バイト
あなたを愛してしまった。好きになってはいけない人なのに。
ナオは心の中で叫び続けるしかなかった。
―3年前―
「美坂さ~、うちの会社で働かないか?」
高校の同級生だった雅樹が誘ってきたのは、ナオがレンタルショップでバイトしていた時の事だった。
ナオは短大を卒業後、定職に就かず、バイトを転々としていた。
これと言ってしたい事もなかったし、取り敢えずお小遣いだけは確保して置きたかった。
近場でバイトを始めると、同級生やら近所の人達に声をかけられる。
それがなんともうっとおしくて、少し離れた地域のレンタルショップで働いていた。
「あんた、そろそろ就活でもしなさいよ! それとも結婚でも考えてるの?」
母は決まり文句のように言ってくる。
「いいじゃん! これでも一応働いてんだからさ〜。そのうちなんとかなるって」
「全く、何の為に短大行かせたんだかわかんないわよ!」
「またその話に戻るわけ? 今はちゃんと働いてるでしょ!」
「バイトごときで偉そうな事言ってんじゃないわよ!」
「ちょっと! バイトをばかにしないでよね! これでも責任持ってやってんのよ! バイトの方が大変だっつうの!」
父親は出張が多く、ほとんど家に帰らない為、母はいつもナオに八つ当たりしていた。
その日は、先輩からシフトを代わって欲しいと言われたので、夜間勤務となっていた。
ナオがレジに来た男性に対応しようとした時だった。
「あれ? 美坂じゃない?」
「えっ!」
ナオは、マジマジと男性の顔を見る。
「…………あ、雅樹くん?」
「やっぱり〜。ネーム見て、もしかしたらって思ったんだけど。いつからここで働いてたの?」
「ん〜、2週間くらい前かな?」
「そっか。どうりで初めて会うわけだ」
「ふ〜ん、よく来るんだ、ここ」
と言って、カウンターに置かれたアダルトDVDをチラ見した。
「あ……、ま、まあ、実は、常連……だったりする」
雅樹は照れ笑いをした。
「毎度有り難うございます!」
ナオはひときわ大きな声を出した。
「おい! 声デカイよ」
「大事なお客様ですからねー」
「美坂って、なんかちょっと雰囲気変わったよな?」
「そりゃあ、ちょっとは大人になったからねー。雅樹くんだって、引き締まったんじゃない?」
「まぁな、結構仕事がハードだからさ」
二人はレジで話してた事に気付き、雅樹は「何時に終わるの?」と聞いてきた。
「今日は22時までなんだ」
「じゃあもうすぐ終わるじゃん。久しぶりに会ったんだし、ちょっと話さない?」
「えっ、あ、うん……。」
「ダメ?」
「少しなら……」
「じゃ、駅前のファミレスで待ってるから、終わったら来てよ」
「わかった。じゃ、後でね」
ナオは仕事を上がるとファミレスに向かった。
二人はアイスコーヒーをすすりながら話始めた。
「久しぶりだよねー。雅樹くんは今何やってるの? ハードな仕事って言ってたけど」
「うん、まあ、力仕事が主だし、納期日が決まってるから、結構大変だったりするんだ。夜中までかかることもあったりね」
雅樹は、印刷会社で働いていると言っていた。
「へぇー。ところでさ、彼女とかいるの?」
「いきなり?」
「だってさ、アダルト借りてたから」
「それ言うなよー。普通だろうよ。彼女いるとか関係ねーし」
「いるんだ?」
「まあ、一応ね……。そっちは?」
「……気配すらなし!」
「そうなのか? 別れちゃったとか?」
「ん〜、あたしさ、ちゃんとした恋愛が出来ないんだよね〜。な、ぜ、か!」
「ん? どうゆう意味?」
「だから……、好きになる人が既婚者とか、彼女いたりとかさ…。そうゆう人ばかりに惹かれちゃうんだよね……。自分が嫌になるよ」
「あ〜、そっちか〜。でも、好きになる気持ちは大事だからな。いつかきっといい人に巡り会うから、諦めるなよ」
「諦めるなんて言ってないじゃん!」
「アハハ……。なら大丈夫だな」
二人は1時間くらい話した後、雅樹が車でナオを家まで送ってくれた。
「送ってくれてサンキュー。助かっちゃった」
「俺から誘ったんだし、当然だよ。また会おうぜ〜」
雅樹はそう言って帰って行った。
そして数日後。
