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レベル56

 ――そして、数日後。


 マデルの朝は、かつてないほど騒がしかった。


 城門の外、避難キャンプのさらに向こう。

 街道という街道から、人が流れ込んでくる。


 剣を携えた者。

 杖を背負った者。

 弓を抱え、斧を担ぎ、鎧も揃わぬまま走ってくる者。


 冒険者たちだった。



 冒険者ギルド・マデル支部。


 臨時に拡張された受付前には、長蛇の列ができていた。

 年齢も、出身も、力量もばらばら。だが、その目に宿る光だけは共通している。


 逃げなかった者たちの光だ。


 ギルドマスター――白髪の老剣士が、張り出された依頼書を見上げていた。


【緊急世界依頼】

天空帝都への侵入および破壊・無力化作戦

危険度:測定不能

報酬:金銭ではなく、“世界の存続”


 ざわめきは、ない。


 誰も冗談だと思っていなかった。



 マデル城、地下大広間。


 軍、貴族、ギルド代表、そしてアルフレッドたち冒険者。

 壁一面に、環状列石の位置図と、天空帝都の位相投影図が浮かんでいる。


 ミリアは、蒼白な顔で立っていた。

 まだ万全ではない。それでも、彼女は前に出る。


「天空帝都は、完全に閉じた存在じゃない」


 指先で図をなぞる。


「常に、位相を微細に揺らし続けている。でなければ、あれほどの質量を空に保てない」


 老将軍が問う。


「つまり……隙がある、と?」


「隙、というより“呼吸”ね」


 ミリアは言った。


「帝都が世界とズレる瞬間が、周期的に存在する」


 セレナが腕を組む。


「そこに、列石をぶつける」


「ええ」


 ミリアは頷く。


「正確には、列石側の位相を無理やり引き上げる。帝都と同じ“高さ”まで」


 場が静まる。


 バルトが言った。


「……無茶だな」


「無茶だからこそ、可能性がある」


 アルフレッドが引き取った。


「一人や二人じゃ無理だ。だが――」


 彼は周囲を見渡す。


「世界中の冒険者が集まれば、話は別だ」



 ギルド代表が進み出る。


「冒険者たちは三系統に分けます」


 壁に新たな光図が浮かぶ。


共鳴班

 列石周囲で魔力を供給し、位相を引き上げる

 魔導士・精霊術師・神官中心


護衛班

 列石を狙う魔物・セイセス=セイセスの妨害を排除

 前衛・狙撃・機動戦力


突入班

 開いた“裂け目”から帝都へ侵入

 ――アルフレッドたちが中核


 クレアが静かに言う。


「侵入口は……安定しませんね」


「数分が限界だろう」


 ミリアは苦笑する。


「下手をすれば、数十秒」


 セレナが剣を鳴らした。


「十分だよ」


 アルフレッドは頷いた。


「中で長期戦をするつもりはない」


 彼の視線が、天空帝都の投影へ向く。


「ザカリー・グラッドストンに辿り着く。それだけだ」



 選ばれたのは、ゲルマーシア西方、

 最も原形を保ち、なおかつ歪みの大きい環状列石。


 夜明け前、数百人の冒険者が集結した。


 列石は静かだった。

 だが、その内側で、世界が軋む音がする。


 魔法陣が描かれ、祈りが捧げられ、術式が重ねられていく。


 ミリアは中央に立ち、震える指で詠唱を始めた。


「……位相固定、開始」


 空気が、重くなる。


 星が歪む。


 そして――


 空が、引き裂かれた。



 列石の中心に、縦に細い裂け目が生じる。


 その向こうに見えるのは、

 黒い大地、逆さまの空、重力を拒む構造物。


「……繋がった」


 誰かが呟く。


 だが同時に、地面が揺れた。


 セイセス=セイセスの尖兵たちが、周囲に出現する。


「護衛班、前へ!!」


 戦闘が始まる。


 魔法と鋼がぶつかり合う中、

 裂け目は、不安定に明滅していた。


「時間がない!」


 ミリアが叫ぶ。


 アルフレッドは魔剣を抜いた。


 剣は、帝都の位相を感じ取り、低く唸る。


 彼は仲間たちを見る。


「行くぞ」


 バルトはまだ万全ではない。

 それでも、盾を構えた。


「ここまで来て、止まれるかよ」


 セレナが笑う。


「帝都の空気、吸ってみたかったんだ」


 クレアは祈りを捧げ、微笑んだ。


「……必ず、帰りましょう」



 裂け目が、最大まで開く。


 その向こうで、天空帝都が脈動した。


 ザカリー・グラッドストンが、気づいた。


 ――世界が、自分に牙を剥いたことを。


 アルフレッドたちは、一歩踏み出す。


 重力が反転し、感覚が溶ける。


