想いの始まり~序章~
仕事の事を母親に告げると、かなり喜んでいる様子だった。
「雅樹くんて、同じクラスだったの? あんま記憶ないねー。イケメンな子?」
「普通だよ。でも悪くないかも」
「彼女とかいんの?」
「いるみたいよ。そう言や〜、彼女の存在忘れてた。今度冷やかしてやろーっと!」
「あら、残念。ナオとはどうにかなりそうもないのね?」
「ないよ! ……多分ね。彼女いる時点でないわ」
それから3ヶ月があっと言う間に過ぎた。
雅樹とは、時々飲みに行く程に打ち解けていた。
それでも友達関係である事に変わりはない。
―ある月の金曜日。
ナオが少しの残業を終えて帰ろうとした時、飯野が取引先から戻って来た。
「あ、お帰りなさい。お疲れ様でした」
「あれ? ナオちゃん、残業してたの?」
「ええ、でも、もう帰るとこです」
「そっかー。ごくろうさま。雅樹と帰るのかな?」
「いいえ〜。あいつとは最近ご無沙汰なんですよ」
「えっ! ご無沙汰って……。まさか付き合ってたりしてないよね?」
「へへへ、冗談ですよー。雅樹は彼女のとこに行ったみたいですよ。この間聞いたんです。あいつ遠距離恋愛中なんですってね? お気の毒に……」
「お気の毒か……。確かにね」
そう言って飯野は苦笑いした。
「ナオちゃんは、これから予定あるのかな?」
「ないんですよー。さびしい事に……」
「じゃあ、僕と食事でもどう? もちろん僕が奢るから」
「本当ですか!? 奢っていただけるなら喜んでお伴いたしまーす」
「ナオちゃんはまだまだ食い気だな」
飯野の資料整理を一緒に済ませた後、ふたりは会社を出た。
飯野は、ナオを助手席に座らせると、車を走らせ、レストランに連れてきた。
夕食時間のピークを過ぎてはいたが、金曜日だからか、結構お客さんが入っていた。
ふたりはオーダーをすると、飯野から話始めた。
「ナオちゃんに来てもらって、本当に助かってるんだよ。社長から、しばらくおまえに兼任させるから、って言われた時、勘弁してくれって思ったからねー。ナオちゃんは覚えも早いし、感謝してるんだ。ナオちゃんを連れて来た雅樹にもね」
「覚えなんて早くないですよ。植田さんに聞くのがしゃくだから、必死になってるだけです」
「意外と負けず嫌いなんだな?」
「相手によりますけどね」
「雅樹とはずっと会ってたりしてたの?」
「それがですねー。高校卒業してから全く会ってなくて、2回も偶然に遭遇したんですよ。その偶然が縁を運んでくれたみたいなんです」
「2回の偶然? 良かったら聞かせてくれない?」
ナオは雅樹との経緯を話した。
それから、話はいつの間にか恋愛話に発展する。
「ナオちゃん? お酒頼む? 僕は運転だから飲まないけど」
「え、でも、あたしだけなんていいですよ」
「遠慮しなくていいよ。お酒飲めるんでしょ?」
「はい……。むしろ好きです……」
飯野は「やっぱり」と言いながら、ナオにビールを注文してくれた。
それから恋愛相談擬きになり、彼氏が出来ない理由まで話し始めていた。
「飯野さんの奥さんてどんな人ですか〜?」
「美人で、控え目で、料理上手な人だったよ」
「だった? ……えっ……。ど、ド、ユ、コ、ト?」
「それがね〜、子供が小学生になった途端、教育オバサンになっちゃって。習い事や塾に大忙し。子供もわけわかんないんじゃないのかな? 僕は子供のやりたい事だけやらせればいいって言ったんだけど、あなたは甘いわよ! って、一喝。僕の事は全く構ってくれなくなっちゃったんだよね」
「ぷふっ、そうなんですか〜? じゃあ、飯野さんの方こそ、まさにご無沙汰なんですね」
「そーなんだよ……。って何言わすんだよ!」
楽しい時間だった。
飯野はナオを送りながら、次は僕も飲みたいから、日を改めて誘っていいかと聞いて来た。
「あたしは構わないですけど、奥さんに変に疑われるのは嫌ですよー」
