第9話
大介はもう腹が立ってたまらない。
まさかこのイケメン弁護士が物事のやり方を知っている人だと思っていたのに、思いも寄らなかった。鋭い口を利かせて、法律について話すときは本当に豚がブラを着ているように、一つまた一つと理屈をこねてくる！
「お前…… お前…… お前……」
大介が「お前お前お前」と半日言葉が出ないのを見て、冬木雲は彼に親切に笑った。「あなたも刑務所に入りたくないでしょ？」
「確かにあなたたちヤクザが刑務所に入ることは珍しくないことだけど、前科があると、金盆洗手して正しい道に戻るのは難しくなりますよ。」冬木雲は大介の周りをゆっくりと歩き回った。彼はとてもゆっくりと歩いていて、脅すような言葉を口にしていなければ、まるで庭でのんびりと散歩しているかのようだった。
「聞くところによると、あなたの家にはまだ年齢の小さい弟や妹がいるんですよ？」
「もしあなたが刑務所に入ったら、彼らはどうするんですか？」
「両親のいない子供たちにとって、唯一の実の兄まで刑務所に入ってしまったら、うーん…… 彼らはただ児童養護施設に行くしかないですね。」
「運が良ければ児童養護施設で無事に成人することができますが、教育を受けていなくて、学校に行ったこともないと、大人になっても何ができるんですか？あなたはよく知っていると思いますが、花街以外に彼らが行けるところはありません。」
「あなたも人の心の邪悪さを見てきたでしょう。児童養護施設に入るにせよ、誰かに養子にとられるにせよ、それはすべて未知の道です。その道が明るいのか、険しいのか、誰も知りません。」
冬木雲の言葉は一つずつ冷たくなり、大介の血液を少しずつ凍らせていった。彼が一人で花街に来て小さなチンピラになったのは本当にやむを得ない選択だった。もし彼が小さい時に勉強する条件があったら、なぜ自ら道を外れる必要があったのか？
弟や妹たちはまだ幼く、人生には無数の可能性がある。彼はもう救いようがない。汚い金を稼いだのも弟や妹たちに学費を払うためだ。もし彼のせいで弟や妹たちが今の生活すら守ることができなくなったら、彼は一体何者の兄なのか？また、死んだ両親に顔を合わせる資格があるのか？
「お前…… では、お前はどうしたいんだ？」
「私がどうしたいんだというわけではなく、あなたのことです。」冬木雲はまた大介に親切な笑顔を浮かべた。
大介は背中にぞくぞくする寒気を感じた。まるで無数の見えない小さな虫が彼の背中を這っているようだった。
「わかった。あなたたちは借金の証拠に書かれている利息で返せばいいんだ。全部で一百一十万だ。いいだろう？！」
この件は見るところによると稼げないらしい。幸いこの三人は借金を返すつもりだ。泣き叫んでお金がないと言うノロノロ犬よりはずっとマシだ。
「いい、一百一十万。」ずっと声を出していなかった薄葉夕夏は立ち上がって、大介の前に歩き寄った。「今月中に返します。」
「今月？？？お前はお金を持ってきたんじゃないのか？！」
大介はぱっと跳び上がった。彼は薄葉夕夏が現場で借金を返すつもりだと思って、一文も稼げないことに同意したんだ！
「誰がお金を持ってきたって言ったんだ？」
薄葉夕夏は無邪気な表情で、大きな目にはまっすぐな誠意が満ちていて、少しも嘘をついている跡がなかった。
「お前……！」
大介はまた腹が立ってたまらない。
さっきの怒りは法律への恐れも含んでいたが、今の怒りは純粋に自分がからかわれたことによる激怒だ。
「この…… このバッグの中！」大介は薄葉夕夏の足元のテニスバッグを指した。
「お前は中にお金が入っているって言った！！」
「ああ、これか。」
薄葉夕夏は腰を下ろしてバッグを持ち上げ、大介に向かってジップを開けて笑った。「中に入っているのは新聞紙だよ。それも考えてみれば、こんな大きなバッグにお金がいっぱい入っていたら、私のような弱い女の子が持てるわけないでしょ？」
「それに、今はモバイル決済の時代だ。誰が一袋子の現金を持って出かけるんだ？そういえば、あなたの振込口座を書いてください。後でお金をあなたのカードに振り込みます。」
「お前…… お前…… 私………」
