レベル61
配置された違和感。
――危機は、起こりすぎている。
最初に気づいたのは、ミリアだった。
「……おかしい」
マデル郊外、臨時ギルド指揮所。
壁一面に貼られた地図には、赤い印が幾つも打たれている。
魔物の襲撃。
結界の破断。
補給路の寸断。
避難民の滞留。
どれも、珍しくはない。
問題は――位置関係だった。
「全部、“間に合う距離”にある」
ミリアは地図を指でなぞる。
「走れば届く。転移が使えれば確実。でも……」
「一度に全部は無理、だな」
バルトが低く言った。
彼の経験が、言葉の裏を補足する。
「二手に分かれりゃ、どっちも半端になる。一点集中なら、他が落ちる」
クレアは胸元で祈りの印を結びながら、視線を伏せた。
「……救えた人と、救えなかった人の差が、あまりにも小さすぎます」
その言葉に、沈黙が落ちる。
セレナが壁にもたれ、腕を組んだ。
「偶然にしちゃ、出来すぎてる」
彼女は剣の柄を指で叩く。
「敵が強いとか、数が多いとかじゃない。“選ばせよう”としてる」
アルフレッドは、黙って地図を見ていた。
赤印の配置。
時間差。
救援要請が届く順番。
――どれも、少しずつ噛み合いすぎている。
「……誘導されている」
彼がそう口にしたとき、誰も否定しなかった。
正解を選んだはずなのに。
前日の戦闘。
彼らは判断を誤っていない。
むしろ、完璧に近かった。
最も被害が大きくなる地点を優先し、戦力を集中させ、結果として多くの命を救った。
だが。
「その裏で、別の集落が落ちた」
伝令の言葉が、まだ耳に残っている。
救援要請が届いたのは、戦闘終了の直後だった。
「……遅すぎる」
クレアの声が震える。
「もし、あと十分早ければ」
「それは言うな」
バルトが遮る。
だが、その拳は強く握られていた。
ミリアが静かに言う。
「問題は、時間じゃないわ」
彼女は地図の端を指差す。
「この集落。最初から“間に合わない”位置にある」
「でも、救援要請は出されていた」
「ええ。最初から“救えない選択肢”として置かれていた」
言葉の意味が、ゆっくりと染み込んでいく。
セレナが吐き捨てるように言った。
「……性格悪いね」
敵の姿が見えない。
アルフレッドは、ふと気づく。
これまでの戦いと、決定的に違う点。
「……指揮官がいない」
セイセス=セイセスの尖兵でもない。
天空帝都からの直接攻撃でもない。
現場に、“意図を示す存在”がいない。
それなのに。
危機は連動し、判断を迫り、選択の結果だけが残る。
「まるで……」
ミリアが言葉を探す。
「実験みたいだ」
その瞬間、空気が張り詰めた。
誰もが思ったが、誰も口にしなかった言葉。
――観測されている。
ギルド職員が、報告書を抱えて駆け込んでくる。
「各国軍は、防衛線の再構築に集中しています! 神殿は独自判断で儀式準備に入りました!」
アルフレッドは頷いた。
「分かった。続けてくれ」
職員が去った後、セレナが言う。
「国も教会も、自分の役割をやってる」
「でも、俺たちは違う」
バルトが続ける。
「どこにも属さない。だから、どこにでも行ける」
クレアが、静かに顔を上げた。
「……だからこそ、選ばれている?」
その言葉に、誰も答えなかった。
だが、アルフレッドは確信し始めていた。
敵は、世界を相手にしていない。
国家でも、神でもない。
「……俺たちだ」
彼は呟く。
「敵は、冒険者を見ている」
まだ、名はない。
この時点で、彼らは知らない。
それがザカリー・グラッドストンの
“観測試験”であることを。
ただ分かるのは一つだけ。
危機は、偶然ではない。
配置され、選ばされ、結果を見られている。
そして――
「次は、もっと露骨になる」
ミリアの言葉に、誰も反論しなかった。
剣を取り、魔法を整え、祈りを胸に刻む。
冒険者たちは、まだ知らない。
だが、もう逃げられない。
試練は始まっている。
そして次は、「どちらを救っても、必ず何かを失う」――そんな局面が、用意されている。
――救えない理由が、二つある
それは、同時に届いた二つの報告から始まった。
一つは、マデル北方。
境界集落帯に隣接する小規模都市。
もう一つは、南方。
王国街道の要衝、難民が密集する《ラグナ回廊》。
どちらも――
同時刻に、同規模の異常発生。
「魔力反応、同質……?」
ミリアの声が低くなる。
「違う。“同じ規格”よ」
彼女は震える指で、二つの報告書を並べた。
発生源の位相。
拡散速度。
予測被害。
誤差が、ほとんどない。
「コピー……?」
クレアが息を呑む。
「いいえ」
ミリアは首を振る。
「比較対象」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一段冷えた。
《グランフェル》では、境界核由来と思われる“位相歪曲”が発生。
都市の一部が、存在の半分を失いかけている。
建物はある。
人もいる。
だが、触れられない。
声も届かない。
「このまま放置すれば、数時間で“世界から脱落”する」
ミリアの診断は、冷酷なほど正確だった。
一方、《ラグナ回廊》。
こちらは、より分かりやすい地獄だ。
魔物の群れ。
だが、異様なのは――退かないこと。
「指揮個体なし。恐怖反応なし。疲労なし」