店長から連絡が入り、深夜組が体調不良だから、今日と明日だけ閉店までお願い出来ないかと言って来た。
帰りは店長が送るからと言うので、仕方なく引き受ける事にした。
2日目の深夜。
「美坂ちゃん、お疲れ。じゃ、帰ろうか」
「お願いします」
店長は車を発進させると、ナオの自宅とは逆方向に走り出した。
「店長……? どこ行くんですか?」
「あ、ごめん。ちょっとコンビニ寄ってからでいい?」
いいも何も、もう向かってるし。
「どうぞ」
コンビニに着くと、店の入口から一番離れた駐車場に車を停めた。
「何か飲みたいのあれば買ってくるよ。それとも降りる?」
「いえ、大丈夫です。待ってます」
店長は、じゃあ待っててと言って車を降りた。
数分後戻って来た店長は、なかなか走り出さない。
「あの〜、どうかしたんですか?」
「美坂ちゃん……。俺、君の事好きになったみたい」
「はい? 好き……とは?」
「やだな〜、女性としてだよ。愛情の意味の好きって事」
「……。はぁ……? まだ1ヶ月しか経ってないですよー。何か変な錯覚起こしてるんじゃないですか〜? それに奥さんいるじゃないですかー。冗談やめてくださいよ」
「いや、君がバイトに来た日から惚れたっぽいんだ……」
「一目惚れってやつですか? 有り得ませんよ! そんなの!」
「ホントだよ。今までの女の子には何も感じなかったし……。美坂ちゃん見てるとドキドキするんだ」
「あの……、だからって、あたしにどうしろと? 店長はいい人っぽいですけど、既婚者の時点で恋愛対象外ですよ」
「あっさりと冷たい事言うんだなぁ」
「当たり前ですよ! 奥さんを大事にしてください!」
「美坂ちゃん」
店長はいきなりナオを抱きしめ、キスをしてきた。
「…………!!」
ナオは店長に強く抱かれ、身動き出来ずにいた。
「……、や……、やめてください!!」
力を振り絞り突き放すと、ドアを開け、外に出た。
ナオは振り向かずに、自宅方向へ走り出した。
店長も急いで車で後を追う。
「美坂ちゃん! ごめん! ちゃんと送るから! 夜中の一人歩きは危険だからさ。乗ってよ」
店長が窓から呼び止める。
ナオは更に走り続ける。店長も呼び掛け続ける。暫く店長の車がナオと一緒に走ってくれたお陰で、随分と家に近づいた。
「もう、大丈夫ですから、帰ってください!」
「美坂ちゃん……」
「おやすみなさい!」
ナオは腹立たしさで涙が出た。
また既婚者に告られた。信じらんない。なんでよー! 店長がいい人だけに余計悔しい。ナオが独り言を言いながら、早足で歩いていると、一台の車がナオを通り越した先で、急停止した。
ナオは店長が追いかけて来たのかと思い、また走り出し、車を見ずに夢中で追い越した。
すると、その車から声が聞こえた。
「おい! 美坂じゃねーか?」
ナオは自分の名を呼ばれて思わず立ち止まった。
「誰?」
「俺だよ。俺!」
良く見るとそれは雅樹の車だった。
「雅樹くん?」
「ああ、びっくりしたなぁ〜。とにかく乗れよ」
ナオは助手席に乗り込んだ。
「どうしたんだよ、こんな夜中にさ」
「……バイト」
「バイト? 深夜のシフトに変わったの?」
ナオは事情を説明した。
「なら、なんで店長と一緒じゃないんだよ」
「それが……。店長が変な事して来たから逃げてきたんだ…。そこまでついて来てたんだけど、さっき追い返した……」
「あ……。もしかしたら、その車、そこで追い越して来たかもしんない。えっ、変な事って? まさかされそうになったとか?」
「された……」
「どこまで?」
「唇……」
「下半身の?」
「……!? バカ!!」
ナオは雅樹の冗談で少し怒りが引けて来た。
「雅樹くんこそ、なんでこんな時間に? 店は開いてないはずだし」
「仕事だよ、仕事の帰り。たまに夜中になるって言わなかったっけ?」
「聞いたかも……」
「しかし、美坂ってモテるんだなあ〜。オヤジ世代に」
「ヒトコト多いぞ!」
「明日から気まずくなんないか?」
「なるね、絶対! 辞めるわ、あたし」
「早!!」
「だって、また好きになったら洒落になんないよ」
雅樹は少し間を開けてから言った。
「美坂さ〜、うちの会社で働かないか?」
「へっ?」