「あぁ……。援助でもしてるんじゃないかって?」
「やっだぁー。あたしはそんな若くないですって!」
「はは、うちの奥さんは今、僕なんか頭にないんじゃないかな? それに僕は接待が多いからね」
「接待……。なるほど……。なら接待されるのをお待ちしてます」
ナオは送ってくれたお礼を言うと車を降りた。
―月曜日。
雅樹が久しぶりに一緒に帰ろうと言って来た。
いつものファミレスに入る。
「何かあったの?」
「金曜日に真由に会って来たんだけどさ……」
「うん、うん」
「なんか様子が変なんだ」
「変って?」
「会った時は嬉しそうな素振りだったけど、なんつーか、話してても上の空っつうか、あんま元気がない気がしてさ。気分でも悪いのか聞いたら、そんなことないって言うしさぁ〜。なんとなくいつもとは違ってたんだよ」
「仕事とか、人間関係とか、何か悩み事でもあるんじゃない?」
「それも聞いたよ! 悩みがあるんだったら、ちゃんと相談に乗るし、力になるからってさ。だけど、何にもないから大丈夫だって言うだけなんだ」
「エッチは? ちゃんとしてくれた?」
「お、おまえ、直球だな」
「大事な事だよ!」
「……ま、まぁ……、そん時は喜んでくれたんだけどさ……。真由のやつ、泣いてたんだぜ。俺びっくりしちゃってさ。理由も言ってくれないし、わけわからん!」
「激し過ぎたんじゃないの? 久しぶり過ぎて、つい自分だけ気持ち良くなっちゃって……」
「オイ! それ以上言ったら、押し倒す!」
「わかった! 考えるからちょっと待て!」
ナオは真由の様子を、もう一度冷静に分析してみた。
メールと電話の頻度。どっちからの送信、発信が多いか。
真由はさびしいとか会いたいとか言ってくるか。
雅樹に会う時は、ちゃんとおしゃれをしてくるか……等々。
雅樹はナオの質問に真由を思いだしながら答えた。
「う~ん……。やっぱり女性にとって、遠距離は気持ちの持続力が弱まってしまうのかもなぁ〜」
「それって、俺から気持ちが離れたって事か?」
「もちろん、離れていた方が会った時の喜びが大きいから、信頼しきってる恋人同士の場合は、その距離感が丁度いい場合もあるだろうけどね。女って、そばにいてくれるだけで安心するって言うかさ、抱きしめてくれるだけでいいって思うんだよね。さびしい時に会えない。会いたい時に会えない……。そんな状態が続いた時、やさしい言葉をかけてくれる男性がいたら……。多分頼っちゃうと思うんだよ……」
「ナオ……。もしかして真由に好きな人がいるって思うのか?」
「雅樹から真由ちゃんの様子を聞く限りだとね……。残念ながらいる気がする……。女の感だけど。ただ、彼女はまだ迷ってるのかも知れない。多分、ふたりとも好きなんじゃないかな? 彼女が流した涙は、ごめんなさいと言うより、どうしたらいいの? って言う迷いの涙のような気がするんだよね。雅樹の気持ちも確かめたいと思ってるけど、顔見ちゃうと言い出せない……。みたいな、複雑な心境なんじゃない?」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだ……」
「はあ〜? 何がどうすればいいんだ、だよ! 雅樹は真由ちゃんが好きなんでしょ? 彼女が他の男に気を取られてもいいわけ? 好きならもっと頻繁に会いに行きなよ! 毎日安心メールでもおやすみコールでもしなさいよ! 真由ちゃんは雅樹が忙しいのわかってるから、さびしいとか会いたいとか言えずにがまんしてんのよ! もっと彼女の事、大事にしなきゃだめでしょ!!」
雅樹は暫く黙り込んでしまった。
「ごめん……。ふたりの関係も良く知らないのに感情的に成り過ぎた……」