セレナが吐息する。
「……消耗させる気だね。人も、あたしたちも」
クレアが小さく言った。
「避難民が……多すぎます」
どちらも、放置できない。
どちらも、今すぐ行かなければならない。
だが。
「……分かれても、間に合わない」
バルトの言葉が、現実を突きつける。
「戦力が足りねぇ。中途半端に突っ込めば、両方死ぬ」
沈黙。
それは、いつもの作戦会議の沈黙とは違った。
勝ち筋が存在しない。
そのとき、ミリアが気づく。
「……おかしい」
「何がだ」
アルフレッドが問う。
「魔力の“減衰率”よ」
彼女は計算式を走らせ、顔を上げた。
「《グランフェル》の歪曲は、外部からの干渉で“安定化”できる」
「助けられるのか?」
「ええ。ただし――」
言葉が、重くなる。
「固定には、拒絶因子が必要」
部屋が静まり返る。
拒絶因子。
それは、アルフレッドの剣。
そして――彼自身。
「……つまり?」
セレナが確認する。
「アルフレッドが、そこに“縫い止められる”」
ミリアは、はっきりと頷いた。
「完全じゃないけど……数日は、動けなくなる」
全員が、アルフレッドを見る。
彼は、驚かなかった。
むしろ――理解していた。
「じゃあ、《ラグナ回廊》は?」
「人数で押し切るしかない」
バルトが答える。
「俺たち全員で行っても、厳しい。アルフレッド抜きなら……」
言葉は、続かなかった。
正解が、ない。
クレアが、小さな声で言った。
「どちらを選んでも、必ず“失われる”ものがあります」
それは、戦術の話ではない。
構造の話だ。
救う街か。
救う人の数か。
それとも、仲間の自由か。
ミリアが、静かに結論を出す。
「……これは、試されている」
「何をだ」
セレナが問う。
「“どこまでを、冒険者の責任とするか”を」
アルフレッドは、剣を見下ろした。
拒絶。
それは、誰かに決めさせない力。
だが今、選択そのものからは、逃げられない。
「……行こう」
彼は言った。
「《グランフェル》だ」
一瞬、空気が張り詰める。
「アルフレッド!」
クレアが声を上げる。
「分かってる」
彼は、仲間を見る。
「俺が残ることで、確実に救える場所がある」
そして、静かに続けた。
「《ラグナ回廊》は……お前たちなら、最善を尽くせる」
セレナが、口許を結んだ。
「……クソ」
バルトは、何も言わずに頷いた。
ミリアは、目を伏せる。
「……配置、完了ね」
その言葉の意味を、誰も聞き返さなかった。
その瞬間。
誰にも聞こえない場所で、誰にも届かない視点から――
ザカリー・グラッドストンは、静かに観測していた。
《判断、記録》
《感情的抵抗、低》
《合理性、保持》
《自己犠牲、選択》
彼は、わずかに目を細める。
《やはり、冒険者は興味深い》
国家でもない。
神殿でもない。
それでも、世界の“穴”に、身体を差し込む者たち。
《次は――》
観測は、続く。
次は、「選択した結果が、即座に“裏切る”試練」だ。
――彼らが、「正しいことをしたはずなのに、報われない」 その瞬間を、見るために。
《ラグナ回廊》
――想定外の変質
最初の違和感は、静かすぎたことだった。
「……多すぎる」
セレナが呟く。
目の前に広がる《ラグナ回廊》は、確かに混乱している。
難民の列。
瓦礫。
煙。
だが――悲鳴が少ない。
「敵影は?」
バルトが低く問う。
「前方に散発的。……でも、退いてる」
ミリアの声に、わずかな迷いが混じる。
「“押してくる”気配がない?」
その言葉が終わる前に、前線からの報告が飛び込んできた。
「魔物群、後退中! 追撃可能――」
「待て!」
セレナが即座に叫んだ。
「追うな! 何かおかしい!」
だが、その警告は――半歩、遅かった。
反転。
地面が、沈んだ。
いや、正確には――沈まされた。
「っ!?」
前線にいた冒険者たちの足元が、突然“柔らかく”なる。
土でも、泥でもない。
粘度のある空間。
「位相が……反転してる!」
ミリアが叫ぶ。
「これは罠じゃない、変質よ!」
魔物たちは、振り返らない。
追ってくる冒険者たちを一切気にせず、ただ――所定の位置まで誘導した。
次の瞬間。
回廊全体に、見えない線が走った。
音もなく。
光もなく。
ただ、“分断”。
「通信が切れた!」
「後方と、空間がズレてる!」
「誰か――!」
声が、届かない。
バルトが盾を叩きつける。
「クソッ、これは……戦闘じゃねぇ!」
「ええ」
ミリアの声は、冷え切っていた。
「選別よ」
人数が、多すぎた。
《ラグナ回廊》は、“救うべき人間が多すぎる場所”だった。
避難民。
負傷兵。
非戦闘員。
それ自体が、問題ではない。
問題は――それが条件だったこと。
「魔力が……人に反応してる」
クレアが、思案を巡らせつつ言う。
「この空間……人数が多いほど、安定してる……?」
ミリアが、はっとする。
「違う……人数が多いほど、切り分けやすい」
セレナが、歯を食いしばる。
「……人を、変数にしてる」
その通りだった。
この場に展開されたのは、殲滅用結界ではない。
“最適化用フィルタ”。
・動ける者
・指示を理解できる者
・判断を下せる者
そうでない存在は――“遅延要素”として、隔離される。
隔離された先は?
誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは、戻ってきた者はいないということだ。
「……間に合わない」
バルトが、歯を食いしばる。
「一人ずつ、助けてたら……全員、飲み込まれる」
セレナが剣を握る。
「壊すしかない。この空間ごと――」
「無理よ!」
ミリアが叫ぶ。
「今壊したら、中にいる人間ごと“削除”される!」
沈黙。
選択肢は、三つあった。
ゆっくり救う → 多数が隔離される
強行突破 → 中にいる者が消える
留まる → 全員、捕捉される
どれも、失敗。
クレアが、唇を噛む。
「……アルフレッドが、いれば」
その名が出た瞬間、全員が、同じことを考えた。
拒絶因子。
この“設計された地獄”を、拒否できる存在。
だが、彼はいない。
ここには――最適解を拒む者がいない。
――観測ログ。
遥か上位の視点。
ザカリー・グラッドストンは、感情のない声で記録を続けていた。
《条件分岐、成功》
《拒絶因子、未配置》
《集団救済アルゴリズム、破綻》
彼は、わずかに口角を上げる。
《冒険者は、常に“全員を救おうとする”》
《だからこそ――最初に破綻する》
画面の中で、《ラグナ回廊》は、ゆっくりと“整理”されていく。
死ではない。
虐殺でもない。
最適化だ。
《次の観測項目》
《彼らは――どこで“線を引く”か》
「……決めなきゃ」
セレナが、低く言う。
「このままじゃ、誰も助からない」
バルトが、拳を握る。
「俺が前に出る。“動ける奴”だけでも、外に出す」
クレアが、首を振る。
「それは……切り捨てを、認めることになります」
「じゃあどうする!」
バルトの怒鳴り声が、空間に吸い込まれる。
ミリアは、目を閉じた。
そして一つの、異常な可能性に辿り着く。
「……逆に、過剰入力する」
全員が、彼女を見る。
「この結界は、“最適化できる範囲”しか想定していない」
「つまり?」
セレナが問う。
ミリアは、はっきりと言った。
「救えないほどの選択を、同時に叩き込む」
空気が、凍る。
「混乱させるのか……世界を?」
「ええ」
ミリアは、覚悟を決めた目をしていた。
「アルフレッドが拒絶した“最適化”を、理論的に破壊する」
それは、“正しい救助”ではない。
だが――観測そのものを、狂わせる賭け。
ザカリーが、最も嫌う手段。
選択を、定義できなくすること。
ここから先は――
冒険者が、“人を救う者”から
“世界の計算を壊す者”へ踏み込む瞬間だ。
――予測不能反応の発生。
「……行くわ」
ミリアは、静かに一歩前へ出た。
魔力炉として調整された《ラグナ回廊》の中心。
本来なら“均一な意思”しか受け付けないはずの場所だ。
「ミリア、本当に――」
クレアの声を、彼女は手で制した。
「分かってる。これは“助ける魔法”じゃない」
深く息を吸う。
「選べない魔法よ」
同時多発入力。
ミリアは、魔力を一気に解放した。
だがそれは、単一の系ではなかった。
救助を望む意志。
逃走を拒む意志。
戦闘を継続する意志。
何も理解できない恐怖。
それでも誰かを信じる感情。
それらを――区別せず、重ねて流し込む。
「……っ!」
結界が、反応しない。
いや、正確には――判断できていない。
通常なら即座に分類されるはずの“人の状態”が、互いに干渉し、評価不能へと落ちていく。
回廊の空気が、歪んだ。
「数値が……揺れてる!」
セレナが叫ぶ。
「安定値が上下じゃない、横にズレてる!」
計算の破綻。
結界の内部構造――“犠牲回路”が、初めて音を立てた。
ギギ……ッ
金属でも石でもない、“論理が軋む音”。
魔物が、立ち止まる。
誘導を続けていた存在が、突然――命令を失ったように彷徨い始めた。
「魔物が……迷ってる?」
バルトが、信じられないものを見る目で呟く。
ミリアは、手に力を込める。
「まだ足りない……!」
彼女はさらに、入力を重ねた。
今度は――矛盾。
助けたいが、助けられない。
逃げたいが、ここを離れられない。
生きたいが、誰かの代わりなら死を選ぶ。
本来、演算から弾かれるはずの値。
それを――無理やり、正解として突きつける。
次の瞬間。
《ラグナ回廊》の一部が、“見えなく”なった。
光が消えたわけではない。
闇でもない。
ただ――存在の確認ができない。
「……何、あれ」
クレアの声が震える。
空間が、切り取られたように欠けている。
だがそこには、人の声がある。
泣き声。
叫び声。
生きている証。
「結界が……“対象を定義できない”って……?」
セレナが、唖然とする。
ミリアは、苦しそうに膝をついた。
「成功……半分ね……」
「半分?」
「最適化が、止まった」
彼女は、顔を上げる。
「でも同時に……救済の判定も、止まった」
遥か上位。
ザカリーの観測盤に、初めて警告色が走った。
《警告》
《入力値、非収束》
