んでたんだ~」
「ええ……。まあ……」
矢城は暫く沈黙のまま車を走らせる。
矢城が車を乗り入れた店は、以前雅樹と来たイタリアンレストランだった。ナオは偶然だとは思ったが、口には出さずにいた。
店員に案内された席に座る。
あれっ? これも偶然?
その席も、あの日に雅樹と話をした席だったのだ。
ナオは、矢城も時々この店に来るのかな? 程度に思っていた。
「ナオさん、ワインでも飲みますか? 俺が送りますから、たくさん飲んでもいいですよ」
「え~、ひとりで飲んでも楽しくないよー。今日は食べるだけでいいや」
「遠慮しなくていいですから」
「遠慮とかじゃないよ。あたし、ちょっとじゃ済まなくなるからさ。それに、ワインはそこまで好きでもないんだよね」
「あ、なら、ビールもありますよ!」
「だから、食べるだけでいいって」
「……。そうですか……」
矢城は何だか不満そうな素振りを見せながら、オーダーを済ませた。
「何か相談事でもあるの?」ナオが聞いた。
「えっ? 何でですか?」
「だって、付き合って欲しいって言ってたから」
「……。あ、いえ、先ずは空腹を満たさないと、ナオさんがイライラするかと思って……」
「ぷっ、確かに」
ナオは、真顔で言う矢城に笑ってしまった。
「じゃあ、満腹になったら、どこ行くの?」
「どこ行きたいですか? 好きなところに連れて行ってあげますよ。そのために車買ったんですから」
「……え……?」
「だからもう、雅樹さんに頼らなくても済みますよ」
「ん? どうゆう意味?」
「ナオさんは、時々雅樹さんと一緒に帰って、食事して、家まで送ってもらってますよね? これからは、俺がその役割を果たします」
「役……割……って……。何を言ってるの?」
「俺の前でも、泣き顔を見せていいって事です。あ、俺は泣かすつもりはないですけど」
「……矢城くん? 言ってる意味が良くわかんないんだけど?」
「ナオさんはこの店で、このテーブル席で、雅樹さんに涙を見せてましたよね? いつも明るいナオさんが、雅樹さんの前では泣けるなんて……。俺、ちょっとくやしかったです!」
「……!? 矢城くん……? あなた……。見てたの?」
矢城は、それには答えず、運ばれて来たパスタを口に運びながら、「俺にもいろんなナオさんを見せて欲しいんです」と言った。
ナオは、矢城が何だか不気味に思えて、なかなか麺が喉を通らなかった。
雅樹に飯野さんの事を話したあの日、矢城くんが自分達を見ていた事は間違いない。
偶然? 故意?
ナオは、控え目だけど、どこか安らぎを感じる矢城が嫌いではなかった。しかし、今日の矢城には恐怖心さえ覚える。
あの日と同じ店で同じ席。予約でもしていたのだろうか?
ナオは、どんな風に接したらいいか戸惑いながら、矢城の表情を観察していた。
車に戻ると、矢城が「この後どうしますか?」と聞いて来た。
「どうするって……。矢城くん? あたしに付き合って欲しかったのは、食事だけ?」
「も、もちろん、ナオさんさえ良ければ、ドライブしたいです」
「そーじゃなくて! 今日、あたしを誘った理由を知りたいのよ!」
「ナオさん……。わけもなく誘ったらいけませんか?」
「そんな事ないけど……。どうゆうつもりなのかと思って……」
「どうゆうつもりって、ナオさんが好きだからに決まってるじゃないですか。他に理由なんてありませんよ」
なにそれ? いきなり告白? 矢城くんて、そんなはっきり言う人だったの?
ナオは何と答えたらいいかわからないでいた。
「俺……。最初はナオさんを見てるだけで十分だったんです。でも、飯野さんとの事があってから、ナオさんが時々俺を誘ってくれたじゃないですか。凄く嬉しかったんです。それから、少しずつ普通に話せるようになって、今は、少しでも長くナオさんと一緒にいたいし、ナオさんの事、いろいろ知りたいと思ってるんです。こんなにときめいた女性は、ナオさんが初めてなんですよ! それに……。女の人の前でこんないっぱい喋ってるなんて、自分でも驚きです」
ナオは、ますます返事に困っていた。
「ナオさん?」
「……。矢城くん……。気持ちは嬉しいけど……、あたしは……」
「わかってますよ! 俺の事なんて、何とも思ってないんでしょ?」
矢城はナオが話終わる前に遮った。
「いいんです。それでも。俺は、ナオさんの為に費やす時間は惜しくないですから」
「何でそこまであたしのこと……」
「さっきも言ったじゃないですか! ナオさんを好きになったからですよ! 俺、ナオさんに出会わなければ、只の陰湿で目立たない男でした。だから感謝してるんです」
「だからって……、あたしは……、矢城くんの気持ちに応えらるような状態じゃないよ……」
「雅樹さんの事ですか?」
「えっ?」
「ナオさんは雅樹さんが好きなんですか?」
「違う! それは違うよ!」
「良かったぁ。雅樹さんには彼女いますもんね」
矢城は、まだ雅樹が彼女と続いてると思ってる。
「矢城くん? あたしね、実は……、好きな人がいるのよ……」
「……。そうなんですか? でも、付き合ってはいませんよね? 片思いなんですか?」
「はぁぁ……。矢城くんたら、ズバリ言うのね」
「あ……。す、すみません」
「ふ……。でもそのとおり。片思いなんだ……」
「じゃあ、俺と一緒ですね。気持ち、わかります」
「うう……。笑えない……」
ふたりは、徐々に普段通りへと戻って行った。
矢城はただナオが好きなだけなのだ。
ナオは、矢城に対する不信感めいたものは薄れたものの、今は彼の好意を受け入れるほどの気持ちは持っていなかった。