 地上の戦いの喧騒が、遠ざかる。


 そして――


 天空帝都への突入作戦が、始まった。



 裂け目は、生き物のように脈動していた。


 環状列石の中心に穿たれた縦の亀裂は、常に形を変え、広がろうとし、そして閉じようとする。

 そこへ注ぎ込まれる魔力は、もはや「供給」という言葉では足りない。


 燃焼だった。



 列石の周囲、三重に展開された魔法陣。


 その中心に立つ魔導士たちは、歯を食いしばりながら詠唱を続けていた。


「……位相、固定……まだ、保てる……」


 白衣の魔術師の声は、すでに掠れている。

 魔力回路は限界を超え、血が鼻孔から零れ落ちていた。


 彼の隣で、若い精霊術師が膝をつく。


「師匠……もう……」


「見るな。裂け目だけを見ろ」


 叱責は、優しかった。


「今、我々が手を離せば――あの中の連中が、帰れなくなる」


 その言葉に、誰も反論しない。


 突入班は、もう帝都の中だ。


 戻るための“出口”を維持するのが、ここに残された者たちの役目だった。



 列石の外周では、護衛班が波のように押し寄せる魔物と交戦していた。


 空から降り注ぐ影。


 地面から這い出る瘴。


 そして――人の形をした、セイセス=セイセスの構成員。


「右から来るぞ!!」


 叫んだ瞬間、槍を構えた冒険者が吹き飛ばされる。


 彼の名を知る者は少ない。


 だが、彼の盾が裂け、血が地面に散るのを見て、

 誰もが理解した。


 ここは、帰る場所ではない。


「……っ、前線、下がるな!」


 弓兵が、最後の矢を放つ。


 魔物の眼窩に突き立ち、黒い体液が飛び散る。


 次の瞬間、その弓兵の背後から刃が伸びた。


 倒れる身体を、誰も振り返れない。


 振り返れば、裂け目が閉じる。



 共鳴班の一角で、神官が膝をついていた。


 彼女は若かった。

 鎧は軽装で、まだ新品に近い。


 だが、聖印は砕け、祈りの声は震えている。


「……神よ」


 声にならない祈り。


 神は、答えない。


 それでも彼女は立ち上がる。


「……守ると、誓ったから」


 結界が再展開される。


 光は弱い。

 だが、その一瞬が、裂け目を保った。


 直後、魔力反動が彼女を打ち倒す。


 地面に伏したまま、彼女は裂け目を見上げていた。


 閉じるな。まだだ。


 その願いだけを残して、意識が途切れる。



 列石の基部が、ひび割れ始めていた。


 地脈が悲鳴を上げる。


 この場にいる全員が、理解している。


 この作戦は、列石を“壊しながら使っている”。


 老魔導士が笑った。


「はは……やっぱり、無茶だったな」


 弟子が叫ぶ。


「先生! もう限界です!」


「分かってる」


 老魔導士は、最後の詠唱に入った。


「……だから、ここで終わりだ」


 魔法陣が過剰発光する。


 列石のひとつが、完全に崩れ落ちる。


 その崩壊エネルギーを、老魔導士は“共鳴”へ変換した。


 裂け目が、再び広がる。


 代償として、彼の身体は光に呑まれ、跡形もなく消えた。


 弟子は泣かなかった。


 泣く時間は、裂け目の寿命を縮める。



 遠方の丘。


 増援として到着した冒険者たちが、状況を一目で理解する。


「……もう、地獄だな」


「それでも行くか?」


 問いに、即答はない。


 だが、足は止まらなかった。


 剣を抜き、杖を構え、走り出す。


 間に合うかどうかではない。


 少しでも、長く保てるかどうかだ。



 列石の中心。


 裂け目は、今にも閉じそうだった。


 共鳴班の残りは、全力を注ぎ込む。


 魔力は枯れ、命が削られる。


 それでも、誰も退かない。


 誰も、英雄だとは思っていない。


 ただ――


 向こう側に行った者たちが、帰るために。


 その時、裂け目の縁が、わずかに安定した。


 成功か失敗か。


 誰にも分からない。


 だが、確かなことが一つだけある。


 この瞬間まで裂け目が開いていたのは、ここに残った冒険者たちが、命を燃やし続けたからだ。


 名は残らない。


 記録にも残らない。


 それでも――


 世界は、彼らの死の上に、かろうじて立っていた。



 天空帝都の内部は、静かすぎた。


 侵入と同時に感じた圧倒的な魔力の奔流は、奥へ進むにつれて逆に音を失い、

 巨大な魔導構造体の内臓を歩いているような錯覚を与えていた。


 壁でも床でもない。


 位相そのものが、足元で脈打っている。


「……気持ち悪いわね」


 ミリアが低く呟く。

 声は、僅かに遅れて返ってきた。


