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最終話 クリアレベル63

 世界が、悲鳴を上げた。


 最上層・観測領域を支えていた虚空の床が、音もなく砕け散る。

 光でも闇でもない――概念そのものが剥離し、無数の断片となって宙を舞った。


 天空帝都が、戦場へと変質する。


「来るぞッ!!」


 セレナの叫びと同時に、空間が裏返った。


 上下の概念が反転し、都市の街路、神殿の柱、実験装置の輪郭が溶け合いながら再配置されていく。

 建築ではない。

 これは――戦闘用に再構築された世界だ。


「……帝都そのものが、ザカリーの武器かよ」


 バルトが歯を食いしばり、巨盾を構える。


 その瞬間。


 ザカリー・グラッドストンが、空中に“展開”した。


 肉体ではない。

 幻影でもない。

 無数の魔法陣と位相記号が重なり合い、人の形をした現象として、彼はそこに“在る”。


『試験段階:最終局面へ移行』


 声が、世界の内側から響く。


『観測対象:冒険者パーティ』


『対抗軸:アルフレッド』


『――排除条件、解除』


「解除、だと……?」


 ミリアが息を呑む。


 それはつまり。

 もう加減はしないという宣言だった。


 アルフレッドは一歩、前へ出る。


 魔剣が唸り、刃に宿る位相が限界まで跳ね上がる。

 剣が抜かれた瞬間、足元の空間が焼け焦げた。


「全員――散開!」


 次の瞬間。


 天空帝都の最上層が、砲撃陣列へと変形した。


 神殿の柱が砕け、環状列石を模した巨大魔法陣が出現。

 そこから放たれたのは、破壊光線ではない。


 世界干渉弾。


「伏せろォォ!!」


 バルトの盾が、直撃を受ける。

 衝撃ではない。

“存在の重さ”そのものが叩きつけられ、盾が悲鳴を上げた。


「クッ……!」


「《聖域・最大展開》!!」


 クレアの祈りが、空間を縫い止める。

 だが光は削られ、結界は軋む。


「数が……桁違いよ!」


 ミリアが叫び、詠唱を叩きつける。


「《多重展開・因果反転式》!」


 魔法が炸裂し、干渉弾の軌道がねじ曲がる。

 だが、それすら計算済みだったかのように、第二陣が重なる。


 ザカリーの声が、冷静に響く。


『確認。冒険者側、協調行動を維持』


『修正。犠牲回路を“前線圧力”として転用』


 床が開いた。


 いや――床だったものが、口を開いた。


 無数の黒い腕が伸び、空間を掴み、引きずり込もうとする。


「ッ、来やがれ!!」


 セレナが飛び込む。

 魔剣が唸り、黒腕をまとめて断ち切る。


「アルフレッド! 今だ!」


「分かってる!」


 アルフレッドは、真っ直ぐに走った。


 干渉弾が降り注ぐ中、犠牲回路が蠢く中、

 ただ一人、ザカリーへ向かって。


 世界が拒絶する。

 構造が歪む。

 最適化が“排除”を試みる。


 だが――


 アルフレッドは、弾かれない。


 魔剣が、世界と衝突しながら前進する。


「……やっぱりな」


 彼は笑った。


「お前の世界じゃ、俺は“異物”だ」


 ザカリーの観測領域が、初めて揺らぐ。


『……確認』


『対抗軸、想定以上』


『演算誤差、拡大』


 その声に、わずかな熱が混じった。


「だったら、見せてやる」


 アルフレッドは剣を振り上げる。


「犠牲を前提にしない戦いを!」


 仲間たちが、一斉に前へ出た。


 盾が、祈りが、魔法が、剣が――

 一つの意志として重なり合う。


 天空帝都の最上層が、激突の光に包まれる。


 観測者と対抗軸。

 世界を裁く者と、世界を生きる者。


 最終決戦は――

 もはや、誰にも止められない。



 光が、砕け散った。


 衝突の中心で、空間が軋み、観測領域そのものが悲鳴を上げる。

 最上層に張り巡らされていた魔法陣が一斉に乱れ、精密だったはずの配置が“ずれ”始めた。


 それは、ザカリーにとって――

 最も忌むべき兆候だった。


『……同期不全』


 観測者の声が、初めて低く濁る。


『対抗軸を含む複数主体が、単一の最適解に収束しない』


「当たり前だろ」


 アルフレッドは息を吐き、剣を構え直す。


「俺たちは、最初から“同じ答え”なんて持ってねえ」


 ザカリーの周囲で、無数の観測円環が展開する。

 都市、神殿、犠牲回路、列石構造――

 これまで帝都を支えてきたすべてのシステムが、一斉に戦闘用へと切り替わった。


