レベル53
王都ロムルストの冒険者ギルドは、昼前だというのに喧騒と緊張を孕んでいた。
掲示板には依頼書がひしめいている。だが、その中でもひときわ異彩を放つ紙があった。
――“西方環状列石・魔力異常調査”。
受付嬢に呼ばれ、アルフレッド達五人はギルド作戦室へ案内された。
古い地図、報告書、そして封蝋の押された封筒が机に並んでいる。
「来てくれたわね、みんな。今回の依頼は緊急性が高い」
ギルドの作戦参謀フェイルが、紙束を広げる。
「西方の環状列石で、ここ数日異常な魔力の流出が確認されている。調査員を送ったが、一部は消息不明のままだ」
ミリアが息を呑む。
「魔力の流出? ただの環境変動じゃないの?」
「違う。――背後に“セイセス=セイセス”の暗躍があると判明した」
その名を聞いた瞬間、室内の空気が変わった。
秘密結社。王国の禁制魔術を扱い、国家間の争乱にも影を落とす組織。
「依頼内容は三つだ」
フェイルは指を折る。
「一つ、現地到達。二つ、環状列石の異常源を確認。三つ、可能なら修復、そして――」
「異常を引き起こす元を断て、ってことだな」
バルトが太い腕を組む。
「その通りだ。報酬は特級依頼扱い。君たちの実力が必要だ」
クレアが静かに問いかける。
「……生きて戻れなかった調査員は?」
「まだ分からない。ただ一つ確かなのは――誰かが列石を“起こそうとしている”」
アルフレッドは机の上の依頼書に手を伸ばし、迷いなく掴んだ。
「受ける。ここで放っておくわけにはいかない」
セレナが続くように頷く。
「環状列石を弄られれば、大地そのものが狂う。私達が止める」
ミリアも笑った。
「いつも通りね。危ない場所へ先に行く役目」
「そういう役目だからな」
バルトが大槌を肩へ。
五人は依頼書に署名し、静かに作戦室を後にした。
ギルドを出ると、王都ロムルストの空は薄曇りだった。
石畳の大通りを馬車が行き交い、商人たちの呼び声があがる。
しかし、その喧騒の上には確かに重い予兆が漂っていた。
「西方街道までは普通の道よ。問題はその先」
ミリアが同行資料を読みながら言った。
「王都近郊の魔力観測塔が、列石付近で異常な振れを観測してる」
「やっぱり確定か」
アルフレッドは腰の魔剣の柄に軽く触れた。
この剣は彼の魔力に呼応して微弱な震えを返す。
空気が荒れている。遠くの異変が剣越しでも感じ取れた。
「途中に野営地点があるから、まずはそこまで進もう」
クレアが祈祷杖を荷に括りながら微笑む。
「道は長いわ。でも、今は焦らないで」
バルトは大槌を背に担ぎ直し、街門へと歩きだした。
「いいか、今回は相手がただの野盗じゃない。何が出てもおかしくねえ。気を抜くなよ」
「任せて」
セレナは淡く輝く黒刃の魔剣を確認する。
その切っ先には、彼女自身の魔力が滲んでいた。
「行こう。長くなる戦いの始まりだ」
王都西門の巨大な扉をくぐり抜けると、風景は一変した。
城壁の外は広大な草原が広がり、遠く地平が霞む。
西へ延びる街道は、古い石造りの標識が導く一本の道。
環状列石へ向かう旅が始まった。
王都を離れて半日が経った頃だった。
空は晴れ、草原の風も穏やかだ。
だが、道の先に――違和感。
「皆、止まって」
セレナの声が鋭く響く。
街道脇の土が、不自然に陥没していた。
そこだけ黒く焦げたように変色している。
「魔力反応……やはり列石と同質の揺らぎ」
ミリアが指先で空気を探るように触れ、眉をひそめた。
「自然現象じゃないわ。人為的な痕跡」
アルフレッドは剣を抜かないまま近づき、跪く。
黒焦げた土に、何か刻み込まれていた。
――符式だ。
「……セイセス=セイセスのものだな」
バルトが呟く。
「これは痕跡じゃない。警告だ」
クレアは十字杖を握りしめ、低く祈りを唱える。
「気づく者だけに気づかせる印。彼らは隠すつもりもない」
「つまり誘ってるってことか」
アルフレッドが立ち上がる。
「上等だ。行こう」
風が強くなった。
空の雲がせり出し、街道の先の景色が微かに揺らぐ。
