第9話:編み物が繋ぐもの ― しかし、名前は呼ばれない
それは、いつの間にか――そこにあった。
昼下がりの図書室。
窓際の席で、数人の令嬢たちが小さな声で話している。
「この手袋、ほんとにあったかいのよ」
「朝の冷え込みでも、指先が楽で……」
「貸してもらっただけなのに、不思議ね」
笑顔は柔らかく、会話は弾んでいる。
だが、その輪の中心に――アメリアはいない。
彼女は少し離れた席で、本を開いたまま視線を落としていた。
編み針も、毛糸も、今日は机に出していない。
(……使ってくれてる)
胸の奥で、小さな安堵が灯る。
役に立った。それだけで、十分なはずだった。
通りすがりの生徒が言う。
「最近、ああいうの多いわよね」
「誰が作ってるのかは知らないけど」
「でも、優しい感じがする」
――誰が。
その言葉が、ひっかかる。
アメリアは顔を上げない。
名前が呼ばれないことに、安堵している自分がいる。
(目立たない)
(話題にならない)
(中心にいない)
それが、生き残るための選択だった。
別の場所では、ミラベルが誰かに小さな膝掛けを貸していた。
「ありがとう。これ……落ち着くね」
ミラベルは微笑んで頷くだけで、
“誰が作ったか”は言わない。
誰も、無理に聞こうともしない。
善意は巡っている。
温もりは、確かに繋がっている。
それでも――
アメリアは、世界の外縁に立っている。
放課後、廊下を歩くと、窓から差し込む光が床を照らしていた。
誰かが落としたマフラーを拾い、別の誰かに渡す。
「助かりました」
「いえ、たまたまです」
やり取りは静かで、名前は出ない。
(……これで、いい)
そう思う。
思おうとする。
“主人公”にならなければ、物語に巻き込まれない。
そう信じてきた。
けれど。
(わたしがいなくても、世界は回る)
(でも……)
その世界のどこかで、
自分の手が編んだものが、誰かを支えている。
それは、誇らしい。
同時に、少しだけ――怖かった。
名前を呼ばれないことは、安全だ。
でも、それは“守られていない”ということでもある。
アメリアは立ち止まり、窓の外を見る。
春の空は澄んでいる。
何事も起きていない。
(まだ……)
心の中で、そっと呟く。
(まだ、物語はわたしを見ていない)
それが救いなのか、
それとも――嵐の前の静けさなのか。
答えは、まだ誰も知らない。




