第七話 想像の愛、現実の涙
静かな時間が流れていた。
小屋の窓の外では、柔らかな風に草木がそよぎ、陽がゆっくりと傾いていく。
俺は、湯気の消えたカップを手にしたまま、リノアをじっと見つめていた。
(この子が……俺にとって“特別”なんじゃないか)
王宮の誰よりも気取らず、飾らず、偽らない。
この静けさの中にある温もりに、俺は初めて“人間らしさ”を感じた。
そしてふと、言葉が口をついて出た。
「なあ、リノア。もしよかったら、俺の嫁として王宮に来ないか?もっといい暮らしができるし、きっと幸せになれるよ」
言ってしまってから、自分でも驚いた。
でも本心だった。彼女には、側にいてほしかった。
リノアは少し目を見開き、そしてゆっくりと首を横に振った。
「……ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、私は――そういう形で誰かのそばにいたいとは思わないの」
「……どういう意味?」
「私は、たったひとりの人を本当に愛して、その人からも心から愛されて……そういう関係で一緒にいたい。あなたが王様でも、お金を持っていても、それは関係ない」
その言葉は、まるでナイフのように俺の胸を裂いた。
(……拒絶された)
俺が本気で誘ったのに。
誰もが羨む立場になった俺が、心から求めたのに。
“愛”をくれたように見えた彼女から、俺は――断られた。
心がぐらりと揺れる。
(でも……俺にはチートがある)
俺は、ほんの一瞬、想像した。
「リノアがハーレムに加わって、俺のことを好きになってくれる世界」
それだけで、世界が“書き換わった”。
次に目を開けたとき、俺の目の前にいたのは王宮でセクシーな絹の衣装に身を包んだリノアだった。
彼女は俺に微笑みかけ、そっと手を差し出す。
「透様、今日のご予定はお決まりですか? 私、少しでも透様のお側にいたくて……」
声も表情も穏やかで優しい。
だけど、そこには――あの小屋で見せた、素朴な温もりがなかった。
何かが違う。何かが、決定的に“ズレて”いる。
「……リノア?」
「はい、透様」
その返事に、俺の胸はざわついた。
まるで“プログラムされた好意”。
誰よりも優しいのに、誰よりも冷たく感じた。
(……違う、これは違う)
俺は立ち上がり、強く願った。
「リノア……元に戻れ」
瞬間、空気が歪み、リノアの表情が固まった。
次に俺の目の前に現れたのは、質素な服に戻ったリノアだった。
彼女は足元を見ていた。唇を噛み、肩を震わせていた。
「……っひどい!」
その声に、俺は息を呑んだ。
「好きでもないのに、あなたを好きだと思わされて……気づいたら王宮にいて、知らない人たちに囲まれて……!
なのに、いらないって思ったら“元に戻れ”?」
涙が、リノアの頬を伝って落ちた。
「私……あなたが人間らしさを取り戻してくれたことが嬉しかった。なのに……あなたが一番、人の心を無視してたんだね……」
俺は、言葉を失っていた。
チートで何でも手に入ると思っていた。
いや、実際に手に入れてきた。
でも、心だけは――操作してはいけなかった。
「……ごめん……ごめん、リノア……!」
リノアは何も言わず、小屋の扉を開けた。
「帰って。もう、来ないで……」
その背中は、王宮のどんな扉よりも――俺にとって“閉ざされた世界”だった。
俺は、初めて知った。
本当に欲しかったものは、“想像”では手に入らない。