「環状列石まで、あと一日ほどだって資料にある」
「気を引き締めていくぞ」
五人は再び歩みを進めた。
陽が傾き始める頃、街道沿いにひとつの休憩地が見えた。
古い石造りの東屋――旅人たちが雨風をしのぐために建てられたものだ。
しかしそこには、誰の気配もなかった。
「普通なら、行商人の荷馬車の一台くらいは止まってるはずだ」
バルトが言いながら周囲を見渡す。
野鳥の声すら遠く、耳に届くのは風が木々を揺らす音だけ。
「静かすぎます。まるで人が――避けているみたい」
クレアが低く呟いた。
全員が自然と武器に手をかけたまま、東屋へと足を踏み入れる。
屋根の下には古い焚き火跡があったが、薪も灰もそのまま残されている。
「途中で投げ出した……? 違うな」
アルフレッドが焚き火の灰を指先で掬い、確認する。
まだ温もりが残っていた。
「ここ、つい数刻前まで誰かがいた」
「だがその割に、生活の痕跡が雑すぎるわ」
ミリアが足元の土を蹴って言う。
そこには小さな封蝋の破片が散乱していた。
紋章――円環と蛇。
「セイセス=セイセスの印章!」
クレアが息を呑む。
セレナはすでに剣を抜いていた。
紫がかった刃が薄光を散らし、その切っ先は湿った空気を裂く。
「連中、列石に向かっている。確定よ」
「なら急ごう。奴らが何を仕掛けるつもりか分からん」
バルトが剣を構えたまま言いかけた、その時。
――風の、逆流。
周囲の木々が一斉にざわめき、落ち葉が渦を巻いて昇る。
街道の先に黒い霧の束が走った。
「魔力の奔流!? 向こうから何か来る!」
ミリアが叫んだ瞬間だった。
霧の奥で、黒い人影が揺れた。
その姿は実像ではなく、揺らめく幻影のよう。
だがその声だけははっきりと届いた。
『――環状列石へは来させない』
微かに、嘲笑を混ぜて。
「来たか……!」
アルフレッドが魔剣を抜いた。
その刹那。
大地の下から、無数の魔法陣が浮かび上がった。
大地を覆う魔法陣は、幾重にも折り重なる複合術式だった。
黒曜石の罅割れたような線が土を裂き、眩いほどの青白い光が迸る。
「足元、下がってッ!」
ミリアが叫ぶより早く、地面が隆起した。
裂け目から這い出したのは、三体の異形――
瘴気で編まれた鎧の躯だった。
しかし、前回見た瘴の化生とは違う。
人間の意志に縛られた、呪詛の造形。
「セイセス=セイセス製の戦闘用魔像ね」
「なら壊す!」
セレナが一歩踏み込み、魔剣を振るった。
薄紫の軌跡が空気を裂き、鎧の躯の首元を断ち割る。
剣速は風そのもの。反撃の隙を与えない。
「ふん!」
バルトは大地を踏み抜くように前へ。
大槌が唸りを上げ、魔像の胴を粉砕した。
その衝撃だけで、周囲の霧すら震える。
だが――残る一体は違った。
「避けろ!」
アルフレッドの叫びよりわずかに遅れて、
その魔像は腕を掲げ、黒い紋章を展開した。
「魔力収束……!? 爆裂系!」
ミリアの判断は早かった。
「《ディスペル・ヴォルト》!」
詠唱の瞬間、雷光が奔り、魔像の術式を打ち砕く。
爆発は未然に封じられる。
その隙に、クレアが前へ躍り出た。
「――祈りの光よ!」
聖気の奔流が魔像の体を掠め、腐食させる。
瘴気の結界がぱちりと音を立てて破裂。
そこへ、アルフレッドが飛び込んだ。
魔剣を逆手に構え、疾走しながら叫ぶ。
「っらあああ!」
斬撃が走り、魔像を真っ二つに裂いた。
内部から溢れた呪詛の残滓が夜気に溶けていく。
戦闘は、一瞬だった。
霧の一片も、幻影の声も消えている。
街道は静まり返り、ふとした違和感だけが残った。
「待って、これ」
ミリアが指差した地面。
粉砕された魔像の残骸の中に、黒い札が刺さっていた。
血のように赤い文字。
《来るならば、見届けよ。セイセス=セイセスは終末の儀を始める》
風がしなるように吹き抜ける。
「つまり……私たちへの宣戦布告ってわけね」
セレナが低く言った。
「やっぱり、誘われてる」
クレアが震える声で呟く。
「連中、列石で何かをやるつもりだ。急ぐぞ」
アルフレッドは札を握り潰し、前を向く。
