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第66話

「そういえば、小店長、このデザートに名前はあるの?」


「パンの诱惑ゆうわく


「まさか!誰が名付けたの?完璧すぎる!」ジェシカは両手を合わせ、感佩の表情を浮かべた。


熱々のトーストに乳香のアイスを添えたこの組み合わせは、まさに純粋なる誘惑だ。

「恐らくこのデザートを考案した料理人の名前だと思うけど、残念ながらその人の名前は記録されてないわ。」


「どうして記録されてないの?こんな素晴らしいアイデアは後世まで伝えられるべきじゃない!」


「これは……」薄葉夕夏はジェシカの質問に答えられず、要点を避けた。「幸いにも作り方は伝わっているから、それで良いんじゃない?」


「そうは言え、料理人の名前まで残っていればもっといいのに。」ジェシカはブルーノと目を合わせた。クリエイター同士だからこそ、他のクリエイターの想いがよくわかる。


音楽や文学、絵画、ビデオ制作以外の人間が「クリエイター」と呼ばれることは少ないが、料理人もまたクリエイターの一種。


クリエイターにとって最も苦しいことは、一つは自らの才能が認められず「明珠めいじゅちりにまぎれる」こと、もう一つは名前が消されることだ。


二人の脳裏をその瞬間、何か曇りのようなものがかすかに流れた。しかしそのまま掴もうとすると消えてしまい、代わりに心の底に種がまっすぐに植え付けられた。


「へへ、小店長、1 つじゃ足りないから、もう 1 つ作ってもらえない?隣の店でフルーツ買ってくるから、今度はフルーツバージョンを作ろう!」ブルーノは薄葉夕夏に微笑みを向けた。


先ほどの「パンの誘惑」は二人で分光したばかりか、トーストの殻まで残らなかった。それでもキビキビとした程度で、まだお腹が空いたままだ。


「いいわよ。あと何枚かトーストが残ってるから。でも、作り方は教えたから、今度はあなたたちが自分で作るわ。」


「了解!」


中華料理を作られたら即座に断るブルーノだが、トーストのデザートならできる自信がある。というのも、彼とジェシカはパンで育った正統派の西洋人だ。


ブルーノは喜びそうに隣の店でデザートに合うフルーツを買ってきた。洗ってカットしたあと、薄葉夕夏が教えた手順でトーストの処理を始めた。


奇妙なことに……


薄葉夕夏がトーストを刀で幾センチか切るだけで、綺麗な四角い芯が丸ごと取り出せたのに、ブルーノとジェシカが輪番に挑んでも、切り進むにつれてトーストはますますバラバラになった。カッターボードにはバラバラのトーストの破片が散乱している。


芯が綺麗に残るどころか、サイドの殻さえ凹凸おうとつで、まるでかわいそうな表情をしている。


3枚のトーストを台無しにした後、2人はとうとう少しまとまった芯を切り出すことができた。バターと蜂蜜を塗って焼き、練乳をかけ、フルーツとアイスクリームをたっぷりと飾ると、完成品はなかなか見事な出来栄えだった。


ジェシカは興奮してブルーノと薄葉夕夏を引き寄せて写真を撮り、10 枚以上撮ってからやっと止まった。「小店長、心配しないで!あなたの顔にマジックをかけてから投稿するから、本当の姿は絶対にバレないわ!」


秋山長雪はその言葉に耳を傾け、宣伝のチャンスを逃さなかった。「ジェシカ、その写真どこに投稿するの?インスタ?これ、『福気』の公式アカウントだから、投稿時にアタッチしてね~」


「いいわよ、まずフォローしておくわ。」


ジェシカの主な活動拠点は YouTube だが、実はインスタグラムのアカウントも持ち、ファンとの交流や旅行中のエピソードを投稿しており、長年の運営で YouTube に負けないほどのフォロワーを集めていた。彼女を通じて宣伝すれば、きっと潜在的な客層を引き寄せられるだろう。


