第7話:沈黙の時間 ― 言葉より手
その日、ミラベルはいつもの席にいた。
けれど、いつもとは少しだけ違っていた。
本は開いている。視線も落ちている。
それなのに、頁は一向に進んでいなかった。
アメリアは数歩離れたところで、その様子に気づいた。
けれど、声はかけなかった。
(……今日は、話したくない日)
そう判断するのに、理由はいらなかった。
アメリアは静かに腰を下ろし、いつものように毛糸を取り出す。
針が触れ合う、かすかな音だけが二人の間に流れた。
しばらくして、ミラベルがぽつりと口を開く。
「……家のことで、少し」
それだけだった。
詳しい説明も、感情の吐露もない。
「そう」
アメリアはそれ以上、何も聞かなかった。
沈黙が戻る。
だが、それは重い沈黙ではなかった。
アメリアの指先は一定のリズムで動き続ける。
ミラベルは、いつの間にかその手元を見つめていた。
糸が形になっていく過程を、ただ眺めている。
それだけで、胸の奥に溜まっていたものが、少しずつほどけていく気がした。
やがて、アメリアは編み終えた小さな膝掛けを、そっと差し出す。
「……寒いと、余計につらいから」
慰めの言葉はない。
励ましも、約束もない。
ただ、それだけ。
ミラベルは一瞬、戸惑ったように視線を落とす。
「……いいの?」
「……使わなかったら、返さなくていい」
押しつける様子はなかった。
期待する気配もない。
ミラベルはゆっくりと膝掛けを受け取り、膝にかけた。
あたたかさが、じんわりと広がる。
胸の奥の冷えた部分に、そっと触れるような温もりだった。
不思議と、呼吸が深くなる。
何かが解決したわけではない。
家庭の事情も、明日の不安も、消えたわけではない。
それでも。
(……何も聞かれないのに)
ミラベルは膝掛けの端を、無意識に指でつまむ。
(こんなに、楽になるなんて)
アメリアはその様子を横目で見ていたが、何も言わなかった。
ただ、また次の糸に手を伸ばす。
言葉で踏み込まない代わりに、
できることだけを、そっと差し出す。
アメリアという少女は、そういう人だった。
救おうとしない。
変えようともしない。
ただ、冷えた場所に、温かいものを置くだけ。
その沈黙の時間は、
確かに、誰かの心を少しだけ守っていた。