その視線の先――
街道はさらに西へと続いていた。
西方街道を外れ、森の奥へと踏み入れた途端、空気が変わった。
乾いた草の匂いから、湿った冷気へ。
まるで季節そのものが境界線を跨いで変質したかのようだった。
「……魔力密度が急激に上がってるわね」
先頭を歩くミリアが振り返った。
薄紫の術式光が指先に揺れる。
「列石はもうすぐだ。全員、気を抜くな」
アルフレッドが言った時、森の影が途切れた。
視界が一気に開ける。
そこには、巨大な環状の石群がそびえ立っていた。
大小さまざまな石柱が地面より突き立ち、数百年前からそこに存在してきたはずの沈黙は、しかし今は──ざわついていた。
大地を抑え付けるような魔力の波が、低く唸っているのが分かる。
「こりゃあ……どう見ても正常じゃねぇだろ」
バルトが声を漏らす。
装備の鎧が冷たい風を跳ね返して鳴った。
セレナは剣の柄に手を置いたまま、目を細めた。
「結界の層が剥がれているわ。あちこち歪みが走ってる」
クレアは静かに祈りの印を結ぶ。
「封印の神意が薄い……。長く保つ状態ではありません」
アルフレッドは一呼吸置き、仲間へ短く命じた。
「まずは列石の全周を確認する。異常箇所を特定してから内部へ入る」
四人が頷き、慎重に足を踏み出す。
列石の間へ踏み入る瞬間──
空気が一段、ひき裂かれた。
森のざわめきが途切れ、世界そのものの音が遠ざかる。
魔力の波だけが風のように身体を撫でた。
クレアが息を呑む。
「結界が……崩れ続けています」
アルフレッドの声が低く響く。
「始まりはここからだ。調査を開始する」
そして彼らは列石の中心へと足を進めた――。
環状列石の中心へ踏み込んだ途端、冷たさの質が変わった。
先ほどまで肌を撫でていた風ではない。
魔力そのものが空気の形を成して漂っている。
「……ここだな。結界の核に一番近い領域」
アルフレッドは足元の地面へ目を遣る。
黒い焦げ跡のような痕が円状に広がっていた。
ミリアが術式で検査を始める。
淡い結晶光が浮かび、石柱間の空間を形にしていく。
「魔力濃度、平均値の七倍以上。しかも──外部からの干渉痕がある」
「外部?」
バルトが眉をひそめる。
「封印を壊すための術式を、内側に折り畳んで送り込んでる。正体はまだ分からないけど……自然現象じゃない」
アルフレッドは地面へ膝をつき、剣先で土を軽く掘り起こした。
石の破片が崩れ、そこから青白い光が漏れだす。
「……魔術媒体が埋め込まれている。封印を逆流させるための触媒だ」
セレナが即座に剣を抜く。
刃の縁に魔力が走り、光の膜が張り付く。
「破壊する?」
「まだだ」
アルフレッドは短く制した。
「仕掛けた者の意図を読む。セイセス=セイセスの術式なら、触れた途端に罠が動く」
クレアが静かに祈りの言を紡ぐ。
薄金色の波が広がり、場を清めた。
「……異変はまだ動いています。封印は生きている、けれど崩れ続けている。」
ミリアが顔を上げた。
「この結界、いずれ崩壊するわ。その前に、どこかで“制御中枢”を探し当てないと。」
アルフレッドは立ち上がり、仲間を見渡す。
「三方向に分かれる。セレナ、バルトは外周の石群を。ミリアとクレアは内側の術式を解析。俺が中央基幹を調べる」
全員が頷く。だがその直後──
空気が震えた。
低い、唸るような共鳴音。
霧のような魔力の流れが一点に収束していく。
セレナが振り返り、鋭く声を上げた。
「……来る!」
森の外から、何かが侵入してくる気配があった。
封印の奥へ、うねるように迫ってくる。
まず、空間が裂けた。
目に見えるように、森の闇が縦に割れ、そこから人影が歩み出てくる。
黒い外套。
顔を覆う白磁の仮面。
足音一つ立てぬまま、三体が環状列石の内に踏み込んだ。
「……やっぱり来たな」
アルフレッドが魔剣を抜くと同時に、相手が低い声を発した。
「干渉を確認。封印修復、阻止する」
仮面の奥で光が瞬く。まるで人格のない機械の声だ。
ミリアが即座に詠唱を始める。