「いや……。ありがとな……。真剣に考えてくれて。俺、真由の事なんもわかってなかったのかもな……。俺の事信じて待っていてくれると思ってたし。やっぱりさびしい思いをさせてたんだな……。けどよ、忙しくて頻繁に会いには行けない。疲れて帰ると、何もしたくなくなるんだ」
「そんな時こそ、好きな人の声が聞きたいと思うんじゃないの?」
「……俺、ホントに真由の事好きなのかな……。なんか自信なくなって来た……」
「ふぅ〜。少し冷静に考えた方がいいかもね……。彼女を失ってもいいのかどうか。雅樹にとって、彼女はどんな存在なのか。彼女は雅樹と居たいのかどうか」
「ナオ……。おまえ、冷静だな」
「そりゃ、他人事だもの。ふたりが別れようが、仲直りしようが、ぶっちゃけ、どーでもいいからね!」
「ふっ、そんなどーでもいいヤツのために真剣になってくれるナオって、ホントはメッチャいいヤツなのかもなー」
「今頃気付いたんかい!」
雅樹は、ゆっくり考えて、ちゃんと真由と気持ちを確かめ合うよ、と言って、その日は別れた。
飯野と食事をしてから10日程が経った。
その日は、仕事が定時に終わり、みんな足早に帰って行った。
明日は休みだから。
ナオが雅樹を見ると、メール中。彼女かな? と思ってたところに飯野さんがやって来た。
「おっ、残ってんのは君達だけかー。どう? 3人で飲みにでも行かない?」
「あ、すいません。俺はちょっと用事があるんで」
「なんだよ。デートか? 仕方ない、ナオちゃん、ふたりで行こうか?」
「仕方ないとはなんですかー! そんな誘われ方じゃ行きませんよー」
「おっと、これは失礼しました。では、ご一緒にお食事でもいかがですか? お嬢さん?」
「ええ、喜んで」
雅樹が呆れ顔をしている。
「じゃ、雅樹。彼女と頑張れよー。戸締まり宜しくな」
「わかりました。ナオを宜しくお願いします」
「何よ、それ。雅樹はあたしの保護者か!」
「いや、執事として心配なだけなんで」
「雅樹も乗るねぇー」
「飯野さん、冗談抜きで、お願いしますよ。こいつ、酒癖悪いんで、飲ませ過ぎないようにしてください」
「そうなの? それはいい情報をもらったな〜」
「飯野さん! マジですから! ホントヤバイんですって!」
「それはますます楽しみだな」
「ちょっと! 雅樹! 言い過ぎ!! そこまで酷くないってば!!」
「それでは、姫様、参ろうか」
「時代、さかのぼってるし」雅樹がボソッと呟く。
飯野とナオが帰った後、雅樹も戸締まりをして、会社を後にした。
タクシーを拾い、飯野が行先を告げると、タクシーが走り出す。
「飯野さん、今日、車はどうしたんですか?」
「それがさー、奥さんが乗ってっちゃったの。子供のお泊まり会だとか言って、明日まで借りるわよー、って。借りていいかしら? じゃなくて、借りるわよー、じゃさ、ダメとは言えないもんね?」
「ふふっ、選択肢ないわけですね。だから飲みに行っちゃえ的な?」
「そう、だから、僕は明日までフリーなの。ふたりがダメだったら、ひとり寂しく帰るとこだったよ。ナオちゃんに彼氏が居なくて良かったなー」
そう言って笑った。
店に着き、案内された席へ落ち着くと、まずはビールから乾杯する。
「さっき雅樹が言ってた事、ホントなの?」
「酒癖の話ですか〜? ウソですよー。あたしね、お酒が強いんです。この間はあまり飲まなかったから、気付いてないかも知れませんけど。だから、あたし達に警告したんですよ」
「警告?」
「そう。あたしに対しては、調子づいて飲みすぎるなよって意味で、飯野さんには、こいつは酒強すぎるから、ヤバイですよって意味です。多分……」
「ほ〜、ナオちゃんは強敵ってわけか」
「手強いですから覚悟してください」
ナオは笑いながらおつまみを食べ始めた。
「ナオちゃんって、不思議な女の子だよね?」
「何ですか? 唐突に」
「いや、今まで会ったことないキャラクターだから、扱い方がわからなくてね〜」
「あたしの取り扱い説明書は、人によって違うんですよ」