 反響ではない。

 帝都が、声を咀嚼している。


 アルフレッドは魔剣を下げたまま、周囲を見渡していた。

 敵影はない。

 それが、かえって不気味だった。


「静かすぎる。迎撃がないのは……」


「誘ってる、ってやつだろ」


 バルトが短く答える。


 その時だった。


 クレアが、歩みを止めた。


「……っ」


 彼女は胸元の聖印を強く握りしめ、顔色を失っている。


「どうした?」


 セレナが即座に振り向く。


 クレアは言葉を探すように、息を整え――やがて、震える声で告げた。


「……外の……祈りが……」


 誰も、すぐには理解できなかった。


「祈り?」


「……消えています」


 クレアは、目を閉じた。


「一つ、また一つ……列石の方角から、光が……消えていく」


 沈黙が落ちた。


 アルフレッドは、魔剣の柄を握る手に力が入るのを感じた。


「……裂け目が、保たれている限り、誰かが……」


 ミリアが言葉を継ぐ。


「……燃やしてる」


 それは、推測ではなかった。


 魔導理論を理解する者なら、否定できない事実だった。


「帝都の位相が、まだ地上と噛み合っている。ってことは……」


「外で、誰かが共鳴を維持している」


 セレナが、静かに言った。


 剣を握る指が、白くなる。


「……つまり」


 バルトが、低い声で続ける。


「俺たちが一歩進むたび、誰かが一歩分、死んでる」


 クレアの肩が、小さく震えた。


「……でも……それでも、祈りは……」


 彼女は顔を上げる。


 その瞳は、泣いてはいなかった。


「“まだ、進め”って……」


 その言葉が、決定打だった。


 アルフレッドは、歩みを止める。


 そして、ゆっくりと振り返り、仲間たち一人一人を見る。


「……戻る、という選択肢は」


 誰も答えない。


 答えは、すでに出ていた。


 ミリアが、深く息を吸う。


「戻れば、裂け目は無駄死にになる。外の人たちが――“何のために死んだか”が、消える」


 バルトが、盾を担ぎ直す。


「だったら、進むしかねぇ」


 セレナが、剣を抜いた。


「全員分、だ」


 クレアは、最後に小さく頷く。


「……この命、軽く使いません」


 アルフレッドは、魔剣を構えた。


 刃が、静かに共鳴する。


 まるで、外の裂け目と、見えない糸で繋がっているかのように。


「……聞いたか」


 彼は、誰にともなく呟く。


「お前たちの命は、ここまで届いてる」


 そして、前を向いた。


「だから――無駄にはしない」


 足を踏み出す。


 その一歩は、これまでで最も重かった。


 天空帝都の奥で、何かが応えたように、

 低く、鈍い鼓動が鳴った。


 外の犠牲を背負った侵入者が、

 ついに、帝都の核心へ向かって歩き始めたのだった。



 天空帝都の内部は、建築物ではなかった。


 廊下と思しき空間を進んでいるはずなのに、壁と床の境界が曖昧で、

 距離という概念が、場所ごとに異なる。


 一歩進めば十歩分進み、

 次の一歩では、ほとんど移動していない。


「……距離が、信用できない」


 ミリアが足元を睨みながら言った。


 彼女の視界には、無数の魔導数式が、床の奥を泳ぐように流れているのが見えている。


「空間拡張でも折り畳みでもない。これは……思考回路よ」


「思考?」


 バルトが眉をひそめる。


「ええ。帝都そのものが、“どう侵入者を扱うか”を、逐一考えている」


 言葉の意味が、遅れて全員に染み込んだ。


 壁が、呼吸している。


 比喩ではない。


 魔力の流れが収縮と拡散を繰り返し、

 それが、まるで巨大な生物の肺のように見える。


 セレナが剣を軽く振る。


 剣先が空を切った瞬間、

 空間そのものが一拍、脈打った。


「……反応した」


 アルフレッドは、魔剣を構えたまま、静かに告げる。


「俺たちを、認識している」


 その証拠に――


 進行方向の“廊下”が、ゆっくりと歪んだ。


 床が持ち上がり、壁だったものが溶け、天井だったものが裏返る。


 結果として現れたのは、円環状の広間。


 だが、その中心には、柱も祭壇もない。


 あるのは、巨大な虚空だけだった。


 そこに、無数の“線”が走っている。


 魔力の線。

 情報の線。

 そして――意志の線。


「……ここ、通路じゃないわ」


 ミリアが低く言う。


「“選別場”よ」


 クレアが、胸元の聖印を強く握る。


「……嫌な感じがします。祈りが、奥に届かない」


 空間の端で、何かが剥がれ落ちる音がした。