「セイセス=セイセスの尖兵……まさか結界を短時間で突破するなんて」
異様だった。
彼らの周囲には封印を蝕む黒い術式が発現している。
それは武器でも呪詛でもなく──
結界そのものを侵すための魔術構造体。
セレナが前に出る。
「だったら止めるだけよ!」
彼女の魔剣が血管のようなレリーフを走らせ光を吐き、
地を蹴った瞬間、最前の尖兵へ斬りつける。
同時にバルトが突撃し、クレアが障壁を展開、
ミリアが後衛から魔術弾を撃ち込む。
だが尖兵は、ただの雑兵ではなかった。
その一体が片腕を上げると、術式が空間に拡散した。
「──破壊を、抑止する」
無表情な声とともに、環状列石全域に黒い波紋が走る。
アルフレッドは咄嗟に叫ぶ。
「セレナ、下がれ!」
次の瞬間、尖兵の周囲から結界そのものを反転する衝撃波が炸裂した。
石柱がきしみ、空気が歪む。
それは敵が結界を壊すための術式ではない。
逆だ──
結界を“操る”ための術式だ。
アルフレッドは唇を固く引き結び、前へ出る。
「やっぱり本命はここか……!」
今まで遭遇した者たちとは明らかに質が違う。
この尖兵は、ただ命令で動く駒ではない。
「セイセス=セイセス本部からの直属戦力だな……!」
仮面の尖兵が低く応えた。
「封印干渉──第2段階へ」
気配が一気に膨れ上がる。
戦闘は、ここからが本番だった。
最初に動いたのはアルフレッドだった。
魔剣を握り直し、地を蹴る。
「行くぞ、全員散開!」
その声に迷いはなかった。
四人も即座に応じ、布陣が瞬く間に完成する。
バルトが正面から突撃した。
大盾が闇を裂き、重い突きの一撃が尖兵へ叩き込まれる。
金属ではない。
仮面の尖兵は気配だけで弾くように腕を振るった。
盾と触れた瞬間、火花ではなく、空間そのものが悲鳴を上げる。
「ぐっ……お前、何者だ!」
バルトの腕が震える。
衝撃は物理ではない。
結界の構造が逆流し、力場を反発させているのだ。
そこに、セレナの魔剣が追撃した。
「やらせない!」
刃が弧を描き、黒い術式を巻き裂く。
セレナの剣は魔法と剣術を併せ持つ。
切断の軌跡は衝撃波のような斬光となり、尖兵の外套を裂いた。
しかし、敵は一歩も退かない。
「反応──最適化」
淡々と告げると、仮面の奥で光が変質する。
まるで敵はこちらの動きを学習しているようだった。
次の瞬間、尖兵が指を鳴らす。
空間が、ねじれた。
ミリアが叫ぶ。
「くるわよ!!」
彼女は即座に術式を展開し、地面に古代語の円環を浮かべる。
「《防御陣式・叛流の盾》!」
結界反転の衝撃波が放たれ、地形ごと押し潰すような威圧が広がったが、
ミリアの陣が受け止めた。
空気が震え、風が渦を巻く。
「はぁ……やっぱり通常の魔術じゃ通じない!」
ミリアの頬に汗が滲む。
その隙に、クレアが後衛から清浄の光を降ろした。
「《聖域の息吹》──!」
光が波紋のように広がり、尖兵を包む黒い術式を削り取っていく。
白と黒の魔力が正面からぶつかり合い、
石柱に刻まれた古い紋様が輝きを取り戻し始めた。
「まだ終わんねぇぞッ!」
バルトが再度踏み込む。
セレナが横から切り込み、
クレアの結界が後衛を守り、
ミリアが防御と解析を続ける。
そして──
アルフレッドが真正面に出た。
「行くぞ。俺の剣で終わらせる!」
魔剣の刃が低く唸り、闇を裂く光を放つ。
五人の陣形が完全に噛み合った瞬間だった。
戦いは、ここから本格的に始まる。
尖兵は、一歩も動かぬまま周囲の術式を操り続けていた。
その存在は、まるでこの場の結界そのものを“端末”として扱っているかのようだ。
「解析完了ッ!」
ミリアが叫ぶ。
指先に展開された魔法陣が、敵の術式構造を照射する。
「この尖兵は結界に繋がっている! 指令を送ってるのは別の場所! だから──」
「つまり本体じゃないってわけか」
アルフレッドが低く応じた。
尖兵の動きが変わる。
攻防のテンポが一段上がった。
黒い刃が空に現れ、無数の切断線がパーティ全員を切り裂かんと襲う。
バルトがその全てを正面から受け止める。