そんな笑い話の中で昼間は過ぎ去り、夜が訪れると、ジェシカとブルーノは大好きな激辛マラボンを注文。食べ終わった後、次の日の新料理「美龄粥びれいしゅく」の撮影の約束をして、早速ビデオ編集に戻った。


夜の商売は昼間よりも少し盛況で、少なくとも 2~3 組の客が入り、店内に人気のにおいが漂った。


7 時を回ると、大介が時間どおりにドアを開け、カウンターでぼんやりとしていた薄葉夕夏と目を合わせた。


「こんばんは。」


「こんばんは、お客様。今日も来られましたね!」


「はい… 今夜も 30%OFF ありますか?」


「ありますよ。ただ、今日は準備が少なくて、マラボンしか残ってないんです。」

大介は片隅の席に座り、「マラボン」という料理がどんなものか考えた。名前を聞くと麻と辛い味が連想され、家の 2 人の子供はきっと食べられないだろう。


しばらく考えた後、決心した。「じゃあ、まず 1 人分試してみます。」


「かしこまりました。辛さは調節できますよ。微辣びら中辣ちゅうら激辛げきらのどれにしますか?ご飯に合わせますか、それとも麺?」


「辛さが選べるの?」とてもフレンドリーな店だ!大介の「福気」に対する好感度はまた急上昇した。「不辣からないのは作れますか?」


「作れますよ。ただ、不辣だと味が薄れちゃうから、少し辛い方がおいしいんですよ。」


「分かりました。微辣の麺を 1 人分今すぐ食べたいです。それに、不辣のを 2 人分と微辣のを 1 人分、全部麺にして持ち帰りたいです。これ、持参した弁当箱です。」大介はカバンから大きな弁当箱 1 つと小さな弁当箱 2 つを取り出し、テーブルに置いた。


弁当箱を受け取って間もなく、薄葉夕夏がマラボンのセットを運んできた。「今日の例のスープは野菜スープで、マラボンに合いますよ。漬物はスーパーで買った漬け大根で、酸っぱく甘いので食欲をそそります。食べる前に上のタレを混ぜてくださいね。どうぞゆっくりお召し上がりください。」


大介は大きな碗に入った野菜や肉、麺の雑煮を見つめた。最上層には厚めの胡麻醤と真っ赤な唐辛子油がのっており、混ぜる前から香りが鼻に漂ってきた。


箸を取って慎重に混ぜると、タレが食べ物の熱気を受けてさらに濃い香りを放ち、大介は思わずよく飲み込んだ。慌てて混ぜ終わると、舌先がタレの味を捉えた瞬間、大介は「マラボン」という料理が間違いなく最高の味だと確信した。


ガツガツと碗の中を一掃した後、満足の表情でお腹をたたき、小さなしゃっくりをした。昨夜のチャーハンも美味しかったが、マラボンの方がさらに優れている。彼の視線がカウンターに置いたメニューに漂い、独り言を言った。「このメニューにはまだどれだけ美味しい料理が隠れているんだろう。いつか弟と妹を連れて、思う存分食べたいな……」


「お客様、何かおっしゃいました?」


「あ?!いえ、何でもない!聞き間違いです!」薄葉夕夏の声に驚いた大介は、思わず飛び上がるところだった。


「そうですか…… これが持ち帰り用の料理です。カバンに入れるのは不便だと思いましたので、環境に優しい袋に入れました。直接持っていってくださいね。」薄葉夕夏はエコバッグをテーブルに穩やかに置き、考えたあとに付け加えた。「もし毎晩来られるなら、前日に食べたい料理を教えてください。食材を確保しておけますから。」


「それでいいのですか?わざわざ食材を残してくださるのに、『備えた料理を片付ける』っていう意味じゃないですか……」


「実は、この店はさほど賑わっていないので、毎日大量の食材を準備する必要がありません。」


大介は口を閉じ、唇を噛みしめた。確かに、彼が入店してから食べ終わるまでの 30 分間、新しい客は一人も来なかった。周囲のレストランの賑わいと比べて、まるで別世界のようだった。