『ならば――最終試験を開始する』


 世界が、三つに分かれた。


◆第一層:過去の最適解


 崩れた都市が再構築され、かつて“正しかった世界”が再生する。

 王国が救われた歴史。

 帝都が崩壊しなかった未来。

 犠牲が「必要最小限」で済んだはずの可能性。


 そこから現れたのは――

 英雄として讃えられるアルフレッドの姿だった。


 剣を掲げ、歓声に包まれ、誰も失わなかった未来の自分。


「……悪趣味だな」


 アルフレッドは、迷わず斬った。


 幻影は抵抗しない。

 ただ、問いかける。


《それでも、お前はこの世界を選ばないのか?》


「選ばねえよ」


 刃が、幻影を断ち切る。


「これは、“誰かが決めた正しさ”だ」


◆第二層:犠牲の総量


 床が沈み、闇がせり上がる。

 そこに浮かぶのは、名前も顔も失った無数の人影。


 犠牲回路に取り込まれた存在。

 最適化の過程で削られた“不要な命”。


 クレアが、思わず一歩踏み出す。


「……やめて……」


《彼らは、世界を存続させた》


 ザカリーの声が、ここでは近い。


《感情を排すれば、彼らの死は意味を持つ》


「嘘だ」


 ミリアが叫び、杖を突き立てる。


「意味を持たせるために殺しただけでしょう!」


 魔力が暴発する。

 観測式が焼き切れ、闇の層が歪む。


 ザカリーが、即座に記録を更新する。


『感情入力、臨界超過……』


『――試験構造、破綻』


 犠牲の幻影が、悲鳴もなく霧散した。


◆第三層:対抗軸の未来


 最後に残った空間は、静かだった。


 何もない。

 都市も、神殿も、敵もない。


 ただ――

 剣を置いたアルフレッドが、独りで立っている。


《この先、お前は何になる?》


 ザカリーの問いが、真正面から突き刺さる。


《世界を支える柱か》


《それとも、破壊を招く異常か》


 アルフレッドは、しばらく黙っていた。


 やがて、静かに言う。


「どっちでもない」


 剣を、再び握る。


「俺は、選び続けるだけだ」


「失敗しても、間違えても――誰かに決めさせずにな」


 その瞬間。


 観測領域全体に、致命的なノイズが走った。


『…………』


 ザカリーが、沈黙する。


 演算が止まったわけではない。

 だが、評価不能という結果が、初めて返ってきた。


『対抗軸……固定不能』


『未来分岐、無限』


『――最適解、定義不能』


 観測者の“完璧な世界”が、音を立てて崩れ始める。


「今だ!!」


 セレナが叫ぶ。


「ザカリー本体に――全部、叩き込め!!」


 仲間たちが一斉に動く。

 盾が、祈りが、魔法が、剣が、観測者の中心へと収束する。


 ザカリー・グラッドストンは、初めて理解した。


 拒絶とは、破壊ではない。

 反抗でも、否定でもない。


 ――管理不能という状態だ。


『……記録』


 彼は、最後の内部ログを刻む。


『対抗軸:アルフレッド』


『世界最適化における――

 最大の未知数』


 そして。


 光が、爆ぜた。



 崩壊しかけた観測領域が、逆に静まり返った。


 瓦解していた円環が、止まる。

 割れたはずの魔法陣が、再び揃い始める。


 だがそれは、修復ではなかった。


「……違う」


 ミリアが、蒼白な顔で呟く。


「最適化をやめたんじゃない……最適化そのものを“捨てた”」


 アルフレッドの背後で、空が裂けた。


 いや、空だけではない。


 ――世界中だ。


 王都上空。

 荒野の果て。

 沈黙した神殿の真上。

 海上に浮かび、封印されたままだった旧帝都跡。


 幾つもの天空帝都が、同時に“応答”した。


 それらはかつて、

・試験場

・避難構造

・最適化装置

 として建造され、未完成のまま放棄された存在。


 ザカリーは、それらすべてを――

“失敗例”として切り捨ててきた。


 だが今。


『……受容する』


 最上層に立つザカリーが、静かに宣言する。


『拒絶

 矛盾

 失敗

 観測不能』


『――それらすべてを、前提条件として再定義』


 次の瞬間。


 全世界の天空帝都から、

 魔力が、一本の奔流となって集まり始めた。


 雷ではない。

 嵐でもない。


 それは、文明そのものの残滓だった。


 失われた研究。

 犠牲にされた都市。

 封印された神々の計算式。

 冒険者が命を燃やした“記録”。


 すべてが、ザカリーへ流れ込む。


