第30話:王太子の決断 ― 休ませる国
王宮の会議室は、静まり返っていた。
長机を囲む重臣たちの前に、王太子アルベルトは立っている。
いつものように背筋は伸び、声も落ち着いている――だが、その眼差しは、どこか違っていた。
「本日の議題は、国防ではありません」
その一言に、わずかなざわめきが走る。
剣の数でも、兵の配置でもない。
この場で語られるのは、いつも“どう守るか”“どう抑えるか”だったからだ。
アルベルトは一度、深く息を吸った。
「近年、我が国では小規模な衝突が続いています。
致命的な被害は出ていない――しかし」
彼は手元の報告書に視線を落とす。
「疲弊は、確実に蓄積している」
重臣の一人が眉をひそめる。
「兵は鍛えられております。休息など、戦意を削ぐのでは?」
その言葉を、アルベルトは否定しなかった。
ただ、静かに首を横に振る。
「いいえ。休息がないことこそ、戦意を蝕む」
会議室の空気が、ぴんと張る。
「兵士の中には、剣ではなく“休む場所”を必要としている者がいます。
身体だけでなく、心もです」
誰もが言葉を失う中、アルベルトは続けた。
「よって、私は提案します。
兵士の定期休養制度の整備。
療養院への予算増額。
孤児や負傷者への支援体制の強化を」
それは、国の在り方そのものに踏み込む内容だった。
反対の声が上がるかと思われた。
だが、不思議なことに――誰も、即座に否定しなかった。
文官の一人が、ぽつりと呟く。
「……確かに。最近、不可解な変化が見られます」
別の者も頷く。
「争いが減っている。
理由は不明だが……人々が、以前ほど荒れていない」
アルベルトは、その言葉を聞いて小さく目を伏せた。
彼の脳裏に浮かんだのは、
学園の片隅で黙々と針を動かす少女。
騒がしい社交の場で、なぜか空気が和らぐ一点。
――あの工房。
彼は、原因を口にしない。
名を出すこともしない。
それでも、確信していた。
(剣で守る国には、限界がある)
(だが、休める国なら――)
アルベルトは顔を上げ、重臣たちを見渡す。
「強い国とは、戦える国ではありません。
立ち直れる国です」
その言葉は、静かだった。
だが、深く、確かに響いた。
会議は、やがて承認へと傾いていく。
誰も気づかない。
この決断の根に、
一人の少女が紡いだ、名もなき“あたたかさ”があることを。
そしてその頃――
城の外れ、控えめな工房で。
アメリアは今日も、
何も知らないまま、
一本の糸を、静かに紡いでいた。
その手が支え始めているものの大きさを、
まだ、完全には知らずに。