「任せろッ!!」
盾が大地を震わせ、重い音を立てて貫通を阻んだ。
すかさずセレナが跳ぶ。
魔剣が火花を散らしながら、黒い刃の根元を断ち切る。
「こいつ、動きが早くなる!」
「学習してるのよ!」
ミリアが答える。
その隙にクレアが詠唱を完了させた。
「アルフレッド、行ってください!」
「もちろんだ!」
アルフレッドが地を蹴った。
魔剣の切っ先に魔力が螺旋のように収束する。
だが敵が指を鳴らす。
「対策完了──排除」
空間が崩れ、刃が迫る。
その刹那。
「甘いわよ!」
セレナの剣が横から光を放ち、
アルフレッドの進路を遮っていた術式を断ち切った。
「行って!」
迷いはなかった。
アルフレッドは踏み込む。
黒い仮面がすぐそこに迫る。
「これで終わりだッ!」
魔剣が閃き、敵の中心へ突き立つ。
瞬間、白い光が爆ぜた。
尖兵は抵抗もなく崩れ落ちる。
仮面が砕け、術式が霧散し、闇が霧のように晴れていく。
最後に、僅かな声が漏れた。
「……接続断裂。次の……位階へ……」
そして尖兵は消滅した。
沈黙が訪れる。
崩れた地面に風が吹き抜け、石柱の紋様だけが静かに光を残していた。
仲間たちは剣を収め、息をついた。
バルトが言う。
「……終わったか?」
ミリアが首を振る。
「いいえ。これは端末。セイセス=セイセスは、もっと奥にいる。」
クレアが結界の光を見上げ、静かに立ち上がる。
「まだ先があるみたいですね。行かないと。」
アルフレッドは剣を握り直し、石柱の迷宮へ目を向けた。
「ここからが本番だ。進もう。」
彼らは歩を進める。
結界の中心へ。
秘密結社セイセス=セイセスの本陣へ――。
尖兵が消滅すると同時に、結界の内壁が静かに開き始めた。
石が動く音ではない。
まるで世界のほうが“道を明け渡した”ような無音の開門。
ミリアが眉を寄せる。
「この反応……誰かが私たちを迎え入れてる。まるで内部へ誘うみたいに」
「誘いねえ、嫌な言い方だ」
バルトは剣を携えたまま、警戒を解かない。
セレナは進路を睨みつつ、剣を収めなかった。
その刀身に纏わせた魔力が、深い青光となって揺らめく。
「潜っていくしか、方法はないみたい」
クレアが掌を掲げると、祈りの光が足元へ広がる。
石床が低く鳴動し、淡い魔術紋が浮かび上がった。
「この紋様……封印術式の改造痕跡があります。誰かが、かなり前からここに手を入れてる」
アルフレッドは剣を肩に担ぎ、その光を反射させた。
「セイセス=セイセスは、昨日今日に始まった組織じゃないからな」
「少なくとも数十年単位。あるいは環状列石が作られた時代にまで遡るかもね」
ミリアの言葉に、全員の表情が変わった。
道は暗い。
しかし、その暗闇の奥には確かな気配があった。
ただの魔物ではない。
もの言わずにこちらを窺う、知性を持った敵の気配。
アルフレッドは一歩進む。
「行こう」
魔剣が闇を裂き、仲間たちが続く。
石柱がずらりと並び、古式魔術の光が淡く明滅した。
それはまるで、“封印の心臓”へ至る回廊だった。
風が動く。
いや、風ではない。
何かが待ち構えている方向へ、空気が吸い込まれていく。
ミリアが呟く。
「……来る。」
次の瞬間、空間が震えた。
黒い紗を裂くように、幾つもの魔術陣が浮かび上がる。
そこに姿を現したのは――
セイセス=セイセスの真の尖兵。
先ほどの端末とは異なる。
纏う魔力が桁違いだ。
仮面には、古代語に似た紋刻。
その周囲には灰色の外套が揺れ、まるで異界の気配そのものが立ち上る。
「侵入者、確認。これより排除行動を遂行する」
その声は、もはや人のものですらなかった。
セレナが笑みを浮かべる。
「ようやく“本物”ってわけか。」
アルフレッドは短く息を吸い、魔剣を構えた。
「ここを突破する。全員、油断するな」
そして敵が動いた。
列石の中心、崩れた円環の只中にて──
空気が突然、裂けた。
黒い亀裂は縦に引き延ばされたかと思うと、そこから“覗き込むように”異界の気配が滲む。
異形の男、いや“人の形を模した何か”が姿を現した。