 黒い膜が裂け、そこから、構造体とも生命体ともつかないものが、ゆっくりと“立ち上がる”。


 人の形をしている。


 だが、顔はなく、胸部には、歯車状の魔法陣が回転していた。


「……守衛?」


「違う」


 アルフレッドが即座に否定する。


「“兵”じゃない。“機能”だ」


 その存在は、声を発した。


 音ではない。


 意味だけが、直接頭に流れ込んでくる。


『侵入者を確認

 位相:不完全

 意志:未確定』


 空間が、反応する。


 広間の“線”が、一斉にアルフレッドたちへと向いた。


「……評価してる」


 セレナが歯を鳴らす。


「人を、道具みたいに」


 その瞬間。


 床が消えた。


 正確には、「床という概念が不要になった」。


 全員の足元に、

 無数の階層が同時に重なって現れる。


 落ちる者。

 留まる者。

 浮かぶ者。


 選ばせる気だ。


「散るな!」


 アルフレッドが叫ぶ。


 魔剣が輝き、位相を固定する斬撃が放たれる。


 空間の一部が“確定”し、全員が同じ平面へと引き寄せられる。


 帝都が、わずかに震えた。


 まるで――


 想定外の入力を受けたかのように。


「……効いた」


 ミリアが、息を詰める。


「この帝都、完璧じゃない。“人の意思”を前提にしていない」


 アルフレッドは、剣を構え直す。


「だったら――」


 彼の声は、低く、確かだった。


「そこを突く」


 遠く、帝都の奥で、

 低く、鈍い音が響いた。


 歯車が噛み合う音。


 天空帝都が、本格的に侵入者を拒絶し始めた合図だった。



 天空帝都が、静かに“理解”した。


 侵入者は排除対象ではない。

 消耗させ、削り、最終的に価値へと還元すべき資源だと。


 帝都内部を流れていた魔力の線が、色を変える。

 白でも黒でもない。

 鈍い、灰色。


「……来る」


 アルフレッドが低く告げた、その直後。


 広間の外縁に存在していた“壁”が、自壊した。


 砕けたのではない。

 意味を失い、存在をやめたのだ。


 その向こうから現れたのは、複数の“同型存在”。


 先ほどの機能体と同じ輪郭。

 だが、胸部の歯車は回っていない。


 代わりに、焼け焦げたような痕跡が残っていた。


「……使い捨て?」


 バルトが吐き捨てる。


 機能体の一体が、ゆっくりと崩れ落ちた。


 だが、倒れきる前に――

 その魔力が、床へと吸い込まれる。


 次の瞬間。


 別の機能体の歯車が、明らかに速く、滑らかに回転し始めた。


『損耗データ反映

 耐久率:上昇

 対位相干渉:補正完了』


「……っ」


 ミリアの顔色が変わる。


「倒された“結果”を、即座に共有してる……しかも、個体じゃない。帝都全体で」


 クレアが、声を震わせる。


「じゃあ……誰かが傷つくたびに、次はもっと強くなるってこと……?」


 答えは、すぐに示された。


 アルフレッドが踏み込み、魔剣で機能体の一体を斬り裂く。


 刃は確かに通った。


 だが――


 次に現れた個体は、同じ斬撃を“想定済み”だった。


 刃が届く前に、空間が微妙に歪み、致命の角度がずれる。


「……最初から、この結果を前提にしてやがる」


 セレナが歯噛みする。


 天空帝都の“声”が、再び意味だけを流し込んでくる。


『侵入者行動を資源化

 損耗許容率:無制限

 犠牲効率:最適化開始』


 床が、淡く光る。


 そこに浮かび上がったのは、無数の輪状魔法陣。


 だが、それらは攻撃用ではない。


 転送用だ。


「……まさか」


 ミリアが息を呑む。


 魔法陣の一つが起動し、

 中から――“外の光景”が投影される。


 裂け目の外。


 マデル郊外。


 冒険者たちが、裂け目を閉じるために、命を燃やしている場所。


「……これは……」


 クレアが言葉を失う。


 投影された光景が、数値化されていく。


 魔力量。

 消耗率。

 死亡確率。


 そして、その数値が――

 帝都内部の機能体へと、流れ込む。


「外の犠牲を……内側の防衛に使ってる……?」


 ミリアの声が、怒りで震える。


「ああ」


 アルフレッドは、拳を強く握りしめた。


「この帝都は、“誰かが死ぬこと”を前提に、より完成度を上げていく装置だ」


 機能体たちが、一斉に動き出す。


 先ほどより速く。

 正確に。

 そして、無慈悲に。


 天空帝都は、戦っているのではない。


 計算している。


 どれだけの命を支払えば、侵入者を止められるか。