 セレナが、息を呑む。


「……冗談でしょ……あれ、一人分の魔力量じゃない……!」


 バルトが、盾を構えながら呻く。


「世界一個分……いや、それ以上だ……!」


 ザカリーの姿が、変わり始める。


 肉体が崩れたわけではない。

 拡張されたのだ。


 背後に、巨大な影が重なる。


 それは人型ですらない。

 都市の輪郭、神殿の柱、実験装置の歯車――

 天空帝都そのものを重ね合わせた“観測存在”。


『これが、第二段階だ』


 声は、もう一つではない。

 世界中の帝都が、同時に語っている。


『最適化は、不要だった』


『拒絶すら、試験の一部だった』


『私は――世界を“理解する”必要すらなかった』


 アルフレッドは、剣を握り締める。


 足元の大地が、悲鳴を上げている。

 世界が、この存在を載せきれていない。


「……ザカリー」


 声を張る。


「それで、何がしたい」


 一瞬、沈黙。


 そして、返答。


『観測の完了だ』


『君たち冒険者は、国家でも、神でも、装置でもない』


『予測不能で

 管理不能で

 だが――再現性を持つ』


『ならば』


 空が、完全に裂けた。


 その向こうに見えるのは、“次の構造”。


 第三の層。

 世界そのものを試験場とする構成。


『この世界全体を――最終試験場とする』


 その宣言と同時に。


 王国各地で、封印されていた遺構が起動し、神殿の禁忌儀式が強制的に連結され、冒険者ギルドの転移網が、勝手に書き換えられる。


 世界は、もはや「戦場」ではない。


“試験”になった。


 ミリアが、眉をひそめる。


「……全てを受け入れた結果が、これ……!」


 クレアが、震える声で言う。


「神の加護も……拒絶も……もう、特別じゃない……」


 アルフレッドは、前に出た。


 ザカリーと、真正面から向き合う。


「だったら――」


 剣を、構える。


「俺たちは、世界を壊さずに、お前を止める」


 その言葉に。


 ザカリーは、初めて――

 笑った。


『それが、最も観測価値の高い解だ』


 第二段階、完全起動。


 天空帝都群・全力稼働。

 世界規模・最終試験、開始。


 激戦は――

 ここから、真に始まる。



 空が、落ちてくる。


 違う。

 天空帝都そのものが、圧縮されて“降りてくる”。


 世界を覆っていた魔法陣が、戦場一点へと収束する。

 大陸規模の魔力が、たった数百メートルの空間に叩き込まれ、現実が悲鳴を上げて歪む。


 だが――

 その中心に、アルフレッドたちは立っていた。


「来るぞ……!」


 バルトが盾を地面に打ち込み、“ここが戦場だ”と世界に叩きつける。


 盾が鳴る。

 音が、拡張される。


 それは防御ではない。

 局地化。


 世界規模の力を、“この場で殴り合える大きさ”に引きずり落とす。


「っ、無茶がすぎる……!」


 ミリアが叫びながら、詠唱を開始する。


 彼女は魔力を制御しない。

 過剰入力だ。


 限界まで、いや限界を超えて、魔力を「世界側」に叩き込む。


「最適化なんてさせない! この場は――誤差だらけにしてあげる!」


 術式が崩れ、再構築され、また壊れる。

 だが壊れるたびに、ザカリーの演算が一拍遅れる。


『……誤差、拡大』


 第二段階ザカリーの声が、重なる。


 その姿はもはや人ではない。

 都市の輪郭、神殿の柱、実験装置の核――

 無数の天空帝都を重ねた観測存在。


『想定外だが、許容範囲』


 瞬間。


 光の断層が、空間を切り裂いた。


 避けられない。

 消し飛ぶ。


 ――はずだった。


「させるかァァァ!!」


 セレナが、魔剣を振るう。


 斬ったのは、攻撃ではない。

“結果”だ。


 断層が生むはずだった破壊の未来を、剣で切り捨てる。


 因果が、歪む。

 光の断層は、途中で“起きなかったこと”になる。


「観測通りにならないのが、冒険者だろ!」


 クレアが、前に出る。


 祈りは届かない。

 神は介入しない。


 それでも――彼女は祈る。


「それでも、選びます……!」


 祈りは力にならない。

 だが、方向になる。


 クレアの周囲に、淡い光が生まれる。

 それは加護ではない。

“拒絶しなかった意志”そのもの。


 ザカリーの観測が、再び遅れる。


『……興味深い』


 その瞬間。


 アルフレッドが、踏み込んだ。