セイセスの尖兵。
薄い金属片のような外殻に覆われ、面頬には無数の紋章が浮かび沈む。
その視線は最初から、アルフレッドたちだけを見据えていた。
「来るぞ!」
バルトが叫び、盾を前へ。
ミリアが魔術式を即座に構築する。
クレアは祈祷の姿勢から、仲間全員へ光の加護を展開した。
セレナは既に動いていた。
抜刀。低い姿勢のまま、敵の懐に向けて踏み込む。
尖兵が放つ、金属質の破裂音――それは音ではなく殺意そのものだ。
四方八方へ伸びる刃の群れが襲う。
「させるかよォッ!」
バルトが突進し、盾で一気に押し返す。
衝突音が列石そのものを震わせ、火花が散った。
ミリアは詠唱を一拍で仕上げる。
「《雷鎖縛陣—レヴィナ・バインド!》」
地面に走る光の鎖。
尖兵の足が一瞬だけ止まった。
その僅かな間隙を、セレナがすり抜けた。
彼女の剣筋は無駄がない。
魔法戦士特有の、術式を刃に刻む戦闘。
「《焔刃・断》!」
剣が赤く蒼く灼け、空間に刻み込むように斬り払う。
刃は尖兵の装甲を裂き、黒い霧が弾け散った。
すかさず、アルフレッドが前へ躍り込む。
「合わせるぞ、セレナ!」
二人の剣が同時に輝く。
アルフレッドの魔剣は暗く、重い流れを纏い、対照的にセレナの魔術光が交差する。
バルトの重打。
セレナの接近斬撃。
ミリアの支援魔術。
クレアの神聖加護。
そしてトドメは、アルフレッド。
完全な連携が成った。
尖兵は最後の抵抗として、列石全体を震わせる絶叫を発する。
石碑の紋が暴走し、瘴気が渦巻く。
アルフレッドの魔剣が振り下ろされる瞬間、
セレナが僅か半歩踏み込んだ。
「アルフレッド、合わせて!」
「当然だ!」
二撃は同時ではなく、完全に重なる。
光と闇の刃が一本の軌跡となり、
セイセスの尖兵は中央から完全に断ち割られた。
霧散するように消え失せ、空間は静寂を取り戻す。
アルフレッドが剣先を下げると、バルトが息を吐き捨てた。
「……まだ来るのかと思ったぜ」
「来るよ。絶対に。」
ミリアが列石の中心を見る。
クレアは祈りを解き、周囲の魔力の流れを感じ取った。
「ここに“穴”が開いている。誰かがわざとやったの」
そして、セレナがひとつだけ言葉を重ねて締める。
「始まったばかりよ。これは前触れ」
戦闘の余韻が消え、列石に再び静寂が戻る。
しかしその静けさは、戦いの前よりも不吉だった。
アルフレッドたちは中央の円環へと歩を進める。
ミリアが杖を掲げると、結界の魔法陣が淡い光を返した。
だが、その光は歪んで揺らいでいる。
「やっぱり……ここで“結界の縁”が破られてる。」
バルトが眉をひそめる。
「さっきの奴が壊したんじゃねえのか?」
「違うわ」
ミリアが即答した。
「壊されたんじゃない。“中から”広げられてる」
その言葉に、一同が静まり返った。
クレアの神聖視
クレアは祈りの印を描き、列石全体に意識を伸ばす。
「……感じる。悪意じゃない。もっと冷たい……」
彼女の表情に驚きが走る。
「ここを開けているのは、感情すらないもの。規則、原理、命令。そんな性質の力」
セレナが剣を肩に掛け、呟く。
「じゃあ尖兵は、そのための監視役ってわけ」
アルフレッドが列石中央を見つめる。
そこだけ、空気の密度が明らかに違う。
「……裂け目だ」
結界の層が薄膜のようにめくれ、向こう側の世界が覗いている。
風はないのに、黒い粒子が吸い込まれていく。
セレナが言う。
「境界を破る魔術を、誰かがここで使った形跡がある」
ミリアは石碑に刻まれた刻印を解析していく。
「これ……列石の魔法構造自体が改変されてる」
「内部の術式が“外側に増設されてる”の。まるで結界を逆転させて、この場所から外へ向けて繋げようとしてる」
セレナが、結界の中心へと踏み込む。
「つまり──この列石は狙われた。外からじゃなく、この土地そのものに刻まれた古い術式を利用して」
ミリアが石碑に触れ、声を低くする。
「だから尖兵は倒しても終わらない。結界そのものが、もう侵入口になってる」
