第六話 リノアのハーブティーと、心のぬくもり
リノアの小さな小屋の中は、どこか懐かしい香りに包まれていた。
干し草の匂い、煮出されたハーブの香り、木の床が軋む音……
煌びやかで整いすぎた王宮にはなかった、“人の生活の気配”があった。
「はい、これ。ちょっと苦いけど、気持ちが落ち着くお茶だよ」
木製のマグカップに注がれたハーブティーを受け取る。
その表面には湯気が立ち上り、リノアの指が少しだけカップに触れていた。
「ありがとう」
一口啜ると、たしかに少し苦い。でも、不思議と――
「……うまいな、これ」
「ふふ、よかった」
リノアは恥ずかしそうに笑った。
その笑顔に、華やかさはない。でも、心の芯がほぐれるような“素朴なあたたかさ”があった。
「王様なのに、こういうの好きなんだ?」
「……ああ。むしろ、こういうのが一番、ありがたいかもしれない」
リノアは一瞬目を丸くしてから、少しだけ視線をそらした。
「……そっか。でも、無理しなくてもいいんだよ?」
「無理?」
「うん。本当は疲れてるのに、“理想の王様”でいようとしてる感じ、したから」
俺の中の何かが、ギクリと音を立てて揺れた。
そう、彼女は俺の“本音”を――見抜いていた。
「……どうして、そんなことがわかるんだ?」
「んー、わかんない。でも……あのとき、草原で見たあなたは、もっと弱そうで、困ってて、寂しそうだった。今のあなたは、強そうに見えるけどどこか……苦しそう」
俺は返す言葉を失っていた。
どんな美女も、どんな賢者も、俺の心を“読む”ことはなかった。
ただ、リノアは“読もうとして”いない。“見てくれて”いるだけだ。
それだけなのに、どうしてこんなにも――救われたような気持ちになるんだろう。
「……ごめん。俺、君のこと……無視した。あのとき、“地味”だって思って、俺の世界には必要ないって……」
「……うん、なんとなくそんな顔してたね」
リノアは、ちょっとだけ寂しそうに笑った。
でも――そのあとに続いた言葉が、俺の胸を深く突いた。
「でも、助けられたくなかったら、それでよかったんだよ。私は、ただ“倒れてた誰か”を助けたかっただけだから」
なんてことだ。
この娘は、俺に何も“見返り”を求めていなかった。
今まで出会った誰もが、俺の力、地位、財産、チート能力で引き寄せられていたのに。
「……リノア。君は、何か望んでることって、ある?」
「んー……朝、ちゃんと起きて、畑の世話して、たまに誰かとおしゃべりできれば、それで幸せかな」
なんて、ささやかな願いなんだろう。
俺がどれだけの願望を満たしてもなお“渇いていた”のに、
彼女は、何も持っていないようで――すでに“満たされている”。
「あなたは……どうして、こんなとこまで来たの?」
その問いに、俺は答えられなかった。
でも、代わりに、静かにこう呟いた。
「……少しだけ、“人間”に戻りたくなったんだ」
リノアは、驚いたように目を見開いたあと、
そっとマグカップに視線を落とし、微笑んだ。
「それなら、よかった。人間に戻るお茶、ちゃんと用意できてたみたい」
その笑顔は、どんな魔法よりも――俺を癒した。
――俺は今、ほんの少しだけ、本当の“愛”に近づいた気がしていた。