就職
雅樹が言うには、ひとりの女の子がいきなり辞めてしまい、人手が足りないと言う事だった。
「あたしに出来る仕事なの?」
「PCは使えるでしょ?」
「ん〜、得意じゃないけど……」
「なら、何とかなるでしょ」
「何? その無責任な発言」
「誰だって最初は初心者だろ? 美坂ならやれるよ。それに、俺がいるからいじめられることもないだろうし」
「雅樹くんにいじめられたりして……」
「それはあり得る!」
雅樹は、また連絡すると言って、帰って行った。
ナオは次の日だけバイトに行き、店長に辞める意志を告げた。
「俺のせい? 思った通り、美坂ちゃんは純情だったんだなぁ。何も辞めなくてもいいんじゃない? 楽しみがなくなっちゃうよ」
ナオは、楽しみってなんだよ! と思いながら、その事には触れず、とにかくもう来ません、とだけ伝えて帰宅した。
大人げないとは思ったが、店長の視線には耐えられそうもなかった。
次の日の夜、雅樹から連絡が入った。
バイトのメドがついたら一度会社に来てみないか? と言う話だった。
『メドはついたよ。昨日辞めて来たから』
『マジで!? 意外と行動力あるんだな。じゃあ明日の朝迎えに行くから準備しておけよ』
『えっ、明日? 急過ぎだよ!』
『1日でも早い方がいいんだよ。思い立ったらなんとやらでさ』
『だけど、仕事だよ? ちょいと旅行でもってわけじゃないんだし……。あたしにだって、心の準備ってもんがあるんだからね』
『そんなん、考えるだけ時間の無駄さ。それに、俺が見込んだんだから躊躇することないじゃないか』
『別に躊躇してるわけじゃないけど……。履歴書とかいいの?』
『いらねーよ。そんなもん。俺の紹介だぜ! みんな信用してくれてるんだから、大丈夫さ』
『ええ……、そんなんで良いわけ? 面接とかさ~』
『安心しろって! 美坂なら一発OKだよ。それに、高校ん時だって、そこそこ勉強出来たじゃん! 美坂ならやれば出来るって』
『う〜、プレッシャー……』
『平気、平気。みんなには、頭悪いけど、勉強は出来ますし、かわいいやつなんで面倒みてやってください。って言ってあるからさ』
『雅樹ぃーー!!』
それから、ふたりは、名前を呼び捨てにしながら、話すようになっていた。
翌日、ナオは雅樹と一緒に出社した。
―アサカワ印刷―
ナオは雅樹に紹介され、簡単な挨拶を済ませた。
阿佐川社長、飯野部長を含め、社員は10名ほどで成り立っていた。
事務の植田さんは30歳で主婦のため、定時キッカリで上がり、残業は一切しないと言う。終わらなかった伝票整理は、全て飯野部長が処理しているらしい。その飯野部長が言って来た。
「美坂さん、僕は一応部長となってますけど、名刺上だけなので、名前で呼んでもらっていいですからね。みんなそうですから。美坂さんは若いから、ナオちゃんでいいかな? そんな軽い雰囲気な会社なんで、よろしくね」
「こちらこそ迷惑かけるかも知れませんが、よろしくお願いします!」
「まあ、雅樹がいるから心強いとは思うけど」
「はい……。そうだといいんですけどね」
「オイ!」雅樹が突っ込む。
みんないい人っぽくて安心した。ナオはさほど緊張せずに初日を終えたのだった。
「雰囲気的には悪くないだろ?」
帰りの車の中で雅樹が聞いて来た。
「うん。みんなやる気がある人達ばかりだし、嫌な人は居なさそう。でも、植田さんってちょっと苦手かも……。素っ気ないって言うか、何回も教えないわよオーラが立ってる感じ」
「アハハ。教えないわよオーラって! 確かにちょっと取っ付きにくいよな〜。プライベートに関しちゃ、ほとんど話さない人だからさ」
「そうなんだ〜。気疲れしそう……」
「もし、植田さんに聞きづらい事あったら、こっそり飯野さんに聞くといいよ。あの人なら何でも教えてくれるからさ。仕事以外の事でも教えてくれちゃうぜ」
雅樹は意味深な笑いをした。
「何それ? 危険人物なの?」
「さあて。どーかなぁ〜? ナオ自身で探るといいぜ。今後のお楽しみって事でさ。んじゃ、また明日な!」
「ちょっと、お楽しみってなんだよ! ムカつく!」
「あっ、明日からどうする? 電車で来る? それとも車買う?」
「ええ、もうBMW購入済みだから、それで乗り込むわ」
「ほほ〜、もっとエコ車にすりゃあ良かったのに」
「そうね。じゃぁ、電車で運んでもらう事にするわ」
ふたりはジョークを飛ばし合いながら別れた。