アルフレッドは剣を抜き直した。
「なら、断ち切る方法を探るしかない」
クレアが頷く。
「でも、普通の敵じゃない。ここを開けてるのは、まだ姿を見せてない本体よ」
風が吹く。
列石の上空に、影が形を成していく。
セレナが剣を構えた。
「来るわ。今回は、さっきの尖兵とは別格」
列石の中心、結界の裂け目から滲み出た黒が、ゆっくりと形を整え始めた。
最初はただの人影だった。だが次第に輪郭は精密になり、黒い靄が積層して、ぞっとするほど無機質な形へと変化していく。
顔もない。表情もない。
ただ、人の形に似せた“影の器”がそこに立っていた。
アルフレッドが一歩前に出る。
「……人じゃない。」
ミリアが頷く。
「存在の波形が異常。生命反応も魔力反応も、全く別質」
セレナの声は低く冷たい。
「セイセス=セイセスの尖兵……でも、さっきのとは違う」
バルトが大剣を構えた。
「強さも、雰囲気も、段違いだな」
クレアが祈りの術式を開始する。
「この影……こちらを“観測”してる」
その瞬間、影が動く。
ゆっくりと、首を傾げるように。
そして、声が響いた。
それは人の声ではなかった。
複数の声が重なり、ひとつの言葉の形を取る。
「観測確認。列石制御術式、断続化完了」
ミリアが息を飲む。
「……やっぱり。列石を改変したのは、こいつだ」
影は続けた。
「干渉要因を排除する。」
刹那、地面が震えた。
列石の周囲を囲む刻印が黒く染まり、魔力が噴き上がる。
アルフレッドが叫ぶ。
「全員、構えろ!」
セレナが剣を構えると同時、バルトが前へ出て、防壁のように立ちはだかる。
クレアが支援術式を展開する。
「強力な祝福を掛ける! 持ちこたえて!」
そして──影が消えた。
消えたと思った直後、アルフレッドの背後に現れる。
動きの速さは視覚を無視している。
だがアルフレッドはすでに反応していた。
「そこだ!」
魔剣が闇を裂く。
刹那、バルトの大剣が重く叩き込まれる。
セレナが斬り込み、ミリアが術式を放ち、クレアが祝福を重ねる。
影は一撃では倒れない。
しかし一撃では済まされない相手でもない。
この戦いはすでに、この列石を狙うセイセス=セイセスの本格侵入の前哨戦だ。
アルフレッドの一撃が影を押し返す。
同時に、バルトの大剣が寸分狂いなく振り下ろされ、セレナの魔剣が黒の装甲を裂き、ミリアの術式がその中心へ突き刺さる。
影は後退した。
揺らぎ、体勢を崩し──それはもはや“戦闘態勢”ではなかった。
クレアが構えた杖の先に光が宿る。
「今なら決められる!」
しかし、その瞬間、影が動いた。
戦うためではなく、言葉を残すために。
身体が霧散しながら、声音が変わった。
先ほどまでの機械的な多重音声ではない。
まるで、誰かが“直接語りかけている”ような調子。
「我らが見守る。王国の最後の刻まで。」
ミリアの瞳が細まる。
「……まさか、セイセス=セイセスの中枢が、直接リンクしてるの?」
影はさらに続ける。
「列石はただの扉ではない。それは、王国の記憶装置だ」
その言葉に、アルフレッドも一瞬息を飲んだ。
バルトが吠える。
「何を企んでいやがる!」
「次は西では終わらない。次は、王都だ」
セレナが前へ踏み込む。
「待て。お前たちは何を──」
「覚悟しておけ。──“王国よ、再誕せよ”」
その声を残し、影は完全に霧散した。
風も痕跡もなく、ただそこには、黒い魔力の残滓と、崩れかけた列石だけが残されていた。
沈黙のあと、ミリアが呆然と呟く。
「……王都ロムルストを狙ってる」
バルトが拳を握る。
「つまり、この列石もただの前座ってわけか。」
セレナは魔剣を納めながら、冷たい眼で周囲を見渡した。
「少し調べていきましょう」
クレアがアルフレッドの肩に手を置く。
「まだ手掛かりが残されているかも」
アルフレッドは頷き、列石を振り返った。
その裂け目は完全には閉じていなかった。
まだ、何かが“繋がっている”。
影が霧散し、列石の中心に再び風が戻った。
しかし空気は澄んでいない。異質な魔力が、まるで大地に染み込むように残存していた。