「もし毎晩来てくだされば、少しでも活気が出るんです。」


「わかりました。明日の夜も来ます。できれば…… あ、いや!『老式拌飯(伝統的な混ぜごはん)』の食材を 4 人分、残しておけますか?」


3 人分と言おうとした大介の脳裏に、卓也のにこやかな顔が浮かんだ。不意に 4 人分と言ってしまった。


「かしこまりました。老式拌飯は少し辛いですから、微辣の 2 人分と不辣の 2 人分、でよろしいですか?」


「はい。」


エコバッグを提げて家に近づく途中、大介はようやく気づいた。薄葉夕夏が食材を残してくれても、定価での請求はしなかった。きっと自分の経済的な苦境に気づいて、好意的に体裁を保ってくれたのだろう。


子供たちに温かい食事を届けるため、大介は平日より早く家に着いた。夜 8 時、住宅ローンのアパートは喧騒の時間帯だ。遅く帰った住民が料理を作る音、テレビの音、各家にはそれぞれの忙しさがあった。


階段を上って 3 階に着き、廊下を進む。途中で立ち止まり、ドアを叩く前に、扉が内側から開かれた。卓也のにっこりした顔が現れた。「大介!先ほど後ろの窓から、横丁を歩いてくる姿を見た!タイミングがパーフェクトだろ?」


「うん、すごい…… これ、君の分の持ち帰りだ。」大介は適当に返答し、エコバッグから卓也の弁当箱を取り出した。「まだ温かいはずだから、そのまま食べていいよ。」


「ありがとう!え?変だな…… 匂いが昨日のチャーハンとは違うな。唐辛子の匂いがする?間違ってないかな?」


「今日はチャーハンがなくて、マラボンしかなかった。僕が注文したのは微辣のバージョン。君、辛いの食べられるよね?」


「食べられる!でも『マラボン』って何?聞いたことないな!」


「野菜と肉と麺を、タレで混ぜた料理だよ。とにかく美味しいよ、昨日のチャーハンよりもさらに。」


「本当?」卓也は弁当箱を大事そうに抱きしめ、まるで長年恋している恋人を見ているかのように優しい目を向けた。「じゃあ、じっくり味わってみようか。」


大介はその下品な表情を耐えかね、さっさと立ち去ろうとしたところで、隣のドアが巧いタイミングで開いた。


「大介?卓也?」


「おい!隼人!お前、家にいたの?」


「隼人?仕事終わったの?」


大介と卓也は久しぶりに姿を見せた近所の男を驚いた表情で見つめた。


隼人は住宅ローンの住人の中でも、比較的「体裁のいい」少数派だった。安定した仕事をし、毎日早出早帰して規則正しい生活を送っている。大介のようにアルバイトを何件もこなす生活ではなく、卓也のように貯金を食いつぶしながら引きこもり生活を送るのともまったく違っていた。


しかし、隼人の「体裁」は表面上のものに過ぎず、実は心身ともに崩壊寸前の状態だった。


「うん、風邪を引いて早退した。ちょっと買い物してくるから、お前らは勝手に話してるか。」


隼人の後を見送りながら、大介は彼の大変さを思い知らされた。自分が何かとアルバイトをしているのは見た目ばかりの不安定さだが、少なくとも時間通りに退勤でき、残業もない。しかも同僚はみな彼と似たような素性を持つ者ばかりで、仲は特別親密ではないが、陰湿な仕掛け合いなどはなく、比較的和やかな職場環境だった。


しかし隼人は一流企業で働き、毎日真夜中にならないと家に戻れない。彼が口にしなくても、近所の人々は日に日に暗くなる彼の表情から、その仕事の大変さを察していた。


「隼人、大丈夫かな?」大介は彼の後ろ姿を見ながら心配そうに言った。


「風邪なら薬を飲めばゆっくり眠れるさ。お前の病気は長期的に休息不足で免疫力が下がったからだ。」卓也はかつて隼人と同じ状態に陥ったことがあるから、隼人が今何を感じているのかよくわかっていた。「さっさと家に戻って子供の世話しろ。隼人のことは俺が見てるから。」


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