表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/94

第69話

隼人は自分のデスクに座り、大介が届けたほのぼの暖かい、ご飯の香りが漂うプラスチック容器を前にした。周りの何枚もの異様な視線を無視しようと、無難な表情を装って容器の蓋を開けた。


蓋が開くと、ご飯の香りが思い切りオフィス全体に広がり、あっという間にすべての人の鼻を虜にした。隼人は思わず顔を真っ赤にした —— チャーハンがこれほど香ばしいとは思わなかった!


熱々の料理特有の香りは、サンドイッチやおにぎりなどの冷めた食事とは比較にならないほどだった。彼は気をつけて周りを見回し、同僚たちが各自の席に座って自分に注目していないことを確認してから、ようやくスプーンを取り始めた。


隼人の同僚たちが彼に文句を言わなかったのには理由があった。先ほど食事を届けに来た大介は、最近まで工事現場でアルバイトをしていたため、体裁のいいベストなどを着ず、筋肉の発達した腕を丸出しにしていた。急ぎ足で駆けてきたせいか、苛立った表情があり、まるで凶悪そうな「兄貴」のように見えた。同僚たちは大介を隼人の兄と勘違いし、触れ込む勇気がなかったのだ。オフィスで働く彼らにとって、肉体労働者と力を較べることは「自ら屈辱を招く」ことだったからだ。


隼人はチャーハンを次々と口に運ぶ。見た目は地味だが、味は格別だった。どうして卓也がこれまでの冷たい態度を一変し、大介にべたべたと食事を頼むようになったのか、今の隼人にはよくわかった。この店の料理は本当に美味しいのだ!


道中の揺れにもかかわらずこれほど美味しいなら、店で出される出来たてのものはどれほど素晴らしいことか。隼人は給料日を心算した。給料をもらったら、是非大介を「福気」に連れて行き、感謝の気持ちを伝えようと決心した。


同僚たちは隼人の表情をこっそり観察していた。彼の顔に驚きと満足の表情が浮かび、その後は目を閉じて頭を振りながら食べる様子を見て、みんな心を動かした。

いくつかの隼人と仲のいい同僚がまず近づいた。


「隼人、何を食べてるの?凄く香いよ!」


「隼人、お兄さんがいいな~ わざわざ昼ごはん届けてくれるの?これ、お兄さんが作ったの?」


「買ってきてくれたんだよ。」隼人は同僚たちの勘違いを否認しなかった。大介を「兄」と名乗ることで、彼にとっては「身の回りの護衛」になるからだ。


「買ったんだ?どこの店?何て名前?」


「『福気』って店だよ。楓浜通りにあって、中華料理を専門にしてるんだ。」


「楓浜通りか……」


同僚たちは同時に残念そうな表情を浮かべた。楓浜通りは彼らの職場から遠すぎ、週末に特別に行くほどの価値があるかどうかというと……


都市には美味しいレストランがたくさんあるのだから、遠回りして行く必要があるだろうか?


隼人は同僚たちの考えを知らず、一味違う「生きた人間」のように頭を振りながら食べ続けた。普段の慎ましい彼とは打って変わった、ほとんど「狂喜乱舞」するような様子だった。


風間という同僚は、隼人を虐げたことがない上に、時々助けてもらっていたこともあり、群れの一番前に擠み込んで、恥ずかしそうに声を出した。


「隼人、このご飯、凄く香いよ!ちょっと味見させてもらえない?今日の昼ごはん、関東煮しか食べてないんだ……」


「いいよ。でも、箸がないけど。」


「私が持ってる!」風間は自分の席に飛び込み、箸を取ってすぐに戻ってきた。慎重に一筋のチャーハンをすくい上げた。


透き通るような白米に、刻み細かい青梗菜が混じっている。風間はよく見たあとに下した一筋で、米の下に油っぽく光るラーチャン(中国風ソーセージ)が隠れていた。隙間から微かに暗赤色が見えた。