《評価関数、破綻》
《観測不能領域、発生》
彼は、初めて黙り込む。
《……拒絶因子は、存在しない》
《だが》
《“拒絶に近い振る舞い”が、発生している》
彼の指が、止まる。
《冒険者は、最適解を否定していない》
《否定すら、選んでいない》
《彼らは――》
画面に映るのは、泣きながら誰かを抱きしめる冒険者。
判断できず、それでも前に進む姿。
《……計算を、成立させていない》
それは、ザカリーにとって最も理解不能な行動だった。
観測不能領域から、人影が一人、ふらりと出てくる。
「……生きてる?」
「消えて……なかった?」
隔離されたはずの者たちが、戻り始めている。
だが、同時に――結界全体が、不安定に震えだす。
「このままじゃ……」
セレナが剣を構える。
「回廊そのものが、崩れる!」
ミリアは、苦笑した。
「ええ。世界が、答えを出せなくなった」
彼女は、仲間たちを見る。
「だから――次に選ぶのは、私たちよ」
これは勝利ではない。
だが、敗北でもない。
観測を狂わせた、最初の一手。
そしてこの異常は、必ず――ザカリーの次の行動を引き出す。
――《観測不能因子》の導入
《結論》
《この現象は、異常ではない》
《新しい変数である》
静かな声で、ザカリーはそう定義した。
《最適化を拒絶しない》
《だが、成立させない》
《判断を放棄しているのではない》
《判断を“複数同時に保持”している》
観測盤に、新たな項目が追加される。
試験項目Ω
「観測不能因子を内包した意思集合の挙動解析」
彼は、わずかに口角を上げた。
《冒険者――これは君たちだけが生成できる》
試験拡張の開始
《ラグナ回廊》に、変化が走る。
崩壊しかけていた構造が、再構築されないまま“固定”される。
補修でも修復でもない。
「……止まった?」
バルトが呟く。
崩れかけた空間が、壊れず、戻らず、歪んだまま安定している。
セレナが、直感的に悟る。
「これは……結界じゃない」
「舞台ですね」
クレアが続けた。
次の瞬間、空間に“問い”が現れる。
言葉ではない。
だが、選択を迫る圧が、全員に届く。
助けるが、守れない。
守るが、救えない。
進めば犠牲が出る。
留まれば全体が崩れる。
だが今回は、どれを選んでも“正解”にはならない。
「……またか」
ミリアは、立ち上がる。
「でも、前よりはっきりしてる」
「何が?」
「これは最適化の試験じゃない」
彼女は、歪んだ空間を見渡した。
「私たちが、どう壊すかを見る試験よ」
現れた敵は、以前と違っていた。
攻撃しない。
逃げもしない。
迷い続けている。
傷つければ反撃するが、追撃はしてこない。
「敵が……こちらの判断を待ってる?」
セレナの声が低くなる。
その通りだった。
魔物は、“人がどの矛盾を抱えるか”を観測するための存在に変わっている。
「……ふざけるな」
バルトが、一歩踏み出す。
「誰かの迷いを、データにされてたまるか」
彼は、盾を構える。
「俺は選ぶぞ」
「守れなくてもいい。救えなくてもいい」
「今、目の前にいるやつを守る」
その瞬間。
魔物が、初めて明確な形を持った。
定まらなかった輪郭が、バルトの前で“敵”として確定する。
「……来た!」
ザカリーの評価
観測盤に、数値が流れる。
《矛盾保持率:上昇》
《選択確定後の後悔値:許容範囲》
《犠牲発生時の行動継続率:想定以上》
ザカリーは、ゆっくりと頷いた。
《興味深い》
《最適解を拒否し》
《非合理を選び》
《それでも、行動は止まらない》
《……》
《冒険者は、世界の修正因子たり得る》
それは評価であり、
同時に――危険指定でもあった。
試験は続く。
《ラグナ回廊》は、完全には閉じない。
この歪みは、世界各地に複製可能な現象として広がり始める。
選択を迫られる場所。
答えのない戦場。
そしてそこに、必ず――冒険者が呼ばれる。
ミリアは笑った。
「……最悪ね」
「でも?」
クレアが問う。
「私たちを、理解できないってことだけは確定した」
遠くで、何かが動き出す気配がする。
ザカリーは、次の段階を準備している。
それは――観測対象を、試験者に変える段階だ。
それは、地図にも記されない小さな集落だった。
《ラグナ回廊》の影響が薄く、だが確実に“試験場として選別された痕跡”が残る場所。
魔力反応は低い。
敵性存在の兆候も、ほとんどない。
――だからこそ、危険だった。
この場にいたのは、ミリア、バルト、セレナ、クレアの四人。
アルフレッドは《グランフェル》方面で
別任務に当たっている。
つまり――
最終判断を下す者がいない状況だった。
「……人が、残ってる」
セレナが、魔剣を構えたまま低く告げる。
集落の奥。
逃げ遅れた者たちが、歪んだ結界の内側に取り残されていた。
「時間はあるわ」
ミリアは即座に魔力流動を解析する。
「歪みは浅い。私が直接こじ開ければ、脱出経路は作れる」
