第28話:触れたくない現実 ― 負傷兵の帰還
城下に、いつもと違う空気が流れたのは、その日の昼過ぎだった。
鐘は鳴らない。
凱旋の旗も掲げられない。
ただ、騎士団の馬車が数台、静かに門をくぐる。
その中に乗っているのは、国境で起きた小さな衝突から戻った兵士たちだった。
重傷者はいない――そう報告されている。
けれど、彼らの顔には疲労が色濃く残っていた。
剣の傷は浅くても、
張りつめていた心は、すぐには戻らない。
騎士団の詰所で、団長が低く言う。
「……今は、剣よりも休息が必要だ」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
療養室では、包帯を巻いた兵士たちが、無言で腰を下ろしている。
誰も武勇を語らない。
誰も勝敗を口にしない。
ただ、深く息を吐くだけだ。
その中で、ひとつの変化があった。
兵士の肩に、
膝の上に、
包帯の下に――
見慣れた、柔らかな編み地が置かれていく。
アメリアの作った防寒具だった。
特別な説明はない。
「これを使え」と命令されたわけでもない。
誰かが、そっと掛けただけ。
冷えないように、と。
兵士の一人が、無意識にその端を握る。
もう一人は、目を閉じて背を預ける。
言葉はない。
感謝も、報告もない。
けれど、部屋の空気が、少しだけ変わった。
張りつめていた呼吸が、ゆっくりになる。
震えていた指が、止まる。
それを見ていた騎士が、ぽつりと漏らす。
「……不思議だな。
何もしてないのに、戻ってきた気がする」
誰も答えなかったが、
誰も否定もしなかった。
その頃、アメリアは工房で糸を選んでいた。
国境のことも、兵士のことも、詳しくは知らない。
ただ、最近、防寒具の依頼が少し増えただけ。
それでも、胸の奥に、かすかな違和感が触れる。
(……今までと、少し違う)
編み物は、誰かの「生活」を支えてきた。
眠り、日常、安心。
けれど今――
それが、もっと近いところに触れ始めている気がした。
アメリアは、一瞬だけ針を止める。
糸は、相変わらず温かい。
けれど、その先にあるものを思うと、少しだけ息が詰まった。
(触れたくない……でも)
逃げる理由は、もうなかった。
彼女は静かに息を整え、
また針を動かし始める。
まだ、直接「命」を見たわけではない。
けれど、そのすぐそばに、自分の糸がある。
その事実が、
これまでとは違う重さで、胸に残っていた。