一口で口に入れると、野菜の香り、米の香り、ラーチャンの香り、さらに調理時に使われたラードの香りがすべて口腔内に広がり、彼は思わず大声で叫び出した。


「うまい!!!」


隼人の周りに集まって「ちょっと味見」を待っていた同僚たちは、これでもう我慢できなかった。恥ずかしそうな表情で次々と声を出した。


「隼人、私もちょっと味見させて!」


「私も一口だけ、いい?」


「私も私も!」


もともと残り少なかったチャーハンは、同僚たちの「一口ずつ」で次々となくなり、あとには油が染みたプラスチック容器だけが残った。


「まじで美味しい!」


「隼人、お兄さん本当にいいな~ こんなに美味しいご飯買ってくれる!羨ましい!!」


「隼人、明日もお兄さんがこの店のご飯を届けてくれる?」


食べさせてもらった同僚たちが次々と話しかけるなか、ずっとオフィスの「透明人間」だった隼人は驚いた。


「同僚と距離を縮めるのは、こんなに簡単だったのか……」


以前、一生懸命お茶を入れたり奔走したのに、笑顔すらもらえなかった日々が、一体何だったのかと思えた。


隼人は心に不満を抱えながらも、顔に出さずに楽しそうに同僚の質問に答えた。彼の態度が穏やかで、丁寧に返答する姿を見て、ますます多くの同僚が雑談に加わってきた。


一方、いつも隼人をいじめる幾人は、遠くから人だかりの中で「星の如く扱われる」隼人を冷たい目で見つめ、皮肉な鼻哼声を漏らした。


「切、中華料理って何それ?どこでも食えるくらいのもの」


「そうだよ、何の珍しいものでもないのに…… オフィスで匂いの強い料理を食べるのは公共のマナーがないわ」


「まあ、小さなところから来た人間だから仕方ないわよ~ 皆さん、寛大にしてあげて」


「ふふ、酸い葡萄とか言ってるだけじゃない!」先ほど一番たくさんチャーハンを食べた風間は、隼人の味方になって、冷たい言葉を浴びせかけた。「でも、お前らは文句を言うしかないよね?美味しいものはお前らには届かないからさ!」


「中華料理なんて、誰でも食べたことある!田舎者が珍しいものだと思ってるだけ」

この一言は、場の大半の人を「一網打尽」してしまった。


言った男は、不満をにじませた視線を数本向けられ、急に気が沈んだ。しかし、会社の幹部である叔父を思い出して、再び胸を張った。「何を見てる?田舎者ども!」


「なぜ私たちを罵るの!?」


「無断で悪口を言うのはパワハラだ!上司に訴える!」


「みんな、落ち着いて」風間は激怒した同僚を鎮め、男に向かって一歩進んだ。「そうそう、田舎者でいいわよ。ただ、これから田舎者の昼ごはんに垂涎すいぜんしないでね?そうしたら、田舎者以下の存在になっちゃうから~ 皆さん、そうじゃない?」


風間の皮肉な言葉に火を切られたように、他の同僚も次々と反論を続けた。


「そう!でも中華料理くらいなら、高慢な都会の人間が奪い合うようなことはないでしょ?!」


「もちろんないわよ~ あの人たちは五星級レストランの高級料理しか食べないから、庶民の美食なんて目に留めないわ!」


「それならいいけど、ある人は横柄に慣れていて、何も気にせずに勝手にするのが怖いわよ~」


ただ隼人だけがいじめられたように顔を曇らせていた ——「大変なことを引き起こしたような……」


夕日が沈み、天に広がった紅霞は夜の暗闇に飲み込まれていく。街灯が忠実に同時に点き、往来する行人の帰り道を照らした。


大介は再び「福気」にやって来た。この晩は先日に比べてひとまわり賑やかで、金髪碧眼のカップルがカウンターで食べながら、両親の店主と手舞足蹈で興奮して何かを話していた。英語が分からない大介は、店主に手を振ってあいさつした後、慣れ親しんだ片隅の席に座った。