アルフレッドは剣を構えたまま、周囲に意識を張り巡らせる。
「魔力の濃度が不自然に高い。通常の結界の反応じゃない」
ミリアがしゃがみ込み、列石の中央に残った黒い痕跡へ指を伸ばす。
指先が触れた瞬間、淡い紫光が立ち上った。
「やっぱり……魔術式の残留。しかもこれ、ベラルテの結界術式じゃない。」
バルトが険しい声で問いかけた。
「じゃあ、侵入者が別の術式を上書きしたってのか?」
ミリアは首を横に振る。
「上書きというより、寄生ね。結界の構造そのものに入り込んで、本来の機能を無理やり変質させてる」
セレナが足元の石碑を蹴る。金属音が響き、内部に空洞があることを示した。
「この列石、まるで“改造”されてる。外見は同じでも、中身をすり替えられてるわ。」
クレアも周囲の気配に集中する。
「……祈りの反応が乱れています。何か“魂の痕跡”のような……」
彼女の言葉に、ミリアとアルフレッドが同時に振り向いた。
「魂の反応?」
クレアが頷く。
「ええ。普通の魔力ではありません。誰かの意志がここに留められたままです。」
その瞬間、セレナの視線が列石の一角に止まった。
「……これを見て。」
そこには石の裂け目に埋め込まれるように刻まれた一文があった。
装飾も意味も解読不能な、古い呪文のような文字列。
しかしアルフレッドは、嫌な寒気とともにそれを読み取る。
「これ……王都の古文書に出てきた封呪と同じだ。」
ミリアの顔色が変わる。
「まさか、本当に――」
アルフレッドは頷いた。
「セイセス=セイセスは、王国の古代結界式の構造を理解している。侵入どころか、それを利用している」
バルトが低く唸った。
「ってことは……連中は最初からそのつもりで」
夕暮れの光が列石に差し込み、裂けた石碑の影が地面に禍々しい線を落とす。
風が吹き抜ける。
その音は、遠くから誰かが囁く声にも似ていた。
列石の中心での調査を終えると、周囲の空気が急速に冷えていった。
ミリアは結界跡に手を当て、残留魔力の流れを読む。
その瞬間、彼女の表情が凍りついた。
「……やられた。」
アルフレッドが振り向く。
「どうした?」
ミリアは声を押し殺すように言った。
「この結界撹乱は、“ここ”で完結してない。これは 王都へ向けた魔力回路の分岐点。まるで、王都に仕掛けられた術式を起動するための――点火装置よ」
全員の思考が一瞬止まった。
セレナが低く呟く。
「つまり……これは囮ってこと?」
「囮であり、発火点でもある。」
ミリアは断言した。
「王都ロムルストには、もっと大規模な術式が仕掛けられてる。セイセス=セイセスの狙いは最初から王都よ」
バルトが片手で斧の柄を掴んだ。
「なら、ここに用はねぇ。戻るべきだ」
クレアも頷く。
「王都の防衛結界が無事とは限りません。もう時間がありません」
アルフレッドは決断した。
「ミリア、転移魔法は使えるか?」
ミリアは深く息を吸い、魔術陣の準備に入る。
「問題ないわ。位置固定の座標は王都ギルド本部。ただし――」
「ただし?」
「これは、かなり大規模な転移になる。全員を運ぶ分、着地先が多少ブレるかもしれない。」
セレナが笑う。
「王都の外壁に叩きつけられなきゃいいわ。構わない。」
バルトが肩をすくめる。
「そんなの、このメンバーなら誤差だろ」
ミリアは魔法陣を完成させる。
紫紺の光が石床を包み、空間が波打った。
「帰還するわよ」
アルフレッドが最後に列石を振り返る。
魔術痕跡。異常な結界。影の伝言。
それら全てが、一つの答えに収束していた。
――敵は、もう動いている。
「王都へ戻る。止めるぞ」
ミリアが魔術陣を解放し、光が仲間たちを飲み込んだ。
風の奔流が身体を裂き、視界が白に染まる。
次の瞬間、五人は別の世界へ放り出されていた。
――王都ロムルストの空の下。
ただし、そこには予想していた景色はなかった。
荒れ果てた石畳。
裂けた結界膜の残骸。
遠くで上がる悲鳴と爆発。
王都は、既に攻撃を受けていた。