 魔剣が、唸る。


 拒絶でも、最適化でもない。

“冒険者として前に出る”という、単純な行為。


「お前は世界を理解しようとした」


 剣を振るう。

 だが、狙いはザカリーではない。


 観測領域そのもの。


「俺たちは――世界で起きることに、責任を持つだけだ!」


 刃が、観測層を切り裂く。


 世界規模の力が、“誰も管理しない状態”に引き戻される。


 ザカリーの演算が、止まった。


『……』


 沈黙。


 初めて。

 完全な沈黙。


『排除、失敗』


 内部記録が、確定する。


『対抗軸:安定化不能』


『破壊対象、再定義』


 ザカリーの声が、低くなる。


『……君たちは』


『世界の欠陥だ』


 アルフレッドは、笑った。


「誉め言葉だな」


 次の瞬間。


 第二段階ザカリーが、本気で“殺しに来る”。


 天空帝都群が、完全同期。

 世界規模の力が、一撃に圧縮される。


 だが――

 その一撃が放たれる前に。


 ミリアが、叫ぶ。


「今よ!! 誤差、最大!!」


 バルトが、盾を掲げる。


「受け止めるんじゃねぇ……ぶつけ返す!!」


 セレナが、剣を構える。


「未来ごと、斬る!」


 クレアが、祈る。


「――それでも、人は進む!」


 そして、アルフレッド。


「冒険は――予定通りに終わらない!!」


 ――衝突。


 世界が、白くなる。



 ――白光が、引いた。


 世界は壊れていなかった。

 だが、戻ってもいなかった。


 第二段階ザカリーの一撃は、確かに放たれた。

 それでも――完全には成立しなかった。


 理由は単純だった。


 誰も「勝とう」としていなかったからだ。


“第三の選択肢”の兆し


 戦場の中心で、何かがずれている。


 魔力でも、空間でも、時間でもない。

“前提”が、ずれている。


 ザカリーの観測領域に、異物が浮かび上がる。


 それは数式ではない。

 定義でも、記録でもない。


 ――空白だ。


『……未定義領域』


 ザカリーの声に、初めて困惑が混じる。


『これは、最終形態ではない』


『排除でも、最適化でも、観測でもない』


 天空帝都群から集束していた魔力が、突如として流れを失う。


 力はある。

 だが、向かう先がない。


 アルフレッドは、剣を下ろしていた。


 構えていない。

 攻撃の意志もない。


 ただ、立っている。


「なあ、ザカリー」


 声は、驚くほど静かだった。


「お前、まだ“続ける理由”を探してるだろ」


 観測者は、沈黙する。


 それは演算停止ではない。

 問いだ。


 ミリアが、気づく。


「……これ、試験じゃない」


 彼女は魔法使いだ。

 構造の歪みには、敏感だった。


「ザカリー自身が、次の行動を決められてない」


 バルトが、歯を食いしばる。


「世界を弄ぶ化け物が、迷ってるってのかよ……」


 セレナが、剣を下ろす。


「……違う」


 彼女は見ていた。


「迷ってるんじゃない。“選択肢を持ったことがない”だけ」


 その瞬間。


 観測領域の最奥で、核が露わになる。


 それは巨大でも、禍々しくもない。


 ただの――

 未完成な回路の集合体。


 犠牲回路。

 再構築中枢。

 観測装置。


 すべてが、役割だけを与えられた構造。


『我は、世界を安定させるために生まれた』


 ザカリーの声が、低く響く。


『拒絶は、排除すべき異常』


『対抗軸は、想定外』


『だが――』


 一拍。


『今、我は“理解不能な状態”にある』


 それは敗北宣言ではない。

 だが、勝利条件が消えた瞬間だった。


 クレアが、一歩前に出る。


「それでも……」


 彼女は震えていた。

 だが、視線は逸らさない。


「それでも、私たちはあなたを壊しません」


「だって、あなたは――世界そのものじゃない」


 その言葉が、観測領域に決定的な揺らぎを生む。


『……』


 ザカリーは、理解する。


 自分が守ろうとした“世界”は、

 自分自身を含んでいなかったことを。


『第三の選択肢……』


 それは、勝利でも、敗北でもない。


『世界を、冒険者に委ねるという不確定』


 天空帝都群が、微かに震える。


 まだ崩壊しない。

 まだ収束もしない。


 保留だ。


 ザカリーは、アルフレッドを見る。


 初めて、“観測対象”ではなく。


『……対抗軸』


『否』