薄葉夕夏が自発的に接客に来た。彼女はこの晩、ブルーノから良い知らせを聞いたため、機嫌がとても良かった。「お客様、また来られましたね。葱油拌麺はもう準備できていますよ。先に 1 人分お持ちしましょうか?」


「ありがとうございます。お願いします。」


しばらく前、ブルーノとジェシカが予定通り撮影に来たところ、入り口で飛び込んできたように彼女に話した —— 前回投稿した旅行ビデオのコメント欄に、突然多くの中国のネットユーザーのコメントが現れたという。コメントの内容はほぼ同じで、大きく 2 種類に分けられた。一つは、中国のマーケティングアカウントが勝手に彼らの動画を流用したことへの謝罪で、もう一つは「福気」が提供する中華料理が本格的だと称賛するものだった。


ジェシカが個人アカウントに投稿した「パンの誘惑」を手にした写真も、中国のネットユーザーに「圧倒的に素晴らしい」と絶賛されていた。


「実は中国のマーケティングアカウントに感謝しないとね。勝手に動画を流用してくれなかったら、こんなに多くの中国のファンを獲得できなかったわ」


「でも、中国のネットユーザーはどうやってこの動画が私たちが撮影したものだと知ったのかしら?」


ブルーノとジェシカが謎に思っている間、秋山長雪は「わかっている」という微笑みを浮かべ、その功績を隠していた。


「今ファンたちは『福気』のドキュメンタリーをとても楽しみにしているから、これまでのように適当に撮影していてはダメわ。しっかりと計画を立てて、ファンに良い作品を届けないと!」


「そうなると、深山でのハイキングやキャンプに行く時間がなくなるわよね?」秋山長雪が不思議に聞いた。


「そうなの。でもキャンプは去年からの計画なので、必ず実行しないと。それに、今新しいアイデアが浮かばないから、自然に触れてみたら、良いアイデアが湧き出るかもしれないわ。だからキャンプを終えた後、改めてドキュメンタリーの撮影に集中することにしたの」


「こんな話をすると、ストレスがたまってきます!美味しいものを食べて気分を転換したいです!」


話がやって来て、やはり食べ物の話になった。薄葉夕夏は二人を台所に連れて行き、ビールダックの調理を始めた。その頃、ブルーノとジェシカは涼しいビールを飲みながら、辛くて香り高いビールダックをかじっていた。辛さが食欲をそそり、ビールの冷たさと相まって、二人は大満足の表情で食べていた。


大介は葱油拌麺をすする一方、カウンターに置かれたガラスの盆に目を奪われていた。深褐色のタレに唐辛子とパクチーがのった肉の香りが漂い、カップルが「美味しい」という手振りをしているのが分かった。葱油拌麺も美味しいが、このビールダックと比べると物足りなくなってしまう。大介は肉の香りを深く嗅ぎ、脳内で味を想像していた。


「あ、忘れてた!お客様、ビールダックを作ったんですが、少し味見しませんか?」薄葉夕夏がガラスの盆を運びながら言った。「でも、少し辛いですけど、辛いの大丈夫ですか?」


「う、大丈夫だと思う……」大介は美食の誘惑に負け、嘘をついた。


次の瞬間、麺の碗にはパクチーのカスが付いた鴨肉が二切れ追加された。鴨肉は皮ごと骨付きで、深褐色の濃厚なタレが絡んでいた。大介は一つ挟み上げ、舌先がタレに触れた瞬間、辛さに涙が出そうになった。チクチクとする痛みが走る一方、「もっと食べたい」という声が心底から上がってきた。


辛さを我慢しながら肉を噛むと、柔らかい鴨肉は口の中で簡単に骨から離れ、タレの風味がしっかりと染み込んでいた。肉の旨みとタレの辛さが混ざり、「爽快感」がこみ上げてくる。


「あまりに辛い!でも、クセになる!もっと冷たいビールがあれば、最高のナイトスナックだ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