薄葉夕夏は大介の腹立たしさを無視して、自分勝手に笑いながら言った。「これらの新聞紙はあなたに残しておくわ。ヤクザでもニュースをたくさん読まないと進歩できないですよね。あなたもそう思うでしょ？」
何がそうだよ！
この悪辣な女！
大介はただ自分が教養がないことを恨んだ。肝心な時には、口論をすることもできない。
もし彼が少し知識を持っていたら、なぜ薄葉夕夏に思い通りにされることがあるんだ？
勉強したいという思いはこれまでになく強くなった。大介自身でも思いも寄らなかったが、再び薄葉夕夏に会った時、彼はまったく別人になっていた。
もちろん、これは後の話だ。
この時の薄葉夕夏はがっかりした様子で家に帰る道を歩いていた。確かに債務の負担は一気に軽減されたが、まだ一百一十万も返さなければならない。彼女はまだ仕事を始めておらず、手元には全く貯金がない。
目の前、月末まであと半月もない。彼女はどうやってこの金額を集めることができるのだろうか？
唯一選択できる道は、店と家を売ることだけだ。
「冬木おじさん、私は家と店を売りたいんです。あなたは友達が多いですし、私のために気をつけていただけますか？」
「あなたは家を売るつもり？！」
「はい……」薄葉夕夏の頭をもっと下げた。「私は考えてみたんです。家には骨董品や書画もないし、高級品も買っていないし、売って金を集めるものはあまりないんです…… それに、私の両親まで借金をしなければならなかったんだから、彼らの貯金は恐らくとっくに店の赤字を埋めるために使われていたんです…… すぐに金を集める方法は家と店を売ることしかありません……」
「でも…… でも家と店を売るわけにはいかないんですよ！それらはあなたの両親の一生の心血なんです！」
薄葉夕夏がそのことを知らないわけがない。
中国人は家を特別に大切にする。多くの中国人は生涯を通じて、自分の家を持つことを目指して生きている。何況薄葉夕夏の両親のように、異国に遠く離れて暮らす中国人にとって、異国に家を持つことはそこに根を下ろしたことに等しい。
根を持った人はこれからもう放浪しない。
「夕夏、家と店は売っちゃダメだ！金は私が返します。」
「冬木おじさん！」薄葉夕夏は思わず叫んだ。彼女は冬木雅弘が借金を代わりに返そうとすることを恐れて、家を売ることを決めたのだ。
「このまま決めましょう。私の意思は固いので、争わないでください。」
「冬木おじさん！このお金をあなたが返すわけにはいかないんです！あなたがこのようにしたら、私はどうすればいいんですか？もし私があなたのお金を受け取ったら、私は両親にどう顔を合わせればいいんですか？これから墓参りすらできなくなってしまいます！」
「夕夏！」冬木雅弘は薄葉夕夏がこんなひどい言葉を言うとは思わなかった。これは彼が手伝うと決めた本意ではなかった。
冬木雅弘は薄葉夕夏を説得しようとして、また口を開こうとしたが、そばで運転していた冬木雲に引っ張られた。
「お父さん。」冬木雲は頭を振って、冬木雅弘にもう話をしないように合図した。
ともかく幼なじみで一緒に育った友人同士だ。冬木雲は薄葉夕夏の性格をよく知っている。弱々しくてかわいい見た目の下には、粘り強い根性がある。こんな時に彼女を説得するのは無駄だけでなく、逆效果になる。
薄葉夕夏が落ち着くまで待たなければならない。
「夕夏、あなたが何を決めても私たちはサポートします。今日は時間が遅くなってきたので、まずあなたを家に送ります。」
後座に座っている薄葉夕夏は返答せず、ただ力なく背もたれに寄りかかって、顔には明らかに疲れた色が浮かんでいた。
車は一路急行し、すぐに花街から薄葉夕夏の家の前までたどり着いた。
冬木雅弘父子と別れた後、薄葉夕夏は階段を上ってドアを開こうとしたとき、偶然自分の家の前庭のネギが育ちがよく、若々しい緑の葉が夕日の下でキラキラと光っているのを見た。
彼女は思い出した。ここに戻ってきてからの数日間、庭の草木に水をやっていなかった。
彼女ですらこれらの草木を大切にすることができないのに、家を売った後、新しい主人は両親が大切に世話をしてきたこれらの植物をどう扱うのだろうか？
答えは容易に想像がつく。
薄葉夕夏は運命を受け入れてため息をついて、庭の中の散水ポンプを持って壁際の水道のところに行き、ポンプに水を入れた。