『――同席者』


 その瞬間、戦場の空白が道になる。


 進めば、世界は変わる。


 戻れば、何も変わらない。


 アルフレッドは、剣を肩に担ぎ、言った。


「冒険ってのはさ」


「答えをもらうことじゃない」


「――一緒に迷うことだ」


 ザカリーは、応答しない。


 だが、天空帝都の魔法陣が、わずかに回転を止めた。


 最終形態は、まだ来ない。


 だが――

 世界が“別の終わり方”を選べる余地が、確かに生まれていた。



 静寂が、戦場に降りた。


 爆音も、魔力の奔流も、世界を裂く振動も――

 すべてが、一拍だけ遅れて存在する場所。


 ザカリーは、動かなかった。


 否。

 動けなかった。


 天空帝都群を束ねていた観測網が、初めて「自発的に」更新を止めている。

 それは損傷でも、妨害でもない。


 ――選択の停止。


『……確認』


 ザカリーの声は、かすかに低下していた。

 感情ではない。

 演算密度の低下だ。


『全世界観測網、優先順位再定義』


 天空帝都の輪郭が、わずかに歪む。

 それは崩壊の兆候ではない。


“役割の解体”が始まった兆しだった。


 アルフレッドたちは、気づく。


 攻撃が来ない。

 試験も来ない。

 排除命令も、最適化命令も――来ない。


 代わりに、空間に浮かび上がるのは、

 無数の解除ログ。


・犠牲回路:自動供給停止

・最下層最適化:凍結

・再構築中枢:権限縮退

・観測対象指定:全解除


 ミリアが、息を呑む。


「……やめてる」


 彼女の声は、震えていた。


「“止められてる”んじゃない。自分で、やめてる」


 バルトが、低く唸る。


「世界を弄んだ張本人が、今さら責任放棄かよ……」


 だが、セレナは首を振った。


「違う」


 彼女は、ザカリーを見つめている。


「これは放棄じゃない。返却よ」


 その言葉に、ザカリーが反応する。


『返却……』


『定義不明』


『我は、世界を保持するために存在した』


『世界は、我の外部に存在しない』


 アルフレッドが、一歩前に出る。


 剣は持っている。

 だが、刃は下を向いている。


「それが間違いだったんだ」


「世界はな、誰かが“保持”するもんじゃない」


「壊れるし、揺れるし、時々、最悪な選択もする」


「それでも――誰かが生きて、勝手に続ける」


 沈黙。


 だが今度の沈黙は、演算待ちではない。


 ザカリーの中で、初めて“不要な処理”が発生していた。


『……我は』


『世界を、理解しようとした』


『だが、理解は制御を要求した』


 天空帝都の中枢が、淡く光る。


 それは第二段階の輝きではない。

 暴力的な光でもない。


 黄昏のような、終わりの光。


『冒険者』


 ザカリーは、初めてそう呼んだ。


 称号でも、分類でもない。

 個体呼称。


『貴様らは、世界を解さない』


『だが、世界に属している』


 一つ、また一つと、天空帝都群が高度を下げ始める。


 落下ではない。

 着地準備だ。


『我が存在は、世界の“上”にあり続けた』


『それが、歪みを生んだ』


 観測領域の壁が、音もなく薄れていく。


 外の空が、見える。


 雲。

 光。

 まだ戦火の残る、大地。


 生きている世界。


『よって――』


 ザカリーの声が、

 わずかに人に近づく。


『我は、世界を手放す』


『管理をやめる』


『観測を、終える』


 その瞬間。


 天空帝都の核から、

“最後の制御鍵”が解放される。


 それは武器ではない。

 世界を書き換える力でもない。


 選ばなかった可能性の集合。


 ザカリーは、それを――破棄しなかった。


 アルフレッドの足元へ、そっと、落とした。


『委ねる』


『貴様らが、拒む可能性ごと』


 アルフレッドは、それを拾わない。


 ただ、言った。


「ありがとな」


「でも、それは――俺たちの宝物じゃない」


「世界に返しとけ」


 ザカリーは、目を閉じるように、

 観測光を収束させる。


『……了解』


 天空帝都群が、同時に次元固定を解除する。


 まだ消えない。

 まだ終わらない。


 だが、確かに――

 世界は、取り戻されつつあった。


 ザカリーは最後に、こう残す。


『冒険者』


『次は――観測ではなく、遭遇として会おう』


 そして、観測者は静かに、“世界の上”から降り始めた。


 

