第10話:断罪前夜 ― 静かな不安
夜の工房は、静まり返っていた。
小さなランプの灯りだけが、机の上を照らしている。
アメリアは椅子に座り、いつものように毛糸を指にかけていた。
――けれど。
(……あれ?)
編み針が、わずかに震える。
呼吸を整え、もう一度。
糸をすくい、編み目を揃える。
カチ、カチ。
音はいつもと同じ。
なのに、心だけが落ち着かない。
窓の外から、かすかなざわめきが届いてくる。
灯り。人の声。笑い声。
王都の広場では、祝祭の準備が進んでいた。
色とりどりの布。
花の飾り。
仮設の舞台。
(……学園祭)
そう、知っている。
本来は、ただの祝祭だ。
――けれど。
(ゲームでは……)
喉の奥が、きゅっと詰まる。
あの場所。
人が集まり、注目が集まり、
“物語が動く”舞台。
断罪。
糾弾。
追放。
前世で、何度も見た光景。
アメリアは視線を落とし、編みかけのマフラーを見る。
淡い色合い。
誰かの首元を、ただ温めるためのもの。
(わたしは、何もしてない)
王太子に近づいていない。
ヒロインらしき存在にも、干渉していない。
誰かを陥れたことも、噂を流したこともない。
それでも。
編み針を持つ指先が、止まる。
無意識に、毛糸を強く握っていた。
(……まだ、大丈夫)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
(今は、何も起きてない)
(だから……大丈夫)
けれど、胸の奥で、別の声が囁く。
――“今まで”が、そうだっただけ。
ランプの炎が、ふっと揺れた。
アメリアは深呼吸をして、再び手を動かす。
震えは、完全には止まらない。
それでも、編む。
糸を。
時間を。
自分の心を。
窓の外では、祝祭の飾りが風に揺れている。
まるで、何かを待っているかのように。
(……お願い)
誰にともなく、祈る。
(このまま、静かに終わって)
ランプの灯りの下、
小さな工房で紡がれるのは――
嵐の前の、あまりにも穏やかな夜だった。