クレアは不安そうに首を振った。
「……“試験場”です。あまりにも、抵抗がなさすぎます」
バルトも眉をひそめる。
「罠の匂いがするな」
だが――決定打がなかった。
そして、彼らは進んだ。
ミリアが、結界に魔力を流し込む。
通常の三倍。安全域を超えた“力押し”。
空間が軋み、結界は――壊れない。
代わりに、折り返した。
「……っ!?」
セレナが直感的に悟る。
「違う、これは――閉じる方向に最適化されてる!」
《ラグナ回廊》は、外部からの“善意の干渉”を排除すべき異物と判断したのだ。
消失。
音はなかった。
悲鳴も、光も。
ただ、集落そのものが――消えた。
建物も、人も、地形も。
まるで最初から存在しなかったかのように。
クレアが膝をつく。
「……神よ……」
ミリアは、言葉を失ったまま結界の跡を見つめていた。
「……私が……」
誰も、否定できない。
試験の“結果”
その瞬間、四人の意識に同時に流れ込む。
《試験場No.7》
結果:失敗
観測値:極大
要因:
・外部観測者による過剰介入
・判断の分散
・指揮核不在
バルトが、歯を噛みしめる。
「……最初から、俺たちは“観測されてた”ってことか」
セレナは、静かに魔剣を納める。
「しかも、アルフレッドがいない状態を狙って」
クレアが、震える声で言う。
「これは……試験というより……」
「見せしめね」
ミリアが、絞り出すように答えた。
遥か上位層。
ザカリーは、この結果を静かに受理する。
《……なるほど》
《冒険者は、個ではなく“関係性”で動く》
《核を欠いた状態では、善意が破壊に転化する》
彼は、新たな項目を追加した。
試験条件追加:
指導的個体不在時の暴走率測定
それは、冷酷な記録だった。
夜。
焚き火の前で、四人は一言も発さない。
「……アルフレッドに、どう報告する?」
バルトの問いに、誰も即答できない。
ミリアは、拳を握り締めた。
「……次は」
彼女は、はっきり言った。
「次は、試験を信じない」
セレナが頷く。
「与えられた状況を、疑うところから始める」
クレアは、静かに祈りを捧げる。
失われた名もなき集落のために。
そして彼らは知った。
――この世界では、「助けようとした」だけでは、許されない局面がある。
――“世界が静かに狂い始めた場所”
《グランフェル》は、かつて「大陸の要塞都市」と呼ばれた。
だが今、その呼び名は過去のものだ。
城壁は残っている。
街路も、塔も、地下構造も健在。
――だが、人の気配だけが薄い。
アルフレッドは、都市の中央区画を一人で進んでいた。
「……静かすぎる」
魔剣を携え、足音を殺して歩く。
敵がいないわけではない。
魔力反応は、むしろ過剰だ。
それなのに――遭遇しない。
まるで空白地帯。
都市の中心部。
かつて行政庁舎だった場所に、異様な“空間”が生まれていた。
半径数十メートル。
建物も、瓦礫も、魔力残滓も――
すべてが均一に削ぎ落とされている。
「……切り取られた、か」
アルフレッドは直感する。
破壊ではない。
転移でもない。
存在の否定。
そして、その空白の中心に――
小さな“印”があった。
環状列石を簡略化したような、極めて抽象的な魔法記号。
だが、アルフレッドは理解した。
「……これは、試験場の“残骸”」
一歩踏み出した瞬間。
魔剣が、明確な拒絶反応を示した。
刃が震え、魔力の循環が乱れる。
「……近づくな、か」
アルフレッドは足を止める。
この反応は、敵意に対するものではない。
もっと根源的だ。
――世界構造そのものへの警告。
「……ザカリー」
その名を口にした瞬間、空白地帯の縁が、わずかに波打った。
声は、聞こえなかった。
だが、“視線”は確かにあった。
《――ここに来たか》
思考に、直接流れ込む。
ザカリーではない。
だが、彼に近い“何か”。
《指揮核個体。
現在、単独行動中》
アルフレッドは、剣を構える。
「……試験の一部か」
《否》
即答だった。
《これは、
観測外要素の確認だ》
アルフレッドは眉をひそめる。
「観測外……?」
《君は、
他の冒険者と異なる》
《拒絶を行い、
なおも世界に留まった》
《だから、
“基準点”として適している》
その瞬間。
アルフレッドの背後で、都市の別区画が――消えた。
音もなく。
光もなく。
ただ、「そこにあったはずの街」が消失した。
アルフレッドは振り返る。
「……今のは」
《第七試験場、失敗》
《観測値、想定以上》
一瞬、アルフレッドの思考が凍る。
「……失敗?」
《冒険者による過剰介入》
《結果:
保護対象の完全消失》
魔剣が、低く唸った。
アルフレッドの声が、沈む。
「……仲間が、関わったな」
返答はなかった。
それ自体が、肯定だった。
ザカリーの“修正”
《これにより、
試験設計を更新する》
《個の判断ではなく、
“関係性”を負荷対象とする》
《特に――》
一拍、間が空く。