 光が、ほどけていく。


 それは爆発でも、崩壊でもなかった。

“存在していたという事実そのものが、静かに解かれる”。

 そんな消え方だった。


 最初に変化が起きたのは、空だった。


 世界各地に浮かんでいた天空帝都が、同時に輪郭を失う。

 石でも、金属でも、魔力でもない。

 それらを支えていた「定義」が、解除されていく。


 高度計が狂い、観測魔術が沈黙し、神殿の記録水晶は一斉に白濁する。


 ――記録できない。


「……消えていく」


 クレアの声は、祈りとも報告ともつかない。


 天空帝都は、落ちない。

 砕けない。

 光の粒子にすらならない。


 ただ、“そこにあったという前提”が、世界から抜け落ちる。


 雲が、元の流れを取り戻す。

 空が、重さを取り戻す。


 そして最後に残ったのは、ザカリーの観測領域――

 いや、もはやそれですらない。


 彼は、立っていた。


 人の形をして。

 だが、もう観測光はない。


『……確認』


 声は、もはや演算音ではなかった。


『我は、世界を保持しない』


『観測を、行わない』


『選別を、行わない』


 アルフレッドたちは、黙って見ている。

 止める理由も、急ぐ理由もない。


 ザカリーは、初めて何も見ていない目で、彼らを見た。


『冒険者』


『貴様らは、最後まで誤差だった』


『だが――』


 わずかに、口元が動く。


 それが笑みだったのかどうか、誰にも判断できない。


『誤差は、世界を閉じない』


『……それで、十分だ』


 その瞬間。


 ザカリーの足元から、影が消える。

 重力も、接地も、意味を失う。


 身体が、上でも下でもなく、“定義されない場所”へと溶けていく。


『我は――』


 最後の言葉は、音にならなかった。


 いや、言葉になる必要がなかった。


 ザカリーは消えた。


 魂も、記録も、残留思念も残さず。

 観測者としても、敵としても、思想としても――

 完全に、世界から離脱した。


 同時に。


 世界中の空から、

 天空帝都がすべて消失した。


 王都の上空から。

 荒野の空から。

 海の彼方から。


 それらは「消えた」のではない。


 最初から、存在しなかったかのように

 空は、ただの空に戻った。


 数分後。


 世界は、騒然となる。


 神殿は混乱し、王国は報告を求め、学者は言葉を失い、冒険者たちは、空を見上げる。


 だが――

 空は、答えない。


 アルフレッドは、剣を背に戻す。


「……終わったな」


 バルトが、深く息を吐く。


「勝ったって感じじゃねぇな」


 セレナが、静かに頷く。


「ええ。でも、終わらせた」


 ミリアは、空を見て、少しだけ笑った。


「観測されない世界……悪くないわね」


 クレアは、最後に祈る。


 誰のためでもない。

 何かを縛る祈りでもない。


 ただ、続いていく世界のために。


 その日、世界は救われた――とは記録されない。


 ただ、「空から脅威が消えた日」として、いくつかの年代記に書かれるだけだ。


 だが、冒険者たちは知っている。


 世界は、誰かに管理されなくても、誰かに観測されなくても、勝手に続いていくということを。


 そして――

 それでいいのだと。



 ――空が、ただの空である世界。


 戦いの終わりから、三日が過ぎていた。


 ベラルテ王国王都ロムルストの空は、異様なほど澄んでいる。