 その答えを、既に“外”で得ているのだから。


「……許せるわけがない」


 セレナが剣を構える。


 アルフレッドも、魔剣を掲げる。


「だからこそ――」


 彼の声は、低く、しかし折れなかった。


「ここで止める。これ以上、外に“正解”を与えないために」


 帝都の奥で、さらに大きな歯車が回り始めた。


 “次の段階”への移行音だった。



 歯車の回転音が、低く、深く変質した。


 それは警報ではない。

 迎え入れる準備が整ったという合図だった。


 広間の奥――

 今まで“空白”だった空間が、ゆっくりと折り畳まれる。


 次元が重なり、意味が揃い、人の形をした概念が、そこに立った。


 黒衣の魔導士。

 痩せた体躯。

 年齢は測れない。


 だが、その双眸だけは異様だった。

 憐れみでも、憎悪でもない。

 理解してしまった者の目。


「ようやく、ここまで来たか」


 声は穏やかだった。

 敵意すら、感じられない。


「歓迎しよう。天空帝都は、君たちの努力を正確に評価している」


 セレナが一歩前に出る。


「……ザカリー・グラッドストン」


 名を呼ばれても、男は微笑を崩さなかった。


「ああ。そう呼ばれている」


 アルフレッドが、魔剣を構えたまま言う。


「外で何が起きているか、分かっているな」


「当然だ」


 ザカリーは、軽く指を鳴らす。


 空中に、複数の映像が浮かぶ。


 裂け目の外。

 命を削り、魔力を燃やし、倒れていく冒険者たち。


 マデル郊外の防衛線。

 崩れ落ちる兵士。

 泣き叫ぶ民。


「すべて、観測している」


 その言葉には、誇りすら滲んでいた。


「そして、活用している」


 ミリアが叫ぶ。


「それを……“正しい”とでも言うつもり!?」


 ザカリーは、首を傾げる。


「正しい、という言葉は曖昧だな」


 だが、次の言葉は迷いがなかった。


「必然だ」


 空気が、凍りつく。


「人は死ぬ。戦えば、なおさらだ」


 彼は歩き出す。

 床に刻まれた魔法陣の上を、ためらいなく。


「ならば問おう。無秩序に死ぬのと、意味を持って死ぬのと――どちらが、世界にとって価値がある?」


「……っ!」


 クレアが声を震わせる。


「命に……価値を付ける資格なんて、あなたにない……!」


 ザカリーは、初めてクレアを見た。


 その視線には、侮蔑も怒りもない。


「資格?」


 彼は静かに言った。


「資格は、力のある者に自然と集まる」


 指先が、天井を指す。


 その向こうにあるのは、天空帝都の中枢。


「私は、世界を壊す力を得た。だから同時に、世界を最適化する義務を得た」


 アルフレッドが、低く唸る。


「……最適化のためなら、何万人でも切り捨てるって言うのか」


「切り捨ててはいない」


 ザカリーは、即答した。


「組み込んでいる」


 その言葉に、全員が息を呑む。


「犠牲は、無駄ではない。彼らの死は、計算に乗る。未来へと繋がる」


 彼は、ゆっくりと腕を広げた。


「この帝都は、英雄に頼らない世界の雛形だ」


「個人の勇気」

「偶然の勝利」

「感情に左右される選択」


「――そういった不確定要素を、排除する」


 セレナが、怒りを抑えきれず叫ぶ。


「じゃあ、人は何になる!? 部品か!?」


 ザカリーは、初めて笑った。


 それは、どこか寂しげな笑みだった。


「部品でいい」


「部品は、壊れても交換できる。だが――仕組みは、世界を裏切らない」


 沈黙。


 重く、逃げ場のない沈黙。


「だから私は是とする」


 ザカリーは、静かに告げた。


「犠牲を前提とした最適化を。世界は、いずれ必ずそこへ至る」


 彼の視線が、アルフレッドに向く。


「君たちは、ただ早すぎただけだ」


 歯車の回転が、さらに加速する。


「さて」


 ザカリーは一歩、後退した。


「次は選択の時間だ」


「外の犠牲を止めるため、この帝都を破壊するか」


「それとも――ここで止まり、より多くの死を許容するか」


 黒衣の魔導士の姿が、霧のように薄れていく。


「答えは、行動で示せ」


 声だけが残った。


 そして、天空帝都は告げる。


『最終防衛段階へ移行

 犠牲効率:最大化』


 アルフレッドは、歯を食いしばった。


「……選ばせる気なんて、最初からないくせに」


 だが、剣を下ろすことはなかった。


 ここからが、本当の戦いだった。



 黒衣の魔導士の輪郭が、崩れ始めた。


 煙が散るような消え方ではない。

 概念が撤回される――そんな感覚だった。