《君と、他者との距離》
アルフレッドは、理解した。
これは警告でも、脅しでもない。
宣言だ。
「……俺を、切り離そうとしている」
《正確には》
《君が、
“いない状態”で
世界がどう壊れるかを観る》
その言葉は、残酷なほど理知的だった。
空白地帯が、ゆっくりと閉じる。
何事もなかったかのように。
だが、アルフレッドは確信する。
――これから起きる試験は、“救おうとするほど、失う”。
魔剣を握り締め、彼は呟く。
「……なら」
「次は、俺が“想定外”になる」
遠く、見えない観測者が、わずかに反応した気配があった。
――試験構造への“逆介入”
空白地帯が完全に閉じた後も、アルフレッドはその場を動かなかった。
都市は、相変わらず静かだ。
だが今はもう、その静寂が「自然なものではない」と分かる。
「……観測外要素、か」
ザカリーの言葉を反芻する。
試験。
最適化。
関係性への負荷。
ならば――
試験構造そのものに“誤差”を送り込めばいい。
アルフレッドは、ゆっくりと魔剣を抜いた。
刃は、相変わらず世界に馴染んでいる。
だが、彼は気づいていた。
この剣は、“世界に従う”ためのものではない。
第一干渉:試験境界への接触
アルフレッドは、あえて“危険でない方向”へ進んだ。
魔力反応が最も濃く、しかし敵意が最も薄い区画。
――試験場の「外縁」。
そこでは、街路が奇妙に歪み、距離感が狂っている。
十歩で辿り着くはずの角が、二十歩歩いても近づかない。
「……ここだな」
アルフレッドは、剣先を地面に向けた。
斬るためではない。
“接続する”ために。
魔剣を通じて、魔力を流し込む。
だが――いつもの循環を、わざと崩した。
位相をずらし、剣と自身の魔力を同期させない。
「……拒絶でも、共鳴でもない」
「第三の状態を――見せてやる」
即座に、反応があった。
空間が、ひび割れる。
だが、破壊ではない。
演算の停止。
街路の歪みが、一瞬だけ“素の状態”を晒した。
そこに見えたのは――魔法陣でも、構造式でもない。
無数の“条件分岐”だった。
選択肢。
分岐点。
成功と失敗の確率。
「……世界を、数式として扱っている」
アルフレッドは、確信する。
ザカリーは、神を演じているのではない。
工学者として、世界を扱っている。
第二干渉:意図的な“失敗値”の注入
アルフレッドは、さらに踏み込む。
自分が「成功する行動」を取らない。
むしろ――
意図的に、最適解を外す。
敵が出る可能性の高い路地を避け、安全な大通りを、逆に切り裂いた。
建物の壁に、魔剣で傷を刻む。
「守るべきもの」を、あえて傷つける。
その瞬間。
都市全体の魔力分布が、一斉に再計算を始めた。
空気が、重くなる。
《――警告》
初めて、明確な反応が来た。
《基準点の行動逸脱》
《観測精度、低下》
アルフレッドは、笑った。
「ようやく、出てきたな」
試験構造の“迷い”。
世界が、躊躇している。
アルフレッドは感じた。
試験構造は、「正解を導く」ことは出来る。
だが――“正解を拒否する存在”への対処を持たない。
彼は、魔剣を肩に担ぎ、宣言する。
「俺は、守るために動くとは限らない」
「救うために、最適な選択をするとも限らない」
「それでも――俺は、ここにいる」
その瞬間。
《グランフェル》の上空に、目に見えない“圧”が走った。
試験構造が、アルフレッドを“独立変数”として再定義し始めたのだ。
声は、来なかった。
だが、それが何よりの証拠だった。
ザカリーは今、観測できていない。
試験場の外で、意図的に誤差を生み出す存在。
それは、彼の理論において――最も扱いづらい存在だった。
アルフレッドは、静かに呟く。
「……仲間を、“条件”にするなら」
「俺は、条件そのものを壊す」
魔剣が、低く共鳴した。
それは、
世界に従う音ではない。
世界へ問い返す音だった。
――《独立変数》排除プロトコル。
《グランフェル》の空が、静かに“反転”した。
雲が消える。
光が裏返る。
昼と夜の区別が、意味を失う。
アルフレッドは立ち止まった。
「……来たか」
声はない。
だが、世界の挙動が変わった。
これまでの試験は、すべて「間接」だった。
環境を歪め、敵を投じ、選択を迫る。
だが、今の変化は違う。
――世界そのものが、彼を標的にしている。
《排除指定:アルフレッド》
視界の端に、見慣れない“概念”が浮かび上がる。
文字ではない。
だが、意味だけは明確だった。
観測不能。
再現不可。
収束拒否。
《――独立変数、危険度上昇》
《排除試験を開始》
アルフレッドは、魔剣を握り直す。
「……試験、ね」
苦笑が漏れた。
「随分と、回りくどい」
第一段階:因果の切断。
街路の先に、人影が現れた。
敵ではない。
武器も構えていない。
それは――
“過去の可能性”だった。
かつて選ばなかった道。
選べなかった未来。