「えっ! じゃあ、僕用のを作って貰えるかな?」
「プッ! 飯野さんって、ちゃんとあたしに付いて来れてるじゃないですかー。その乗りで十分ですよ!」
ナオは心からそう思った。飯野さんこそ、不思議だよ、って。
彼といると、自分が素直にもなれるし、冗談も受け止めてくれる。一緒にいる時間が楽しくて仕方なかった。
「僕が一番不思議に思ってるのはね、ナオちゃんに彼氏がいないって事。凄くモテキャラだと思うんだけど。かわいいし」
「かわいい? ……ですかね? 前に雅樹にも言われましたけど、それって、自分自身が一番知りたい事なんですよ……。辛くて報われない恋ばかりして来たから、恋愛するのが恐くなってるのかも知れないです。したくない訳じゃないんですけどね……」
飯野はじっとナオを見つめる。
「ナオちゃんのお父さんってどんな人?」
「何でですか?」
「もしかして、ファザコンって言うのか、無意識にお父さんに似た人を求めてしまう傾向だったりするのかと思ってね」
「あ〜、……。どうなんでしょ? ウチの父はあんまり家に居ないし、小さい頃から遊んだ記憶もほとんどないですから。父に対しては……、なんて言うか、感情自体が薄いんですよ。だから、父に何かを要求する事もないですし、好きでも嫌いでもないんです。変な関係ですよね?」
「……ん〜。家庭環境って人間形成に対する影響力が大きいはずだから、心の奥底には、何かしら潜んでるとは思うんだけど、ナオちゃんは真っ直ぐに育ってるよね? むしろ真っ直ぐ過ぎる程。お母さんの愛情を感じるよ」
「すみません〜。そんなに誉めていただいて〜」
「僕の趣味の中には、誉め殺しってのもあるんだよ」
「じゃあ、もっと誉めまくって、あたしを天国に逝かせてやってください!」
「じっくり逝かせてあげますよ」
なんだよ。このふたりのやり取りは……。
「あたし、ちょっと憚りに行って来ます」
「お、ごゆっくり」
飯野さんたら。
ナオがトイレから出ると、すれ違いざまに男性と目があった。
「……! あれ? 矢城くんじゃない?」
矢城とは、アサカワ印刷の従業員で、一番若いまだ21歳の青年だ。
「あ……。ナオさん……」
「矢城くんも来てたの〜? 友達と一緒?」
「いえ……。あの……。す、済ましてきていいですか?」とトイレを指差す。
「あ! ごめん、ごめん! 漏れちゃうね」と言って避けた。
ナオは戻ろうか、待っていようか考えてたら、矢城は直ぐに出てきた。
「さっきの続きなんだけど、誰と来てるの?」
「……。誰とも一緒じゃないですよ。俺……、ひとりが好きなんで」
「えっ! じゃあひとりで飲んでるの?」
「まぁ……。そう言う事です」
「良かったら一緒にどう? 今、飯野さんと飲んでるの。彼なら大丈夫でしょ?」
「お、お邪魔じゃないんですか?」
「なんでよ! さ、さ、場所移動よ!」
ナオは、矢城の席のカウンターから飲みかけたグラスを持ち、つまみ類を矢城に持たせ、自分達の席に来た。
「飯野さ〜ん、新しい殿方をお連れしましたよー」
「何ぃ〜?」
飯野がナオを見ると、後ろから矢城が顔を出した。
「すみません……。ナオさんに無理やり連れて来られてしまって。お邪魔ですよね……」
「う〜む。邪魔に違いないが、ナオが連れて来たのなら仕方あるまい。まあ、座れや」
「も〜、飯野さんたら、いつまで子芝居続けるつもりですかー?」
「やった! ナオちゃんから折れた。僕の勝ち!」
「勝負してないっすよ!」
「なんの稽古ですか?」
飯野とナオは、顔を見合わせると、吹き出して笑った。
「おい、矢城くん! 君もなかなか勘が働くねえー」
「気にしないで。飯野さんてば、酔ってるだけだから」
「みたいですね」
「ところで、矢城くんはなんでここにいるんだ?」
それから3人は調子良く飲み続け、雅樹の忠告など、役にも立たなかった。