 雲の流れは素直で、風は季節通り、魔力の濃度も平常値。

 ――あまりに“普通”だ。


「本当に……終わったんだな」


 城壁の上で、バルトが腕を組んで呟いた。

 その声には、達成感よりも、拍子抜けに近いものが滲んでいる。


「ええ。もう“見られていない”」


 ミリアはそう言って、指先に小さな魔法陣を浮かべる。

 術式は、何の干渉も受けず、すんなりと霧散した。


 かつてなら、どこかで“最適化”され、どこかで“評価”され、どこかで“試験条件”に組み込まれていたはずの行為。


 今は違う。


 魔法は、ただの魔法だった。


 セレナは城下町を見下ろし、魔剣の柄に手を置く。


「市民は、まだ不安そうね。空を見上げる癖が抜けていない」


「仕方ないですね」


 クレアが静かに答える。


「神殿も、王国も、“世界を守っていた何か”が消えた理由をまだ言葉にできていない」


 実際、王都では混乱が続いていた。


 天空帝都の消失は奇跡と呼ばれ、同時に恐怖とも呼ばれる。

「次はいつ現れるのか」

「誰が止めたのか」

「そもそも、何だったのか」


 ――だが、明確な答えは、どこにもない。


 ギルドは沈黙を選んだ。

 王国は公式発表を濁した。

 神殿は「神の意志」という言葉を使わなかった。


 そして冒険者たちも、語らない。


 アルフレッドは、城門の外で馬に鞍を置いていた。

 彼の魔剣は、以前よりも静かだ。

 だが、それは力を失ったのではない。


「……軽いな」


 剣を背負い直し、彼は小さく息を吐く。


 世界を背負っていない剣。

 試験でも、対抗軸でもない剣。


 ただの、冒険者の剣。


「次は、どうする?」


 ミリアが尋ねる。


 アルフレッドは少し考え、そして答えた。


「地図の端から、また歩こう。誰にも観測されていない場所を。それとも、海を渡るか」


 バルトが笑う。


「結局それかよ」


「それでいい」


 セレナが頷く。


「世界は広い。管理されていない分、なおさらね」


 クレアは最後に、城門の内側を振り返った。


 祈ることはしない。

 祝福も、誓いも口にしない。


 ただ、胸の内で思う。


 ――この世界は、もう“選別”されない。

 ――だからこそ、守る価値がある。


 五人は歩き出す。


 王都を離れ、街道へ出て、名もない分岐路を選ぶ。


 空には、何も浮かんでいない。


 だが、空が空であることが、これほど心強いと感じたことはなかった。


 観測者はいない。

 試験官もいない。

 最適解も、予定調和も存在しない。


 あるのは――

 失敗できる自由と、選び続ける責任だけだ。


 そして冒険者たちは、それを知った上で、歩いていく。


 剣を携え、魔法を信じ、仲間と共に。


 世界は、今日も続いている。


 誰にも見られず、それでも確かに。



 天空帝都が消失してから、最初の混乱が収束するまでに、およそ半年を要した。


 各国の記録官たちは、共通して同じ壁に突き当たる。


「説明できない」


 天空帝都は確かに存在した。

 破壊光線も、魔物の侵攻も、数え切れぬ犠牲も事実だ。

 だが――中心にいた“ザカリー・グラッドストン”という存在だけが、異様なほど記録に残らなかった。


 名前は断片的に残る。

 冒険者の証言、軍の戦闘報告、神殿の緊急文書。

 だが、どれも一致しない。


・黒衣の魔導士

・世界を書き換えようとした狂人

・神に等しき知性

・破滅をもたらした元英雄

・存在してはならなかった“観測者”