 最後に残ったのは、あの双眸だけだ。


「答えは、急がなくていい」


 ザカリー・グラッドストンの声が、薄く反響する。


「帝都は、待つこともできる。――犠牲が増えるだけだが」


 次の瞬間、視線すらも消えた。


 静寂。


 だがそれは、安堵ではなかった。


 床を走る魔法陣が、赤から黒へと変色していく。

 天井の歯車が、逆回転を始める。


 ミリアが息を呑んだ。


「……まずい。帝都全体が、外界との接続を“深層同期”に切り替えてる」


 クレアが振り返る。


「それって……?」


「外で戦っている人たちの。命と魔力を、直接中枢に流し込む段階よ」


 言葉が、刃のように突き刺さる。


 バルトが盾を強く握りしめた。


「時間がないな」


 セレナは、魔剣を肩に担いだまま、即座に言った。


「なら、やることは一つだ」


 アルフレッドが頷く。


「リンクそのものを断つ。――この帝都の“根”に踏み込む」


 ミリアの表情が、僅かに歪んだ。


「分かって言ってる?」


 彼女は、足元に浮かび上がる構造図を展開する。


「ここから先は、正式な侵入路じゃない」


 指先が示した先――

 そこには、歪んだ空間があった。


「犠牲回路の中枢。生体魔力が直接流れ込む“裏側”よ」


 クレアが、静かに息を吸う。


「……生きて戻れるの?」


 ミリアは、はっきりと首を振った。


「保証はない」


 沈黙が落ちる。


 その沈黙を、アルフレッドが断ち切った。


「なら、行こう」


 誰も驚かなかった。


 彼は、魔剣を床に突き立てる。


 刃が、低く唸った。


「外で命を燃やしてる連中は、選択肢なんて与えられていない」


「俺たちは――せめて、自分で選べる」


 セレナが笑った。


 短く、鋭い笑みだった。


「上等。あたしは、部品扱いされる気はない」


 バルトが盾を構え直す。


「なら俺は、壊れない部品になるだけだ」


 クレアは、祈りを捧げるように胸の前で手を組んだ。


「戻れなくても……やるべきことは、同じです」


 ミリアは、最後に一度だけ構造図を睨みつけ、呟いた。


「……ほんと、無茶ばっかり」


 だが、その指は迷わなかった。


「転移じゃない。侵入よ」


 空間が、裂ける。


 それは門ではない。

 道でもない。


 流れそのものだった。


 外界から帝都へ、帝都から中枢へ、命が吸い上げられていく、その通路。


「行くわよ!」


 ミリアの声と同時に、

 五人は、その歪みに飛び込んだ。


 瞬間、視界が反転する。


 上下も、距離も、意味を失う。


 耳鳴りの奥で、無数の声が聞こえた。


 ――助けて

 ――まだ、戦える

 ――家族が、いる

 ――帰りたい


 クレアが、歯を食いしばる。


「……声が……」


「聞くな!」


 アルフレッドが叫ぶ。


「ここで迷えば、飲み込まれる!」


 流れが、牙を剥いた。


 無数の魔力の奔流が、彼らを“燃料”として認識し始める。


『侵入者確認

 犠牲効率、再計算』


 帝都の声が、冷酷に響く。


 セレナが魔剣を振るった。


「させるかっ!」


 刃が、流れそのものを斬り裂く。


 だが、裂け目はすぐに塞がる。


 ミリアが叫ぶ。


「中枢まで、一直線じゃない! ここは、生き残った意志を削る層よ!」


 バルトが前に出た。


「なら、削られる前に突っ切る!」


 盾が、奔流を押し返す。


 アルフレッドの魔剣が、共鳴を始めた。


 刃の奥で、何かが応えた。


 それは、外で命を燃やしている者たちの――未練と覚悟。


「……繋がってる」


 彼は、低く呟いた。


「だからこそ、断つ」


 剣を掲げる。


 この先にあるのは、帝都の心臓。


 そして、犠牲を前提とした世界の核心。


 禁断の侵入は、もう後戻りできない段階へと入っていた。



 流れが、突如として“形”を持った。


 奔流だった魔力が凝固し、歯車でも、魔物でもない――機構へと変貌する。


 人型ではない。


 四肢の区別すら曖昧な、幾何学的な塊。

 無数の魔法陣と生体回路が絡み合い、

 その中心に、鼓動する核が浮かんでいた。


『犠牲回路・第七守護機構

 侵入者――処理対象』


 声に感情はない。

 ただ、効率だけがあった。


 次の瞬間。


 空間が“圧縮”された。


「――っ!!」


 バルトが咄嗟に盾を突き出す。

 だが衝撃は、正面から来なかった。


 内側からだ。


 筋肉が軋み、肺が押し潰される感覚。

 存在そのものを縮められる。


