第34話:兵士の休息
その男は、夜が嫌いだった。
戦場にいた年数は、もう自分でも正確に覚えていない。
剣を握り、命令に従い、生き延びることだけを考え続けてきた。
戦いが終わり、王都へ戻されてからも――
夜は、終わらなかった。
目を閉じれば、音が蘇る。
閉じなければ、何も感じられない。
だから彼は、眠らなかった。
眠れないことが、当たり前になっていた。
「……」
その晩も、彼は簡易宿舎の寝台に腰掛け、天井を見上げていた。
他の兵士たちの寝息が、遠くに聞こえる。
自分だけが、取り残されているような感覚。
そのとき、手元にあるものに、ふと気づく。
それは、支給品の中に紛れ込んでいた小さな編み物だった。
厚手でも、豪華でもない。
ただ、柔らかい。
「……なんだ、これ」
誰が作ったのかも知らない。
名前も、意味も、説明書きもない。
彼は、半ば無意識に、それを胸に引き寄せた。
ぎゅ、と。
抱きしめるほどの大きさでもないのに、
不思議と、力が抜ける。
(……あったかい)
そう思った瞬間だった。
肩の力が、少しだけ落ちた。
歯を食いしばる癖が、緩む。
呼吸が――深くなる。
彼は、目を閉じた。
いつものように、すぐに開くつもりだった。
眠るつもりなんて、なかった。
ただ、少しだけ。
少しだけ、休むつもりだった。
――次に目を開けたとき。
窓の外が、白んでいた。
「……?」
彼は、すぐに状況を理解できなかった。
体が、重い。
でも、それは嫌な重さじゃない。
長く使っていなかった筋肉が、静かに休んだ後の感覚。
胸元を見る。
あの編み物が、まだそこにある。
彼は、息を呑んだ。
(……朝、まで)
朝まで――眠っていた。
夢は、なかった。
悪夢も、なかった。
ただ、何もない時間が、続いていた。
それが、こんなにも――
「……そうか」
誰に向けたわけでもなく、彼は呟いた。
戦場を離れても、
彼の中の戦いは、終わっていなかった。
でも。
この小さな、名も知らぬ編み物は、
剣を奪うことも、過去を消すこともせずに。
ただ、休ませてくれた。
彼は、布を胸に抱いたまま、しばらく動かなかった。
涙は、出なかった。
言葉も、なかった。
けれど、確かに。
彼は――居場所を、得たのだ。
彼は、戦場ではなく
休める場所を、ようやく得た。
それは勝利ではない。
栄光でもない。
ただ、人が生きるために必要な、
最初の一歩だった。