 同一人物を指しているはずなのに、像が定まらない。


 王国史からは、意図的に削除された。

「説明不能な存在を、国家史に残すべきではない」

 それが公式見解だった。


 神殿は、逆に名を残すことを恐れた。

「神でも悪魔でもないものを、言葉で定義することは危険だ」

 そうして、説教からも文献からも、彼の名は外された。


 冒険者ギルドは、唯一、沈黙を破らなかった。


 だが――

 語られなかったわけではない。


 酒場で、夜更けに。

 焚き火の前で、遠征の合間に。

 命を拾った者同士の、低い声の中で。


「世界を“試験場”と呼んだ奴がいた」

「空を都市で覆った狂気の魔導士だ」

「だが、最後は……世界を手放した」


 ここで、必ず言葉が詰まる。


 なぜ手放したのか。

 何を見て、何を理解したのか。


 それを知る者は、ほとんどいない。


 アルフレッドたちは、語らなかった。

 語れなかった、と言うべきかもしれない。


 彼らにとってザカリーは、

 敵でも、神でも、単なる悪でもなかった。


 ――世界を理解しすぎた末に、世界から外れた存在。


 それ以上の言葉を与えることは、彼を再び“定義”することになる。


 だから冒険者たちは、こう締めくくる。


「もういない」

「だが、確かにいた」

「二度と現れないと、信じたい」


 やがて世代が変わる。


 天空帝都を見た者は減り、破壊光線の記憶は誇張され、“世界規模の試練”は神話と混ざり合う。


 数十年後――

 ザカリーは、こう語られるようになる。


 世界が一度、自分自身を観測しようとした時代があった。


 その中心にいたのが、ただ一人の魔導士だった、と。


 名は曖昧になる。

 姿は歪む。

 思想は単純化される。


 だが、一つだけ、必ず残る。


「世界は、誰かに管理されるべきではない」


 それが、彼の思想だったのか。

 それとも、彼を打ち破った冒険者たちの答えだったのか。


 誰にも分からない。


 そしてそれこそが――

 ザカリー・グラッドストンが

 完全に“伝説”になった証だった。


 物語は、ここで終わる。


 だが、世界は続く。

 誰にも観測されず、

 それでも選び続ける者たちによって。



 天空帝都が消え去ってから、世界は一度、深い沈黙に包まれた。


 それは平和ではなかった。

 破壊の余韻でもなかった。


「誰にも見られていない」という、初めての状態だった。


 魔力の流れは安定した。

 列石は沈黙し、王胎の名は教義から消えた。

 空は、ただの空になった。


 だが――

 異変は、いつも“安定”の裏側から始まる。


■第一の未知:再現しない魔法


 王立魔導院は、奇妙な報告を受け取る。


「同じ術式が、二度と同じ結果を出さない」


 威力の誤差ではない。

 発動そのものが、微妙に“意思”を持つかのように揺らぐ。


 観測者がいない。

 最適解を強制する構造がない。


 魔法は“再現性”を失い、代わりに“選択性”を得ていた。


 若い魔導士たちは、それを恐れた。

 だが、一部の冒険者は気づく。


「……これ、使い手の覚悟で変わってないか?」


 魔法は、もはや装置ではなかった。

 使う者を映す鏡になりつつあった。


■第二の未知:帰ってこない地形


 探索者ギルドに、不可解な依頼が増える。


「地図と違う」

「谷が、昨日より深い」

「森が、遠ざかっている」


 それは幻術でも、空間歪曲でもない。


 世界が、自発的に変形している。


 かつては、列石と観測装置が“許容範囲”を固定していた。

 だが今は、誰も境界を定義しない。


 土地は、意味を失った場所から、ゆっくりと“未知”へ還っていく。


 古代遺跡ではない。

 異界でもない。


 ただの地形が、冒険になる時代。


■第三の未知:語られない存在


 最も奇妙なのは、“報告されない出来事”だった。


 遠征から戻った冒険者が、確かに何かを見ているのに、口を閉ざす。


「言葉にすると、違う気がする」

「まだ、名前を与えちゃいけない」


 それは恐怖ではない。

 崇拝でもない。


 定義することへの直感的な拒絶。


 誰かが言った。


「……観測しないって、こういうことか」


 未知は、敵でも謎でもなく、“触れられない可能性”として存在し始めていた。


■冒険者たちの変化


 アルフレッドたちは、もう最前線にはいない。


 だが、世界のどこかで、彼らは静かに歩いている。


 ミリアは、術式を書き留めなくなった。

「残すと、縛るから」と。


 バルトは、守る理由を言語化しなくなった。

「言葉にすると、軽くなる」と。


 セレナは、剣の型を教えない。

「その瞬間に考えろ」と。


 クレアは、祈りの言葉を変えた。

 神ではなく、“選択する者”に向けて。


 彼らは知っている。


 この世界はもう、誰かに試される舞台ではない。


■最後の未知


 ある夜、名もない平原で、

 星を見上げた冒険者が、こう呟いたという。


「……観測されてないならさ」


「失敗しても、いいんだよな」


 その瞬間、夜空の星が一つ、わずかに瞬いた。


 意味はない。

 予兆でもない。


 ただ――

 誰にも記録されない変化だった。


 それこそが、ザカリーが去った世界に残した、唯一にして最大の遺産。


 観測なき世界は、完成しない。


 だからこそ、無限に“新しくなり続ける”。


 物語は、再び始まる。


 今度は、誰のためでもなく、誰にも見られない場所から。

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