水道の蛇口を少し大きく開けた。しばらくして、冷たい水道水が「ザー」とポンプの口に当たり、水しぶきが飛び散って薄葉夕夏の手の甲にかかった。
水滴が肌に当たる感触は刺激的で、もともとぼんやりとしていた考えがだんだんと曇りを払って、青空が見えるようになった。
薄葉夕夏は心の中で決心をした。
彼女の動作が急に速くなった。記憶の中の両親の指導通りに、庭の植物たちに水をやり、虫を除き、よく世話をして、日陰好きのいくつかの草花を部屋の中に運び戻して、やっと仕事が終わった。
家の中に戻って 2 分も休まないうちに、薄葉夕夏はまた急いで台所に走り込んでハサミと竹かごを持って、一路庭の中に走っていった。
ネギの前でしばらく沈黙してから、薄葉夕夏はハサミを下ろし、緑のネギは水滴をつけたまま竹かごの中に移された。
彼女は自分にネギの香る醤油ラーメンを作ろうと思った。
最も手に入れやすい食材と最も簡単な調理法さえあれば、心と胃を暖める美味しいスープ麺を手に入れることができる。
これは薄葉夕夏が最もよく作る食べ物だ。小さい時、両親は店の世話に忙しくて彼女の世話ができなかった。彼女は母親の指導のもとでこの麺の作り方を学んだ。無数の一人ぼっちの放課後の時間の中で、彼女はこの麺を食べながら帰ってくる両親を待った。
まず、きれいな麺の碗を一つ取る。大きさは勝手でいい。次に、鍋に水を入れて沸かす。水が沸いたら麺を入れる。
麺にはレンジャン麺、そば、うどん、米粉などが使える。太さや長さは自分の好みで決めればいい。麺の種類によって茹でる時間も異なる。薄葉夕夏はレンジャン麺が好きだ。なぜなら、最も手に入れやすく、保存もしやすいからだ。
麺を茹でている間、スープの素を用意する。
まずネギを洗って細かく切って碗に入れ、次に適量の醤油、胡麻オイル、塩と砂糖を入れて味付けする。辛いのが好きな人は唐辛子油を少し加えてもいいし、酸っぱいのが好きな人は少し酢を加えてもいい。少しの変更で、たくさんの風味を増やすことができる。
麺が茹であがったら、碗に取り出し、スープを二さじかけて碗の底の調味料を溶かし、箸でかき混ぜて下のネギの葉を上に持ってきて、この時、濃厚な胡麻オイルとネギの香りが碗の前に漂う。
最後に箸で少しラードを取ってスープの中で溶かして、食べられるようになる。
全体の作り方は 10 分もかからない。あまり時間がない人や料理に苦手な人にとって、非常に適している。
薄葉夕夏は気をつけて麺の碗を両手で抱えてダイニングルームに行った。磁器のように白い碗の中には褐色のスープが入っていて、スープの上にはつやつやした緑のネギのみじん切りとひとつひとつの油のかけらが浮かんでいた。スープの下には千切れの麺が絡んでいた。面倒くさくないなら、目玉焼きを焼いたり、野菜を茹でて具にしてもいい。そうすれば、もっとおいしく食べられる。
ネギの葉がついた麺を一つ挟んで、麺の香りが鼻につく。この時、決して焦らないようにしなければならない。さっき出したばかりの麺はとても熱い。無茶苦茶に口に突っ込むと、舌がしびれるだけだ。根気よく「ふうふう」と二回吹いて、上がってくる熱気を追い払ってから口に入れなければならない。
レンジャン麺は小麦を粉にして作られていて、もともと穀物の香りがある。最も素朴な食べ物であり、最もお腹を満たすことができる食べ物だ。
この麺の最も素晴らしいところは、最後に少し加えたラードだ。動物性油脂特有の旨味は植物油では比べることができない。麺の中には肉を加えていないが、味は肉の入った麺より劣らない。むしろ、このような地味なスープの麺こそ、ラードの特殊な香りを完璧に引き立てることができる。
一碗の麺を食べて、口がべたつかないし、地味すぎないし、もちろん膩さを感じることもない。本当に気に入り、お腹にも合う。
薄葉夕夏は麺を食べ終わって食器を片付けて、ちょうど座って休んでいたとき、門の前に足音と急いだノックの音がした。
「ドンドンドン」というノックの音が独身の女の子の家の前で鳴ったのは本当に少し怖い。
薄葉夕夏は大介が後悔して、ここに来て算段をつけにくるのではないかと心配して、ぱっと跳び上がって台所に飛び込んで、ナイフ立てから久しぶりに使わなかった中華包丁を抜き出した。