「こいつ……攻撃してない! 最適化してるだけだ!」


 ミリアの叫びと同時に、守護機構が動いた。


 いや、動いたという表現は正しくない。

 計算結果が更新されただけだ。


 空間の一部が切り取られ、そこに“不要”と判断された魔力が集束する。


 ――クレアの背後。


「危ない!」


 アルフレッドが踏み込み、剣を振るう。


 刃が魔力塊を断ち切った瞬間、断面から“声”が溢れ出した。


 断末魔ではない。

 祈りでもない。


 途中で終わった人生の残響。


「……っ」


 クレアが喉を詰まらせる。


「これ……外で倒れた冒険者たちの……」


『無駄は存在しない』


 守護機構の声が、重なる。


『未完の意志

 戦闘不能個体

 すべて、回路効率に転用済み』


 セレナが歯を剥いた。


「ふざけんな……!」


 魔剣が唸り、彼女は跳ぶ。


 剣撃が、核を狙って叩き込まれた。


 ――だが。


 核は、避けない。


 代わりに、周囲の魔力層が歪む。


 斬撃は、別の方向へ“最適配分”された。


 遠くで、何かが砕ける音。


 ミリアが叫ぶ。


「セレナ! 今の一撃、外の回路に流された!」


「……っ!」


 つまり。


 攻撃するほど、外の犠牲が増える。


 バルトが低く唸った。


「殴れねぇ敵ってわけか……」


 守護機構が、次の計算に入る。


『侵入者五

 抵抗度、高

 ――犠牲増加率、許容範囲』


 空間が、再び歪む。


 今度は、アルフレッドの足元。


 彼の影が引き剥がされ、

 黒い魔力として吸い上げられた。


 影の中から、声が聞こえる。


 ――剣を振れ

 ――まだ戦える

 ――頼む、終わらせてくれ


 アルフレッドは、剣を下ろした。


「……利用するな」


 低い声だった。


「俺たちの戦いを。燃料にするな」


 魔剣が、強く共鳴する。


 それは、破壊の共鳴ではない。


 拒絶だった。


 ミリアが、はっとする。


「……なるほど。この機構、犠牲を“数値”としてしか見てない」


 彼女は、素早く術式を書き換える。


「なら、数値を――壊す」


 魔法陣が反転する。


「クレア! “意味”を付与して!」


 クレアは一瞬だけ迷い、そして、強く頷いた。


「……分かりました」


 彼女は祈る。


 倒れた者たちの名も、顔も、知らない。

 それでも。


「彼らは代替可能な部品なんかじゃない」


 光が広がる。


 それは回復でも、防御でもない。


 記憶の光。


 冒険者たちの、

 最後に選んだ意志だけが浮かび上がる。


 守護機構の動きが、一瞬止まった。


『……誤差

 定義不能』


 セレナが、その隙を逃さない。


「今だ!!」


 彼女の剣が、再び振るわれる。


 今度は、切断ではない。


 核を包む回路――

 犠牲を配分する“概念”そのものを叩き斬った。


 悲鳴は、上がらなかった。


 代わりに。


 重たい、鈍い音。


 機構が、自壊を始める。


『最適化、失敗

 ――犠牲回路、破綻』


 空間が揺れる。


 流れが、乱れる。


 だが、その崩壊の中で――

 アルフレッドは、確かに感じた。


 外との繋がりが、細くなった。


「……効いてる」


 ミリアが息を整えながら言う。


「でも、これで終わりじゃない。ここは、ただの“門番”よ」


 バルトが盾を持ち上げる。


「なら、奥は――」


 アルフレッドは、剣を握り直した。


「もっと、救えない場所だ」


 犠牲回路の破片が、闇に沈む。


 その先に待つのは、帝都の中枢。


 そして、ザカリー・グラッドストンが是とした最適化の完成形だった。



 犠牲回路が崩壊した先に広がっていたのは、

“城”ではなかった。


 玉座も、玉石も、栄光の装飾も存在しない。


 そこにあったのは――胎内だ。


 無数の光脈が壁となり、天井となり、

 ゆっくりと脈動している。

 まるで、巨大な生命体の内側に立っているかのようだった。


「……ここが、中枢?」


 セレナの声が、わずかに反響する。


「違うわ」


 ミリアが首を振った。


「ここは“制御室”じゃない。生成層よ」


 アルフレッドは理解しかけて、理解することを拒みたくなった。


「……帝都は、作られたんじゃない」


 魔剣が、低く震える。


「産まれたんだ」


 その瞬間。


 空間の奥で、光が収束する。


 黒衣の魔導士――

 ザカリー・グラッドストンが、そこに立っていた。


 幻影ではない。


 しかし、完全な実体でもない。


“位相を跨いで存在している”