もし、魔剣を取らなかったら。
もし、仲間を失っていたら。
無数の「アルフレッド」が、彼を取り囲む。
彼らは口を開かない。
ただ、視線だけを向けてくる。
《選択の再演》
《最適解との差異を測定》
「……悪趣味だな」
アルフレッドは、一歩前に出る。
過去を否定しない。
だが、縋りもしない。
魔剣を振るう。
斬ったのは、幻影ではない。
“選択に意味を与えようとする構造”そのものだった。
空間が軋む。
《――因果干渉、拒否》
試験構造が、わずかに遅れた。
第二段階:関係性の剥離。
次に、世界が静止する。
音が消え、風が止まり、アルフレッドだけが動ける。
だが――その静寂の中に、声が混じった。
ミリア。
バルト。
セレナ。
クレア。
仲間たちの声。
助けを求める声ではない。
疑念でも、裏切りでもない。
ただ――「いなくてもいいのではないか」という可能性。
《関係性の最適化》
《独立性の再評価》
《――単独行動、推奨》
アルフレッドは、剣を下ろした。
「……それを、正解にするつもりか」
魔剣が、低く鳴る。
彼は答えを出さない。
否定もしない。
肯定もしない。
代わりに――剣を、地面に突き立てた。
「選ばない」
世界が、ざわつく。
《――未定義行動》
《評価不能》
第三段階:存在値の削減。
最後に来たのは、圧だった。
重力ではない。
魔力でもない。
“存在していること自体が、無駄だ”と告げる圧力。
呼吸が重くなる。
思考が鈍る。
世界が、彼を薄くしようとしている。
《存在値、低下》
《観測対象からの除外を開始》
アルフレッドは、膝をついた。
――だが、倒れない。
「……なるほど」
息を整え、顔を上げる。
「排除、か」
魔剣を見下ろす。
「お前は、どう思う」
剣は答えない。
だが、共鳴が、完全に消えていない。
アルフレッドは、ゆっくり立ち上がる。
「……なら」
「俺が“残る理由”を、こちらから提示する」
その瞬間。
《排除試験》の進行が、止まった。
《――警告》
《未定義行動、連続発生》
《試験モデル、収束不能》
初めて、試験構造が“失敗”を認識した。
空間に、わずかな“揺らぎ”が走る。
それは、ザカリーの視線が戻った証だった。
だが――声は、まだ来ない。
アルフレッドは、静かに言う。
「観測してるんだろう」
「なら、最後まで見ろ」
「……俺が、どこまで“試験を壊せるか”を」
魔剣が、再び光を帯びる。
排除試験は、終わっていない。
だが――もはや、ザカリーの想定通りには進まない。
内部記録
――《排除失敗》の受理
観測空間《Ω-ログ層》。
そこは場所ではなく、思考の残響だった。
ザカリー・グラッドストンは、干渉も投影も行わず、ただ“読んで”いた。
試験番号:EX-Σ
対象指定:アルフレッド
目的:観測対象からの除外
状態:進行中
数値は滑らかだった。
想定通りに低下し、切断され、希薄化していく――はずだった。
だが。
収束率:―
評価不能
未定義行動、連続発生
ザカリーは、初めて処理を止めた。
停止ではない。
“読み直し”だ。
《……不可解》
その感情は、ノイズではない。
純粋な演算結果だった。
アルフレッドは、抵抗していない。
拒絶しているが、否定していない。
従ってもいないが、逸脱もしていない。
「……変数として、扱えない」
彼は理解した。
アルフレッドは、最適化を拒否する存在ではない。
最適化という概念そのものを、成立させない存在だ。
ザカリーは、内部記録を書き換える。
それは、これまで一度も行われなかった操作だった。
対象分類:
【破壊対象】→【独立対抗軸】
一拍。
その意味を、彼自身が再計算する。
破壊対象とは、取り除けば系が安定する存在。
対抗軸とは、存在する限り、系が一方向に定まらなくなる存在。
「……そうか」
ザカリーは、初めて納得した。
「君は、“誤差”ではない」
アルフレッドは、世界を壊す存在ではない。
だが、世界を一つの答えに固定させない。
それは、ザカリーが最も避けてきた状態だった。
初の内部ログ:排除失敗
試験結果:失敗
理由:
対象が試験構造を“解釈せずに受容”したため
選択・拒否・最適化のいずれにも分類不能
備考:
対象は、自身を“正解”として提示していない
代替案も示していない
にもかかわらず、構造が破綻している
ザカリーは、ここで初めて
自分の前提を疑う。
――世界は、必ず何かを選ばなければならない。
――選択は、必ず犠牲を伴う。
――最適解は、存在する。
その三つは、これまで一度も揺らがなかった。
だが今。
アルフレッドは、選ばず、犠牲を定義せず、最適解を提示しないまま、前進している。
「……医者が、患者を誤認していたか」
その自嘲は、誰にも届かない。
再定義:対抗軸
ザカリーは、試験全体を書き換える。
冒険者たちは、観測対象のままだ。
国家も、教会も、誤差の範囲だ。
だが――
