第36話:祝福の世界、信じられない未来
王都は、穏やかな光に包まれていた。
通りを歩けば、誰かが笑っている。
編み物を肩に掛けた人々が行き交い、露店では柔らかな色の毛糸が並ぶ。
争いの話題は減り、ため息よりも、深呼吸の音が多くなった。
――世界は、うまくいっていた。
「アメリア様のおかげで」
「あなたの編み物が、私を救ってくれた」
そんな言葉が、遠くから聞こえてくる。
直接向けられることは少ない。
けれど空気の中に、確かに混じっている。
善の象徴。
癒やしの人。
争わない奇跡。
アメリアは、その輪郭を、他人事のように眺めていた。
*
夜。
工房の灯りは落とされ、窓の外には静かな月。
ベッドに横になっても、眠りは訪れない。
目を閉じると、昼間の笑顔が浮かぶ。
助かった兵士。
安心して眠る子ども。
穏やかな街。
――なのに。
アメリアは、そっと起き上がり、机の上の糸に手を伸ばした。
指に絡ませた瞬間、ずしりと重さが伝わる。
「……重い」
呟いた声は、誰にも届かない。
以前は、糸に触れれば心が静まった。
考えずにいられた。
ただ、編めばよかった。
けれど今は違う。
糸の向こうに、人の人生がある。
心がある。
命が、ある。
アメリアは手を止めたまま、糸を見つめる。
アメリア(心)
(……こんなに、うまくいくはずがない)
胸の奥が、ひやりと冷える。
(だって私は……知ってる)
前世の記憶。
物語の結末。
断罪され、追放され、すべてを失う未来。
(物語は、優しくならない)
(油断した瞬間に、全部ひっくり返る)
人々が信じている未来を、
アメリアだけが信じきれない。
祝福されるほど、怖くなる。
期待されるほど、逃げ場がなくなる。
「……わたし、何してるんだろう」
糸を持つ手が、わずかに震える。
癒やしは完成した。
世界は、もう前に進んでいる。
それなのに――
アメリアだけが、物語の外に立ち尽くしていた。
*
窓の外で、風が木々を揺らす。
遠くで、誰かの笑い声がした。
アメリアは糸をそっと置き、胸元を押さえる。
(怖い)
(こんな未来、知らない)
知らない未来は、希望であるはずなのに。
彼女にとっては、闇だった。
灯りを落とした工房に、静寂が満ちる。
――癒やしは完成した。