 そんな、歪な立ち方だった。


「正解だ、魔法戦士」


 ザカリーは、穏やかに言った。


「天空帝都は、兵器ではない。国家でも、要塞でもない」


 彼は、壁に流れる光脈へ手を伸ばす。


「これは――世界が生んだ子だ」


 クレアが、思わず一歩退いた。


「……世界、が?」


「そう」


 ザカリーは続ける。


「遥か昔、この世界は一度、完全な崩壊を迎えかけた」


 光脈に、過去の映像が浮かぶ。


 大地が裂け、空が落ち、魔力そのものが暴走する時代。


「神々は、世界を救えなかった」


 その言葉は、静かだった。


「だから彼らは、“修正”を選んだ」


 映像が変わる。


 環状列石。

 王胎。

 意思なき守護装置。


「世界を延命するための、応急処置だ」


 バルトが唸る。


「……それで、何度も同じ悲劇を繰り返したってわけか」


「そうだ」


 ザカリーは、否定しない。


「均衡を保つために、世界は“選択”を奪われ続けた」


 アルフレッドを見た。


「君たちが拒絶した王胎も、その一つだ」


 魔剣が、わずかに光る。


「……なら、帝都は何だ」


 アルフレッドは問う。


「新しい王胎か?」


 ザカリーは、首を振った。


「違う」


 そして、言った。


「天空帝都は、世界自身が選んだ“最後の修正”だ」


 空間全体が、鼓動を強める。


「世界は、理解した」


 ザカリーの声が、低くなる。


「装置に委ねれば、意思は育たない。神に任せれば、責任は生まれない」


 彼は、両手を広げた。


「だから、世界は“恐怖”を必要とした」


 セレナが睨みつける。


「……それが、この虐殺か」


「虐殺ではない」


 ザカリーは即答した。


「試験だ」


 ミリアが、怒りを押し殺した声で言う。


「都市を消し飛ばす試験なんて、狂ってる」


「狂っているのは、壊れたままの世界だ」


 ザカリーは、淡々と返す。


「選ばねばならない局面で、誰も選ばなかった。守るべきものと、切り捨てるものを」


 クレアが、震える声で言った。


「……だから、犠牲を前提にした最適化を?」


「そうだ」


 ザカリーは、初めて強い断定を込めた。


「世界が“何を選ぶか”を可視化するために、帝都は存在する」


 光脈が、再び映像を映す。


 マデル。

 避難民。

 冒険者たちの突入。


「守るために、命を燃やした者たち」


 ザカリーは、彼らを否定しない。


「素晴らしい」


 その言葉が、

 アルフレッドの胸を刺した。


「だが――」


 ザカリーは続ける。


「彼らの犠牲を“拒絶”するだけでは、世界は変わらない。受け入れ、選び、責任を引き受ける覚悟があるかどうか」


 彼は、アルフレッドを真っ直ぐに見る。


「それを、私は見ている」


 沈黙。


 この場で、

 世界の在り方そのものが問われていた。


 アルフレッドは、魔剣を下ろさなかった。


 だが、構えもしなかった。


「……あんたは」


 ゆっくりと言う。


「世界の代弁者を気取ってるが」


 一歩、踏み出す。


「世界は、“人を踏み潰してまで正しくなりたい”なんて頼んじゃいない」


 ザカリーの目が、細められた。


「それを、君が断言するのか?」


「する」


 アルフレッドは、迷わなかった。


「選択は、必要だ。犠牲も、ゼロじゃない。だが。最初から“燃料”として扱うなら、それは選択じゃない」


 魔剣が、静かに鳴る。


「それは、逃げだ」


 ザカリーは、しばらく黙っていた。


 やがて、微笑む。


「……いい答えだ」


 だが、その声には、安堵も喜びもなかった。


「ならば、次だ」


 彼の背後で、光脈が赤く染まる。


「“帝都誕生の最終段階”を見せよう」


 空間が、再構築を始める。


「天空帝都は、まだ完成していない」


 ザカリーは言った。


「完成には――もう一つの選択が必要だ」


 それが何か、誰も、まだ知らない。


 だが確かに、世界は今、産声を上げようとしていた。

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