アルフレッドだけは、違う。
新規定義:
アルフレッド
役割:世界最適化に対する外部軸
処理方針:
排除 → 不可
収束 → 不可
利用 → 未検証
「……利用、か」
彼は一瞬だけ考え、否定した。
アルフレッドは、使えない。
なぜなら――彼は“目的”を持たないからだ。
それは、制御不能を意味する。
だが同時に。
「……必要だ」
ザカリーは、静かに結論を出す。
アルフレッドが存在する限り、世界は一つの形に固定されない。
それは不安定だ。
だが――破綻とは、限らない。
ザカリーは、視線を広げる。
冒険者たち。
ラグナ回廊。
境界集落帯。
そして、重なり始めた複数の天空帝都。
「……試験を、続行する」
だが、目的は変わった。
排除ではない。
証明でもない。
対抗軸を含んだ世界が、成立し得るかどうか。
それを確かめるための試験。
「見せてもらおう、アルフレッド」
「君が壊すのは――世界か、それとも“私の前提”か」
観測は、続く。
だが今、ザカリーは初めて確信を失った。
そしてそれは――彼にとって、最も危険で、最も価値ある変化だった。
――対抗軸を含む世界。
観測空間《Ω-ログ層》に、初めて設計図が存在しない構造が生まれた。
ザカリー・グラッドストンは、それを「場」と呼ばなかった。
これは戦場でも、迷宮でも、実験室でもない。
“成立条件そのものを問うための空間”だ。
試験区分:EX-Λ
条件追加:
・対抗軸の存在を前提とする
・最適解を定義しない
・観測結果を未来へ固定しない
本来、あり得ない。
試験とは、評価するためにある。
評価には、基準が必要だ。
だが――
アルフレッドという存在が、その前提を破壊した。
「……ならば」
ザカリーは、初めて世界を削らずに組み替えた。
複数の天空帝都が、同時に“影”へと沈む。
実体ではない。
機能でもない。
それらは重なり合う可能性の器として、世界の上層に配置された。
地上では、異変は緩やかに始まる。
・壊滅すべき都市が、なぜか持ちこたえる
・救援が間に合わないはずの場所に、偶然が重なる
・敗北条件が、確定しない戦場が生まれる
国家は「奇跡」と呼び、
神殿は「加護」と呼び、
冒険者は「運がいい」と笑った。
だが、それはすべて試験場の副作用だった。
この世界は今――
一つの結論へ収束しない構造に置かれている。
そして、その中心に――
アルフレッドがいる。
《グランフェル》
――違和感の正体
アルフレッドは、戦っていた。
だが、いつもと違う。
敵は強い。
状況は最悪。
判断を誤れば、全滅してもおかしくない。
それなのに。
「……詰まないな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
剣を振るたび、選択肢が一つに絞られる――はずだった。
だが今回は違う。
右に行っても、生き残る。
左に退いても、致命傷にならない。
仲間を切り捨てる判断すら、なぜか“不要”なまま進んでいる。
「……妙だ」
これは、幸運ではない。
経験でもない。
構造がおかしい。
敵の動きが、読めないのではない。
読めすぎるわけでもない。
――“間違えても、世界が破綻しない”。
その感覚が、アルフレッドの背中を冷やした。
一瞬、剣を下ろす。
その瞬間――
空が、わずかに歪んだ。
見えるわけではない。
だが、見られていると分かる。
「……ああ、そうか」
アルフレッドは、ようやく気づいた。
これは試練ではない。
罠でもない。
自分が、分岐点として扱われている。
「……俺が、軸か」
誰かが期待している。
誰かが、こちらの選択を“待っている”。
勝つか、負けるかではない。
救うか、見捨てるかでもない。
――どう在るかを。
アルフレッドは、剣を握り直す。
「悪いな」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
「俺は、答えを出すつもりはない」
次の一歩を踏み出す。
それは、最適解ではない。
効率も悪い。
美しくもない。
だが――
世界が一つに定まらない選択だった。
その瞬間。
観測ログ更新
ザカリーの前で、数値が再び乱れた。
観測結果:
対抗軸、自己認識を確認
状態:能動化
備考:
対象は役割を拒否していない
だが、役割に従っていない
ザカリーは、静かに息を吐く。
「……やはり」
これは排除できない。
制御もできない。
だが。
「面白い」
それは、医者が初めて“治療不能な症例”に向き合った瞬間の声だった。
試験は、次の段階へ移行する。
今度は――
アルフレッドを中心に、世界がどう歪むかを観る段階へ。
そしてその歪みは、やがて冒険者たち全員に、「自分たちが何として扱われているか」を突きつけることになる。
だが今は、まだ。
アルフレッドだけが、気づいている。
――この世界は、
――自分を“基準”に、揺らされ始めている。




