第15話:噂の変質 ― 英雄にならない人
貴族街では、噂が巡るのが早い。
とくに学園に通う令嬢たちの話題は、
香水のように、気づけば空気に混じっている。
けれど最近、少し奇妙な噂が増えていた。
「……あの方、すごいのよ」
そう切り出されても、
続く言葉は、なぜか歯切れが悪い。
「すごいっていうか……」
「才能があるとか、そういうのじゃなくて」
誰かが、ぽつりと言った。
「近くにいると、疲れないの」
それだけだった。
英雄譚は語られない。
功績も、劇的な活躍も挙がらない。
「あの令嬢が国を変えるらしい」
「王太子に見初められるらしい」
そんな噂は、どこにもなかった。
代わりに囁かれるのは、こんな言葉だ。
「話さなくても、気まずくならない」
「一緒にいると、呼吸が楽になる」
「……理由は、わからないけど」
それは、称賛というより感想だった。
誰かを見下ろす材料にもならない。
誰かを妬む理由にもならない。
完璧すぎない。
目立ちすぎない。
だから、敵も生まれなかった。
「別に、すごいことしてないもの」
「たまたまよ」
そんなふうに噂は、自然に丸くなっていく。
――英雄は、必ず影を作る。
――突出は、反発を生む。
けれど彼女は、どちらにもならなかった。
その頃、当の本人はというと。
アメリアは、自分の工房で、
静かに糸を解いていた。
(……また、編み直し)
出来栄えが気に入らなかっただけ。
誰かに見せる予定もない。
評価されるつもりもない。
ただ、指先を動かす。
外で噂がどう変質しているのか、
彼女は知らない。
知らないまま、
“英雄にならない人”は、
今日も変わらず、糸を紡いでいた。
その在り方こそが、
この世界にとって、
いちばん扱いづらく、
いちばん穏やかな異物だとも知らずに。




